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第9話 揺れる常識
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ミレイアの部屋は、いつの間にか話が集まる場所になっていた。
最初に来るのは、だいたいリリスだった。仕事の合間を縫って、扉を叩くこともなく入ってくる。
「ねえ、聞いてくれる?」
それが合図だ。
生活担当の愚痴は尽きない。食事の配分、種族ごとの嗜好、寝床の調整。魔族と魔物が混じる城では、どれも一筋縄ではいかない。
「私、サキュバスなのに事務仕事ばっかりよ?」
冗談めかして言いながら、帳面を閉じ、息をつく。その間、ミレイアは相槌を打つでもなく、ただ耳を傾けている。それで十分だった。
次に現れるのはセルフィだ。気配もなく、気づけばそこにいる。
「噂の火消しって、燃料を足す作業なんだよ」
軽い口調で言いながら、諜報の話をする。人間側の動き、城内の視線、言葉の流れ。どれも重たい内容だが、セルフィは深刻に語らない。
「君、聞き役向いてる」
そう言って笑う。ミレイアは視線を落とした。向いているかどうかは分からない。ただ、話を遮らずにいればいいのだと、ここでは教えられた。
ガルドが来るときは、少し違う。
扉の前で一度止まり、短く名乗ってから入ってくる。
「……部隊の補給が追いつかない」
それだけ言って、壁際に立つ。詳しい説明はない。だが、重さは残る。ミレイアは湯を差し出し、受け取られるのを見届ける。会話はそれで終わりだった。
三人の話が一通り出揃うころ、決まって扉が開く。
「……また集まっているのか」
アシュレイの声は、いつも同じ調子だ。
「ミレイアが休めないだろう」
それで終わり。
四天王たちは顔を見合わせ、慣れた様子で退散していく。
「続きはまたね」
「聞いてくれてありがと」
「失礼する」
静けさが戻る。
ミレイアは、少しだけ息を吐いた。
神殿で聞いていた魔王の話を思い出す。
悪逆非道。冷酷無比。人の命を塵のように扱う存在。
だが、ここで目にしているのは違う。
部下の負担を知り、休む時間を気にかけ、声を荒げることもない。
人のことを思いやれる――
そんな言葉が浮かび、ミレイアは小さく首を振った。評価する立場ではない。それでも、感じとるものはあった。
夜になり、灯りが落ちる。
アシュレイはソファに腰を下ろし、本を開いた。
ミレイアは寝台の端に座り、しばらく迷ってから口を開く。
「……一緒に、寝ませんか」
声は小さかった。
アシュレイの手が止まる。ぐっと寄せられた眉間の皺と、鋭い目付きで見下ろされるとそれだけで心臓が縮むような心持ちになった。
「自分を、大切にしろ」
でも、すぐに返ってきた言葉はこれだった。
ミレイアは視線を下げたまま続ける。
「……でも、ずっとソファで寝るの、良くないです」
理由はそれだけだ。
それ以上を言う必要はないと思った。
沈黙が流れる。
アシュレイは本を閉じ、しばらく考えたあと、立ち上がった。
「……触れない」
短く言う。
広い寝台の端に、距離を取って横たわる。ミレイアの方には向かない。
灯りが消える。
互いの呼吸だけが、同じ部屋に残る。
触れ合うことはない。
それでも、神殿で聞かされてきた魔王より、ずっと近い。
ミレイアは目を閉じる。
この人は、少なくとも――
神殿で聞かされてきた魔王ではなかった。
その認識が、静かに胸に残った。
最初に来るのは、だいたいリリスだった。仕事の合間を縫って、扉を叩くこともなく入ってくる。
「ねえ、聞いてくれる?」
それが合図だ。
生活担当の愚痴は尽きない。食事の配分、種族ごとの嗜好、寝床の調整。魔族と魔物が混じる城では、どれも一筋縄ではいかない。
「私、サキュバスなのに事務仕事ばっかりよ?」
冗談めかして言いながら、帳面を閉じ、息をつく。その間、ミレイアは相槌を打つでもなく、ただ耳を傾けている。それで十分だった。
次に現れるのはセルフィだ。気配もなく、気づけばそこにいる。
「噂の火消しって、燃料を足す作業なんだよ」
軽い口調で言いながら、諜報の話をする。人間側の動き、城内の視線、言葉の流れ。どれも重たい内容だが、セルフィは深刻に語らない。
「君、聞き役向いてる」
そう言って笑う。ミレイアは視線を落とした。向いているかどうかは分からない。ただ、話を遮らずにいればいいのだと、ここでは教えられた。
ガルドが来るときは、少し違う。
扉の前で一度止まり、短く名乗ってから入ってくる。
「……部隊の補給が追いつかない」
それだけ言って、壁際に立つ。詳しい説明はない。だが、重さは残る。ミレイアは湯を差し出し、受け取られるのを見届ける。会話はそれで終わりだった。
三人の話が一通り出揃うころ、決まって扉が開く。
「……また集まっているのか」
アシュレイの声は、いつも同じ調子だ。
「ミレイアが休めないだろう」
それで終わり。
四天王たちは顔を見合わせ、慣れた様子で退散していく。
「続きはまたね」
「聞いてくれてありがと」
「失礼する」
静けさが戻る。
ミレイアは、少しだけ息を吐いた。
神殿で聞いていた魔王の話を思い出す。
悪逆非道。冷酷無比。人の命を塵のように扱う存在。
だが、ここで目にしているのは違う。
部下の負担を知り、休む時間を気にかけ、声を荒げることもない。
人のことを思いやれる――
そんな言葉が浮かび、ミレイアは小さく首を振った。評価する立場ではない。それでも、感じとるものはあった。
夜になり、灯りが落ちる。
アシュレイはソファに腰を下ろし、本を開いた。
ミレイアは寝台の端に座り、しばらく迷ってから口を開く。
「……一緒に、寝ませんか」
声は小さかった。
アシュレイの手が止まる。ぐっと寄せられた眉間の皺と、鋭い目付きで見下ろされるとそれだけで心臓が縮むような心持ちになった。
「自分を、大切にしろ」
でも、すぐに返ってきた言葉はこれだった。
ミレイアは視線を下げたまま続ける。
「……でも、ずっとソファで寝るの、良くないです」
理由はそれだけだ。
それ以上を言う必要はないと思った。
沈黙が流れる。
アシュレイは本を閉じ、しばらく考えたあと、立ち上がった。
「……触れない」
短く言う。
広い寝台の端に、距離を取って横たわる。ミレイアの方には向かない。
灯りが消える。
互いの呼吸だけが、同じ部屋に残る。
触れ合うことはない。
それでも、神殿で聞かされてきた魔王より、ずっと近い。
ミレイアは目を閉じる。
この人は、少なくとも――
神殿で聞かされてきた魔王ではなかった。
その認識が、静かに胸に残った。
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