ときはの代 陰陽師守護紀

naccchi

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第五章 槁木死灰~こうぼくしかい~

第四十三話

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 時を遡り。

 和泉が、陸の術中から逃れ、1階の校舎の窓から出たその先は、中庭だった。

 本音をいえば、陽が来たとわかったあの瞬間すぐにでも駆け寄りたかった。
 でもしなかった、せっかく陸の拘束から逃れた一瞬の隙。陽の元へ向かえば、位置的に和泉は、陸に背を向ける形になる。また捕まれば元も子もない。
 足手まといにならないためには、自分があの場にいないことが最善だと。陽なら、あの場を制圧できると確信した上で最善を選んだつもりだった。
 単身離脱してできることは一つ、後顧の憂いを断つこと。
 中庭に、今まで和泉たちを襲っていた植物はいない。その代わりとでもいうかのように、古い大きな木が立っている。
 小さな家庭菜園レベルの畑や、プランター、掃除用具などが雑多に詰め込まれたような小さな中庭に、明らかにそぐわない巨大な老木。その傍に、制服を着た黒髪を一つにまとめた女の子が立っている。
 校内に残った生存者、には見えなかった。それでもつとめて冷静に和泉はその少女に声をかける。

「ここは危ないから、離れて。」
「危ない……?」

 少女の深い紫の瞳も、声も、覇気はない。
 風が吹いていないのに、老木の葉たちがざわざわと抗議するように唸る。雨脚が強くなり、和泉の全身に冷たい雨が打ち付ける。

「危ない……ならどうして、お母さんにもそれを教えてくれなかったの?」

 少女の恨みのこもった声に反応するように、彼女が触れる老木の枝が、根が、葉が、明確に敵意を和泉に向ける。

「……?何の、話をしてるの?」

 気づけば全身ずぶぬれだった。体が濡れていることも構わずに、和泉は記憶を消される前の話だろうかと思案する。聞いているのかいないのか、少女は急に声を荒げる。

「今みたいに!危ないって言ってくれたら、お母さんは瓦礫の下敷きにならずにすんだかもしれないのに!」

 少女の恨みの根源が繋がり、和泉は息を飲んだ。あの時、ショッピングモールで依織に襲撃された時。瓦礫に埋もれて亡くなった人がいると聞いていた。この子は、その人の、家族。

 和泉は合点がいった。家族を殺された恨みを、陸に利用されている。しなる枝が遠心力で和泉を叩きつけようとする。しかし攻撃の軸合わせもしてこない、力任せの勢いを避けることは造作もなかった。
 そしてこの無茶苦茶な攻撃の仕方…さっき和泉たち3人を校舎に叩きつけたのはこの子とそれにつながる老木だと気づく。

「あんたのせいで!お母さんは死んだ!!」

 膨れ上がる、憎悪。向けられる殺意。
 振り払ったはずの、心の奥底、黒い澱みが迫る気がしていた。自分じゃない自分が後ろから言ってくる。

 また、お前のせいだと。自分の気持ちをおしこめて、全部背負い込む気質は、そう簡単に治るものでもない。

 “お前のせいだ”

 そうなんだろう、と和泉はずっと思っていた。自分が、記憶がないばっかりに。斎王であるばかりに。周囲が傷つく。あのショッピングモールでの襲撃も、先日の屋敷でのことも。

 そもそも、はじめから自分など存在しなければ。道雅が妖になって大勢人を殺すこともなかった。世羅や凜に辛い思いをさせることもなかった。

 “いらない”

 まるで底なし沼のような死の感覚がすぐ後ろまできていた。きっとそのまま身を任せてしまうのは楽なのだろう。少し前だったら、そうしていたかもしれない。

「違う、私のせいじゃない。」

 自分のせいじゃないことお前はまで背負うと、陽が言っていた。

 そのほうが、楽だったから。全部自分のせいにしておけばいい、それでおさまるんだから。実際はちっともおさまってなんかいなかった。おさえたようで、自分を傷つけていた。小さな傷でも、それはいつしか致命傷になりうる。

 傷が癒える体なのに、陽は怪我をした和泉のことを、痛いものは痛いと案じてきた。
 陽は、陽自身が怪我することより、和泉の心配をした。ここで、全部投げ捨てたら、もっと悲しませる。
 世羅も、凛もそう。きっと今まで、守るためにたくさんのことを犠牲にしてきたのに。

 覚えていないだけで、たくさんの人が守ってきてくれたのを、ただ辛いから……楽なほうへ流すわけにいかない。


 自分に殺意を向けて、死ぬのは今じゃない。
 

 襲い掛かってきた枝を避けずに左腕で防ぐように受け止める。じわりと血が滲んだが、逆の手で枝を掴むとまるでひるむように枝は引いていく。触れてわかる、相当長い年月を生きた木なのだろう。陸の力による木の行ではなく、長い年月をかけて力をもった木だとわかった。

「全部私のせいにして、お母さんに会えたらそれであなたは満足?他はどうでもいいの?」

 家族を喪って、すべてを抱えこんでいる人を知ってる。喪う辛さを他の人にも背負わせたくないと、戦ってる。陽が自分を救い出したみたいにできるかは分からないけれど、聞いてしまった以上放っておけない。

 ぬかるんだ地面を避け、石畳のところで脚に力をいれて踏ん張る。叩きつけてきた枝をまた左腕で受け止め、今度は引いていかないように両手でしっかりと握りしめる。
 逃れようと枝は引いていく、節くれが両手の平に刺さって鋭い痛みが走る。それでも離さない。

