【完結】マーガレット・アン・バルクレーの涙

高城蓉理

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神は僕を取り巻く環境を複雑にした

神は高山で僕にその名を耳にさせた 後編

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僕らは外に出ると、中橋の辺りまで再び歩いていた。
実はさっき、中橋では散々みんなで写真を撮ったのだけど、また同じ場所に戻ってくるなんてアルバートは何を考えているのだろうか?
久し振りにエアコンの冷気を浴びたのも束の間、やはり外に一歩踏み出せば、途端に汗が吹き出してくる。
でもアルバートは暑さを感じないのか、涼しげな表情のままスタスタと歩いていた。どうしても、カフェの側から離れたいらしい。

「(今日はありがとう。U.K.イギリスに帰る前に、いい思い出になったよ )」

「(それなら、良かったです…… )」

この中橋は、地元民である僕たちは、毎日のようにお天気中継で目にする、とても親しみのある場所だ。全国的には春の高山祭(山王祭)で、屋台が橋を通る写真でよく知られている。橋の全体は朱色で塗られ、擬宝珠や欄干を備えた、きらびやかな作りが特徴だ。春には川沿いに桜が咲き乱れ、夏は新緑が眩しい。秋には紅葉、冬には雪景色と四季折々の美しい景色を楽しむことが出来る映えスポットだ。
アルバートは橋の真ん中辺りで足を止めると、赤く塗られた手摺に腕を掛ける。そして僕の目を見て、こう呟いた。

「(コーセー 君には一つ、謝りたいことがある )」

「(えっ? )」

「(急に押し掛けてしまって、君たちには迷惑を掛けてしまった。申し訳なかったよ。それなのに、親切にしてもらって、本当に嬉しかった )」

「(いえ…… その…… どういたしまして )」

アルバートの発言は唐突だった。
僕は本音か建前か、良くわからない謝意を受けとるが、その真意はよく見えてはこない。

「(君を無理矢理連れ出したのは、どうしても見せたい物があったからなんだ )」

「(……? )」

アルバートはそう言うと、リュックサックの中から封筒を取り出す。そしてその中にしまわれていた、一通の葉書を僕に見せた。

「(これって……? )」

「(俺の恩師に届いた、マイからのエアメール。カラーコピーをして持ってきたんだ )」

アルバートはそう言うと、僕にその紙を手渡す。その絵葉書は、ちょうど【いでゆ大橋】から飛騨川を覗いたような構図になっていた。

「(住所が書いてなかったから、ここが何処なのか探すのには苦労したよ。イングランドでは下呂は知る人ぞ知るって街だから )」

「(麻愛は…… 日本の何処にいくか、アルに教えなかったんですか? )」

「(どこに行くか教えるどころか…… マイはある日突然日本に行くと言い残して、いきなりいなくなったんだ )」

「(えっ? )」

「(仲間も誰も行き先は知らないし、どのくらいイングランドを離れるかもわからない。U.K.イギリスに帰ってくるかすら、昨日まで知らなかったよ。メールをしても音沙汰なしだし、たった一つの手がかりは、先月俺らの恩師に送られてきた、この葉書だけだったんだ )」

「(…… )」

僕は、彼女がイギリスの知人たちに何も告げずに日本に来ていたことに、驚き以外の感想が浮かばなかった。

「(絵葉書の川の光景が綺麗で特徴的だったから、時間を見つけてはグーグルマップ見たり、観光ガイドを眺めたりして、地道に探し続けた。日本は河川が沢山あるから、本当に骨が折れたよ。それでも何とか下呂に目星をつけて、今回は無理矢理日本にやってきたんだ。君には迷惑をかけて悪かったよ )」

「(いや、僕は別に迷惑とか…… )」

「(正直、マイを見つけたら、大学に連れ戻そうと思ったんだ)」

「(えっ? )」

「(就労許可が下りなくても、大学で勉強を続けることは出来る。それなのに、マイは俺たち仲間には何も言わずに、いきなりいなくなったんだ。俺たちは、マイのことを同級生だと思っていた。だから実はマイの方は、俺らのことをそうは思ってなかったんじゃないかと考えたら、それが結構ショックだったんだ。だからどうしても、俺は真相を確かめたかったんだ。俺たちと彼女は年齢も十歳近く違うし、前例がなくて、マイはすぐには医者になれなかった。同じ実力、いやそれ以上の能力を持っているのに、同級生の俺らが先に医師として働くのを目の当たりにするのは、本人としては割りきれなかったのかもしれないな  )」

僕はこのとき、自分の勘違いが恥ずかしくなっていた。
彼女は成熟した頭脳を持っているのに、年齢という障害がいつも彼女の道を塞いでいる。それは規則や前例という、根拠の乏しい理論で縛られているから、彼女がどんなに優秀で力があろうとも、全てを突破することは不可能だ。
だけど、それに苦しんでいるのは彼女だけではない。彼女を支えたり、共に過ごしてきた仲間たちも、その越えられないハードルに悔しさを抱いている。僕はそう思った。

