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第三話:甘い煙と、見えない鎖
しおりを挟む王都を出て数日。
ジークたち一行は、国境近くの山間にある村に到着した。
大森林国バルグの地方部は、こうした中小規模の集落が点在している。
本来なら、この村は山から湧き出る清らかな水を利用した酒造りや、
紙漉きで生計を立てているはずだった。
勤勉な巨人の民が、静かに暮らす美しい村。
だが、村の入口に立った瞬間、ジークは眉をひそめた。
「……臭いますね」
リンが鼻に手を当てる。
森の澄んだ空気の中に、何か甘ったるい、腐った果実のような異臭が混じっている。
村の様子もおかしい。
道の端には、ゴミが散乱し、手入れされていない家屋の壁には蔦が絡まり放題だ。
そして何より、住人たちの様子が異様だった。
大柄な男たちが、昼間から道端に座り込んでいる。
その目はうつろで、焦点が合っていない。
酒場からは、昼日中だというのに下品な笑い声と怒号が聞こえてくる。
真面目に畑を耕しているのは、腰の曲がった老人たちだけだ。
彼らは怯えたように背を丸め、若者たちの視線を避けて動いている。
「おい、あんた」
ガルドが、比較的まともそうな顔つきで薪を割っていた中年の男に声をかけた。
男はビクッと体を震わせ、ガルドの巨体を見上げると、安堵したように息を吐いた。
「……なんだ。南の連中かと思った」
「この村はどうなっている? なぜ誰も働かん?」
「……『煙』だよ」
男は忌々しげに、村の中央にある豪邸の方角を顎でしゃくった。
「南の商人が持ち込んだ、新型のタバコだ。あれを吸うと、嫌なことを全部忘れて、極上の気分になれるらしい。……若いやつらはみんな、あれにやられちまった」
国境とは名ばかりで、昔から北と南の間には多少の交流があった。
特にこうした境界付近の村では、行商人の往来は珍しくない。
だが、今回持ち込まれたのは、ただの嗜好品ではなかったようだ。
「……案内してくれ。その商人の家へ」
ジークの声は低く、抑えた怒りが滲んでいた。
*
案内されたのは、村一番の大きな屋敷だった。
かつては村長の家だった場所だ。
今は南風の派手な装飾が施され、窓には金色の枠がはめ込まれている。
貧しい村の中で、そこだけが悪趣味なほど豪華だった。
「我々は旅の者だ。珍しい品を扱っていると聞いてな」
ジークは身分を隠し、屋敷の扉を叩いた。
現れたのは、小柄な南の民 サピア の男だった。
身なりは良いが、その目は油断なくジークたちを値踏みしている。
通された応接間には、ふかふかの絨毯が敷かれ、甘い香の匂いが充満していた。
「北の旦那方が、何の御用で?」
商人は揉み手をして笑うが、目は笑っていない。
「単刀直入に聞こう。あのタバコ、村の若者たちをダメにしているようだが」
ジークが問うと、商人は大げさに肩をすくめた。
「人聞きの悪い。私はただ、彼らが欲しがるものを売っているだけです。
需要と供給。それが商売というものでしょう?」
「彼らは働かなくなり、村は荒廃している」
「それは彼らの自己責任だ。私は無理やり吸わせたわけじゃない。
対価をいただき、商品をお渡しした。誰も損はしていない」
商人の理屈は、南の「文明」の論理そのものだった。
契約と自由意志。そこに道徳や共同体の存続といった概念は存在しない。
ガルドが斧に手をかけようとするのを、ジークは目で制した。
今はまだ、決定的な証拠がない。
「……帰ろう」
ジークは短く告げ、屋敷を出た。
外に出ると、さらに胸糞の悪い光景が待っていた。
屋敷の裏手で、数人の北の民が、重い荷物を運ばされていた。
彼らの足には鎖が繋がれている。
鞭を持った小柄な南の男が、自分より倍も大きな巨人を怒鳴りつけ、叩いているのだ。
「おい! 何をしている!」
リンが駆け寄り、鞭を持った男の腕を掴んだ。
「痛っ! なんだお前は!」
「鎖に繋ぐなど、許されると思っているのですか!」
リンの剣幕に、男は鼻で笑った。
「はっ。こいつらはな、タバコ代のツケが払えなくなって、自分自身を売ったんだよ。
借金のカタだ。所有権は俺にある」
鎖に繋がれた巨人の若者は、うつろな目でリンを見た。
「……姉ちゃん。タバコ……一箱くれたら、何でもするよ……」
その言葉に、リンは絶句し、手を離した。
誇り高き森の民の姿は、そこにはなかった。
ただの、欲求に支配された家畜がいるだけだった。
*
その夜。ジークたちは村外れの小さな宿に泊まった。
