【完結】マーガレット・アン・バルクレーの涙

高城蓉理

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神は僕に決断させた

僕は彼女たちと正面から向き合った②

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■■■


 僕は、麻愛と正面から向き合うことを覚悟した。
 神様に、そう誓ったのだ。


 十年間、僕は六歳の頃の面影の麻愛のことが忘れられなかった。

 僕は幼な心に芽生えた幻想に恋をして、その積年の想いを募らせていた。
 顔も声も、ぼんやりとしか思い出せない。
 小さい頃の、懐かしい記憶に惹かれていただけかもしれない。
 どんな会話をしたかも謎で、夢の中で会っただけかもね、と言われたら否定が出来ないくらいに、まやかしみたいな恋だった。

 だから彼女が桜吹雪とともに、再び僕の目の前に現れたとき、それは棚ぼたみたいな幸運だった。
 
 そう。僕は、そのとき思ったのだ。
 別に、一方通行でも構わない。
 僕は麻愛が目の前にいる限り、何がなんでも大切にすると決めた。
 それが全てで、それで十分だったのに……
 僕は、その決意を自分で覆そうとしていた。




・・゜・
・゜・゜・
  ゜・ ・゜・・゜・ ・
     ゜ ・゜゜・ ゜・・゜・゜
           ゜・゜・゜゜・゜・






 僕は佳央理と別れてから、荷物を携えて総合案内のソファーに腰掛けていた。

 もう迷わない。
 選んだ道に後悔はない。
 僕はそう決意をして、麻愛にメールを送っていた。

 どのくらい、病院にいたかはわからない。
 時刻は既に折り返しを始めていて、辺りはすっかり薄暗くなっている。僕の連絡に対して何のアクションもないから、もしかしたら麻愛は一人で帰宅してしまったかもしれない。それでも、僕は待ち続けるしかなかった。

 僕は目を閉じると、これから麻愛に何を話すか考えをまとめていた。
 伝えたいことは、沢山ある。
 でも一番、麻愛に届けたいのは、僕の正直な気持ちなのだと思う。

 今日は、いろいろなことがあった。
 人の死戦期に出くわしたのはもちろん初めてだし、他にも色んなことを考えた。
 いつ何が起きるかなんて、一寸先の将来は闇の中だ。
 だから結論を後回しにするのではなくて、伝えたいことは相手に話そうと思う。

 時は満ちた……
 僕は前に進む。
 そう、決めたのだ。








 コーセー コーセー

 遠くの方で、僕の名前を呼ぶ声がする。
 僕はこの声で名前を呼ばれると、未だに少しだけドキドキする。同年代の女の子よりもちょっとだけ高い声色は、マーガレットの花のように可憐に弾むようで、僕はその温もりが愛しくて仕方がない。
 麻愛が他の誰かと喋っているだけで気になって、いつの間にか僕のささやかな恋心は周囲に筒抜けになっているくらい、夢中になってしまっている。届かないと思っていた僕の想いは、もしかしたら叶うかもしれないと思ったとき、僕はその一歩が踏み出せなくて目眩を起こしそうにもなった。

 麻愛は、僕の唯一無二の特別な存在なのだから……
 僕からは君の元を離れないと、約束するよ。






「コーセー コーセー? 」

「えっ? あっ、麻愛? 」

「大丈夫? 」

「えっ、あっ、うん…… 」

 耳元で囁かれた甘い声色に、僕は思わず声をあげていた。どうやら少しだけ意識が夢の中に向いていたらしく、現実の麻愛に少しだけ驚いてしまったらしい。

「……ごめんね、遅くなって 」

「いや、それよりも。こんなときに、うたた寝してた。ごめん 」

「ううん。気にしないで。コーセーが、一番体力を消耗してるもん 」

「…… 」

 麻愛の方が余程疲れているはずなのに、彼女は涼しい顔をして僕のことを覗いていた。ソファーに逆向きに座り、背もたれに肘をつく少し行儀の悪い姿は、どこにでもいる年頃の女の子のようだ。


「椿の具合は、どう? 」

「うん。取り敢えずは、危険な状態は脱したと思う。もしかしたら今後も手術は考えなくちゃいけないかもしれないけど、目を醒ましたし、意識もはっきりしている 」

「そっか、それなら良かった 」

「いま考えると、椿は体調が悪いときがあったよね。もっと早く気付いてあげられれば良かった。本当に悔しい 」

「麻愛…… 」

 麻愛は椿の心臓に何が起きたのか、こと細かく説明をしてくれた。おそらく不整脈が原因で起きた疾患らしいけど、僕には十分な理解が追い付かない。麻愛の話によると椿は肋骨が一本折れてしまったらしく、僕は申し訳ない気持ちになったけれど、そこは割り切るしかないと励ましてくれた。麻愛は専門用語は一個も使わず、わかりやすく説明をしてくれているのに、それでも僕には難しい内容に思えていた。