「(マイに初めてあったとき、彼女はまだ九歳だか十歳で、本当に見た目はただの子どもだった )」

「(はあ…… )」

「(世間から変態とかロリコンと罵られても、言い返せる言葉はないんだけどね。マイは物静かだけど、いつも凛とた空気を纏っていて真面目だった。少女であることを忘れてしまうくらいに、知性に溢れ聡明だった。次第に惹かれていくのは、時間の問題だったよ )」

もし僕の目の前に、十も年齢の離れた彼女が現れたとして。肉体年齢は伴わなくとも、その頭脳が卓越していて、精神が成熟していたら……
僕だって、彼女を視野から外すことは困難に違いない。確かに犯罪は成立してしまうれど、その気持ち自体をなかったことにするのは、容易なことではないはずだ。

「(だから、昨日 温泉旅館で働いているマイを見て、とても驚いたんだ。彼女はいつもピシッとして、さらりと何でもやりこなす。涼しい顔を、崩したことなんてなかったんだ。それなのに、ここで会ったマイは、一生懸命な表情を浮かべて仕事をしていた。そんな一面は初めて見たし、俺の知ってる彼女とは印象が前々違っていたんだ。彼女は努力をしなくても、何でも出来てしまう天才だと思ってたけど、あんな一面もあるんだなと知ったら、さらに愛しくなった )」

「(……あの、僕に何が言いたいんですか? )」

僕はアルバートの言わんとしていることが殆どわかっていたのに、敢えてその解をしらばっくれていた。
抵抗をしたって、無駄なことはわかっている。
アルバートは宣戦布告するために、わざわざ僕を炎天下に連れ出したのだ。

「(言っておくけど、俺は君にマイを譲るつもりはないよ )」

「(…… )」

「(あと一年もすれば、マイはイングランドに帰ってくる。そしたら圧倒的に俺が有利だし、十八歳を越えれば犯罪にも問われない。合法的な交際が出来る。今まで散々待ったんだ。今更、一年くらい造作もない )」

「(…… )」

僕はアルバートの内々からみなぎる自信に、少し圧倒されていた。僕も彼くらい色んなものを身につけていれば、少しは張り合おうとも思えたかもしれない。けれどもどちらにせよ、僕はその戦いには参戦したくない理由があったのだ。

「(異論はないのか? )」

「(ないです )」

「(俺がアプローチできる来年までに落とせば、彼女は君のものなんだぞ? )」

「(僕も、彼女のことは好きです。だからこそ、僕は彼女には何も言いません )」

「(……君、見かけ通りの、とんだチキン野郎だな )」

「(臆病者なことは否定しません。でも、だから言わないんじゃありませんよ )」

「(……何だって? )」

「(彼女は年相応の普通の日常、学生生活を送るために、ここまで来たんです。そして、今の僕は彼女に取っては、家族のようなポジションです。年相応の穏やかな時間を過ごして、普通に学校に通う。それが必要だったんです。彼女は天才だから、お医者さんになったら引く手あまたでしょうし、限界ギリギリまで頑張ろうともするでしょう。僕なんかとは、立場が違い過ぎますから。だからこそ麻愛にとっては、今だけは最初で最後の自分のためだけに生きられる、貴重でささやかな自由時間なんです。
家族から特別な情を抱かれていると知れば、麻愛は確実に混乱するでしょう。僕はこの平穏な日常を守りたい。彼女が望んでいるのは、年相応の暮らしをすることです。だから、僕は自分の気持ちだけで行動を起こさないって決めたんです )」

「(そうか…… それは、悪かったな。チキン野郎は撤回するよ )」

「(それは、どうも )」

僕だって、臆病風に身震いして戦いを放棄したわけじゃない。本当は彼女のことを渡したくなんてないけれど、僕はとても無力だ。
それに僕がいま彼女に示すべきなのは、個人的な愛情を伝えることではない。言い訳染みて聞こえるかもしれないけれど、それでもいい。
ただ、唯一僕が彼女にしてあげられること。
それは、この下呂で平穏な暮らしのなかにある小さな幸せを見せてあげることだけなのだ。

「(コウセイ )」

「(何ですか? )」

「(一つだけ、頼みがある )」

「(……? )」

「(彼女を、マーガレット・アン・バルクレー先生のようにはしないで欲しい )」

「(はい? )」

「(ああ、そうか。日本では、そちらの名前は知られてないんだな。ジェームス・バーリー博士といったほうが、わかりやすかったかもな。とにかく、頼むよ )」

「(…… )」

どちらにせよ、わからない。
アルバートは、マーガレット・アン・バルクレーって言ってたか?
それに、ジェームス・バーリー博士も、初めて聞いた名前だ。
一体、その人たちは誰なんだ?



僕はカタカナや数字に弱い。
だから難しい化学式も横文字の羅列も苦手だから、世界史も成績は中の下だ。



マーガレット・アン・バルクレー

僕は後でその名を検索しようと頭に刻み込んだつもりだったのに、家路に着く頃にはマーガレットというファーストネームしか覚えておくことができなかったのだ。



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