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神は僕に決断させた
神は母の温もりを彼女に教えた 後編
しおりを挟む「恒星、久し振りね。今年の元旦以来かしら? 」
「そうだね、顔を会わせるのは半年ぶりくらいかな? あのさ、ばーちゃん、あの麻愛のことは…… 」
「もちろん知ってるわ。専門紙でも見てたし、私たちの世界では有名人よ。でも今の状況に関しては、稜子に釘を刺されてるから、安心しなさい 」
ばあちゃんはそう言うと、ニッコリと笑って、 口元に人差し指を当てて見せた。
ばあちゃんは、昔から髪を真っ黒く染めていて、今でも手入れに余念はない。年齢の割にピッと伸びた背筋も相乗効果になっているのか、やっぱり少し若見えかもしれない。
「それにしても、今時は修学旅行でも、随分と立派なホテルに泊まってるのね。最近は夜に出歩くことなんて殆どないから、迷子になって仕方なかったわ。それに恒星も、元気そうじゃない? 」
「ああ、まあ。一応ね 」
「それに、麻愛ちゃんも初めまして 」
「あっ、初めまして。麻愛・マーガレット・御坂です 」
彼女は珍しく自分の名前をフルネームで答えると、今一度会釈をした。彼女がフルネームで名乗るなんて、とても珍しいことのように思える。
「私は恒星と鞠子の祖母の藤子よ。ついでに言うと、稜子の母親ね 」
「フジコさん? 」
「あら、私のことはおばあちゃんでいいのよ。藤子さんなんて、そんな改まって呼ばなくて大丈夫だから 」
ばあちゃんはそう言うと、大きめの鞄の中から風呂敷を取り出した。風呂敷を現役で使っている辺りは年の功だと思うけど、彼女は物珍しそうにばあちゃんの手元を見つめていた。
「やっぱり、麻愛ちゃんは、恵倫ちゃんに似てるわね。目元の辺りとか、お肌すべすべなところとか、瓜二つだわ。懐かしい…… それに鼻の辺りとか口元には、逆瀬川くんの面影もあるわ 」
「えっ? あの…… もしかして、おばあちゃんは私の母と父をご存じで? 」
「そうよ。あの四人は、写真部の友達でしょ? よく稜子と荒巻くんと、恵倫ちゃんと逆瀬川くんの四人で、うちに泊まりに来てたのよ。レントゲン室が暗室になるから、丁度いいからとか言っちゃって。バカよね。いっつも夜な夜な怪しい作業をやってたから、終わったら めちゃくちゃ消毒させてたけどね 」
「レントゲン室? 」
「ええ。私も医者で、開業してるのよ 」
「えっ? 」
「東京と言っても殆ど千葉に近いところで、主人と一緒に細々と循環器科をやってるの。今は稜子の弟が継いでくれて、三人体制なんだけどね。私もまだまだ現役なのよ。もしかして初めて聞いた? 」
「はい 」
「あら、恒星。麻愛ちゃんに教えてなかったの? 」
「えっ? だって、じいちゃんとばあちゃんの話題になる機会とかなかったし…… 」
「もう、私たちを除け者にするなんて、みんな酷いんだから。まあ、いいわ。いま、麻愛ちゃんが日本に来ているのは知ってたから。折角なら、会いたいと思ったのよ。良かったわ、死ぬまでに顔を見ることが出来て 」
まだまだ、死ぬ気なんてない癖に……
ばあちゃんは感慨深そうにそう言うと、膝に抱えていた風呂敷から、幾つかの写真を取り出した。
その中身は明らかに黄色味のかかっていて、年代を感じさせる代物だった。
「これは? 」
「押し入れの中を探したら、まだ少しネガを取ってあったから、焼き増ししたのよ。ちょっと褪せちゃってるけど、恵倫ちゃんと逆瀬川くんの若い頃の写真 」
ばあちゃんはそう言うと、一センチくらいはありそうな写真の束を「どうぞ」と言って、彼女に託した。
「ママが若い。とても元気そうだし。それにパパは、髪が長い…… 」
「これは、下呂にある荒巻くんの実家に遊びに行ったときの写真かな? この河川敷は、多分 飛騨川よね? こっちは卒試の勉強中でゲンナリしてる三人を、逆瀬川くんが盗撮してる写真よ。みんな顔がお化けみたいになってるわね 」
僕らは、ばあちゃんの解説に合わせて、一枚一枚ゆっくりとしたペースで写真を捲っていた。
逆瀬川さんに河川敷で遭遇したとき、下呂は二度目だといっていた。そして失恋云々とか言っていた相手は、恐らく相手は父さんのことを言っていたのだろう。
ただ耳で聞いていただけでは、ピンとはこなかった事実も、写真を返すと妙に現実味が沸いてくる。小さなコミュニティの中で複雑な恋模様が
繰り広げられていたのかと思うと、逆瀬川さんも恵倫子さんも辛い時期があったに違いはない。
「稜子ママと侑哉パパも、全然変わらないね。二人は昔から、仲良しだったんだね 」
「そ、そうかなっ? 僕はうちの親が交際を始めたのは、卒業してからとは聞いてたけど? 」
「へー それは意外だね。こんなに距離が近いのに 」
「まあ、学部が一緒だから、必然的に仲良くなったのかもね 」
「そうね。稜子も荒巻くんも奥手だから、くっつくまでに時間がかかったんだろうね。荒巻くんは、薬と写真にしか興味がないような青年だったから。でも私としては恵倫ちゃんと逆瀬川くんがくっついた方が、ちょっと意外だったけどね 」
「あっ 」
ばあちゃん、何てことを言ってくれるんだっ!?と一瞬声を張り上げそうになったけど、僕は寸前のところで、その衝動を押し込めた。
ばあちゃんは何も悪くはないし、これはたまたま僕がその事情を知ってしまったから焦っているに過ぎないわけで、傍から見ればただの一般論の範疇であることは明白だった。
「恵倫ちゃんは、昔から明るくて活発だったわ。逆瀬川くんは物静かだったけど、恵倫ちゃんとは波長が合ったんだろうね。麻愛ちゃん、うちにはアルバムがあるから、良かったら この写真持って帰って 」
「いいんですか? 」
「もちろんよ。そのために、今日は麻愛ちゃんに会いに来たんだから 」
「ありがとうございます…… 大切にします 」
彼女は突然の提案に驚いたのか、少し涙ぐみながらも、お母さんとお父さんの写真を愛しいそうに見つめていた。
「麻愛ちゃんも英国に帰ったら、忙しいと思うけど、今のうちにしっかり青春を楽しむのよ。あと、東京に遊びに来たくなったらうちに泊めてあげるから、遠慮なく言いなさい 」
「はい 」
「あとこれ、お小遣いね。他の子の分はないから騒ぐんじゃいよ。こっちは鞠子の分、恒星に預けとくから。猫ババするんじゃないよ 」
「わかってるよ、ありがとう 」
「あと、これは麻愛ちゃんの 」
「えっ、でも…… 」
「遠慮しなくていいのよ。これでお土産でも買って、お父さんに送ってあげなさい。って、いまは日本にいるのかしらね? 」
「ありがとうございます。父の誕生日がもうすぐなので、近いうちに何か送らせて頂こうかと思います。今度お祖母ちゃんに会ったときには、必ずお礼をさせて下さいね 」
「そうね。また会うのを楽しみにしてるわ 」
彼女はそういうと、ばあちゃんに深々と頭を下げていた。
すると ばあちゃんは、
「そうそう、こんな丁寧な感じも恵倫ちゃんにソックリね 」
と、再び喜びを見せていた。
彼女が涙を流すのは、見たくない。
だから僕は、ばあちゃんに彼女を会わせるのは、嫌だったのだと思う。でも彼女はそれでも、色褪せた写真を眺めては、とてもとても喜んでいた。
彼女が泣くのは、決まってお母さんのことだ。
自分のことでは、けっして弱音は吐かない。
それが何とも凛としていて、僕はいつも居た堪れない気持ちになる。
何故、神様は彼女にだけ酷なことをするのだろう。
そして何故、沢山の知性を与えて、一番大切なものを奪ったのだろう。
彼女の大切なお母さんには、もう心の中でしか会うことが出来ない。
涙が出るような思い出だけで生きていくのは、苦しいはずだ。
どうしたら彼女の痛みが少しでも癒えるのか、僕はいつも考えていた。
僕に彼女の心境が、わかるわけがない。
でも知ろうとしないのは、逃げているのと同じことだ。
彼女をマーガレットにすることなく、抱えた傷を共有する。
おまけに彼女は規格外の天才で、僕の目の前のハードルは、地平線の向こうまでびっしりと並べられているようなものだ。
しかしだ。
高校生の僕には荷が重いのだけど、それでも頑張りたいと思える。
不思議だ。この活力は、一体何なのだろう?
このときの僕には、少しだけ答えが掴めたような手応えがあった。
彼女が今、ここにいることを選んだのが全てなのだ。
微かだけど、恵倫子さんは僕の心の中にもいる。
そして、母さんや父さんやばあちゃんの中にも、その存在がしっかりといるのだ。
僕は彼女のお母さんを忘れない。
僕はこのとき、自分の心に熱くそれを誓ったのだ。
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