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第五章 槁木死灰~こうぼくしかい~
第三十六話
「陽の、おばあさん?」
和泉は、陽が両親を亡くして天涯孤独だと思っていたので、急な祖母の存在に息をのむ。
「ばあちゃんも元は陰陽連にいたらしいけど、今はとっくに隠居してる。父方の親戚は縁が切れてるけど、母方はずっと陰陽師だ。とはいえ、もう生きてるのは、ばあちゃんくらい。
それに、たぶんまともに会話はできねえよ。母さんたちが死んでから、どうもボケちまったみてえだから。」
陽の母、つまり実の娘を亡くして以降その事実を受け入れられないのか、まだ生きていると思っているらしい。何度説明しても言い聞かせても、母の存在をしきりに気にしてくる祖母に対して、陽自身も精神的に来るものがあった。
だから時折顔は出すものの、軽く会話をする程度。
「母さんの実家に、少しは予備の札がある。取りに行くよ、少し……気になることもあるしな。」
直近で行った実家。祖母の様子はいつも通りだった、
いつも通りでないことといえば。
―――陽。何か困ったことがあったら、みんなでおいで。
やけに含みのある言い方が、陽はずっと引っかかっていた。陽が陰陽連にほとんど宣戦布告のような啖呵を切ったことで、いまごろ祖母に何らかの手が伸びている可能性もある。一度様子は見ておきたい。ポケットをさぐれば、祖母の家から持ち出した色あせた写真のくしゃりとした質感が伝わる。結局この写真もちゃんと調べられていない。
とりあえず、陽の祖母の安否確認と、札の回収。目下の目標が定まった。
「まあ今は、ゆっくり休もう。こんなとこでちゃんと休めって方が難しいかもしれないけど。
服も変えなきゃだし。」
世羅に言われてみて、和泉ははっと思い出した。せっかく綺麗な格好にしてもらったのに、先の戦いのせいですっかりぼろぼろだ。
陽の母方の実家に行く前に、とりあえず一日休むことに。潜んでいる廃ビルのエリアに結界を張り、一応万が一の襲撃には備える。替えの服は世羅が買いに行ってくれることになった。誰かついていったほうがいいかという話にもなったが、複数で動けば目立つし、最悪見つかっても迂回してうまいこと撒いてくると世羅が言う。
「凛。」
待っている間手持ち無沙汰なのをいいことに、和泉は凛の近くに腰掛けた。凛に距離を置かれるかもと思ったが、彼女は動かずに和泉に目をやる。
「どうしたの、あなたも疲れてるでしょ。休みなさい。」
部屋ならたくさんあるし、どこも散らかっているとはいえそれなりに広い。わざわざ隣に来る必要はないだろうにと凛は思う。けれど、和泉としては、凜に対して、酷い態度を沢山とった認識のままだった。たとえそれが、凜自身のパフォーマンスだったのだとしても。
「あの、ごめんなさい。私今まであなたのこと、敵だと思ってて。それで、ちゃんと
謝りたくて。」
「なんだそんなこと。……それを言ったら、私の方が何倍もあなたに謝らなきゃいけないわ。
……私は、数えきれないくらいの人を犠牲にした。そのたびに、あなたも悲しませた。」
「凛だって、辛いんじゃないの。殺したくて、やったわけじゃないんでしょ。」
誰かを殺めることが辛い、そんな気持ちとっくにどこかに置いてきてしまった。何年殺したのか、何人殺したのか。きっと最初は後悔と懺悔といろんな感情に支配されていたのかもしれない。覚えているにはあまりに長くて、そして多すぎた。
「あなたはまだ、自分より誰かを思うのね。」
そんなあなただから、凛はどうにか助けたいと思っていた。終わりのない地獄のような人生、いや人とおよそ呼べないような呪われた道具として扱われる生涯。とっくに狂ってもおかしくないのに、記憶を消されているせいで、まだ彼女らしくあり続けるという皮肉。
何年経ってもこの子は、血に濡れている私に手を差し伸べる。消されてしまっても、その本質は少しも変わっていない。
「ありがとう。」
