【完結】マーガレット・アン・バルクレーの涙

高城蓉理

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神は僕に決断させた

僕は彼女と未成年時代最後の一日を過ごした①

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■■■


 マーガレット・アン・バルクレー
 そして、もう一つの名前をミランダ・ジェームス・バーリーという。
 彼女は医者になるために性別を偽り、世界各国を駆け抜けた英国初の女性医師だ。

 奇しくも、麻愛はマーガレット医師と同じミドルネームを持っていてる。そしてその名を世界に轟かせた若き天才で、おそらく数少ない十代で医者に成り上がった卵であった。

 麻愛はこれまでの人生において、自分自身を騙していた。
 自分が周りの学生と比べて幼い容姿であることも、本来の同年代がまだまだ初等教育を受けていることも、自分の出自さえも気付かない振りをして、ただただお母さんを助けたいと願って、早く大人になる道を選んだのだ。

 たった十数年しか、麻愛は生きていない。
 それなのに神様は彼女に嫉妬し、試練を与え、早く大人になれと、その成長を鼓舞し続けてきた。
 少なくとも、僕はそう思っていたのだ。

 だけど…… 
 本当はそうではないことを、僕は心の何処かで分かっていた。

 自ら逆境に飛び込み、急いて生きることを選んだのは麻愛自身だ。
 周りのメンバーは、麻愛の意思を尊重しているに過ぎなくて、彼女は自分に出来ることに直向きなのだ。
 だから麻愛がイギリスに帰国するのが早まるのは、別に憂いを感じることでなくて、それだけ彼女が求められているということだ。
 それは、僕もわかっている。
 僕には止める権利もないし、送り出すのが世界のための最適解だ。


 僕は、いつか麻愛の隣に追い付いてみせる。
 何がなんでも、そうしてやると決めたのだ。
 だから今だけは……
 麻愛との離れ難き記憶を、頭や身体の隅々まで焼き付けても、咎めないで欲しいと、僕は心のどこかでそう思っていた。



◆◆◆


 麻愛の帰国の日程は、あれよあれよとトントン拍子にことが進み、あっという間に下呂の街は紅葉でハイシーズンを迎える頃合いになっていた。

 麻愛の突然のイギリスへの帰国に関しては、英国側の要請で、椿の一件は全く関係のない事情だった。麻愛にとっても寝耳に水な話であったらしいが、当たり前だけど拒否権などあるわけもないから、母国に帰るしか選択肢はありはしない。というわけで、当初の予定の三割程を消化したところで、麻愛は日本での短い自由時間に幕を下ろすことになっていた。

 帰国の話が上がってからは、毎日の慌ただしさに拍車が掛かっていた。
 麻愛は翌日から荷物の整理を開始して、土日には日本にいる間に行ってみたかったという名古屋城に行ったり、金沢で海産三昧をしたりと、あらゆる観光地へと足を運んだ。それと同時に毎日、椿が入院している病院にも通っていたから、いつも以上に日常生活は忙しくて、寂しさを覚える余裕もなかったような気がしていた。





 別れの朝は……
 秋晴れが爽やかな、空を高く感じる一日だった。


「恒星っッ、起きなさいっッ 」

「あっ? 」

「いつまで寝てんの? スーツケース、麻愛ちゃんの部屋から降ろしてきてっ。ほら、これ鍵ね 」

「母さん、いま麻愛はどこにいるの? 」

「麻愛ちゃんは、いまシャワーを浴びてるわよ。そんなことはいいから、さっさと荷物を降ろしてきて 」

「……了解です 」

 今日は麻愛が下呂温泉を発つ日だというのに、僕はいつも通りの緊張感のない朝を迎えていた。
 麻愛は後半の方は殆ど姉貴の部屋で寝泊まりしていたし、本来の部屋は片付いているはずだから、本人の許可なく乗り込むことに対しての罪悪感は殆どなかった。もしかしたら、僕と麻愛の関係性の変化がそんな感情を生み出しているのかもしれないけど、考察したところであまり意味もないことだから、深追いする必要もない。 
 スーツケース一個で単身日本に乗り込んできた麻愛の荷物は、半年足らずで倍以上に膨れ上がっていた。急がない荷物は国際便で段ボールで送り返す手配にしたみたいだけど、それでも分量は押し入れ半分くらいには達していて、僕は思わず溜め息をついていた。

