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終幕

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カンカンカンカンカンカン!

「!?」

「っ!!」

二人同時に布団からおもてを上げた。

カンカンカンカンカンカンカンカン!

満月を裂くような暗闇に轟く無機質で
耳に馴染まない、けたたましい金属音。
神経を逆撫でされるような未知の不安を
掻き立てられ、否が応でも気になる。
布団を抜け出そうとすると、その腕を
シロが引き留めた。

「待って下さい…!万一のことがあります。
城主があなたを捜すお触れやも知れませぬ。
……外へは、私が見て来ます!」

「…そ、そうか。」

声を低くした白い男は、さっと着物を整え、
あっという間に外へ出ていった。

カンカンカンカン!

吃驚して返事をしてしまったが見えない
音が煩くて、怖くて気になって仕方ない!
じっとなんてしていられない…!

「うーっ…!」

乱れた着物を簡単に整えて、帯を締めたら
念のために愛刀を携え出ていった調教師の
後をこっそりとツけた。

「ふぐぅ…っ、」

動けばぬるりと体液がナカで動く。
仰け反った背筋と腰はズンズン痛むし、
外に出れば歯形まみれの肌を晒すことになり
少々気が引けるが…闇が誤魔化してくれる
ことを願うばかりだ。

騒がしくなる表へ、そっと顔を覗かす。
それから一瞬で騒ぎの正体は判明した。

「あ、あっ…そ、なっ…そんなっ!!」

広い表通りは、そこかしこに人、人、人。
数百人は立ち往生しているだろうか。
皆が焦げた紫色の渦巻く雲を見上げている。
その中心はこの町の全てである城。
痩せた武士もそれを見た。

美しい白のしっくいが見る影もなく、
真っ赤に染まって城がごうごう燃えている。
燃えている、燃えている、燃えている。
心が急速に冷えていく。恐怖一色だ。

一瞬で恐怖が心の全てを支配した。
それから強烈に、武士の忠誠心が
怯える体を前へ突き動かした。

「お館様が…!!!」

詰まる人込みをかき分けて城へ走り出す。
無理やり進んでいると、声を聞いたシロが
どこからか俺を呼んだ。

「えっ…藍乃介様!?藍乃介様!
行かないで下さいませ!藍乃介様!!」

人に埋まってこちらへは来れそうもない。
俺も、振り返る余裕はない。

………ごめん、…シロ。

火事になった城を見た衝撃で、藍乃介は
ただの男から「忠義を尽くす紺碧の武士」へ
変貌した。

武士は、自ら燃え盛る地獄へと身を投じた。

後ろ髪引かれる思いを振り払って
前へ前へ無理やり押し進んでいく。
痩せて干からびても、戦で経験がある分
押し戻されるシロよりも進む俺の方が速い。

「うぐ、ぐ…むぐぐっ…とお、せぇ…!」

呼ぶ声は大分遠くなったが「藍乃介様」と
悲痛な音が耳から離れない。

「ぷはっ…死ぬかと思った!」

困惑する人々を押し退けて最前線へ出た。
ぼろぼろになって息絶え絶えではあるが
城へ続く桟橋がすぐ目の前にある。

武士の姿を見て門からある人が走って来た。

そいつは足元にすがると煤だらけの顔を
ぐしゃぐしゃに歪めて大声で叫び喚いた。

「藍乃介殿…!お館様が、お館様が!」

「ええい狼狽えるな!お館様は無事か!?」

滝のように汗をかいて苦痛に顔を歪める
部下を一喝して、落ち着かせて聞く。
膝元にしがみついた相手は力なく首を…
左右に振った。

「側室のお園が…裏切りおりました。
拙者が駆けつけた頃には、もうお館様は…
息絶えていらっしゃいました…。」

「!?」

え…?
お館様が?
お館様が…死んだ?
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!
そんなの信じるものか!!!