凛の頬が、緩む。今までは氷のように冷たい表情しか、和泉は知らなかった。嗤っていた表情とは違う。今向けてくれるほんの少しの笑みは、心の底からの感謝と慈しみのものであると言える。
「和泉ちゃん、て呼んでもいいかしら。」
「うん、瀬莉だと反応できないかもしれない。和泉にして。」
そう言って和泉は思った。この和泉という名前はどこかで自分が名乗ったのか、はたまた…だれがつけてくれたのだろうか、と。
穏やかな凛の表情は一瞬だった。すぐに張り詰めた表情へと戻る。
「レディーの会話を盗み聞き、なんて無粋ね。どうせ聞くなら堂々と聞きなさいよ。」
固くなった凛の声音を受けて、陽が入ってきた。陽自身としては、盗み聞きをしていた訳では無いのだが、入るタイミングを見失っただけとは言えないので、頭をかきながらも、素直に凛に尋ねる。
「お前に、聞きたいことがある。
紅音を……妖堕を人に戻す方法はあるのか。」
「妖堕を救う方法?さあね、殺すしかないんじゃない。」
想定はしていたが凛は、取り付く島もない。無理もなかった、妖になった人間の話は聞くことはあるものの、そこから戻った方法は陽が陰陽連にいた時でもついぞ聞いたことがない。
「じゃあどうやって妖堕させてる。そんなにホイホイ気軽にできる芸当じゃねえはずだ。」
「犀破が使ってるのは蠱毒よ。蠱毒の蟲を使って、使役する。陰陽師なら常識よね?むしろ詳しいんじゃなくて?」
知っているも何も、良くない意味で有名な呪術だ。陰陽師のみならず、邪法に手を染める人間が一度は試そうとするだろう。
いまいちピンと来ていないらしい和泉に、陽が助け舟を出す。
数多の蟲をひとつの壺に閉じ込め、中で殺し合いをさせる。最後に残った1匹を使って呪詛を行うものであると。古今東西、現実創作を問わず行われてきたおぞましい呪術。
「蠱毒は、呪詛を行うために使うもんだ。妖怪を使役する目的で使うなんて聞いたことねえな。」
「本来はそうなんでしょうね。
……斎王を取り戻すために、色んなものに片っ端から当たった犀破に普通の方法なんて通用しないわ。」
何せ犀破…もとい道雅自身が妖堕ちになることを望むほどのことだ。そうなる前にありとあらゆる方法を試したであろうことは想像に難くない。
「で?お前と世羅はどうやってその蠱毒の使役から抜け出したんだよ。」
世羅も凛も、犀破の配下にいながら自身の意思で行動をしていた。使役されていたというのであれば、おいそれと抜け出すことはできないのだろう。それでも、世羅が陽といる事実、凛が合流した事実が、犀破の元から抜け出した証明だった。しかし。
「私はそもそもかかってないのよ、術自体に。
……蠱毒は、世羅が、全部受けたのだから。」
「世羅が……?」
「犀破の支配下から抜け出す方法は、あるとは思う。でも、世羅は蠱毒を受ける前から人じゃないからね。前提条件があの紅音とかいう子とは全然違うわ。
一度妖になった人を戻すなんて不可能ってこと……あなたの方がよくわかってるんじゃない?」
「それより、世羅がお前の分もって、それは……大丈夫なのかよ。」
「大丈夫じゃないわよ、どう考えたって。」
結果がどうあれ、元は呪いなのだ。二人分受ければどうなるのか。想像することすら恐ろしい、と和泉は血の気が引く感覚がする。
たとえその身が人のものでないとはいえ、世羅がこれまでどれほどの苦痛を受けたのか。
苦痛が尋常ではないものだと分かるからこそ、世羅が凛を庇って呪いを受けたのだと分かる。
そしてそれを凛も分かっているからこそ、無理に聞いて来なかった。
「呪詛をかけられたのも何百年も前だし。どうやったかなんて知らないわ、聞いても教えてくれなかったから。本人に聞きなさい。
私は、世羅が犀破の元から逃れていって、気づいたら陰陽連に入り込んでたってことくらいしか知らない。いつだって一番大事なことは、言わないのよ。」
そこから抜け出した、先。
世羅が傷だらけで逃げ込んだ、村。そこでの惨劇。よりによって、和泉が濡れ女に見せられた過去がこんな形で繋がるとは思わなかった。
「でも世羅はそうゆうひとなの。私が止めたって聞かない、いつも瀬莉のために動くんだから。」