主人は農業を営みながら宿を切り盛りしている、実直そうな老人だった。
「……あれは、毒ですよ」
主人は、粗末だが温かいスープを出しながら、重い口を開いた。
「南の連中は、決してあのタバコを吸いません。
最初は『疲れが取れる』と言って無料で配り、依存させてから高い金をふんだくる。
金がなくなれば、家族を売らせ、最後は自分を売らせる」
それは、明確な悪意を持った計画だった。
「隣の村も、そのまた隣も……このあたり一帯が、あの煙に飲み込まれつつあります。
旦那様方、どうか気をつけてくだせぇ」
部屋に戻った四人の間には、重苦しい沈黙が流れていた。
セラが静かに告げる。
「成分を調べましたが、強力な幻覚作用と依存性を持つ麻薬の一種です。
数年も常習すれば、脳が萎縮し、二度と元には戻らないでしょう」
「腐りきってやがる」
ガルドが壁を拳で叩いた。
「力で勝てねぇからって、こんな真似を……!」
「これは商売ではない」
ジークは窓の外、闇に沈む村を見下ろした。
「国家ぐるみの、兵器を使わない侵略行為だ。……もはや看過できない」
翌朝。
ジークたちは再び、南の商人の屋敷を訪れた。
王家の紋章が入った鎧を纏い、正規の使節として正門に立った。
「大森林国バルグの大使である! この屋敷の主に告ぐ!」
よく通る声が響き渡り、屋敷から慌てて昨日の商人が出てきた。
「た、大使……!? こ、これは何かの冗談で……」
「貴様らの行いは、我が国に対する破壊工作と見なす。直ちに毒の販売を停止し、この村から退去せよ」
商人の顔色が変わり、やがて開き直ったような歪んだ笑みが浮かんだ。
「……破壊工作? 言いがかりはおやめください。これは村人たちが望んで買ったものです。
自ら選んだ堕落を、私のせいにされては困りますなぁ」
「毒だと知りながら売りつけたことは明白だ。それとも、その首を物理的に落とされたいか?」
リンが槍の石突を地面に叩きつけ、殺気を放つ。
商人はひるむどころか、ニヤリと笑った。
「おや、野蛮ですねぇ。……分かりました。
では、解毒作用のある薬を売りましょう。ただし、相応の対価をいただきますが?」
「いい加減にしろッ!!」
ガルドが吼えた。
「マッチポンプで金を毟り取る気か!」
「交渉決裂だな」
ジークが剣の柄に手をかけた時、商人が指を鳴らした。
「……金も払わず、我々に出て行けと言う。それがやり方ですか?
ここから生きて帰れると思わないことですな」
屋敷の窓や物陰から、一斉に武装した男たちが現れた。
その数、およそ五十。全員が南の傭兵だ。
彼らは弓矢を持っていなかった。
この狭い村の中では、飛び道具は味方に当たる可能性があるからだ。
代わりに彼らが手にしていたのは、青白く発光する警棒や、高周波で振動する短剣といった、
南の高度な科学兵器だった。
「やれ!」
商人の号令と共に、傭兵たちが襲いかかってくる。
「蹴散らすぞ!」
ジークが剣を抜く。
ガルドが前に出て、巨大な盾で傭兵たちの突撃を受け止める。
ジュッ! という嫌な音と共に、高圧電流を帯びた警棒が盾に弾かれた。
「小細工を!」
ガルドは盾ごと男たちを薙ぎ払う。質量が違いすぎる。
数人が吹き飛んだ。
その隙間を縫って、リンが疾風のごとく駆け抜ける。
彼女の槍は正確無比に傭兵の手首や膝を貫き、無力化していく。
「森の眠りを妨げる者は、私が許しません!」
セラの詠唱が響き、地面から木の根が隆起して、逃げようとする商人の足を捕らえた。
個の力において、北の精鋭は圧倒的だった。
南の最新兵器も、当たらなければ意味がない。
当たったとしても、巨人の頑強な肉体は簡単には止まらない。
戦いは一方的だった。
数分後、屋敷の庭には、呻き声を上げる傭兵たちが転がっていた。
ジークは捕らえた商人の胸ぐらを掴み上げ、冷たく見下ろした。
「解毒薬を出せ。……金は払わんぞ」
「ひ、ひぃ……金庫の中に……!」
押収した解毒薬を村人たちに配り、ジークたちは村を後にした。
薬のおかげで、若者たちの目は多少の正気を取り戻した。
だが、失われた尊厳と、荒れ果てた村が元に戻るには、長い時間がかかるだろう。
南のやり方は、剣で斬り合うよりも遥かに陰湿で、致命的だ。
ジークは、背後の山脈を見上げた。
この山の向こうには、こうした「悪意」を無限に吐き出す巨大な文明が待ち構えている。
本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。
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