「今は、椿の病室には匡ちゃんが付き添ってるよ 」

「そう 」

 匡輔は、椿にちゃんと伝えたのだろうか。
 椿はめちゃくちゃ驚いただろうけど、僕は匡輔を止めるつもりは毛頭なかった。

 暫くの間、沈黙が続いていた。
 この静まり返った広い待合室にいるとは、僕と麻愛だけで、よくよく見ると互いに制服が汚れている。
 伝えたいことは沢山あるのに、いざ麻愛が目の前にすると何から話せば良いのかわからない。僕は自分自身が歯痒くて仕方がなかった。


「あのね、コーセー 」

「…… 」

「私は思い出したの 」

「何を、思い出したの? 」

 僕はずるい。
 いつも大事なときに最初に口を開くのは、麻愛の方だ。何を言い出すかは殆どわかりきっているのに、この期に及んで僕は気付かない振りをしている。でも僕らはずっと誤魔化し続けていた、その事にも向き合わなくてはならなかった。

「私は本来はお医者さんであって、高校生じゃないんだって。私はさっき思い出したんだ 」

「そっか 」

「一生懸命、私の我が儘を受け入れてくれた稜子ママや侑哉パパ、村松先生に謝りたい。ううん、匡ちゃんやツバキにもだし、カオリちゃんにも。みんなに、黙っててごめんなさいって謝りたい 」

「麻愛…… 」

 麻愛は、暗がりに溶け込んだ深海色の瞳に涙を浮かべて、声を震わせていた。
 椿は、麻愛の懸命の蘇生で助かった。麻愛が悲しむ理由はないはずなのに、自分の選んだ道は過ちだったのではないかと悔やんでいる。麻愛は自分が母国でやるべきことを放棄してしまったと思い込み、自責の念に駆られていた。

「だから、もう、私は学校には行けない 」

「えっ? 」

「だって、私は本当は高校生じゃない。こんな人間が学校にいるって思ったら、みんなが絶対に不快な気持ちになる。私がみんなの立場なら、冷やかしだと思うもん 」

「それは…… 」

「私がいるべき場所は、ここじゃない。私はママの寿命と引き換えに、ママの願いで産まれた子どもだから。だから、まだまだ無力だけど、出来ることは精一杯しなくちゃならない。ここにいる資格なんてないって気付いたの 」

「…… 」

「ママは、何回も沢山沢山、私に愛してるっていってくれた。だから、とにかく直ぐにお医者さんになって、ママの病気を治したかった…… 
私はママが願って生まれてきた子どもだから。ママがこの世界からいなくなったら、存在する意味なんてない 」

 麻愛はハッキリとそう言い切ると、とうとう頭を下げて涙を溢し始めていた。僕はどうするべきか迷ったけど、麻愛の頭に手を乗せる。


 僕は逆瀬川さんから話を聞いたときに、心のどこかでその可能性を思っていた。
 麻愛はやっぱり自分が生まれた理由を知っていた。

「私は…… パパとママが交わって、産まれたわけではないから。ママはパパのことが好きだったけど、パパはそうは思ってはない。私は試験管ベイビーだから、パパにとっては荷物でしかない。もうこの世に、私のことを大切って言ってくれる人はいないの。そう思ったら、寂しくて悲しくて。私は、私だけの特別な存在が欲しかった。だから誰も私のことを知らない、日本に来ようって思ったの 」

「麻愛は、逆瀬川さんと、そのことをちゃんと話したことある? 」

 麻愛はゆっくりと首を横に振ると、ブラウスの裾で涙を無理矢理抑えていた。
 僕は胸を締め付けられるような衝動と共に、麻愛を拒絶するようなことをしたことを、激しく悔やんだ。そしてその自分への苛立ちの感情と同時に、逆瀬川さんが僕に託したメッセージを悟っていた。

「逆瀬川さんは…… 」

「…… 」

「麻愛のことも恵倫子さんのことも、とても愛してるって、僕には言ってたよ 」
 
「えっ? 」

「黙っていてごめん。夏にさ、僕は逆瀬川さんから聞いたんだ。もう家族にしかアガペー無償の愛は抱けないって言ってた。恵倫子さんのことも麻愛のことも、とても大切だって言ってたよ 」

「何で、コーセーが…… 」

 そんなことを知っているの?と言わんばかりの表情で、麻愛は僕のことを見つめていた。

「夏休みが始まる前、逆瀬川さんが麻愛の誕生日にお花を持ってきたときに、偶然 話をしたんだ 」

「パパが…… ここ下呂に来てたの? 私はてっきり、お花は送ってきたんだと思ってた 」

「ああ。あの日はアルバートも来ていたし、バタバタしてて。僕はアルバートにヤキモキしてて、麻愛に伝える余裕がなかったんだ。あのとき、逆瀬川さんからは麻愛には自分のセクシャリティを言うつもりはないって聞いたから、黙ってた。恵倫子さんの身体に負担をかけることになるから、凄く迷ったって言ってたけど、逆瀬川さんは麻愛がいる未来を選んでお父さんになったんだと思う。三人が法的にどういう関係性なのかはわからないけど、麻愛の親権のことを考えたら、この選択をして良かったって言ってたよ 」