凛の、紅の双眸がほんの少し、揺れる。
「そ、うなのかな。
それもあるとは思うんだけど、私は凛を守ったんだと思ったよ。
だって、凛を見てる世羅の目……雰囲気とか態度とかすごい、優しくて安心した顔してた。
少し前では、世羅が犀破の側かと思ってすごく怖くなったけど、色んな話聞いて思ったよ。世羅は……私の事だけじゃなくて、陽の事も、凛の事も守ろうとしてるって。」
助けてくれた村人を手にかけてしまった、そのことを今でも背負って生きている世羅は、いつも優しい。その優しさの裏に、和泉は強い何かを感じていた。それは自分だけに向けられたものじゃない。
「昔の私……瀬莉のことを守ろうとしたのも、元は……凜を助けた恩からだと思った。
二人がいつから番なのかは、知らないけど……。」
大切な凜を救った瀬莉。瀬莉のために今まで動いてきた元は、凛の存在なんだと和泉は思う。陽の両親のこともそう。世羅は、受けた恩を決して無下にしない。
「自分を捨て身にしてまで、世羅は手の届く限りのところを大切に思ってる。でも私は、守られてばっかりじゃなくて、そんな世羅のこと、守りたいと思うよ。
これからどうするか、私や陽に聞いてくれたのも……全部、私たちが納得できるように、私たちが前へ進めるようにしてくれると思ったの。」
「少し前は、そんな強いこと言えなかったのに。貴方、随分変わったのね。」
和泉は、世羅と凛が守ってやれねばならない存在だった。希死念慮に囚われていた時はどうしたらいいかと、凛は気を揉んだ。その矢先に、世羅から一回犀破の元から離せと言われて、あの時こっそり和泉を外に出した。
凛は、世羅が陰陽連で人間と行動しているのは知っていた。親を失った少年を、育てていることも。その目的は犀破に対抗しうる人間を作ろうとしていることであることも分かっていた。本当にそんな人間になれるものかと、半信半疑ではあったが、このまま、死なずとも死の強迫観念に押しつぶされる和泉を見ていられなかった。
しかし、世羅のそばに居たその少年……すっかり青年と呼ぶに差し支えなく成長していた陽は、幻とはいえ犀破相手に臆することなく立ち向かい、死の感情に捕まった和泉をいともあっさり引きずり出した。和泉の援護があったとはいえ、一対一犀破と対面しても、死なずに今ここにいる。
陽ならば、もしやと凛は思い始めていた。しかし同時に、ある陰陽師の存在も彼女の中に過ぎる。
「決断させておいてこんなこと言うのもなんだけど……あなた直前にも陰陽師に助けられてたのよ。」
「…覚えてる、よ。むしろ、そこまでは、覚えてる。」
陰陽師というワードに陽が反応した気配を、和泉は感じた。まだ、話していなかった、和泉に残る唯一といってもいい記憶。陽と最初に出会った時に覚えていることを詰問されたが、はねのけて以降、話していなかった。
「いいよ、……今は、無理して話さなくて。口ぶりからして、その陰陽師はもういねえんだろ。」
陽自身、気にならないと言えば当然嘘になる。知っている陰陽師の可能性だってあるのだ、それこそ両親の死にも関係するかもしれない。でも今は、無理にでも聞き出そうという気持ちにはならなかった。
「話す。前とは、違うから。」
あの時の和泉は何もわからなかった。ただ本能で、己の内から湧き上がる感情だけで動いていた。でも今は違う。陽に、聞いてほしいと口を開こうとしたそれは、世羅のノック音で飲み込んでしまった。
「お話の途中で失礼、3人とも。来客だけど、どうする?」
このタイミング、この場所、この状況。招かれざる客なのは間違いなかった。陽が何も言わずに世羅に視線を向けると、向けられた世羅は肩をすくめて続ける。
「蒔原さんだよ。彼女一人だけ、周囲に他の陰陽師はいないし、土御門の式神もない。」
蒔原颯希。現陰陽部門の長、陰陽博士。陽たちの直属の上司が単身やってきた。
「とりあえずは会う。何かあれば、世羅、頼む。
和泉の話は、後で聞く。」
和泉にそう目くばせして、陽は自分の元、上司から話を聞くことを決めた。
何かあれば。
