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第九章 火光待宵~かぎろいまつよい~
第八十四話
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「あんときもえらい火事だったよなァ。また燃やすのかよ。」
燃え盛る青白い炎。銀狐、凛の放つ灼熱の炎。わずかに青白いだけでほとんど透明に近いそれは、そこに炎の形がはっきりと捉えられずとも、燃えている。当たればただではすまないが、依織はそれを的確に察知し、器用に避けていく。
陸はテンの姿のまま、振り落とされないようしっかりと凛にしがみつく。その長い毛の下に忍ばせた、金属質の二つの獲物があるかを依織に勘づかれないように触れる。テンの長い毛に覆われ、身につけている陸と、その身体が触れる凛以外は分からない。
「あの時って、どの話?
長く生きてるとね、心当たりがありすぎるのだけど。」
蒼炎を吐き散らしながら、凛の声が低く轟く。九つの尾は、火を出しながら、不規則に動いて依織を叩き潰さんと勢いをつける。
「俺が直接見たのはァ、百年前くらいのやつ。
江戸、じゃねえや東京なんだっけ?なんかでっかい地震のあとにあったろ。とんでもねェ火事が。」
凛は何も言わない。しかしその雰囲気が僅かに張り詰めたのを陸は気づいている。知ってか知らずか、依織は続ける。
「ほんっと、容赦なかったよなァ。
アンタが何にあんなキレてたのか俺はわかんねェけどさ。
今はかつてさんざん燃やした人間どもの味方ってか。もうあの頃の人間は誰もいないから、それでいいのか!」
からからと笑う依織に対し、陸はその言葉を反芻する。
「100年前、地震の後の、火事……?」
凛がこれまで殺めた人の数は詳しくは聞いていない。聞けばきっと揺らぐから、あえて聞かずにいた。自分と同じように、斎王を守るべく動いた人間を殺めたものと勝手に想像していたが、依織の口ぶりでその想定を上回る想像をしてしまう。
100年前…時代でいえば大正、その時期東京の、地震といえば。
思い当たる出来事など一つしかない。
10万人を超す犠牲者を出した文字通り未曾有の大災害。地震そのものの被害はもとより、死者の9割が火災で亡くなっている。
放置されていた家財道具が燃えて火災旋風が巻き起こったせいとされているが、未だに明確な原因の分かっていない大火。その、原因が。
今更ながら手が、震えた。
自分を乗せたこの美しい獣が、途方もない人間を死に追いやってきた事実を目の当たりにする。凶悪という言葉すら、生温いのかもしれない。当時の人たちからすれば、災厄そのものだ。一気に陸の血の気が引く。分かっていて、依織は煽ってきたことを確信する。人だったから、人が嫌がることを分かっている。
「とんでもないことしてんじゃん、あまりに討伐対象すぎるね、凛。」
陸が軽く言うはずだった言葉は、僅かに上擦っている。
「だったら、今…やる?