「そうなの? 」

「うん。逆瀬川さんの伝えない選択も優しさだと思う。でも直接話さないと、届かない気持ちもあるのかもしれない 」

「…… 」

 麻愛は、命の尊さを知っている。
 人には、いつ何が起きるかはわからない。

 だから彼女は穏やかで、自分にとっても相手にとっても、常に最高の状態で「さよなら」を言おうとしている。だから滅多なことで、自分の本当の感情を露にしないし、健気で実直で脆くて儚い。だけど僕には想像すら出来ないくらい、たった十数年の人生で抱えてきたものが多過ぎて、麻愛の心はパンクしていたのだと思う。


「麻愛 」

「…… 」

「こんなところで話すような内容ではないと思うんだけど、聞いて欲しいことがある 」

「聞いて欲しいこと? 」

「佳央理には、僕の気持ちを伝えたんだ 」

「えっ? それはどういう…… 」

「それと麻愛に隠し事はしたくないから言ってしまうけど、に佳央理を抱き締めた 」

「最後って? どういうこと? 」

「僕は佳央理との関係性を、ずっと曖昧にしていた。気付かない振りをして、ずっと傷付けないことだけを優先してたんだ。だけど、僕は佳央理の気持ちに応えることは出来ない。だからこのまま現状維持を続けても、佳央理に来るべき未来まで霞んだままだ。僕にとって佳央理は大事な血縁で、この先もずっと繋がりは切れないし、そこをお互いに確認したんだ。僕と佳央理は永遠に大事な再従兄弟同士で、これからも大切な存在であることに変わりはないよ。その気持ちを僕はしっかり伝えたから、もう悔いはない 」

「そう 」

「僕には昔から好きな人がいるんだ。小さい頃から、ずっと 」

「……小さい頃から? 」

「うん。小さい頃に一度会っただけなのに、ずっとその子のことが忘れられなかった。
その人はね、天才なんだ。知る人ぞ知る、世界に名を馳せた神童で、これから沢山の命を救う。
賢くて、責任感が強くて、努力家で、しっかり者のはずなのに、負けず嫌いで、いつも無理ばかりしている。たまに間違った日本語を喋るから僕はヒヤヒヤするけど、笑顔がとっても印象的で僕はいつも目が離せなくなるんだ。だから、また会えるって最初聞いたときは、暫くドキドキして夜も満足に眠れなかった 」

「…… 」

「僕は、ずっとその言葉を口にする勇気がなかった。その人に嫌われるのが怖くて、態度をハッキリとしてこなかったんだ。
だけど…… 僕は思ったんだ。それでは何も良いことは生まれない。何も始まらないんだ。
人生は、突然何が起きるかわからない。僕は堂々とその人の側にいられる権利に挑戦したい。だから、これから僕が特別だと思っている人に、自分の気持ちを伝えるって佳央理に説明した。僕はそれを有言実行するために、君を待っていたんだ 」

「えっ? 」

「麻愛。この前、言えなかったことの続きを言わせて欲しい 」

「…… 」

「僕にとって特別な存在だと思うのは、昔から麻愛…… 君だけなんだ 」

「私? 」

「だから、僕はこれからも君の隣にいたい 」

「コーセー…… 」

 麻愛は僕の名前を呼ぶと、僕の隣にピッタリと移動した。目を真っ赤にして泣き晴らしたその表情は、昼間の勇敢な医者の姿からは想像できない、いつもの麻愛がそこにいた。

「私もね…… コーセーには、ずっと前から私のことだけを見てて欲しいって思ってた。だから、日本に来ようと思ったんだと思う 」

「えっ?」

「私は、少しだけ記憶力がいいから、恒星が忘れちゃった小さい頃のことも覚えてる。だから、約束を守ってくれてありがとう 」

「…… 」

 麻愛はゆっくりと腕を肩の方へと回すと、静かに顔を僕の身体に埋めた。今まで何度も身体を寄せあったことはあったけど、一番体温が紅潮しているような気がしていた。
 僕は一瞬、手のやり場に困ったけど、もう遠慮はしないことにした。僕は全身で麻愛の体温を確かめたくて、ぎゅっとその身体を抱き締めた。

 自分でもびっくりするくらい冷静だった。
 長年の恋煩いを実らせたのなら、もっと高揚するのかと思っていたけど、僕にはそれを感じるだけの余裕がなかった。






 僕は、この日の勇気は、自分で自分を褒めてやりたいと思う。













 そしてこの出来事の翌日
 麻愛はイギリスに帰国することになった。



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