世羅はその発言を受けて姿を周囲に溶け込ませて、消える。凛もそれに呼応するように消えた。万が一、颯希と戦闘になれば、和泉を連れて離脱する、その陽からの意思の肯定であった。
和泉は、陽が両親を亡くして天涯孤独だと思っていたので、急な祖母の存在に息をのむ。
「ばあちゃんも元は陰陽連にいたらしいけど、今はとっくに隠居してる。父方の親戚は縁が切れてるけど、母方はずっと陰陽師だ。とはいえ、もう生きてるのは、ばあちゃんくらい。
それに、たぶんまともに会話はできねえよ。母さんたちが死んでから、どうもボケちまったみてえだから。」
陽の母、つまり実の娘を亡くして以降その事実を受け入れられないのか、まだ生きていると思っているらしい。何度説明しても言い聞かせても、母の存在をしきりに気にしてくる祖母に対して、陽自身も精神的に来るものがあった。
だから時折顔は出すものの、軽く会話をする程度。
「母さんの実家に、少しは予備の札がある。取りに行くよ、少し……気になることもあるしな。」
直近で行った実家。祖母の様子はいつも通りだった、
いつも通りでないことといえば。
―――陽。何か困ったことがあったら、みんなでおいで。
やけに含みのある言い方が、陽はずっと引っかかっていた。陽が陰陽連にほとんど宣戦布告のような啖呵を切ったことで、いまごろ祖母に何らかの手が伸びている可能性もある。一度様子は見ておきたい。ポケットをさぐれば、祖母の家から持ち出した色あせた写真のくしゃりとした質感が伝わる。結局この写真もちゃんと調べられていない。
とりあえず、陽の祖母の安否確認と、札の回収。目下の目標が定まった。
「まあ今は、ゆっくり休もう。こんなとこでちゃんと休めって方が難しいかもしれないけど。
服も変えなきゃだし。」
世羅に言われてみて、和泉ははっと思い出した。せっかく綺麗な格好にしてもらったのに、先の戦いのせいですっかりぼろぼろだ。
陽の母方の実家に行く前に、とりあえず一日休むことに。潜んでいる廃ビルのエリアに結界を張り、一応万が一の襲撃には備える。替えの服は世羅が買いに行ってくれることになった。誰かついていったほうがいいかという話にもなったが、複数で動けば目立つし、最悪見つかっても迂回してうまいこと撒いてくると世羅が言う。
「凛。」
待っている間手持ち無沙汰なのをいいことに、和泉は凛の近くに腰掛けた。凛に距離を置かれるかもと思ったが、彼女は動かずに和泉に目をやる。
「どうしたの、あなたも疲れてるでしょ。休みなさい。」
部屋ならたくさんあるし、どこも散らかっているとはいえそれなりに広い。わざわざ隣に来る必要はないだろうにと凛は思う。けれど、和泉としては、凜に対して、酷い態度を沢山とった認識のままだった。たとえそれが、凜自身のパフォーマンスだったのだとしても。
「あの、ごめんなさい。私今まであなたのこと、敵だと思ってて。それで、ちゃんと
謝りたくて。」
「なんだそんなこと。……それを言ったら、私の方が何倍もあなたに謝らなきゃいけないわ。
……私は、数えきれないくらいの人を犠牲にした。そのたびに、あなたも悲しませた。」
「凛だって、辛いんじゃないの。殺したくて、やったわけじゃないんでしょ。」
誰かを殺めることが辛い、そんな気持ちとっくにどこかに置いてきてしまった。何年殺したのか、何人殺したのか。きっと最初は後悔と懺悔といろんな感情に支配されていたのかもしれない。覚えているにはあまりに長くて、そして多すぎた。
「あなたはまだ、自分より誰かを思うのね。」
そんなあなただから、凛はどうにか助けたいと思っていた。終わりのない地獄のような人生、いや人とおよそ呼べないような呪われた道具として扱われる生涯。とっくに狂ってもおかしくないのに、記憶を消されているせいで、まだ彼女らしくあり続けるという皮肉。
何年経ってもこの子は、血に濡れている私に手を差し伸べる。消されてしまっても、その本質は少しも変わっていない。
「ありがとう。」
凛の頬が、緩む。今までは氷のように冷たい表情しか、和泉は知らなかった。嗤っていた表情とは違う。今向けてくれるほんの少しの笑みは、心の底からの感謝と慈しみのものであると言える。