三つ巴になっても私は構わないけれど。」
二匹の獣のやりとりを見て、依織は不敵に笑う。そして笑ったのは、陸もだった。
「だったら何だってのさ。」
「……!」
「こんなだけどこれでも僕まだハタチにもなってないからさ。急に歴史の授業されても眠くなるだけなんだよね。ホントかどうかもわっかんないし?」
依織の顔が一気に温度をなくしていく。反対に、陸の心は決まる。なんだ、自分が思っていたよりも腹は決まっていたのだ。
「どっちにしたってお前を焼き鳥にするのが先。」
世羅と凜がこれまでどれだけの屍の上に立っているのか、それぐらいわかっている。わかったうえで、決めたことだった。今更、引っ搔き回されたくらいで、揺れはしない。
かつて、自分を殺めた妖の背に乗って笑う。当然、煽りをけしかけた依織としては、面白くない。
「ガキが。今度こそ、守れるといいな?」
「そうだね、僕もそう思うよ。」
「ある意味で、似たような立場のよしみだ、せめて、ひと思いにやってやるよ…ッ!」
怒号と共に、重たい金属音が鳴る。依織の背の大きな獲物二振りが、その鉛色を光らせた。抜刀しただけで、強烈な風圧が襲い来る。
「同じ?僕、蜘蛛の手下経験に心当たりないんですけど。」
「そっちじゃねェわ馬鹿が。斎王を守りたいんだろって話。」
「……」
「どーでもよくねェかそんなの。
俺だって父さんも兄さんもそりゃあ忠義もんだったよ、悪いことは悪い。良いことを積み重ねて生きていけ。竹を割ったみたいなまっすぐな奴ら。
で。それがなんだ?勘違いで殺されたってのに、殺した連中は国賊扱い。じゃどうすりゃよかったんだよ。」
勢いをつけた依織が、大きな凛の身体に切り掛る。火の合間を縫って繰り出される斬撃は致命傷になるものではないが、そう何度も傷をつけられて放っておけるほど、凛の身体は安くない。
「人なんて、そんなものよ。」
凛の九つの尾が、一気にまとまり、発光する。その銀の体躯が宙へと飛び上がると、瞬く間に巨大な火柱が乱立する。浮遊し、周囲を焼く狐火とは別の、天すらも焦がしそうな猛烈な火柱。
「どっちにだって譲れないモンがあるのはわかってる、当事者はまだいいよ。
そのほかだろ、癌は。強いほうに味方して、見えないところから石を投げて悦に浸る。時代が変わってやり方が変わっただけ。
…いるか?こんな国。」
凛の背に乗る陸の方まで及ぶ火の粉に、少し怯みながらも陸は依織を注視する。
「そうしていかないと守っていけなかった、弱いから、みんな。
いろんな災いを乗り越えるために、一つにまとまらないといけなかった国なんだよ。でも、悪い面もそりゃある、だって完璧じゃないんだもん僕らは。
だからそれをしょうがないね、で済まさないために、僕らは考え続けなきゃいけない。壊すんじゃなくて、考えるんだよ。僕ら人間なんだからさ。」
壊す方が楽だ。でもそれで終わり。何も変わらない。同じなのは、陸とて同じだった。
「人間だァ!?そんな姿になってまで、お前まだ自分が人間だって言ってられんのか、頭沸いてんな?」
「そうだよ、だって落っこちても変わらずに接してくれるバカな友達が2人もいたんだ。それで充分。
いまそのうちの1人がなんかおかしなことになってるからさ、それを何とかしたいわけ。君にかまけてる暇ないんだよね。」
依織が、双刀を手に迫る。スピードと遠心力が乗ったそれに掠ればただでは済まないのがわかる。陸一人じゃ当然捕らえきれない。しかし凜は、的確に最小限の動き、大きさに見合わない速度で、依織の攻撃を躱し続ける。
「あと君、一つ勘違いしてるようだから言っておくけど、僕、別に世のため人のため~とかってこんなことしてるんじゃないんだよ。」
人間の姿の時は、そんな大それた夢を見たこともあった。自分は力が使える。この力を使って、困っている人を助けるんだと。
斎王の役目を知って、それに自分が選ばれて高揚した。陽にも、悠河にも知らされない陸だけの役目。
けれどそれは、自分に果たせなくて。気づけば、都合よく使われていただけ。ただ大事なものが壊れていく未来を想起させ、本当に守りたいものが何なのか分からなくなって。結果、踏み外した。
身に余る理想なんて抱くものじゃない。陸は、人ひとりががやれることの限界をとうに知っている。
「僕がやりたいからやってんだよね。
友達が僕にしてくれたように。……君には分かんないかもしれないけど。」
いつも、前に陽の背中がある。後ろで転んで、道を違えたはずなのに戻してくれた。なら、前を行く方が間違えたらそれを教え指し示すのは後ろの役目。
「烏…あれ、鴉?なんだっけ。どっちでもいいか。妖でも効くのか半信半疑なんだけど。」
凛が、炎の勢いを弱める。陸の出す行が、燃えてしまわないように。その一瞬は、陸への合図だった。
「木の行 木網、粘種」
いつだって陽の技の真似でしかない、と陸は腐りそうになり、気づく。悠河も同じ気持ちだったのだろうと。
網目のように伸びきる植物たちが、依織をまるで網で捉えるように迫る。当然、依織はその翼や、双刀でもって容易く断ち切っていく。だがその速度は、見る見るうちに落ちていった。
「…っ!なんだ、コレ」
「センダングサとか、オナモミって知ってる?
