【完結】マーガレット・アン・バルクレーの涙

高城蓉理

文字の大きさ
49 / 80
神は僕を取り巻く環境を複雑にした

神は僕に補習を受けさせた 前編

しおりを挟む
■■■■■■



怒濤の二日間が終わった。長い長い濃密な二日間だった。

アルバートから、無事にイギリスに帰国したとの連絡を受けた頃、僕は再び辛酸を舐めていた。
期末テストにおいても、物理は惨敗だったのだ。ということで、終業式が完了しても僕は毎日のように教室にいた。
窓の向こうからは、野球部とかサッカー部の声が聞こえて、さらにその遠巻きでは金管楽器の音が鳴り響いている。だけど僕が今いる空間には、気分が上がるような要素は一個もなかった。

「恒星…… 」

「…… 」

「俺はお前さんに熱力学第一法則を教えるのは、これで五回は越えてるぞ? 」

「……はい 」

「まずな、物体を加熱すると内部エネルギーが増加する。ここまではいいか? 」

「はい 」

「でな、物体に仕事をしても内部エネルギーってのは増加するんだ 」

「はい 」

「だから、物体に与えた熱量をQ [J]、加えた仕事を W [J] とすると、物体の内部エネルギーの増加分 ΔU [J] は、ΔU = Q + Wで計算できる。これが熱力学第一法則で、別名がエネルギー保存の法則のことだ 」

「…… 」

「オイ、お前さん、何で黙ってんだよ? 」

「……わからないからです 」

「ハア!? こんなの、極論公式を当てはめたら解けるんだよ。この際、理屈とか抜きにしてさぁ。とにかく公式を覚えろ、つーか唱えろ 」

「はあ…… 」

僕は村松先生とマンツーマンで、くっそ暑い教室の中で補習を受けていた。
最近は考査、補習、考査、補習のサンドイッチが続いている。とても恥ずかしいのだけれど、結果が振るわないのだから仕方がない。村松先生は椅子に立膝をつきながら、シャツのボタンを何個も開けていて、その間から団扇で風を送り込んでいる。れっきとした大人、かつ学校の先生のだらしない姿は、なかなか見る機会はない。だけど先生の醜態の元凶は僕の赤点なのだから、見て見ぬ振りをするしかないのだ。

「ったく。夏休み早々、補習に付き合ってる俺の身にもなれ。何でお前さんは、こうも理系科目が苦手なんだよ 」

「……僕はちなみに、世界史も苦手ですけど 」

「ったく、屁理屈を捏ねてじゃねーぞ。俺はお前を担任として、進級させなきゃならないの。いいから無駄口を叩いてないで、さっさと問題を解けよ。進路希望は知らんけど、進学したいなら勉強しろ 」

「…… 」

村松先生の口から唐突に進路の話題が出てきて、僕は思わず萎縮した。彼女が来てから、僕はあらゆることに翻弄されている。特にこの数日間は色々なことが起こっていて、僕は自分自身のことに向き合う余裕など全くなかったのだ。

「つーか、恒星。なんで、黙ってんだ? 」

「それは…… 」

「お前は、進路はどうしたいんだよ 」

「……まだ、決めてません 」

「就職か進学かも決めてないのか? 」

「はい。まだ漠然としてるんで 」

「お前なら進学も就職も、どちらでも選べるだろ。物理と数学はともかく、英語と国語は学年トップレベルなんだから 」

「別に、そこまで自慢できるような成績ではないですけど…… 」

「英語の資格を優遇してくれる大学なら、いまの時点でも幾つか押さえられるだろ。けっこういいスコア持ってるみたいだし 」

「……仮に僕が進学できたとして、行けるのは私立の文系です。どちらにせよ下呂は出なきゃならないんで、美濃か金沢か名古屋あたり、もしくは都内の大学になるでしょう。でもうちは姉貴と三年被るし、姉ちゃんが院に進めば全部になるんで。学費と生活費も、ってなると考えます。うちの姉みたいに、やりたいことが明確なら進学する意味もあるでしょうけど、僕はまだ漠然としてるんで 」

「家庭の事情はわかってんだな 」

「はい。もう少し将来の目標が明確だったら、良かったんですけど 」

僕が金をかけて進学しても、家業の助けになることは難しい。だから、ただ漠然と将来の目標もなく、だらだらと人生の猶予時間を得るための進学という選択は許されない。でもだからと言って、今すぐ就きたい職業があるわけでもない。姉貴も加央理も、このくらいの年齢の頃には色々と将来を見据えていたというのに、僕ときたらこの様だ。とにかく今の僕は、何もかもが中途半端なのだ。

「あの…… 」

「何だ? 」

「先生こそ、何で教師になったんですか? 」

「俺の動機なんか聞いて、どうするんだ 」

「参考にしたくて 」

「聞いたところで、参考にならないけどなぁ 」

「…… 」

先生は、相変わらず団扇を仰ぐ手を止めようとはしない。そしてその風のおこぼれが、たまに僕の首筋を掠めてた。

「仕方ないな。今日だけ大サービスしてやる。どうせ今は取り繕ったところで、いつかはお前さんにはバレるしな 」

「えっ? 」

「……俺は、ただの安定だよ 」

「はい? 」

「別に子どもが好きとか、教育者になりたいとか、志高く教師になったわけじゃない 」

「えっ? じゃあ、なんで先生になったんですか? 」

「理系だと、専門職で食ってくのは難しいんだ。だから消去法だよ。公務員なら安定してるからな 」

「それ、生徒の前で言いますか? 」

「まあ、称賛してもらえるような発言ではないだろうな。でも世の中の会社員だって、全員がやりたい仕事をしているわけじゃないだろ。生活のために金を優先して仕事をしてる人間もいるだろうし、ケースバイケースだ。教師は幻想を抱かれやすいけど、こっちだって事情は様々さ。ただまあ、俺以外の先生方は、人格的にも優れた適任者ばっかりだからな。一人くらいは、こういう適当な教師がいても何とかなるだろ 」

「じゃあ、お役所に勤める公務員でも良かったんじゃないですか? 」

「おっ、恒星も言うようになったな 」

村松先生は少しニヤニヤとした笑みを浮かべると、肩に巻いてたタオルで、大胆にもシャツの合間から汗を拭った。先生は新卒で赴任してきたらしいからと僕と年齢も近いハズなのに、同性の僕から見ても驚くレベルのとんでもない色気を放っていた。





しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...