「どけ!」

我を失った武士は冷静に考える間もなく、
奥へ進もうと部下を押し退けようとした。
中の地獄を間近で見てきた部下は必死に
裾にすがりついて止めようとした。

「お止めください!もう城は焼け落ちます!
炎に飲まれた城内に入れば二度と出ることは
出来ませんぞ!!お止めください!」

「お館様が…お館様が中に御座すんだぞ!
見捨てていけるか馬鹿者!!」

この目で見るまで何も信じない!
腰回りにしがみつく部下を振り払い、
僅かに残された門の残骸の隙間から
真っ赤に怒り狂う焔に飛び込んだ。

「藍乃介様!!!」

ガラガラッ…

ーーーー今のは、部下の声だよな?
俺を呼ぶ、シロの声にも聞こえたが…。

「けほげほげほっ…、」

後ろを見ても退路は既に燃える壁に塞がれ、
後戻りは二度と出来なくなった。

「う、うっ…、」

あ、熱い…焼け死にそうだ…!
真っ赤に燃ゆる城が侵入者に怒っていた。

熱気と煙に包まれ、袖で口を覆うが無駄だ。
よろよろ辺りをさ迷い、赤と黒の視界の端に
映る干上がりかけた池にドボンと浸かった。

「ぐぺ、ぺ、ぺぺぺっ。」

口まで泥や苔にもまみれたが取り敢えず、
ずっしり重くなるまで着物を濡らした。

ガラガラガラッ…

「!」

崩れ落ちる瓦が、時間がないと訴える。
急かされる武士は慌てて池を出た。

それから最早原型もないが昔お館様と
使った、秘密の抜け道を通ってみた。
こうしてみるとぽっかり穴が開いていて
案外楽に進むことは出来た。

「あっづ…!」

炎に包まれごうごう燃えている本丸は
どこもかしこも熱くて煙たくてたまらない。
頭を下げてずりずり廊下を抜けていく。

「………!」

愛刀を軸に蛙のように這いつくばって進むと
廊下に人が何人も行き倒れている。
黒い煙に巻かれてしまったのだろうか。

「おい、おい…!」

「………。」

呼び掛けても誰も返事しなかった。
誰も彼も必死の形相をして床を掻いて
逃げ出そうとした姿で時が止まっている。

「………。」

熱かっただろう、苦しかっただろう。
古くから見知った顔もちらほら居る。
胸の奥が締まり、ずきずき痛む。
戦で友人と別れる感覚に似ていた。
これでは奥のお館様も…

「………。」

まだだ、まだ分からん!

がむしゃらに床を這って奥へ行く。
より炎の強い場所へと進んでいく。
黒煙は雲のように天井に溜まって
不吉な様子を醸し出していた。

思い出の場所が、我が家のように
心地よかった空間が少しずつ壊れる
中へ堕ちていく。

「はぁ、えほっ…げほ、げほっ…。」

お館様のお部屋まであと少し…!

愚直の武士には、この後のことなど
考える余裕はなかった。
侍として、武士として、家臣として。

そして愛しい人のために、愛しい人に
傷つけられ痩せこけた武士はゆっくり
ゆっくり、自ら地獄へと堕ちていく。

「お館様!!」

煙を吸いすぎたようで頭がくらくらする。
体が命を守るため、死ぬほど汗をかく。

息が苦しい。
目玉が乾く。
肌が焼けそうだ。
体力のない老人のように痩せた武士には、
今にも燃え尽きそうな城内は想像以上に
過酷な試練だった。

柱がバキバキ音を立てて燃え崩れる。

雅で豪華絢爛が自慢の飾られた襖が
あっという間に炭へと変貌していく。

開いた扉の一つ一つから侍を殺そうとする
炎と煙が覗いては、ほくそ笑んで見下ろす。

「はー、はー、はぁ…お、やかたさま…。」

それでも気力だけで、想いだけで
武士は修羅の道を選んで進んだ。

傷つけられても、誓った武士の忠義が
お館様を救えと命じている。
死んでも進めと肉体が叫んでいる。
冷静になった心が一歩一歩、進むごとに
死へ赴いていると分かっていても。
愚直な武士にはことしか出来ない。

