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春待つ花の章

その願いを護るために

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 ジルセウスは「その胸の白薔薇がしおれないうちにまた来るよ」という言葉を残し、茉莉花堂を出た。
 リヴェルテイア家の立派な馬車が走り去ったのを、月星が姿を見せるときになってもぼんやりとメルは眺めていた。

「……中、入ろう」
 だいぶ空気が冷えてきたことで、メルはようやく時間の経過を悟った。
 冷たくなった手でのろのろと、もうとっくに閉店時間を過ぎている茉莉花堂のドアを戸締まりして、一階の台所でプリムローズおかみさんから小さいコップを借りて水を少しだけ汲んで、二階の自室に持っていく。
 コップを机の上に置いてから、胸につけた白薔薇のはいったポージーを外す。
 ポージーの中には水がまだはいっているらしくほんのかすかにちゃぷちゃぷと音がした。
 メルは茎の短い白薔薇をポージーから慎重に取り外して、机の上のコップにいれて飾った。
 多分、あの温室にあったということは薔薇としてかなり高貴な出なのだろう白薔薇は、茎を短く切られて安物の小さなコップに一輪だけで入っていてさえ、優美さを保っていた。

 それからメルは、着ていたピンクのドレスをやや乱暴に脱ぎ捨てて、いつもより長くて重たいペチコートも外して軽い下着だけの姿になると、ベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。


「……メル、寝ちゃってる」
 どこからか現れた髪も肌も服も白い人物が、これまた白い指先で、眠るメルの金色の髪をなでている。
「……もうすぐだよ、もうすぐだよ」
 白い人物は、慈愛に満ちた――そして独占欲がほんの少しだけ混じった表情で、眠るメルを見つめている。
「メルの願いが叶うのは、もうすぐだよ。もうすぐ、だよ」





 ベルグラード男爵家の使用人が、メアリーベルからの分厚い手紙を届けてくれたのはそれから二日後のことだった。
 その時は、どういうお導きなのか、ユイハとユウハ、それにジルセウスが茉莉花堂に居合わせていた。

「例の子からの手紙か?」
 ユイハがミルクたっぷりのモルグネ紅茶の入ったカップを、飲むわけでもなくゆらゆらさせながら聞いてくる。
「そうみたい、まずはカウンターで一人で読むね、内容が問題なかったら、みんなにも見せるから」
「僕達としては、見る分にはかまわないよ」
 ジルセウスは、大きなほうの窓際にあるディスプレイをさっきからずっと角度を少しずつ変えては眺めている。
「読んでいる間も、メルの分のお菓子はちゃんと取っておいてあげるわね?」
 ユウハは、ジルセウスが手土産として持ってきた新鮮な苺がたっぷりつかわれたミルフィーユを品のいい、しかし素早い動きでどんどん口に運んでいた。

「それじゃ、読んじゃうね」


 幼さに見合う拙い文字で書かれた手紙は、まずは「茉莉花堂の店員さんのメルレーテ・ラプティさまへ」で始まっていた。
 それからエヴェリアは元気にしていますか、と続く。手紙の前につくちょっとした前ふりの挨拶ようなものかと思ったのだが、その後の文章に目を丸くする。
『エヴェリアも一緒で、メルお姉さんと遠出がしたいのです。目的地は、私の実家の近くの村が見える丘です。本当は私は実家に一度戻りたかったのですが、おじさまとおばさまがいけないというのです。なぜ駄目なのか、なにかの理由があるようなのですが、教えてくれません。ただ、私が十五歳の成人を迎えたらちゃんと話そうと、約束してくれました』
 この様子なら、メアリーベルは養父母とちゃんと話し合えているようだ。そのことにほっとはしたが、メアリーベル本人に話せない『理由』とはなんなのだろうか。
 とりあえずまだ手紙は続いていたので、先を読む。
『もしも来ていただけるなら、メルお姉さんのお友達の方が一緒でもいいそうです。メルさんのお友達のひとなら、私も仲良くなれそうですし。あ、でもこの間の黒髪の貴公子さまはちょっとだけ怖かったです』
 そして手紙は、自分の故郷がどんなところなのか、実家の近くにある山や林、泉のことなどが書かれている。そして結びの挨拶で、手紙は終わった――のだが……まだまだ、便箋はある。
 追伸が長くなってしまったりしたのだろうか、とメルは軽く考えながら、次の便箋を手にとり――


「みんな、これ……見てくれるかな……」
 内容を読み終わったメルは、それだけを震える声でようやく言い終え、カウンターに突っ伏した。
「メル?」
「……メル、どうしたっていうのよ?」
 ユイハとユウハが心配そうにカウンターの前に駆け寄って心配そうに覗き込む。
「ふむ、ただ事ではなさそうだとは思ってはいたのだが……」
 ぱさり、と便箋をめくる音がした。ジルセウスが手紙を読んでいるのだ。

「これは、ベルグラード男爵からの手紙か……これは……なるほど、あの少女に今、真相を伝えるのは、あまりに酷というものだね……それにしても男爵たちもやりかたが不器用なことだ」
 ジルセウスはため息混じりにそう言って、手紙をユイハとユウハに差し出した。


「ユイハ、ユウハ、それにジルセウス様……せめて、せめてメアリーベルに故郷の近くまででも、行かせてあげよう。そしてその記憶が、楽しかったものであってほしいの、だから……」
 のろのろと、カウンターに突っ伏していた顔をあげて、それからまたカウンターに頭がつくんじゃないかというほどに頭を下げて、メルは三人へお願いする。
「メル、みなまで言わないでくれるかい?」
「そうよ、頭をあげてちょうだいな」
 顔をあげると、ユイハとユウハがそっくり同じ顔だけど違うやりかたで笑みを浮かべていた。その笑みは、とても頼もしい。
 

 ジルセウスが、芝居がかった優美な動きで軽く礼をしながら言う。

「さぁ行こうか。君の――そして幼くかよわい少女の――その願いを護るために」


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