「和泉ちゃん、て呼んでもいいかしら。」
「うん、瀬莉だと反応できないかもしれない。和泉にして。」
そう言って和泉は思った。この和泉という名前はどこかで自分が名乗ったのか、はたまた…だれがつけてくれたのだろうか、と。
穏やかな凛の表情は一瞬だった。すぐに張り詰めた表情へと戻る。
「レディーの会話を盗み聞き、なんて無粋ね。どうせ聞くなら堂々と聞きなさいよ。」
固くなった凛の声音を受けて、陽が入ってきた。陽自身としては、盗み聞きをしていた訳では無いのだが、入るタイミングを見失っただけとは言えないので、頭をかきながらも、素直に凛に尋ねる。
「お前に、聞きたいことがある。
紅音を……妖堕を人に戻す方法はあるのか。」
「妖堕を救う方法?さあね、殺すしかないんじゃない。」
想定はしていたが凛は、取り付く島もない。無理もなかった、妖になった人間の話は聞くことはあるものの、そこから戻った方法は陽が陰陽連にいた時でもついぞ聞いたことがない。
「じゃあどうやって妖堕させてる。そんなにホイホイ気軽にできる芸当じゃねえはずだ。」
「犀破が使ってるのは蠱毒よ。蠱毒の蟲を使って、使役する。陰陽師なら常識よね?むしろ詳しいんじゃなくて?」
知っているも何も、良くない意味で有名な呪術だ。陰陽師のみならず、邪法に手を染める人間が一度は試そうとするだろう。
いまいちピンと来ていないらしい和泉に、陽が助け舟を出す。
数多の蟲をひとつの壺に閉じ込め、中で殺し合いをさせる。最後に残った1匹を使って呪詛を行うものであると。古今東西、現実創作を問わず行われてきたおぞましい呪術。
「蠱毒は、呪詛を行うために使うもんだ。妖怪を使役する目的で使うなんて聞いたことねえな。」
「本来はそうなんでしょうね。
……斎王を取り戻すために、色んなものに片っ端から当たった犀破に普通の方法なんて通用しないわ。」
何せ犀破…もとい道雅自身が妖堕ちになることを望むほどのことだ。そうなる前にありとあらゆる方法を試したであろうことは想像に難くない。
「で?お前と世羅はどうやってその蠱毒の使役から抜け出したんだよ。」
世羅も凛も、犀破の配下にいながら自身の意思で行動をしていた。使役されていたというのであれば、おいそれと抜け出すことはできないのだろう。それでも、世羅が陽といる事実、凛が合流した事実が、犀破の元から抜け出した証明だった。しかし。
「私はそもそもかかってないのよ、術自体に。
……蠱毒は、世羅が、全部受けたのだから。」
「世羅が……?」
「犀破の支配下から抜け出す方法は、あるとは思う。でも、世羅は蠱毒を受ける前から人じゃないからね。前提条件があの紅音とかいう子とは全然違うわ。
一度妖になった人を戻すなんて不可能ってこと……あなたの方がよくわかってるんじゃない?」
「それより、世羅がお前の分もって、それは……大丈夫なのかよ。」
「大丈夫じゃないわよ、どう考えたって。」
結果がどうあれ、元は呪いなのだ。二人分受ければどうなるのか。想像することすら恐ろしい、と和泉は血の気が引く感覚がする。
たとえその身が人のものでないとはいえ、世羅がこれまでどれほどの苦痛を受けたのか。
苦痛が尋常ではないものだと分かるからこそ、世羅が凛を庇って呪いを受けたのだと分かる。
そしてそれを凛も分かっているからこそ、無理に聞いて来なかった。
「呪詛をかけられたのも何百年も前だし。どうやったかなんて知らないわ、聞いても教えてくれなかったから。本人に聞きなさい。
私は、世羅が犀破の元から逃れていって、気づいたら陰陽連に入り込んでたってことくらいしか知らない。いつだって一番大事なことは、言わないのよ。」
そこから抜け出した、先。
世羅が傷だらけで逃げ込んだ、村。そこでの惨劇。よりによって、和泉が濡れ女に見せられた過去がこんな形で繋がるとは思わなかった。
「でも世羅はそうゆうひとなの。私が止めたって聞かない、いつも瀬莉のために動くんだから。」
凛の、紅の双眸がほんの少し、揺れる。
「そ、うなのかな。