よく草っぱらとかで遊んでると洋服にひっついてくるアレ。ちょっとそれを強化してみた感じなんだけど。攻撃力があるやつは霊力食うからね。でも、お前の動きが止まるなら充分。」
「動きを、止めたところで…てめェみたいな雑魚にやられるかよ。」
大きな翼で風を起こして、振り払う。けれどそれでいい、一瞬、動きが止めたかったのだから。
陸は、自身のテン身体…長い毛の下に隠していた、光る2つの小さな金属をその獣の手に持った。
***
―――陸は、依織のことを、任務の合間にとにかく調べた。斎王を守護していた者たちのことも。秘匿情報であったが、この際そんなことを言って情報を隠している場合ではない。白斗も玄蕃も同意の下、機密文書を探ればすぐに、依織のことは出てきた。
凛の証言通り、父と兄の死後、あとを継いだ弟…上壱依織は、幕末の動乱に行方知れずになっている。しかし、妹は、生存して子孫が残っていた。関東郊外に住んでいるその子孫は、すでに高齢の女性であったが、小さな金物屋を営んでいた。
会いに行けたのは、昨日。さすがに陰陽師です、と名乗る訳にもいかないかと、建前上宮内庁の職員であることを名乗ると、その女性…上壱誌津惠は、柔らかく微笑んで陸を招き入れた。
漏刻部の協力で、今日一日は持つ人の体で来ている。
古いが大きい一軒家の居間より奥の小さな部屋に通された。そこで老齢の男性が、包丁を研いでいる。仕事中のようだが、構わず通されたその部屋で陸はただ黙って男性の手元を見ていると、誌津恵が檜の箱を持ってやってきた。
大きさでいえはA4ないくらいのサイズの、年季の入った箱。汚くはなく丁重に扱われていることがわかる。
寿子とはまた違う雰囲気だが、その顔に深く刻まれた皺と、瞳に宿る眼光は老いを感じさせるどころか妙な威圧感を放つ。それでいて、依織たちを敵意する様子はない。一方、包丁を研ぐ男性は陸の方を全く見もせずただ一心に包丁を研いでいる。
檜の箱に収められていたのは、先の尖った細長い何かが2つ。
「小刀…とも違、いますよね、これは…?」
「刀の装身具だ。」
それに手を伸ばそうとした陸を咎めるような、男性のしわがれた低い声はぶっきらぼうだった。思わず手を引っ込みかけて、誌津惠が申し訳なさそうに困った笑顔を浮かべる。
「上が笄、下は小柄ですね。お若い方ですと、やはり見たことは無いでしょうか。」
「そう、ですね。なにせ真剣も、見る機会はあまりないですから。」
「帝より賜った密命に殉じた方がおりましてね。その方の日本刀の装身具と、聞いております。」
「それは…」
「お前さんは、ひとか?」
砂にまみれた手を拭い、男性が陸の方へ向いた。研ぎ終わった包丁はとうに男性の手を離れ、彼はもう丸腰なのに、陸はまるで、居合の達人に睨まれたように、背筋が伸びる。
「…あなたがたを、害する意図はございません。」
人ですとは、言えなかった。
「上壱依織。
ばあさんの母親の…兄のものだ。
京を出る時、置いていったらしい。刀自体がありゃよかったんだがなァ…もう無い。廃刀令だったか、戦後のアメリカだかにぶん取られたんだろうさ。これだけが、どうにか残せたモンだ。悪いが目貫も見当たらん。」
「目貫…?」
「目貫、笄、小柄、この3つで三所物。日本刀の外装具をまとめてこう言うんだ。ちっとは勉強しておきな。」
ぶっきらぼうだが、怒ってはいない。陸は、一つ欠けた三所物をその手に取った。
―――
*****
依織の子孫から託された、この2つの笄と小柄。これで、依織を斃す。その決意に呼応するように、2つが金属音を鳴らした。
「本当に何もかも壊したいなら、未練がないなら、なんで父と兄の刀、使ってるのかな。」
黒蝋色漆の拵え、上等な仕上がりであるが、ありふれた装飾ではある。けれど実際に笄と小柄を見た陸は思うのだ。間違いなく、これらは連なる刀であると。
依織が使っていたものはもう無い、と言っていたが、おそらく依織は家を出る際に刀ごと置いていった。
自分の刀を置き、持って行った刀は、父か兄のもの。もしくは両方。
長い時の中で、歪められ肥大した憎悪で悪意の凶器と化していても、その装飾に同じものを見た。
父と兄の名を出され、依織の眼球に力が入る。触れられたくないところに、無許可で入られたような嫌悪を露わにする。
「…ッ!」
「守りたかっただけなんでしょ、君も。でも守れなくて、どうしようもなくて、それで壊すことを選んだ。
けど、壊させないよ。僕らも守りたいものがあるから。」
陸の粘種により明らかに速度の落ちた依織に、更に畳み掛ける。
「木の行 五時葵」
花弁が舞った。花の成分か、蜜なのか、液体状のなにかも依織にかかる。けれどそれら自体は攻撃手段というにはあまりにお粗末なものだった。
「今更そんなチンケな術で俺が止まるとおもってんのか!?」
「さっきお前が教えてくれたじゃん、火力なら断然こっちを使うでしょ。」
蒼炎が一気に立ち昇る。今までの比ではない。あの花を巻き込んでその勢いは苛烈に依織を燃やす。
ゴジアオイ、可燃性の高い分泌液を出して、自身の身体もろとも周囲を焼き尽くす花。それを陸は自身の行に昇華させていた。凛や世羅との相性がいいのは、言うまでもない。
そして、水の膜を纏った陸を、凛は炎の中にいる依織目がけて投げ込む。そして、到達した陸はその小さな体を翻し、身動きの取れない依織の目に深々と笄、首に小柄を突き刺した。
燃え上がる火玉の中、鮮血が空を舞う。
ぼたぼたと血を長さながら、依織が声を荒らげて、睨む。
「ふ、ざけんな…!こんな、これくらいで死ぬ身体じゃねえんだよ!!」
「それもただのお前の動きを鈍らせるためのもの。それでは殺さないよ。
「掛けまくも 畏き ククノチ
諸々の禍事・罪・穢有らば
祓え給え清め給えと白すことを聞こし食せと
恐み恐み 白す」」
祓詞が、翠の光に変わる。その光の奔流が、笄と小柄に向かって、蒼炎の合間を縫って、依織の身体を貫いた。
「僕は陰陽師だからね。この体がどうとかなんだっていい。妖怪退治は、僕の本分だ。」
和泉が、まだ陰陽師で居させてくれたのだ。この数ヶ月、一度も笑顔を見せることはなくなった。空虚な貼り付けただけの笑顔はある、でも心からの笑顔はない。理由はわかっている。
陽が、いないから。自分じゃダメなのだ。だから絶対に取り戻す。こんなところで足止めを食うわけにいかない。
ガキン、と大きな音を立てて依織の持つ双刀もまたぼろぼろと崩れていく。何か妙な振動を感じで凛は辺りを警戒するも、何も起きなかった。
凜が変化を解いて降り立った。
「平気?」
「ああ、うん、予定通りだよ。」
凛が人の姿に戻ると、その白い肌に切り傷が目立つ。陸もまた、獣の毛があちこち血に染まっていた。されど軽傷。二人は鎮守の森方面へ駆けた。
燃え盛る青白い炎。銀狐、凛の放つ灼熱の炎。わずかに青白いだけでほとんど透明に近いそれは、そこに炎の形がはっきりと捉えられずとも、燃えている。当たればただではすまないが、依織はそれを的確に察知し、器用に避けていく。
陸はテンの姿のまま、振り落とされないようしっかりと凛にしがみつく。その長い毛の下に忍ばせた、金属質の二つの獲物があるかを依織に勘づかれないように触れる。テンの長い毛に覆われ、身につけている陸と、その身体が触れる凛以外は分からない。
「あの時って、どの話?
長く生きてるとね、心当たりがありすぎるのだけど。」
蒼炎を吐き散らしながら、凛の声が低く轟く。九つの尾は、火を出しながら、不規則に動いて依織を叩き潰さんと勢いをつける。
「俺が直接見たのはァ、百年前くらいのやつ。
江戸、じゃねえや東京なんだっけ?なんかでっかい地震のあとにあったろ。とんでもねェ火事が。」
凛は何も言わない。しかしその雰囲気が僅かに張り詰めたのを陸は気づいている。知ってか知らずか、依織は続ける。
「ほんっと、容赦なかったよなァ。
アンタが何にあんなキレてたのか俺はわかんねェけどさ。
今はかつてさんざん燃やした人間どもの味方ってか。もうあの頃の人間は誰もいないから、それでいいのか!」
からからと笑う依織に対し、陸はその言葉を反芻する。
「100年前、地震の後の、火事……?」
凛がこれまで殺めた人の数は詳しくは聞いていない。聞けばきっと揺らぐから、あえて聞かずにいた。自分と同じように、斎王を守るべく動いた人間を殺めたものと勝手に想像していたが、依織の口ぶりでその想定を上回る想像をしてしまう。
100年前…時代でいえば大正、その時期東京の、地震といえば。
思い当たる出来事など一つしかない。
10万人を超す犠牲者を出した文字通り未曾有の大災害。地震そのものの被害はもとより、死者の9割が火災で亡くなっている。
放置されていた家財道具が燃えて火災旋風が巻き起こったせいとされているが、未だに明確な原因の分かっていない大火。その、原因が。
今更ながら手が、震えた。
自分を乗せたこの美しい獣が、途方もない人間を死に追いやってきた事実を目の当たりにする。凶悪という言葉すら、生温いのかもしれない。当時の人たちからすれば、災厄そのものだ。一気に陸の血の気が引く。分かっていて、依織は煽ってきたことを確信する。人だったから、人が嫌がることを分かっている。
「とんでもないことしてんじゃん、あまりに討伐対象すぎるね、凛。」
陸が軽く言うはずだった言葉は、僅かに上擦っている。
「だったら、今…やる?