「………うぐぐっ。」

時間をかけて、ようやく主人の御前まで
這いつくばって来れた。

もうすぐお館様のご自室に…。
最悪なんて考えていない。
武士はただ武士であるままに
主人を助けるために向かう。

そんな健気な武士の眼前に広がるのは…


「み…そら…まる、さま…?」

目を見開いて、じっくりを見た。

分からない、分からない分からない。
信じられない、信じられるわけがない。
これは夢だ、悪夢なんだ。

自分にいくら言い聞かせても
目の前のモノに視線は釘付けになり
そこから逸らすことは出来ない。

「あ、ぁあ、あっ…ああぁ…。」

弱々しい声で武士は泣いた。

裂けた主を見て泣いた。

「そんなそんなお館様…みそらまるさま…」

床に散らばったソレは炎と同じ紅色だ。

彼岸花のように花弁を散らし、咲いていた。

小さくなった頭は「恐怖」を浮かべたまま
時が止まって事切れている。

じっと光のない目でこちらを見ていた。

「あぁ、あ、ぅう…、うっ…。」

その目を見ないよう火災の方に顔を背けた。

傍らに、はだけた白装束の胸元に小刀を
刺して紅を咲かせたお園が居た。

いや…すでに命を絶った彼女が
言えるかどうかは分からないが…。
彼女が寝転がっていた寵愛を育み、
幸せの蜜月を与えられるはずの
褥の上は真っ赤に濡れていた。

「……!!」

途端に全てを悟る。
頭の隅が冷たいような錯覚を覚え、
思考が冴え渡った。

お館様を手に掛けたのは…本当にお園だ。
天女のように美しいが経歴の知れない
謎の彼女が側室に選ばれた時から
この日を計画していたのだろう。

現場を見て、そんなことが推理できた。
いや、誰が見ても察したことかもしれない。

しかしそう思うと彼女へ沸々と怒りや
憎しみが沸いてくるが…すぐに鎮まった。

白い首にそぐわぬ手の形の痣が見えたから。

完璧な体の所々を傷だらけに壊されている。
その姿は今の自分と全く同じだ。
主様の激しい寵愛に傷つけられたのだろう。

彼女の行いは許されざることではあるが、
彼女も必死だったのだろうと思えば亡骸を
辱しめることはとても出来ない。

いや…そもそも全てはのせいだ。

「………。」

皮膚の半分がただれ、焦げて煤のついた
嫌な臭いのするをそっと胸に抱いた。

恐ろしさに見開いた両目をそっと閉ざし
彼の人が安らかに眠れることを祈る。

「申し訳ございません…み空丸様…。」

そして自分の所業を後悔した。
全ては今夜、俺が夜伽に来なかったせいだ。
武士として過ちを悔いた。

秘密の蜜月を過ごすため、見張りを下がらせ
自室にお一人で待っていたお館様はきっと、
俺が現れなかったせいでそのまま寝室へ戻り
お気に入りのお園を側に呼んだのだろう。

そして誰も居ないことに気づいた彼女が
お館様を殺め、城に火を放って自害した…。
実際を見ていないが大方そんな感じだろう。

「うう、うっ…う、うう…。」

心が潰れるほど後悔した。
俺がお側にいればこんな結末にならなかった。
俺が他の男に慰めてもらい抱き合って
しまったばかりにお館様は命を失った。
何物にも代えられない唯一のお館様が…。

つい先ほどまでは、どうなろうと白の男と
町を逃げ出そうと決意したことを振り返る
時間は、武士に残されていなかった。
御前を前にして、ただ後悔していた。

俺は最低だ…。
お園を許す立場でもないし、価値などない。
武士として恥ずべき存在だ。

「…………。」

お館様の一部を柔らかい布団の上に乗せた後
鞘の縁がパチパチ燃えだした愛刀を取る。

刀鍛冶に研がせた愛刀は炎を写しスラリと
美しい姿を見せてくれた。

最期の姿として自分も姿勢を正す。
きちんと正座をして、背筋を伸ばした。

「俺の命ひとつとお館様の命…。
秤にかけることなんて出来ないな…。」

そんなこと分かっているがーーー
絶望した武士は切っ先を腹に向けた。

「あなたを守るべき忠誠を誓った身として
犯した罪深き罪を地獄で償います。」

ーーーそうして愛刀を腹に突き立てた。

「うぐっ…。」

切腹用の小刀とは長さが違う。

刃渡りを握り締めた指がぶるぶる震え
垂れた鍔から血の涙をボタボタ溢す。

「ーーーーーっ!」

躊躇したせいで切っ先が背中を貫くことは
出来なかったが、侍は終わりを悟る。
眼下に広がる真っ赤な色…。
どくどくと円を広げて床を濡らす。
煙に瞳が霞んで炎か血か、分からなくなる。