「重っッ 」

 麻愛のスーツケースは、確実に重量オーバーで追加料金を取られるであろう領域になっていた。追加料金ってものが、どのくらい掛かるのかは知らないけど、とんでもない数字が僕の頭をちらついたのは気のせいではないと思う。
 僕はやっとの思いで玄関からスーツケースを引っ張りだすと、息を切らしながら階段をヨチヨチ歩きで下っていた。これは一段づつ慎重に行かないと、危険なパターンであるのは、本能的に察知していた。 

「ほら、恒星 」

「へっ? 」

「男なら、それくらいちゃんと持ちなよ 」

「かっ、佳央理? 」

 頭上から僕の名前を呼ぶ声がして、僕は目線だけでその方向を確認した。そこには廊下からひょっこりと顔を覗かせ、何やらニタニタした悪い笑みを浮かべた、佳央理の姿がそこにあった。

「何で、そんなビックリするの? 」

「いや、だって朝早くない? まだ七時前だろ? 」

「今は実習期間だから、毎日このくらいには出ないと間に合わないの。ところで、麻愛ちゃんはどこにいるの? 」

「ああ、多分風呂か、もうそろそろ朝飯を食ってる頃だと思うけど? 」

「そっか。それなら、ちょっと顔出してくるわ。私は今日は駅までは見送りには行けないし。それに恒星のことを宜しくって、言っときたいし 」

「なっッ…… 余計なことは言わなくていいからっッ 」

「えっ? 何で? 羽田までお供するのは、恒星じゃん。戦力外しか手札がなくてゴメンね、って言うのは当然でしょ? 」

「……後でぶっ飛ばすからな 」

「やれるもんなら、やってみなさい。どうせ口ばっかりだから怖くなんかないよーだ 」

 佳央理はあっさりと僕の牽制を跳ね返すと、滑稽な僕の体勢を笑っていた。
 佳央理が僕に気を使ってくれているのが、苦しいくらいに胸に響いている。だけどこの場合は、佳央理の優しさには気付かない振りをするのが、礼儀というものなのだろうと感じていた。

「そういえばさ、アルバートから恒星に言伝てして欲しいってメールが来たよ? 」

「ハア? アルバート? 何で佳央理が、そんなことを頼まれてるんだよ? 」

「さあね。まあ、私とアルバートは一応メル友だからかな? 」

「メル友っッ? 」

「そーよ。何か、文句ある? 別に伝言の内容は恒星に教えようと、教えなかろうと、私にはメリットはないんだけどさあ 」

「…… 」

 アルバートからのメッセージなんて、どうせ大したことはない内容であることは明白だ。
 だけどそんな意味深な言われ方をすれば、気になるのが人間の性というやつだ。僕は知る権利を放棄することも出来たのだけれど、この場合はそれは安牌とは言い難い。僕は仕方なく佳央理に最敬礼を送ると、
「すみません あの…… 教えてください 」
と下手に内容の共有を願い出た。

「最初から、そう言えばいいのに 」

 佳央理はそう言うと、ポケットの中からスマホを取り出し、中身を素早くスクロールした。

「じゃあ一応読み上げるけど…… 
『今回はごめんな。担当教官が必死に担当部門に働きかけちゃって、マイの就労を早めちゃったから、俺にも阻止ができなかった。謝るよ』だって 」

