67 / 80
神は僕に決断させた
神は母の温もりを彼女に教えた 後編
しおりを挟む「恒星、久し振りね。今年の元旦以来かしら? 」
「そうだね、顔を会わせるのは半年ぶりくらいかな? あのさ、ばーちゃん、あの麻愛のことは…… 」
「もちろん知ってるわ。専門紙でも見てたし、私たちの世界では有名人よ。でも今の状況に関しては、稜子に釘を刺されてるから、安心しなさい 」
ばあちゃんはそう言うと、ニッコリと笑って、 口元に人差し指を当てて見せた。
ばあちゃんは、昔から髪を真っ黒く染めていて、今でも手入れに余念はない。年齢の割にピッと伸びた背筋も相乗効果になっているのか、やっぱり少し若見えかもしれない。
「それにしても、今時は修学旅行でも、随分と立派なホテルに泊まってるのね。最近は夜に出歩くことなんて殆どないから、迷子になって仕方なかったわ。それに恒星も、元気そうじゃない? 」
「ああ、まあ。一応ね 」
「それに、麻愛ちゃんも初めまして 」
「あっ、初めまして。麻愛・マーガレット・御坂です 」
彼女は珍しく自分の名前をフルネームで答えると、今一度会釈をした。彼女がフルネームで名乗るなんて、とても珍しいことのように思える。
「私は恒星と鞠子の祖母の藤子よ。ついでに言うと、稜子の母親ね 」
「フジコさん? 」
「あら、私のことはおばあちゃんでいいのよ。藤子さんなんて、そんな改まって呼ばなくて大丈夫だから 」
ばあちゃんはそう言うと、大きめの鞄の中から風呂敷を取り出した。風呂敷を現役で使っている辺りは年の功だと思うけど、彼女は物珍しそうにばあちゃんの手元を見つめていた。
「やっぱり、麻愛ちゃんは、恵倫ちゃんに似てるわね。目元の辺りとか、お肌すべすべなところとか、瓜二つだわ。懐かしい…… それに鼻の辺りとか口元には、逆瀬川くんの面影もあるわ 」
「えっ? あの…… もしかして、おばあちゃんは私の母と父をご存じで? 」
「そうよ。あの四人は、写真部の友達でしょ? よく稜子と荒巻くんと、恵倫ちゃんと逆瀬川くんの四人で、うちに泊まりに来てたのよ。レントゲン室が暗室になるから、丁度いいからとか言っちゃって。バカよね。いっつも夜な夜な怪しい作業をやってたから、終わったら めちゃくちゃ消毒させてたけどね 」
「レントゲン室? 」
「ええ。私も医者で、開業してるのよ 」
「えっ? 」
「東京と言っても殆ど千葉に近いところで、主人と一緒に細々と循環器科をやってるの。今は稜子の弟が継いでくれて、三人体制なんだけどね。私もまだまだ現役なのよ。もしかして初めて聞いた? 」
「はい 」
「あら、恒星。麻愛ちゃんに教えてなかったの? 」
「えっ? だって、じいちゃんとばあちゃんの話題になる機会とかなかったし…… 」
「もう、私たちを除け者にするなんて、みんな酷いんだから。まあ、いいわ。いま、麻愛ちゃんが日本に来ているのは知ってたから。折角なら、会いたいと思ったのよ。良かったわ、死ぬまでに顔を見ることが出来て 」
まだまだ、死ぬ気なんてない癖に……
ばあちゃんは感慨深そうにそう言うと、膝に抱えていた風呂敷から、幾つかの写真を取り出した。
その中身は明らかに黄色味のかかっていて、年代を感じさせる代物だった。
「これは? 」
「押し入れの中を探したら、まだ少しネガを取ってあったから、焼き増ししたのよ。ちょっと褪せちゃってるけど、恵倫ちゃんと逆瀬川くんの若い頃の写真 」
ばあちゃんはそう言うと、一センチくらいはありそうな写真の束を「どうぞ」と言って、彼女に託した。
「ママが若い。とても元気そうだし。それにパパは、髪が長い…… 」
「これは、下呂にある荒巻くんの実家に遊びに行ったときの写真かな? この河川敷は、多分 飛騨川よね? こっちは卒試の勉強中でゲンナリしてる三人を、逆瀬川くんが盗撮してる写真よ。みんな顔がお化けみたいになってるわね 」
僕らは、ばあちゃんの解説に合わせて、一枚一枚ゆっくりとしたペースで写真を捲っていた。
逆瀬川さんに河川敷で遭遇したとき、下呂は二度目だといっていた。そして失恋云々とか言っていた相手は、恐らく相手は父さんのことを言っていたのだろう。
ただ耳で聞いていただけでは、ピンとはこなかった事実も、写真を返すと妙に現実味が沸いてくる。小さなコミュニティの中で複雑な恋模様が
繰り広げられていたのかと思うと、逆瀬川さんも恵倫子さんも辛い時期があったに違いはない。