ばったり、その場で倒れて伏せた。

「はあ、はあ、はあっ…はひゅ…ひゅー…。」

鼻や喉からも血が溢れ、苦く錆び臭い。
唾液が飲み込めず、血流が固まり喉を塞ぐ。

痛みに押さえる腹からトプトプ紅が流れる。
ご自慢の紺碧の着物が染まっていく。

涙で滲んで朦朧する意識の中で浮かぶのは…
不謹慎だと分かっているが、白い着物の姿。

シロの姿を思い浮かべてしまう。

ここに来るまでに相当動いたのでナカに
注がれた体液は残っていないだろうけれど
愛おしく、穴の空いた腹を撫でた。

「はひゅー、ぜぇ、ぜえ…、ひゅー…。」

ごめん。
一緒に生きられなくてごめんよ、シロ。
本当は二人で生きたかったよ…。

しかし俺は生まれながらの武士。
一人の男として逃げ出しても死ぬまで
自分を許せず、思い描いた幸せな余生は
過ごせなかったと思う。

俺はもう、誰にも許してもらえないな…。

お前まで巻き込んでしまうくらいなら
今、ここで、侍として死なせて欲しい。

「あ、う、うぅくっ…、い、てぇ…。」

そう、覚悟を決めて切腹したのに…。
鮮明に聞こえる炎の音の中にシロの声が
混じっていないか期待してしまう。

武士として、未練なく立ち去ることが
あるべき姿であるはずなのに…
最期の最期にシロに会いたい。
独りで居るのは心寂しいよ。


抱きしめ合って、俺を許して欲しい。


「あ…い、してるよ……、しろ…っ。」


言ってはいけない言葉を最期に目を閉じる。

自らの罪に押し潰されそうになっていた
武士の最期は満足そうに微笑んでいた。
苦痛を離れ、とても安らかな顔をしていた。

主君を愛しら愚直な夢を見た武士、
そして自分を愛してくれた優しい調教師を
愛してしまった一人の男のことをパチパチ
弾ける炎だけが最期を優しく見守っていた。

丁度二人が出発する予定の夜明けの頃だった。




二日後、昼過ぎ。

鎮火した城跡地にて。




城の回りの深い堀が城下町を守った。

無事だった町人は汗水垂らし、
大勢で手分けをして炭化した城の残骸の
後片付けに追われていた。

大事な家族を失った人、または美しかった
城の面影ない姿に誰もが袖を涙で濡らした。

そんな中…、一際目立つ白い着物姿の男が
混じり、何かを探していたようだった。

不可思議な白髪の若い男を周りは不審に思い
快く思っていないが、必死の形相である男を
止めることは恐ろしくて出来ない。

「どこに…どこにいらっしゃるんですか…!
それとも、どこかへ…?どこに、どこに…」

探しているのに見つけたくないような、
ちぐはぐな感情が辺りにも伝わる。
綺麗な白い指をどす黒い煤まみれにして
白い男は一生懸命探していた。

あちらこちら、時には人を押し退けて
うろうろちょろちょろ歩き回る。

丹念な捜索が実り…あるものを見つけた。


真っ赤に染まったの一部。
端は焼け焦げて黒くなっていた。


男は甲高い、悲痛な叫び声を上げた。

「嘘…嘘だ、こんなの…間違いだ…!」

恐ろしいものを見つけたようであるのに
決してそれを手放さない。

少しして、それを抱いてわーっと泣きだした。
泣きじゃくる男の嗚咽が城跡全体に響く。

それは誰もが振り返り、大切な何かを
失ってしまったのだろうと悟って涙した。

避けていた人が気遣い宥めるほど男は
苦しそうに泣き叫んでいた。
泣き声だけでその身が張り裂け、
死んでしまうかと思うほど悶えていた。

夢中で喚く言葉は聞き取りにくかったが
耳に聞こえたのは「あいのすけさま」
「こんなことなら」「もっとはやく」
「こころをさらってしまえばよかった」
それを繰り返していた。

気の毒に思って肩に手を置く町人を荒っぽく
振り払い、誰も側に寄らせなかった。

何時間も何時間も泣き続けたのち
日が暮れた頃、辺りの残骸を少しだけ
かき集めて抱いていた。

それからフラフラどこかへ歩いていった。


その後白い着物の男の姿を見た者はいない。









【悲恋】

読:ひれん。

意味:悲しい恋のこと。
実らず悲しい結末に終わってしまう恋のこと。
または悲しいほど相手を思い慕う恋のこと。






おわり。














↓あとがき↓
これにて終幕で御座います。
沢山の読者様に長く支えて頂きました。
応援して下さってありがとうございました。

最後の目次「終幕」にて、このお話の
テーマ『悲恋』のフラグを回収することが
出来ましたが最期に納得出来ない、
そんな方もいるかもしれません。
しかし文章を上手に伝えられない作者含め、
登場人物を許してください。

そしてまた、どこかでお会い出来る時を
楽しみにしております。
新しく作品を投稿した時に、面白そうだと
思ったら高評価してくださると嬉しいです。

最後になりますが、本当に沢山の応援
ありがとうございました。
皆様の応援が、頑張るチカラになります。
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