三つ巴になっても私は構わないけれど。」
二匹の獣のやりとりを見て、依織は不敵に笑う。そして笑ったのは、陸もだった。
「だったら何だってのさ。」
「……!」
「こんなだけどこれでも僕まだハタチにもなってないからさ。急に歴史の授業されても眠くなるだけなんだよね。ホントかどうかもわっかんないし?」
依織の顔が一気に温度をなくしていく。反対に、陸の心は決まる。なんだ、自分が思っていたよりも腹は決まっていたのだ。
「どっちにしたってお前を焼き鳥にするのが先。」
世羅と凜がこれまでどれだけの屍の上に立っているのか、それぐらいわかっている。わかったうえで、決めたことだった。今更、引っ搔き回されたくらいで、揺れはしない。
かつて、自分を殺めた妖の背に乗って笑う。当然、煽りをけしかけた依織としては、面白くない。
「ガキが。今度こそ、守れるといいな?」
「そうだね、僕もそう思うよ。」
「ある意味で、似たような立場のよしみだ、せめて、ひと思いにやってやるよ…ッ!」
怒号と共に、重たい金属音が鳴る。依織の背の大きな獲物二振りが、その鉛色を光らせた。抜刀しただけで、強烈な風圧が襲い来る。
「同じ?僕、蜘蛛の手下経験に心当たりないんですけど。」
「そっちじゃねェわ馬鹿が。斎王を守りたいんだろって話。」
「……」
「どーでもよくねェかそんなの。
俺だって父さんも兄さんもそりゃあ忠義もんだったよ、悪いことは悪い。良いことを積み重ねて生きていけ。竹を割ったみたいなまっすぐな奴ら。
で。それがなんだ?勘違いで殺されたってのに、殺した連中は国賊扱い。じゃどうすりゃよかったんだよ。」
勢いをつけた依織が、大きな凛の身体に切り掛る。火の合間を縫って繰り出される斬撃は致命傷になるものではないが、そう何度も傷をつけられて放っておけるほど、凛の身体は安くない。
「人なんて、そんなものよ。」
凛の九つの尾が、一気にまとまり、発光する。その銀の体躯が宙へと飛び上がると、瞬く間に巨大な火柱が乱立する。浮遊し、周囲を焼く狐火とは別の、天すらも焦がしそうな猛烈な火柱。
「どっちにだって譲れないモンがあるのはわかってる、当事者はまだいいよ。
そのほかだろ、癌は。強いほうに味方して、見えないところから石を投げて悦に浸る。時代が変わってやり方が変わっただけ。
…いるか?こんな国。」
凛の背に乗る陸の方まで及ぶ火の粉に、少し怯みながらも陸は依織を注視する。
「そうしていかないと守っていけなかった、弱いから、みんな。
いろんな災いを乗り越えるために、一つにまとまらないといけなかった国なんだよ。でも、悪い面もそりゃある、だって完璧じゃないんだもん僕らは。
だからそれをしょうがないね、で済まさないために、僕らは考え続けなきゃいけない。壊すんじゃなくて、考えるんだよ。僕ら人間なんだからさ。」
壊す方が楽だ。でもそれで終わり。何も変わらない。同じなのは、陸とて同じだった。
「人間だァ!?そんな姿になってまで、お前まだ自分が人間だって言ってられんのか、頭沸いてんな?」
「そうだよ、だって落っこちても変わらずに接してくれるバカな友達が2人もいたんだ。それで充分。
いまそのうちの1人がなんかおかしなことになってるからさ、それを何とかしたいわけ。君にかまけてる暇ないんだよね。」
依織が、双刀を手に迫る。スピードと遠心力が乗ったそれに掠ればただでは済まないのがわかる。陸一人じゃ当然捕らえきれない。しかし凜は、的確に最小限の動き、大きさに見合わない速度で、依織の攻撃を躱し続ける。
「あと君、一つ勘違いしてるようだから言っておくけど、僕、別に世のため人のため~とかってこんなことしてるんじゃないんだよ。」
人間の姿の時は、そんな大それた夢を見たこともあった。自分は力が使える。この力を使って、困っている人を助けるんだと。
斎王の役目を知って、それに自分が選ばれて高揚した。陽にも、悠河にも知らされない陸だけの役目。
けれどそれは、自分に果たせなくて。気づけば、都合よく使われていただけ。ただ大事なものが壊れていく未来を想起させ、本当に守りたいものが何なのか分からなくなって。結果、踏み外した。
身に余る理想なんて抱くものじゃない。陸は、人ひとりががやれることの限界をとうに知っている。
「僕がやりたいからやってんだよね。
友達が僕にしてくれたように。……君には分かんないかもしれないけど。」
いつも、前に陽の背中がある。後ろで転んで、道を違えたはずなのに戻してくれた。なら、前を行く方が間違えたらそれを教え指し示すのは後ろの役目。
「烏…あれ、鴉?なんだっけ。どっちでもいいか。妖でも効くのか半信半疑なんだけど。」
凛が、炎の勢いを弱める。陸の出す行が、燃えてしまわないように。その一瞬は、陸への合図だった。
「木の行 木網、粘種」
いつだって陽の技の真似でしかない、と陸は腐りそうになり、気づく。悠河も同じ気持ちだったのだろうと。
網目のように伸びきる植物たちが、依織をまるで網で捉えるように迫る。当然、依織はその翼や、双刀でもって容易く断ち切っていく。だがその速度は、見る見るうちに落ちていった。
「…っ!なんだ、コレ」
「センダングサとか、オナモミって知ってる?