「あなたのお母さんが死んで悲しんでるのはあなただけなの?一緒に悲しむ人に、あなたが消えてしまう事実まで背負い込ませていいとは、私は思えないよ。」

 中庭の老木を見た瞬間は、咄嗟に炎で燃やそうと思った。でも、そうじゃない。この子は母を大切に思う優しい気持ちが、底に引きずられただけ。ならそれを引き摺りあげればいい。
 燃やし尽くしてしまうのは簡単だけれど、それはしたくない。

「知らない、知らない!ほっといて!!触らないで……!」

 この子は、戦いのプロじゃない。怒りと恨みに身をまかせ、めちゃくちゃに暴れているだけの言うなれば赤子だ。少し木の枝に触れただけであの拒絶。隙だって充分にある。これなら、浄化できると確信する。

「あの崩落事故で人が亡くなったのは聞いた。ごめんなさい、確かに私は無関係じゃない。あの時、助けられなくて、ごめんなさい。あなたの言う通り、直前に声をかけて逃がしてあげなきゃいけなかった。

 でも、私はあなたのお母さんは殺してない。

 それは、あなたも分かってるんじゃない?行き場のない怒りをぶつけたいだけなの、自分がいちばんわかるんじゃない?」
「うるさい!!」
「巻き込んでしまったことは謝る。本当にごめんなさい。」

 自分を蔑ろにするのは、自分を助けてくれた人を蔑ろにするのと同じ。傷だらけになって、命まではって助けてくれた人たちを裏切る行為だ。だから、自分のせいだと自分を責めることはしない。正面からちゃんと受け止める。

「謝られても……お母さんは帰ってこない!」
「そうだね、謝っても戻らないものはあるし、あなたも許してくれないかもしれない。でも、謝らないのは違うから……!」

 和泉は、悠河が水の行を変化させて氷で扱うのを見ていた。同じように、思い描く。凍てつく空気が、水を凍らせる。その冷気は、ものすごい勢いで向かってくる枝や葉の動きを鈍らせ、果ては凍り付く。少女に近寄らせまいと蠢いていた老木のほとんどが、パキパキと音を立てて凍る。絶えず動いているせいで少しずつ氷は剥がれていくから、ずっと押しとどめてはおけないものの、和泉が少女に触れるまでの距離と時間は問題なく稼げた。
 少女の左手は、木に触れている。逆の右手を和泉が掴む。

「来ないで!!」
「近づかないと、聴こえないよ。」

 少女は、泣いていた。

「わ、たし……やってしまった。お母さんに会いたくて、学校にいた人も、お姉さんの他にいた人のことも、私と、この木が……!」
「大丈夫、私も、一緒に来た人も平気。
 それより前に、誰かを攻撃したの?」

 和泉は、木に触れる少女の手に自分の手を重ねる。少女の手は木にピッタリと張り付いて離せない。
 そして、深い深い奥底の気配を感じる。いくつもの……いや、何人もの気配。濡れ女の時と同じ。この木の中に人間が居るその気配。

 少女が木に触れている手が、その木の幹にずぶずぶと入っていく。中を探るような動作をして、その手を引くと中から気を失った男子生徒が1人出てきた。

「良かった。」

 この子はまだ一線を超えてない。それなら、大丈夫だ。

「ごめ……なさい、お母さんに、会いたくて、それで……!」

 まだ高校生。母を突然失った悲しみで、自暴自棄になった。和泉は泣きじゃくる少女の肩を支えて、歩く。中庭を出て、校舎の外へ。とにかくこの子を外へ逃がさなければと足を動かそうとした時だった。


 カ エ セ


 地の底からのような声。慟哭にも似たその声は少女のものでは無い。しなる老木の枝は尚も地面を抉るほどの威力で叩きつけてくる。
 少女にもう戦意はないのに、老木が、怒りに身をふるわすように暴れ狂う。

「違う……私の、意思じゃない……っ!」

 少女の悲痛な声は演技ではない。少女の顔は青ざめたまま。腰が抜けて動けなくなる。
 全身ずぶ濡れで、足も踏ん張れない。気づけば辺りはバケツをひっくり返したような豪雨だ。

「……?」

 ずっと降り続く雨。空を見上げれば暗く重い。今にものしかかって、押しつぶしそうな。

「まさか……この雨……。」

 昨夜から降り続いている雨。その考えに至らなかった。この雨が自然のものでないことに。

 炎では木が燃えてしまう、水はかえって事態が悪化する、土で防いでもこの雨はいずれ土壁を穿つ。
 全てを押し流さなくていい、ほんの少し雲の切れ間を作る。力を絞り込むように、頭上の雲へ白い光が立ち上る。

 雲が流されて、太陽の光が降り注ぐ。降り続いた雨が止む。
 悲しみで膨れ上がった巨大な老木は、まるで萎むように小さくなっていく。まるでうわごとのような言葉もどんどん小さくなる。それでも。

 カエセ

「この人たちは、あなたのじゃないよ。何を返してほしいの?」

 … チグサ、ヲ、カエセ

 聞き覚えのない声に、和泉が首をかしげていると、少女がぽつりと言う。

「千草は、お母さんの名前。
 ……この木、庭にあった、山茶花。お母さんが好きだった、山茶花だよ。」

 穢れた雨で、暴走していたのなら、と和泉は手をかざす。和泉の出した、清浄な水が山茶花の木に降り注ぐ。優しい雨が、太陽の光を受けてきらきらと光る。

「千草さんのために、また、花を咲かせてあげて。」

 山茶花の木は、もう何も言葉を発しなかった。青々とした葉を茂らせ、うなずくように、水滴を跳ね返した。

「えっと……」
「ちえり。……私の名前。」

深い紫の視線が、初めて和泉を見た。

「巻き込んでしまってごめんなさい、ちえりさん。」
「私も……酷いこと、言ってごめん。」

交錯する視線。和泉は逡巡の後、背後の校舎に目をやる。あとは、彼だけだ。
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