蛙の王女様―醜女が本当の愛を見つけるまで―

深石千尋

文字の大きさ
24 / 31
第四章 精霊と呪い

偽りの愛と母の愛(1)

しおりを挟む
 辺りはすでに闇の瀑布が降りていた。
 ラップラントの村はすでに人通りも絶え、鎧戸も固く閉ざされていた。
 少し欠けた歪な丸い月明かりとゲオルグの杖が照らす青白い光だけが、ほんのりと辺りを認識させる程度だった。


 さらに一里ほど過ぎたところで、馬車はようやく止まった。
 シグルンはお尻を摩りながら馬車を降りると、いててと小さく呻いた。
 相変わらず馬車の旅路は快適ではないが、ゲオルグもヨハンナも割と平気そうにしているのが不思議だ。


「ではシグルン様、我々はここまでです」


 つと呟くように言ったのはゲオルグだった。
 シグルンははっとする。
 そうだった。二人とはこのままお別れだった。
 出会ってからたったの数日のことだった。
 過ごした時間は大したことないくらい、むしろちっぽけなものなのに、シグルンはすっかりゲオルグとヨハンナのことが好きになりかけていた。いや、結構好きだと思う。
 昨晩は自分が傷付きたくないばかりに、後先考えずに逃げることを優先させてしまったが、王宮にはゲオルグ、ヨハンナ、フロスティー、そして大好きだと気付いてしまったアレクだっていた。
 後悔したって後の祭りだが。
 

「あの、送っていただきありがとうございます」
「いいえ、此度はシグルン様のお力になれず申し訳ありません」
「……そんなことはありません! 親切にしていただきありがとうございます。ゲオルグさんとヨハンナさんがいなかったら、私も今頃もっと大変だったと思います。本当にお世話になりました」


 シグルンは慌ててお辞儀したが、ゲオルグは苦虫を潰したように言った。
 ヨハンナは控えめにゲオルグの後ろに立ったまま静かに首を振る。 
 


「今夜はここでゆっくりしていきな」


 だが、シグルンが本当にお別れなんだなと感慨深くふけっていると、背後から聞き慣れた声が割って入ってきた。
 一瞬シグルンは自分にかけられた言葉かと思って振り返ったが、ややあってゲオルグとヨハンナが返事をしたので、そうでないことを理解する。


 振り返った先には、いつからそこにいたのだろうか、丘の上に建った懐かしの我が家の前にゾーイが立っていた。
 ゾーイの杖の頭からは橙色の光が灯り、群青色の空を小さく照らしている。
 ゾーイの赤い髪と目がゆらゆら揺れているように見えた。


「……お母さん!」


 言うが早いか、シグルンは駆け出した。
 揺れていたのはゾーイではなくシグルン自身だと気付く頃には、シグルンの目には涙が溢れんばかりに溜まっていた。


 ぶわり、風とともに無数の白い蝶が舞った。


 シグルンは蝶に驚くよりも先にゾーイに抱きついた。
 ゾーイは嫌がる素振りを見せることなく、むしろ嬉しそうに受け入れる。
 ゾーイのふふふと笑う声が上から聞こえた。


「分かったかい?」


 ゾーイは唐突に聞いてきた。


「何が、よ。全然分からない」


 そこは真っ先にお帰りなさいでしょう。
 もしくは突然追い出すように王都にやってごめんねとか。
 シグルンは涙声で返し、また始まったと心の中で突っ込んだ。
 ゾーイお得意の、分からないことは自分で考えて答えを見つけなさい、が。


 お陰で大変な目に遭ったんだ。
 冷たくされたり、親切にされたり、好きな人に出会えたり……
 シグルンはたった何日間かの出来事が走馬灯のうに頭に駆け巡り、ずきずきと心が痛んだ。


 
「……全然分からないよ、お母さん。ちゃんと教えてよ……」


 視界に映るちらつく蝶を隅に捉えながら、シグルンは子供っぽく口を尖らせた。
 せめてもの嫌味にとゾーイをめつければ、ゾーイはさも気にしてないとばかりに喉を鳴らし返す。


 ゾーイの真意は未だ分からないままだった。
 それもそのはず。シグルンは尻尾を巻いて王都から逃げ出したのだから。
 『可愛い子には旅をさせよ』などという言葉があるが、シグルンのはとてもじゃないが旅に片足を突っ込んだ程度で、何か成長できた気などしなかった。


「でも、お前はもう答えたを見つけてきたようじゃないか。自分では気付いていないかもしれないが」
「答えって?」



(私の人生の課題は何? 答えは?)



