アキレギアの幸福

鮭取 陽熊

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第18話(悠斗視点)

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 玄関の扉を開け、靴を脱いで部屋の電気をつける。
 手を洗い、背負っていたリュックサックを床に置き、浴槽を軽く洗いスイッチを押してお湯をためる。お湯がたまるまで待っている間に部屋に戻りリュックサックをフックに掛け、チャックについた焦げ茶色のカワウソを手に取り眺める。
 こいつ自体はなんてことない呑気な顔したぬいぐるみだが、こいつを見ていると片割れの薄茶色のカワウソを思い出して、胸がギュッとなる。

「はぁ、会いたいな。薫」

 さっき別れたばかりなのにもう会いたい。こんなにも誰かを求めたのは初めての経験だ。

(やっぱり内部進学せずにこの高校に来てよかった)

 薫は俺にとって特別な人だ。入学初日、教室で後ろ姿を見ただけで頭がぼんやりして他のものが目に入らなくなったのを覚えている。どうしても薫に近付きたくて、顔が見たくて、いきなり肩を掴んで振り向かせた。
 羊羹のような色の瞳と目が合った瞬間、全身に電流が流れたような衝撃が走った。

 整った容姿の人間なら今までいくらでも見てきた。父の会社のパーティにはブランドのモデルを務めるやつらも参加していたし、近くで会話をしたこともある。
 しかしそいつらに対してはなんの感情も沸き起こらなかった。薫だけだ、こんなに惹かれるのは。自分でもなぜそう思うのかわからないが、ただ無性にそばにいたいと思うし、悲しませたくないし喜ばせたい。

 そんなことを考えている間に、音楽が鳴り風呂が沸いたと知らされる。カワウソの頭を一撫でしてから離れ、脱衣場で服を脱ぎ浴室に入る。

「あ、ほくろ」

 正面の鏡を見ると自分の首にあるほくろに目が入る。今までこんなもの気にしたこと無かったが、今は目に入るだけでにやけてしまう。
 生まれた時からあるこの小さな黒い点が薫との特別な繋がりを象徴しているかのようで、どうしようもなく愛おしく感じる。

 一通り体を洗い終わってから湯船に浸かり、再び薫のことを考える。
 最初は薫の容姿に惹かれたはずだが、中身を知れば知るほどもっと好きになる。
 お人好しの優等生かと思ったら、その言動は全て計算ずくで打算まみれで誰にも心を開いていない。それを確信したあの瞬間は背筋がゾクゾクした。

『俺がそばにいれば告白されるリスクが減るんだから…最初からそれ狙いでしょ?』

 薫にそう言ったあの日、実はそんな確証はどこにも無かった。あれはほとんど賭けで口に出した言葉だ。
 ただ薫から離れたくなくて、他のやつらと同じような接し方をされるのが嫌で、とにかく必死に可能性にすがりついた結果だ。
 そして俺は賭けに勝ち、唯一薫の仮面の裏を知る人物になれた。
 そもそもなぜ薫はああも必死に取り繕って、他人からの評価に固執しているのだろう。素の薫も可愛いのだから誰も嫌ったりしないのに。

(まぁ、そのおかげで俺は薫の特別になれてるからいいけど)

 ただあの時交わした約束が厄介だ。薫の交友関係に文句を言わず、嫌がることを無理やりしないとは言ったが、薫に近付くやつらは全員ムカつくし、毎日毎秒薫を貪りたくてしょうがない。
 ただこの約束を破り薫に見放されたら、さすがの俺も薫に近付けなくなってしまう。

 地区大会でうちのバスケ部員たちが全員平田に敵意を向け薫を守ろうと必死になっていた様子から、薫が俺に傷付けられたと一言言えばその瞬間全員が俺を敵とみなすだろう。きっとクラスメイトも同じだ。さすがにそんな人数に邪魔されたら俺は何もできない。

「あ、だから取り繕って味方を増やしてるのか?便利だしな」

 納得はできるし薫の邪魔はしないようにしようと思う。
 しかし今まで好きに生きていた分、自分の欲求を抑えるのが大変だ。今日も思わず薫の首もとに顔を埋めて吸い込みそうになった。

