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第2話 魔王との対話
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朝は、天幕の外の気配で始まった。
布越しに人の行き来がある。足音は一定ではないが、乱れてもいない。ミレイアは目を開けたまま、天幕の縫い目を数えた。眠ったかどうかは分からない。体は重く、しかし痛みは増えていなかった。
入口が、少しだけ持ち上がる。
「起きてるわね」
リリスだった。昨夜と同じ声の高さ、同じ距離。盆の上に、水と簡単な食事が置かれる。差し出される前で止まり、選ぶのを待つ仕草。
ミレイアは一口飲んだ。
「今日は、人に会ってもらう」
理由は言われない。確認もない。ただ、そうなるという知らせ。
外に出ると、陣はもう動いていた。焚き火の匂い、低い声、金属の音。視線は集まるが、追ってこない。歩く間、誰にも触れられなかった。
奥へ進むにつれて、音が遠のく。天幕の前で、リリスが止まる。
「ここ」
中は簡素だった。机と椅子、広げられた地図。壁際に男が立っている。赤い瞳がこちらを向いた。
思っていたよりも、普通だ、とミレイアは一瞬思う。噂で聞いた姿と比べて、装いも態度も控えめだった。
「来てくれてありがとう」
声は低く、落ち着いている。怒鳴られもしなければ、試される気配もない。
ミレイアは立ったまま、動けなかった。膝を折る癖が出かけて、途中で止める。
「座って」
示された椅子は、近すぎない位置にある。
腰を下ろすと、視線が自然と床に落ちた。指先がわずかに震える。
「体調は」
短い問いだった。意味を広げない言い方。
「……問題ありません」
沈黙が続く。男は地図に目を落とし、何かを書き留めている。待たされている感じはない。ただ、時間が流れる。
ミレイアの方が、先に口を開いた。
「……なぜ」
一言だけだった。何を指すのか、自分でもはっきりしていない。
男はすぐに反応しなかった。ペンを置き、少しだけ視線を外す。
「何の、だろう」
問い返され、ミレイアは言葉に詰まる。喉が鳴る。
「……殺さなかったのか、と」
言ってから、足りない気がして続けた。
「……連れてきたのか、と」
男は小さく息を吐いた。否定でも肯定でもない。
「一つではない」
それだけ言って、少し間を置く。
「結果として、その方が人間が……」
言葉が途切れる。
「いや」
言い直しが入る。
「あなた一人ではなく、人間たちが、魔王軍を恐れるようになる」
説明は、そこで止まった。続きは出てこない。
ミレイアは顔を上げた。男の横顔を見る。表情は崩れないが、声は硬くない。噂で聞いた魔王より、ずっと静かだ。
怖い人だと思っていた。近づけば、何かを奪われるのだと。
だが、目の前の男は、距離を詰めてこない。視線も、押し付けてこない。
「……それだけ、ですか」
確かめるように言うと、男は首を振った。
「それだけではない」
しかし、続きを語らない。語らないこと自体が、選ばれているように見えた。
沈黙が戻る。
ミレイアは、男の手元を見る。武器は見当たらない。動きは最小限で、無駄がない。静かな所作が、かえって目を引いた。
噂の魔王より、思っていたよりも、ずっと普通で――
一瞬、そんな言葉が浮かび、すぐに打ち消す。普通、という言い方は違う。ただ、怖さの種類が違った。
「戻っていい」
区切りは短かった。
天幕を出ると、外の音が戻ってくる。リリスが少し離れたところで待っていた。
「どうだった?」
問いは軽い。
「……分かりません」
ミレイアはそう答えた。嘘ではない。
歩きながら、陣を見る。昨日と同じ景色。だが、どこか目が離せない。
怖さは、まだある。
それでも、思っていたよりも、ずっと静かで――
そのことが、別の違和感として胸に残っていた。
布越しに人の行き来がある。足音は一定ではないが、乱れてもいない。ミレイアは目を開けたまま、天幕の縫い目を数えた。眠ったかどうかは分からない。体は重く、しかし痛みは増えていなかった。
入口が、少しだけ持ち上がる。
「起きてるわね」
リリスだった。昨夜と同じ声の高さ、同じ距離。盆の上に、水と簡単な食事が置かれる。差し出される前で止まり、選ぶのを待つ仕草。
ミレイアは一口飲んだ。
「今日は、人に会ってもらう」
理由は言われない。確認もない。ただ、そうなるという知らせ。
外に出ると、陣はもう動いていた。焚き火の匂い、低い声、金属の音。視線は集まるが、追ってこない。歩く間、誰にも触れられなかった。
奥へ進むにつれて、音が遠のく。天幕の前で、リリスが止まる。
「ここ」
中は簡素だった。机と椅子、広げられた地図。壁際に男が立っている。赤い瞳がこちらを向いた。
思っていたよりも、普通だ、とミレイアは一瞬思う。噂で聞いた姿と比べて、装いも態度も控えめだった。
「来てくれてありがとう」
声は低く、落ち着いている。怒鳴られもしなければ、試される気配もない。
ミレイアは立ったまま、動けなかった。膝を折る癖が出かけて、途中で止める。
「座って」
示された椅子は、近すぎない位置にある。
腰を下ろすと、視線が自然と床に落ちた。指先がわずかに震える。
「体調は」
短い問いだった。意味を広げない言い方。
「……問題ありません」
沈黙が続く。男は地図に目を落とし、何かを書き留めている。待たされている感じはない。ただ、時間が流れる。
ミレイアの方が、先に口を開いた。
「……なぜ」
一言だけだった。何を指すのか、自分でもはっきりしていない。
男はすぐに反応しなかった。ペンを置き、少しだけ視線を外す。
「何の、だろう」
問い返され、ミレイアは言葉に詰まる。喉が鳴る。
「……殺さなかったのか、と」
言ってから、足りない気がして続けた。
「……連れてきたのか、と」
男は小さく息を吐いた。否定でも肯定でもない。
「一つではない」
それだけ言って、少し間を置く。
「結果として、その方が人間が……」
言葉が途切れる。
「いや」
言い直しが入る。
「あなた一人ではなく、人間たちが、魔王軍を恐れるようになる」
説明は、そこで止まった。続きは出てこない。
ミレイアは顔を上げた。男の横顔を見る。表情は崩れないが、声は硬くない。噂で聞いた魔王より、ずっと静かだ。
怖い人だと思っていた。近づけば、何かを奪われるのだと。
だが、目の前の男は、距離を詰めてこない。視線も、押し付けてこない。
「……それだけ、ですか」
確かめるように言うと、男は首を振った。
「それだけではない」
しかし、続きを語らない。語らないこと自体が、選ばれているように見えた。
沈黙が戻る。
ミレイアは、男の手元を見る。武器は見当たらない。動きは最小限で、無駄がない。静かな所作が、かえって目を引いた。
噂の魔王より、思っていたよりも、ずっと普通で――
一瞬、そんな言葉が浮かび、すぐに打ち消す。普通、という言い方は違う。ただ、怖さの種類が違った。
「戻っていい」
区切りは短かった。
天幕を出ると、外の音が戻ってくる。リリスが少し離れたところで待っていた。
「どうだった?」
問いは軽い。
「……分かりません」
ミレイアはそう答えた。嘘ではない。
歩きながら、陣を見る。昨日と同じ景色。だが、どこか目が離せない。
怖さは、まだある。
それでも、思っていたよりも、ずっと静かで――
そのことが、別の違和感として胸に残っていた。
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