「それは私の口からは言えない」
「それじゃ意味が分からないわ」
「答えはもうお前の胸にあるんだよ」


 ゾーイは満足気によくやったと言ったが、シグルンは理解に苦しんだ。
 尚も食い下がるがやっぱり分からない。ゾーイは何が言いたいんだ。
 二人の話は噛み合わず平行線を辿った。
 微妙な沈黙が流れる。
 するとゾーイは観念したように両手を上げ、顰めっ面で口を開いた。


「いつかくると分かっていたよ。だから、そのときがくるまでは黙っていようと思っていたのさ……」
「……そのとき?」
「ああ、そのときだとも。それまでは自分の足で、目で、頭で考えなくちゃいけない。私が物事の本質をあらかじめこうだと説いたところで、それが正しいことだとどうして分かる? お前は曇りなきまなこで見定め、自分で幸せを見つけなきゃならない」


 シグルンは居た堪れずゾーイから目を逸らした。
 ゾーイはシグルンが答えをすでに見つけたと言うが、シグルンからすれば問題から逃げ出した敵前逃亡も同然だ。
 何が何だかやっぱり分からない。


「シグルン、この白い蝶は何だと思う?」


 ゾーイは囁くようにシグルンに問いかける。
 シグルンはゾーイの指差した先で、無数に舞う白い蝶をしっかりと見た。
 魔法の残滓ざんしが月明かりに反射してきらきらと光っている。


「お母さんの魔法、ではない?」
「これは精霊の魔法だよ、精霊の」


 ゾーイは語尾を強調すると、今度は何もない空中に手を突っ込んだ。
 一瞬宙が歪んで手が呑み込まれたかと思うが、ゾーイは捜し物をする手付きで腕を揺らした後、少しして手を引き抜く。
 手にしていたのは小さな木箱。宝石箱というよりかは質素で、片手に収まるくらいの大きさの箱だ。
 ゾーイは突然それをシグルンの前に差し出した。


「え? 何これ?」


 シグルンが疑問に思ったのも当然だ。
 見たことのない木箱を何の気なしに出されてもどうすればいいか分からない。
 シグルンはゾーイと木箱を交互に見て、ゾーイの説明を待った。


「これはお前の本当の母親から預かったものだよ」


 雷に打たれたような衝撃がシグルンの全身を貫いた。耳のずっと奥で心臓の音がドクッと聞こえる。
 本当の母親……
 ゾーイが養母であることは幼い頃から聞かされてきたが、本当の親については聞いたことがなかった。
 子どもの頃は多少なりとも気になったことはあったが、ゾーイ以上の親はいないという気持ちもあったし、何より聞くこと自体に申し訳なさもあり、シグルンは本当の両親について聞くことはなかったのだ。
 寝耳に水だが、それでも聞けるものなら話を聞きたい。


「お母さんは私の本当のお母さんを知ってるの?」


 シグルンは身を乗り出して尋ねた。
 自分はずっとどこかの森で拾ってきた子なんだと思っていた。
 なぜ捨てられたのか。
 母親もシグルンと同じ醜い顔をしていたのか。
 愛されていなかったのか。
 聞くのは怖いが、知りたい気持ちの方が大きい。


 シグルンの問いにゾーイは深く頷いた。


「お前の母親については、私もよく知っているわけではないんだよ。ただ、シグルンを産んですぐ私のところにやってきてね、赤ん坊のお前とそれを遺していったのさ」
「じゃ、じゃあ……本当のお母さんは……生きてる?」
「いいや、お前を預けてすぐ亡くなったよ。産後の肥立ちが悪くてね」


 シグルンは『死』という言葉に身を竦めた。
 薬師の真似事をしているシグルンにとって死はとても身近なものだが、できることなら立ち会いたいものではない。


「箱の中を開けてごらん」


 シグルンはゾーイから木箱を受け取り、鍵のかかっていないただ被さるように覆っただけの蓋を開けた。


「わぁ、綺麗!」
「それはお前の母親が遺したものだ」
「私のお母さんが?」
「そうだよ」


 箱の中に入っていたのは小さな指輪だった。
 何年も手入れもされずに仕舞われていたためか、指輪は艶を失い白っぽい鼠色をしている。だが、目を凝らせば精緻な意匠が施されており、王冠のように真ん中に乗った大振りのルビーは、時を忘れさせない輝きを持っている。
 シグルンは指輪を月明かりにかざし、反射して赤く煌めく宝石に魅入った。
 外見は老婆で似合わないと言われたらお終いだが、世の女性がそうであるようにシグルンもまた美しいものは好きだ。


 ふいに一頭の蝶が指輪の頭に乗った。


 忘れていたわけではないが、この蝶を見る度に少しずつ驚きは減っていた。
 シグルンはぼんやりと眺めていると、不思議なことに視界も曖昧に霞んでくる。



(……あれ?)



 シグルンは疑問を口にしたつもりだったが、言葉にならずに心の中で押し止まったようだ。


 気が付けば、シグルンはたなびく霞に包まれ、真っ白な世界に朧に浮かんでいた。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります

cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。 聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。 そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。 村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。 かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。 そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。 やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき—— リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。 理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、 「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、 自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

処理中です...