(俺はこんなに我慢してるっていうのに、薫はあんな無防備に、自分から襟をはだけさせて…)

 あの光景を思い出すと、途端に体が暑くなってくる。

「あー、のぼせる」

 急いで湯船から上がり、そのままお湯を抜く。体を拭いて髪を乾かし、水分補給をしてからベッドに横になる。そしてスマホでメッセージアプリを開き、薫に「おやすみ」と送る。
 もうこれが日課になっている。返事は来ないが、少しでも薫との繋がりが感じられれば満足なのだ。



◆◇◆◇



 翌日、薫と俺がおそろいのキーホルダーをつけていることで女子たちが騒いでいた。だがそんなことどうでもいい。薫は今日も可愛い。

 薫ばかり見つめていると日々があっという間に過ぎ去る。
 気付けば担任が席替えだなんて言い出して、俺と薫が引き離されるピンチが訪れた。
 この席は薫を見つめ放題の特等席なのに。

「クジ引いて、黒板に書いてある番号の所に自分の名前書いてけよー」
(うるさい黙れ。席替えなんかしなくていい)

 担任の指示でみんながクジを引き、黒板に番号を書き込む。

(また薫の後ろの席がいい。薫は何番だ?俺は何番を引けばいい?)

 クジの箱に手を突っ込み、薫の後ろであれと願いを込めながら引き抜く。手にした紙を広げると、そこには29と書かれている。

(一番前の席じゃねぇか!)

 だがせめて薫が俺の後ろか隣ならそれでいい。

「薫何番?」
「6番」
(ほぼ対局!遠すぎる!)

 絶望にうちひしがれる俺をよそに薫は黒板に自分の名前を描きに行ってしまう。慌てて追いかけると、名前を書こうとチョークを手に取った冴えない男の手元に目が行く。

(7番…!あいつが持ってたか)

 静かにそいつの隣に移動し、手元から7番の紙を奪い取り代わりに俺の29番の紙をそいつに握らせる。

「え、なにす…」

 何か言いかけるが俺の顔を目にすると黙りこみ、そいつは静かに29番の位置に名前を書き込む。

「また悠斗が後ろ?」
「あぁ、運命だな」

 そう言うと薫は呆れたように溜息をつき席に戻ってしまう。

 新しい席は窓際の一番後ろだ。右隣にしか人はいないし、薫の後ろ姿に集中できる最高の席だ。これはまた、あっという間に一日が終わってしまうな。


 薫を見つめながら授業を聞いて、薫と2人で昼食を食べて、部活をして、一緒に帰って、おやすみのメッセージを送って、翌朝一緒に登校して…
 そんな幸せな毎日はあっという間に過ぎ去り、どんどん気温が高くなってくる。
 夏の日差しに照らされる薫の白い両腕が眩しい。

「薫って白いよな。焼けねぇの?」

 昼休みに弁当を食べながら気になったことを聞いてみる。

「あんま焼けないかな。海とか行ったら多少焼けるけど、すぐ戻るし。でも夏は皮膚ガンとか怖いからって日焼け止め塗らされてるよ」
「へぇ…」

 やっぱり焼けにくい体質なのか。薫の肌はしょっちゅう日焼け止めを塗り直してる女子たちより断然白い。

「ご両親北国出身とか?」
「いや、どっちも鹿児島」
「意外だな」

 色素が薄く儚い印象から勝手に雪が似合いそうだと思っていたが、意外と南国の血筋だった。

「意外ってなんだよ」

 きっと他のやつらも俺と同じようなことを考えているはずだ。そんななか意外な事実を知れたことが嬉しくて顔に出てしまう。

「何にやけてんだよ。人の親の出身地がそんなにおかしいか?」
「違う。なぁ薫、それあんま他のやつに言わないで」
「は?なんで。別にこんなこと言う機会もそんな無いけど…」

 薫は随分不思議がっているが、大した理由じゃない。俺だけが知ってる薫の情報を増やしたいだけだ。
 約束のせいでかなり我慢してるんだからこれくらいいいだろ。こうやって少しでも独占欲を満たしたいんだ。
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