よく草っぱらとかで遊んでると洋服にひっついてくるアレ。ちょっとそれを強化してみた感じなんだけど。攻撃力があるやつは霊力食うからね。でも、お前の動きが止まるなら充分。」
「動きを、止めたところで…てめェみたいな雑魚にやられるかよ。」
大きな翼で風を起こして、振り払う。けれどそれでいい、一瞬、動きが止めたかったのだから。
陸は、自身のテン身体…長い毛の下に隠していた、光る2つの小さな金属をその獣の手に持った。
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―――陸は、依織のことを、任務の合間にとにかく調べた。斎王を守護していた者たちのことも。秘匿情報であったが、この際そんなことを言って情報を隠している場合ではない。白斗も玄蕃も同意の下、機密文書を探ればすぐに、依織のことは出てきた。
凛の証言通り、父と兄の死後、あとを継いだ弟…上壱依織は、幕末の動乱に行方知れずになっている。しかし、妹は、生存して子孫が残っていた。関東郊外に住んでいるその子孫は、すでに高齢の女性であったが、小さな金物屋を営んでいた。
会いに行けたのは、昨日。さすがに陰陽師です、と名乗る訳にもいかないかと、建前上宮内庁の職員であることを名乗ると、その女性…上壱誌津惠は、柔らかく微笑んで陸を招き入れた。
漏刻部の協力で、今日一日は持つ人の体で来ている。
古いが大きい一軒家の居間より奥の小さな部屋に通された。そこで老齢の男性が、包丁を研いでいる。仕事中のようだが、構わず通されたその部屋で陸はただ黙って男性の手元を見ていると、誌津恵が檜の箱を持ってやってきた。
大きさでいえはA4ないくらいのサイズの、年季の入った箱。汚くはなく丁重に扱われていることがわかる。
寿子とはまた違う雰囲気だが、その顔に深く刻まれた皺と、瞳に宿る眼光は老いを感じさせるどころか妙な威圧感を放つ。それでいて、依織たちを敵意する様子はない。一方、包丁を研ぐ男性は陸の方を全く見もせずただ一心に包丁を研いでいる。
檜の箱に収められていたのは、先の尖った細長い何かが2つ。
「小刀…とも違、いますよね、これは…?」
「刀の装身具だ。」
それに手を伸ばそうとした陸を咎めるような、男性のしわがれた低い声はぶっきらぼうだった。思わず手を引っ込みかけて、誌津惠が申し訳なさそうに困った笑顔を浮かべる。
「上が笄、下は小柄ですね。お若い方ですと、やはり見たことは無いでしょうか。」
「そう、ですね。なにせ真剣も、見る機会はあまりないですから。」
「帝より賜った密命に殉じた方がおりましてね。その方の日本刀の装身具と、聞いております。」
「それは…」
「お前さんは、ひとか?」
砂にまみれた手を拭い、男性が陸の方へ向いた。研ぎ終わった包丁はとうに男性の手を離れ、彼はもう丸腰なのに、陸はまるで、居合の達人に睨まれたように、背筋が伸びる。
「…あなたがたを、害する意図はございません。」
人ですとは、言えなかった。
「上壱依織。
ばあさんの母親の…兄のものだ。
京を出る時、置いていったらしい。刀自体がありゃよかったんだがなァ…もう無い。廃刀令だったか、戦後のアメリカだかにぶん取られたんだろうさ。これだけが、どうにか残せたモンだ。悪いが目貫も見当たらん。」
「目貫…?」
「目貫、笄、小柄、この3つで三所物。日本刀の外装具をまとめてこう言うんだ。ちっとは勉強しておきな。」
ぶっきらぼうだが、怒ってはいない。陸は、一つ欠けた三所物をその手に取った。
―――
