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第三章:夕日が沈む
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気が付けば私は最初のように泣いていた。でも今は最初とは違って何で悲しいかはっきりと分かる。ひさの事を思い出せば思い出す程、溢れ出してくるのを感じる。心に収まりきらない分が目から零れ落ちているのを感じる。どれだけ足掻きもがいてもどうにもできない海の中を私は沈んでいった。深く、深く。暗く、冷たく。もう私を照らす燈火の無い海を。
「ダメですよ? 夕顔さん」
すると八助さんが突然そんな事を口にした。私はとても夕顔花魁とは思えないような表情のまま彼を見上げる。
「そんな事、考えないかもしれないと思いますけど、一応。蛍さんと同じような事をしたらダメですよ」
それが何を意味してるのかは問い返す必要もない。でも今なら彼女がその選択をした気持ちも分からなくはなかった。
「他の男と逝くのが心配なん?」
涙腺が壊れてしまったように私は疎らな泪を流しながらからかう微笑みを浮かべた。
「そう意味じゃ……」
「安心してええで。そないな男はいーひんさかいその時は――そうやな。あんたに頼もかな」
私はそう言いながら泪に濡れた微笑みをまた浮かべた。
「――僕は嫌です」
その返事は少し意外な気もしたが、でもどこか予想通りというような気持ちもあった。
だけど私の表情は笑みを消し、無意識に視線を彼の顔から逸らしていた。
「そやな。そないな間柄でもあらへんのに一緒にやなんて――」
「そうじゃないです」
私の言葉を遮ったその声は少し強く今すぐにでも否定し訂正したいというよなものだった。それに私の逸れていた視線がまた彼に戻る。
「僕は一緒にが嫌なんじゃなくて死んじゃうのが嫌なんです。さっき蛍さんはもうこれ以上苦しむ事はないって言いましたけど、同時に彼女はもう幸せを味わう事も出来ない。夕顔さんも僕ももし同じことをしたらもう悲しんだり苦しんだりもしなくて済むけど――こうやって夕顔さんと話しをする事も出来なくなるし、夕顔さんの笑顔も見れなくなる。僕はそれが嫌なんです。僕はもっとあなたとこうしていたい」
「わっちと一緒に逝くんはええの?」
「それは全然。むしろ僕なんかを選んでくれて嬉しいです」
仲ノ町に咲く桜の一枚がひらり舞い落ち地面に着く程度の時間、私は彼から少し身を離すと彼の目を見つめていた。そして口を開きながらゆっくりと頬に手を伸ばす。
「そないにわっちの事好きなん?」
「はい」
それは考え迷うまでもなく答えは決まっていると言わんばかりの即答だった。私は微かに頬を赤らめ目を逸らすかと思っていたばかりに、その反応に対して反対に吃驚としてしまった。でもその間も私を真っすぐ見つめていた彼の双眸は彼自身の気持ちを代弁するかのように一切動くことも余所見をすることもない綺麗な直線を描いていた。何故か目を逸らすことが出来ず私もその瞳をじっと見つめ返す。
「僕はずっとあなたの事が好きでした。あの時からずっと」
その声に共鳴するように胸の奥が締め付けられるのを感じた。そこには悲感とは違う心地好さがあった。それにずっとそこにいたみたいに私の心に馴染んでる。
「でも僕は生きたまま一緒に居たいです。夕顔さんの声を聞いて、夕顔さんの笑顔を見て、夕顔さんに触れて」
八助さんは言葉と共に私の頬へ手を触れさせた。彼がこんなことをするのは初めだったがそんな事など気にならないぐらいにその手は優しく温かかった。同時に胸が騒ぎ始める。
「あっ、すみませ――」
我に返ったのか彼は一驚とした表情を見せると私の頬に触れた手をひっこめようとした。だが私はその手に上から押さえるように触れ頬擦りでもするように顔を寄せた。
「もう少しこうしとってくれへん?」
「はい」
「おおきに」