「稜子ママと侑哉パパも、全然変わらないね。二人は昔から、仲良しだったんだね 」
「そ、そうかなっ? 僕はうちの親が交際を始めたのは、卒業してからとは聞いてたけど? 」
「へー それは意外だね。こんなに距離が近いのに 」
「まあ、学部が一緒だから、必然的に仲良くなったのかもね 」
「そうね。稜子も荒巻くんも奥手だから、くっつくまでに時間がかかったんだろうね。荒巻くんは、薬と写真にしか興味がないような青年だったから。でも私としては恵倫ちゃんと逆瀬川くんがくっついた方が、ちょっと意外だったけどね 」
「あっ 」
ばあちゃん、何てことを言ってくれるんだっ!?と一瞬声を張り上げそうになったけど、僕は寸前のところで、その衝動を押し込めた。
ばあちゃんは何も悪くはないし、これはたまたま僕がその事情を知ってしまったから焦っているに過ぎないわけで、傍から見ればただの一般論の範疇であることは明白だった。
「恵倫ちゃんは、昔から明るくて活発だったわ。逆瀬川くんは物静かだったけど、恵倫ちゃんとは波長が合ったんだろうね。麻愛ちゃん、うちにはアルバムがあるから、良かったら この写真持って帰って 」
「いいんですか? 」
「もちろんよ。そのために、今日は麻愛ちゃんに会いに来たんだから 」
「ありがとうございます…… 大切にします 」
彼女は突然の提案に驚いたのか、少し涙ぐみながらも、お母さんとお父さんの写真を愛しいそうに見つめていた。
「麻愛ちゃんも英国に帰ったら、忙しいと思うけど、今のうちにしっかり青春を楽しむのよ。あと、東京に遊びに来たくなったらうちに泊めてあげるから、遠慮なく言いなさい 」
「はい 」
「あとこれ、お小遣いね。他の子の分はないから騒ぐんじゃいよ。こっちは鞠子の分、恒星に預けとくから。猫ババするんじゃないよ 」
「わかってるよ、ありがとう 」
「あと、これは麻愛ちゃんの 」
「えっ、でも…… 」
「遠慮しなくていいのよ。これでお土産でも買って、お父さんに送ってあげなさい。って、いまは日本にいるのかしらね? 」
「ありがとうございます。父の誕生日がもうすぐなので、近いうちに何か送らせて頂こうかと思います。今度お祖母ちゃんに会ったときには、必ずお礼をさせて下さいね 」
「そうね。また会うのを楽しみにしてるわ 」
彼女はそういうと、ばあちゃんに深々と頭を下げていた。
すると ばあちゃんは、
「そうそう、こんな丁寧な感じも恵倫ちゃんにソックリね 」
と、再び喜びを見せていた。
彼女が涙を流すのは、見たくない。
だから僕は、ばあちゃんに彼女を会わせるのは、嫌だったのだと思う。でも彼女はそれでも、色褪せた写真を眺めては、とてもとても喜んでいた。
彼女が泣くのは、決まってお母さんのことだ。
自分のことでは、けっして弱音は吐かない。
それが何とも凛としていて、僕はいつも居た堪れない気持ちになる。
何故、神様は彼女にだけ酷なことをするのだろう。
そして何故、沢山の知性を与えて、一番大切なものを奪ったのだろう。
彼女の大切なお母さんには、もう心の中でしか会うことが出来ない。
涙が出るような思い出だけで生きていくのは、苦しいはずだ。
どうしたら彼女の痛みが少しでも癒えるのか、僕はいつも考えていた。
僕に彼女の心境が、わかるわけがない。
でも知ろうとしないのは、逃げているのと同じことだ。
彼女をマーガレットにすることなく、抱えた傷を共有する。
おまけに彼女は規格外の天才で、僕の目の前のハードルは、地平線の向こうまでびっしりと並べられているようなものだ。
しかしだ。
高校生の僕には荷が重いのだけど、それでも頑張りたいと思える。
不思議だ。この活力は、一体何なのだろう?
このときの僕には、少しだけ答えが掴めたような手応えがあった。
彼女が今、ここにいることを選んだのが全てなのだ。
微かだけど、恵倫子さんは僕の心の中にもいる。
そして、母さんや父さんやばあちゃんの中にも、その存在がしっかりといるのだ。
僕は彼女のお母さんを忘れない。
僕はこのとき、自分の心に熱くそれを誓ったのだ。
0
あなたにおすすめの小説
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
なお、スピンオフもございます。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる