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第2巻
第28話 篠田先生の話
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篠田先生が、秋になる少し前の夜に来た。
「退院してからも来ていたが、最近は月一回になった」
「お体の具合は」
「まあ、八十近くなると、いろいろある。大したことではない」
篠田はいつものウィスキーを頼んだ。
今夜の篠田の渇望は——言い残したいことがある。
「何か、話したいことがあるんですか」
「分かるか」
「今夜は少し、急いでいる感じがします」
「歳をとると、急がなければならない夜が増える」
「そうですか」
篠田はウィスキーを一口飲んだ。
「君に話しておきたいことがある」
「はい」
「私が死んだ後のことだが」
「先生」
「落ち着け。すぐではない。でも、準備は必要だ」
「……はい」
「私の蔵書の中に、何冊かここに持ってきたいものがある。本棚に置いておけば、誰かが読むかもしれない」
「本を、置いていきたいんですか」
「そういうバーがある、と昔聞いた。本棚があって、客が本を読めるバー」
「ここには本棚はないですが」
「作れ」
ルーカスは少し笑った。
「……先生の本を置くために?」
「それだけのために作れとは言わない。でも、本がある空間は、人の渇望に応える力が増す。私の持論だ」
「なるほど」
「哲学書だけではない。小説も、詩集も、図鑑も。様々なものを置いてほしい」
「分かりました。考えます」
「考えるのではなく、やれ」
「……やります」
篠田は満足そうに頷いた。
「次に来る時に、一冊持ってくる」
「お待ちしています」
「あと、もう一つ」
「はい」
「君がいつか故郷に帰れる日が来るかもしれない。その時は、迷わずに帰れ」
ルーカスは少し驚いた。
「……知っていたんですか」
「知らなかった。でも、遠くを見る目をしている人間は、いつか帰る場所がある場合が多い」
「先生は」
「私の帰る場所は、もう家内のところしかない。少し先だが、それでいい」
「……先生」
「感傷的になるな。事実を言っている」
「はい」
篠田はウィスキーを飲み干した。
「君がここにいる間、私はここに来る。それでいい」
「ありがとうございます」
「また来週」
「お待ちしています」
篠田が帰った後、ルーカスはカウンターの隅を見た。
本棚を、作ろう。
篠田先生の本が置けるように。
誰かが深夜に来て、ふと手に取れるように。
翌週、小さな本棚が入り口の脇に置かれた。
最初の一冊は、篠田が持ってきた哲学書だった。
背表紙に、篠田の名前が小さく書いてあった。
「退院してからも来ていたが、最近は月一回になった」
「お体の具合は」
「まあ、八十近くなると、いろいろある。大したことではない」
篠田はいつものウィスキーを頼んだ。
今夜の篠田の渇望は——言い残したいことがある。
「何か、話したいことがあるんですか」
「分かるか」
「今夜は少し、急いでいる感じがします」
「歳をとると、急がなければならない夜が増える」
「そうですか」
篠田はウィスキーを一口飲んだ。
「君に話しておきたいことがある」
「はい」
「私が死んだ後のことだが」
「先生」
「落ち着け。すぐではない。でも、準備は必要だ」
「……はい」
「私の蔵書の中に、何冊かここに持ってきたいものがある。本棚に置いておけば、誰かが読むかもしれない」
「本を、置いていきたいんですか」
「そういうバーがある、と昔聞いた。本棚があって、客が本を読めるバー」
「ここには本棚はないですが」
「作れ」
ルーカスは少し笑った。
「……先生の本を置くために?」
「それだけのために作れとは言わない。でも、本がある空間は、人の渇望に応える力が増す。私の持論だ」
「なるほど」
「哲学書だけではない。小説も、詩集も、図鑑も。様々なものを置いてほしい」
「分かりました。考えます」
「考えるのではなく、やれ」
「……やります」
篠田は満足そうに頷いた。
「次に来る時に、一冊持ってくる」
「お待ちしています」
「あと、もう一つ」
「はい」
「君がいつか故郷に帰れる日が来るかもしれない。その時は、迷わずに帰れ」
ルーカスは少し驚いた。
「……知っていたんですか」
「知らなかった。でも、遠くを見る目をしている人間は、いつか帰る場所がある場合が多い」
「先生は」
「私の帰る場所は、もう家内のところしかない。少し先だが、それでいい」
「……先生」
「感傷的になるな。事実を言っている」
「はい」
篠田はウィスキーを飲み干した。
「君がここにいる間、私はここに来る。それでいい」
「ありがとうございます」
「また来週」
「お待ちしています」
篠田が帰った後、ルーカスはカウンターの隅を見た。
本棚を、作ろう。
篠田先生の本が置けるように。
誰かが深夜に来て、ふと手に取れるように。
翌週、小さな本棚が入り口の脇に置かれた。
最初の一冊は、篠田が持ってきた哲学書だった。
背表紙に、篠田の名前が小さく書いてあった。
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