『異界酒場 ルーナ』

みぎみみ

文字の大きさ
85 / 185
第3巻

第23話 常連たちとの夜

しおりを挟む
四月の最後の週。

ルーカスは、知らせることにした。

何人かに、個別に。帰ることを。

礼奈には、すでに話していた。約束通りに、最後の夜に伝える、と言っていた。

香月には、もう知られていた。

篠田先生には話した。

その夜、偶然のように常連たちが何人か集まった夜があった。

佐野が来て、梶原が来て、高橋清子が来て(今日は一人で)、水月が来て、晴樹が来た。

全員に知らせているわけではなかった。でも、気配を感じ取っているのかもしれなかった。

ルーカスはその夜、いつものように迎えた。

一人一人に、その人に合ったものを作った。

佐野には海のカクテル。梶原にはバジリコ・スプリッツ。清子にはエルダーフラワー。水月にはシャンパン。晴樹には春のモクテル。

みんながカウンターとテーブルに分かれて、話していた。

知り合い同士が話し、初対面が話し、バラバラなようで、どこかでつながっていた。

ルーカスは一人一人の渇望を、静かに見た。

佐野——今夜の渇望は、安心。

梶原——音楽の話を誰かと。

清子——この場所の空気を、身体に入れたい。

水月——書き続けることの確認。

晴樹——ここが好きだという確認。

みんなそれぞれの渇望を抱えて、それぞれのグラスを持っていた。

深夜二時頃に、梶原がふと言った。

「なんか今夜、特別な夜な気がしますね」

「そうですか」とルーカスは言った。

「気のせいかな。でも、みんないる夜って、珍しいから」

「珍しいですね」

「ルーカスさん、何かありますか」

全員が少し静かになった。

ルーカスは少し考えてから、言った。

「今月末で、しばらくここを離れます」

静けさが、少し深くなった。

「離れる、とは」と佐野が言った。

「故郷に帰ります。帰れる可能性が出てきたので」

「それは……」

「店は続きます。高橋さん夫妻に任せます」

清子が少し驚いた顔をした後、「聞いていませんでしたよ」と言った。

「申し訳ありませんでした。今夜、皆さんに伝えようと思っていたので」

しばらく沈黙があった。

「……戻ってきますか」と晴樹が聞いた。

「分かりません」

「分からない、か」

「正直に言えば、そうです」

水月が言った。

「でも、帰ることが正しいんですよね、きっと」

「そう思います」

梶原が頷いた。

「ルーカスさんが正直な人だって分かってるので、分からないって言われると、分からないんだろうな、と思う」

「そうです。分からないまま、決断しました」

佐野が少し目を赤くして、「寂しいです」と言った。

「私も寂しいです」

清子が「でも、続きます、ここは」と言った。

「続きます。約束します」

「私たちは、また来ますよ」と梶原が言った。

「必ず来てください」

「必ず来ます」

誰かが「乾杯しましょう」と言った。

ルーカスは全員に、今夜のために作ったカクテルを出した。蜂蜜とスパークリングワイン。少し複雑で、甘くて、泡が立つもの。

「故郷の祝いの飲み物に近いものです」

グラスが重なった音が、地下のバーに響いた。

何個も、重なった。

「今夜も、よかった」とルーカスは言った。

誰かが「今夜も」と繰り返した。

みんなが繰り返した。

今夜も。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

男の仕事に口を出すなと言ったのはあなたでしょうに、いまさら手伝えと言われましても。

kieiku
ファンタジー
旦那様、私の商会は渡しませんので、あなたはご自分の商会で、男の仕事とやらをなさってくださいね。

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

許すかどうかは、あなたたちが決めることじゃない。ましてや、わざとやったことをそう簡単に許すわけがないでしょう?

珠宮さくら
恋愛
婚約者を我がものにしようとした義妹と義母の策略によって、薬品で顔の半分が酷く爛れてしまったスクレピア。 それを知って見舞いに来るどころか、婚約を白紙にして義妹と婚約をかわした元婚約者と何もしてくれなかった父親、全員に復讐しようと心に誓う。 ※全3話。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...