それもあるとは思うんだけど、私は凛を守ったんだと思ったよ。
だって、凛を見てる世羅の目……雰囲気とか態度とかすごい、優しくて安心した顔してた。
少し前では、世羅が犀破の側かと思ってすごく怖くなったけど、色んな話聞いて思ったよ。世羅は……私の事だけじゃなくて、陽の事も、凛の事も守ろうとしてるって。」
助けてくれた村人を手にかけてしまった、そのことを今でも背負って生きている世羅は、いつも優しい。その優しさの裏に、和泉は強い何かを感じていた。それは自分だけに向けられたものじゃない。
「昔の私……瀬莉のことを守ろうとしたのも、元は……凜を助けた恩からだと思った。
二人がいつから番なのかは、知らないけど……。」
大切な凜を救った瀬莉。瀬莉のために今まで動いてきた元は、凛の存在なんだと和泉は思う。陽の両親のこともそう。世羅は、受けた恩を決して無下にしない。
「自分を捨て身にしてまで、世羅は手の届く限りのところを大切に思ってる。でも私は、守られてばっかりじゃなくて、そんな世羅のこと、守りたいと思うよ。
これからどうするか、私や陽に聞いてくれたのも……全部、私たちが納得できるように、私たちが前へ進めるようにしてくれると思ったの。」
「少し前は、そんな強いこと言えなかったのに。貴方、随分変わったのね。」
和泉は、世羅と凛が守ってやれねばならない存在だった。希死念慮に囚われていた時はどうしたらいいかと、凛は気を揉んだ。その矢先に、世羅から一回犀破の元から離せと言われて、あの時こっそり和泉を外に出した。
凛は、世羅が陰陽連で人間と行動しているのは知っていた。親を失った少年を、育てていることも。その目的は犀破に対抗しうる人間を作ろうとしていることであることも分かっていた。本当にそんな人間になれるものかと、半信半疑ではあったが、このまま、死なずとも死の強迫観念に押しつぶされる和泉を見ていられなかった。
しかし、世羅のそばに居たその少年……すっかり青年と呼ぶに差し支えなく成長していた陽は、幻とはいえ犀破相手に臆することなく立ち向かい、死の感情に捕まった和泉をいともあっさり引きずり出した。和泉の援護があったとはいえ、一対一犀破と対面しても、死なずに今ここにいる。
陽ならば、もしやと凛は思い始めていた。しかし同時に、ある陰陽師の存在も彼女の中に過ぎる。
「決断させておいてこんなこと言うのもなんだけど……あなた直前にも陰陽師に助けられてたのよ。」
「…覚えてる、よ。むしろ、そこまでは、覚えてる。」
陰陽師というワードに陽が反応した気配を、和泉は感じた。まだ、話していなかった、和泉に残る唯一といってもいい記憶。陽と最初に出会った時に覚えていることを詰問されたが、はねのけて以降、話していなかった。
「いいよ、……今は、無理して話さなくて。口ぶりからして、その陰陽師はもういねえんだろ。」
陽自身、気にならないと言えば当然嘘になる。知っている陰陽師の可能性だってあるのだ、それこそ両親の死にも関係するかもしれない。でも今は、無理にでも聞き出そうという気持ちにはならなかった。
「話す。前とは、違うから。」
あの時の和泉は何もわからなかった。ただ本能で、己の内から湧き上がる感情だけで動いていた。でも今は違う。陽に、聞いてほしいと口を開こうとしたそれは、世羅のノック音で飲み込んでしまった。
「お話の途中で失礼、3人とも。来客だけど、どうする?」
このタイミング、この場所、この状況。招かれざる客なのは間違いなかった。陽が何も言わずに世羅に視線を向けると、向けられた世羅は肩をすくめて続ける。
「蒔原さんだよ。彼女一人だけ、周囲に他の陰陽師はいないし、土御門の式神もない。」
蒔原颯希。現陰陽部門の長、陰陽博士。陽たちの直属の上司が単身やってきた。
「とりあえずは会う。何かあれば、世羅、頼む。
和泉の話は、後で聞く。」
和泉にそう目くばせして、陽は自分の元、上司から話を聞くことを決めた。
何かあれば。
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