私は目を瞑るとその手の感触だけを感じた。ひさや朝顔姐さんと同じような安心感のある手。でも彼女たちにはないものがその手にはあった。まるでこれだけは譲れないこだわりのように彼の手じゃないとダメだという何かが。それに暗く冷たい場所へ沈んでいた所為か今は余計に温かさと優しさが沁みる。
「ダメですよ? 夕顔さん」
すると八助さんが突然そんな事を口にした。私はとても夕顔花魁とは思えないような表情のまま彼を見上げる。
「そんな事、考えないかもしれないと思いますけど、一応。蛍さんと同じような事をしたらダメですよ」
それが何を意味してるのかは問い返す必要もない。でも今なら彼女がその選択をした気持ちも分からなくはなかった。
「他の男と逝くのが心配なん?」
涙腺が壊れてしまったように私は疎らな泪を流しながらからかう微笑みを浮かべた。
「そう意味じゃ……」
「安心してええで。そないな男はいーひんさかいその時は――そうやな。あんたに頼もかな」
私はそう言いながら泪に濡れた微笑みをまた浮かべた。
「――僕は嫌です」
その返事は少し意外な気もしたが、でもどこか予想通りというような気持ちもあった。
だけど私の表情は笑みを消し、無意識に視線を彼の顔から逸らしていた。
「そやな。そないな間柄でもあらへんのに一緒にやなんて――」
「そうじゃないです」
私の言葉を遮ったその声は少し強く今すぐにでも否定し訂正したいというよなものだった。それに私の逸れていた視線がまた彼に戻る。
「僕は一緒にが嫌なんじゃなくて死んじゃうのが嫌なんです。さっき蛍さんはもうこれ以上苦しむ事はないって言いましたけど、同時に彼女はもう幸せを味わう事も出来ない。夕顔さんも僕ももし同じことをしたらもう悲しんだり苦しんだりもしなくて済むけど――こうやって夕顔さんと話しをする事も出来なくなるし、夕顔さんの笑顔も見れなくなる。僕はそれが嫌なんです。僕はもっとあなたとこうしていたい」
「わっちと一緒に逝くんはええの?」
「それは全然。むしろ僕なんかを選んでくれて嬉しいです」
仲ノ町に咲く桜の一枚がひらり舞い落ち地面に着く程度の時間、私は彼から少し身を離すと彼の目を見つめていた。そして口を開きながらゆっくりと頬に手を伸ばす。
「そないにわっちの事好きなん?」
「はい」
それは考え迷うまでもなく答えは決まっていると言わんばかりの即答だった。私は微かに頬を赤らめ目を逸らすかと思っていたばかりに、その反応に対して反対に吃驚としてしまった。でもその間も私を真っすぐ見つめていた彼の双眸は彼自身の気持ちを代弁するかのように一切動くことも余所見をすることもない綺麗な直線を描いていた。何故か目を逸らすことが出来ず私もその瞳をじっと見つめ返す。
「僕はずっとあなたの事が好きでした。あの時からずっと」
その声に共鳴するように胸の奥が締め付けられるのを感じた。そこには悲感とは違う心地好さがあった。それにずっとそこにいたみたいに私の心に馴染んでる。
「でも僕は生きたまま一緒に居たいです。夕顔さんの声を聞いて、夕顔さんの笑顔を見て、夕顔さんに触れて」
八助さんは言葉と共に私の頬へ手を触れさせた。彼がこんなことをするのは初めだったがそんな事など気にならないぐらいにその手は優しく温かかった。同時に胸が騒ぎ始める。
「あっ、すみませ――」
我に返ったのか彼は一驚とした表情を見せると私の頬に触れた手をひっこめようとした。だが私はその手に上から押さえるように触れ頬擦りでもするように顔を寄せた。
「もう少しこうしとってくれへん?」
「はい」
「おおきに」
私は目を瞑るとその手の感触だけを感じた。ひさや朝顔姐さんと同じような安心感のある手。でも彼女たちにはないものがその手にはあった。まるでこれだけは譲れないこだわりのように彼の手じゃないとダメだという何かが。それに暗く冷たい場所へ沈んでいた所為か今は余計に温かさと優しさが沁みる。
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