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依織の子孫から託された、この2つの笄と小柄。これで、依織を斃す。その決意に呼応するように、2つが金属音を鳴らした。
「本当に何もかも壊したいなら、未練がないなら、なんで父と兄の刀、使ってるのかな。」
黒蝋色漆の拵え、上等な仕上がりであるが、ありふれた装飾ではある。けれど実際に笄と小柄を見た陸は思うのだ。間違いなく、これらは連なる刀であると。
依織が使っていたものはもう無い、と言っていたが、おそらく依織は家を出る際に刀ごと置いていった。
自分の刀を置き、持って行った刀は、父か兄のもの。もしくは両方。
長い時の中で、歪められ肥大した憎悪で悪意の凶器と化していても、その装飾に同じものを見た。
父と兄の名を出され、依織の眼球に力が入る。触れられたくないところに、無許可で入られたような嫌悪を露わにする。
「…ッ!」
「守りたかっただけなんでしょ、君も。でも守れなくて、どうしようもなくて、それで壊すことを選んだ。
けど、壊させないよ。僕らも守りたいものがあるから。」
陸の粘種により明らかに速度の落ちた依織に、更に畳み掛ける。
「木の行 五時葵」
花弁が舞った。花の成分か、蜜なのか、液体状のなにかも依織にかかる。けれどそれら自体は攻撃手段というにはあまりにお粗末なものだった。
「今更そんなチンケな術で俺が止まるとおもってんのか!?」
「さっきお前が教えてくれたじゃん、火力なら断然こっちを使うでしょ。」
蒼炎が一気に立ち昇る。今までの比ではない。あの花を巻き込んでその勢いは苛烈に依織を燃やす。
ゴジアオイ、可燃性の高い分泌液を出して、自身の身体もろとも周囲を焼き尽くす花。それを陸は自身の行に昇華させていた。凛や世羅との相性がいいのは、言うまでもない。
そして、水の膜を纏った陸を、凛は炎の中にいる依織目がけて投げ込む。そして、到達した陸はその小さな体を翻し、身動きの取れない依織の目に深々と笄、首に小柄を突き刺した。
燃え上がる火玉の中、鮮血が空を舞う。
ぼたぼたと血を長さながら、依織が声を荒らげて、睨む。
「ふ、ざけんな…!こんな、これくらいで死ぬ身体じゃねえんだよ!!」
「それもただのお前の動きを鈍らせるためのもの。それでは殺さないよ。
「掛けまくも 畏き ククノチ
諸々の禍事・罪・穢有らば
祓え給え清め給えと白すことを聞こし食せと
恐み恐み 白す」」
祓詞が、翠の光に変わる。その光の奔流が、笄と小柄に向かって、蒼炎の合間を縫って、依織の身体を貫いた。
「僕は陰陽師だからね。この体がどうとかなんだっていい。妖怪退治は、僕の本分だ。」
和泉が、まだ陰陽師で居させてくれたのだ。この数ヶ月、一度も笑顔を見せることはなくなった。空虚な貼り付けただけの笑顔はある、でも心からの笑顔はない。理由はわかっている。
陽が、いないから。自分じゃダメなのだ。だから絶対に取り戻す。こんなところで足止めを食うわけにいかない。
ガキン、と大きな音を立てて依織の持つ双刀もまたぼろぼろと崩れていく。何か妙な振動を感じで凛は辺りを警戒するも、何も起きなかった。
凜が変化を解いて降り立った。
「平気?」
「ああ、うん、予定通りだよ。」
凛が人の姿に戻ると、その白い肌に切り傷が目立つ。陸もまた、獣の毛があちこち血に染まっていた。されど軽傷。二人は鎮守の森方面へ駆けた。
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