「へっ? 」

 どうやらアルバートは、麻愛が日本に来ることにした意思を、応援してくれていたらしい。それを思うと、何だかんだでアルバートは紳士的な一面があるのだと思う。

「佳央理、それって、全部英語で書いてあったんだよな? 」

「勿論。中身は全部、グーグル翻訳の受け売りー。じゃあ、私は先に麻愛ちゃんに挨拶してくるから。恒星は精々、怪我なく荷物を下ろせるように頑張ってね 」

「ちょっ、佳央理っ! 」

 佳央理はそう僕に話しかけると、物を言わせる隙も与えず、勢い良く階段を下りていった。
 僕は佳央理の勢いの良さに、暫し呆気にとられるしかなかった。





◆◆◆





 麻愛が実は医者なのだと、下呂の街の住人に知られることになったけれど、この街を離れるギリギリまで高校には普通に通うことができた。同級生を筆頭に、多少の動揺はあったとは思うけど、みんなは今まで通りに麻愛に接してくれた。

 残念ながら父さんと母さんは薬局の仕事があるから、羽田までは僕が月曜日を一日ズル休みをして、送り届けることになった。飛行機は明日の夜の便だけど、大事をとって今晩は母さんの実家、東京の祖父母の家に一泊することになっている。

 僕らは昼過ぎ頃に下呂の街を出発する。そしてその前には、加恵瑠かえる神社で旅行祈願をして、椿が入院している病院に顔を出す。
 これ程準備が着々と進んでいるのに、未だに麻愛がイギリスに帰ってしまうというのは、まだあまり実感が湧いてこない。何とも不思議な感覚だった。







「ツバキー 」

「あっ、麻愛! 」

「あっ、恒星も付いてきたの? 」

「ああ、そうだけど? 」

 病室に顔を出すと、椿は身体を起こして、僕たちはを歓迎してくれた。その顔色はだいぶ血色が戻っていて、見た目だけの話をすると、とても数週間に心臓が止まって生死の狭間をさ迷った人間であるようには思えなかった。
 椿は既に一般病棟に移っていて、二人部屋を一人で使うVIP待遇になっていた。そしてそこには当たり前のように匡輔がお見舞いに来ていた。何でも、ここ数回の週末は面会時間の殆どを、椿の病室で過ごしているらしい。


「ごめんね。明日だったら、駅まで見送りに行けたのに 」

「ううん、気にしないで。ツバキに会えるなら、場所なんて何処でもいいんだから 」

 麻愛はそう言うと、慣れた様子で病室の丸椅子に腰を下ろして話を始めていた。椿は明日に退院が決まっていて、来週には復学する予定になっている。

「ねーねー、匡輔 」

「何? 」

「私、お茶が飲みたいかも。悪いけど、買ってきてくれない? 」

「わかった。じゃあ、恒星行くぞ 」

「えっ? あっ、ちょっ…… 」

「……? 」

 今までのあの二人の関係性なら、文句の一つでも言いそうなリクエストなのに、匡輔はあっさりそれを受け入れると、僕の襟をつかんで病室の外へと連行した。

「おい、ちょっ、首は止めろよ。普通に絞まって苦しいからさあ 」

「ああ、ごめんごめん 」

 匡輔は明らかにうわべだけの謝辞を示すと、廊下をゆっくりと歩きだした。売店は一階だから、そこに向かっているんだろうけど、その様子はいつもより静かだった。

「ところで、恒星 」

「何だよ? 」

「お前は、これからどうするの? 」

「えっ? どうするって、何のことだよ? 」

「決まってんだろ、麻愛ちゃんのことだよ。離れ離れになるだろ? どうするんだよ、せっかく両思いなのにさあ 」

「……それは 」

 何度も違うと説明はしたのだけど、匡輔も椿も麻愛の帰国のことを気にしていた。まあ、僕も逆の立場ならば同じことを思うだろうから、二人の思考というのは真っ当だ。

「僕は…… 麻愛の隣に追い付くよ。麻愛がイギリスに戻ることは前から決まっていたことだし、僕もそれなりには考えていた。あとは僕の問題だから 」

「いや、俺が言いたいのはそう言うことじゃなくて、いや、そうなんだけどさあ…… 」

「はい? 」

 匡輔は僕の返答にあからさまにガッカリした表情を浮かべると、あーあーと溜め息をついて見せた。

「お前、麻愛ちゃんと進展しとこうとか思わないの? 」

「へっ? 」

「だからさあ、一連の恋人同士の流れとかさ、済ませとかなくていいのかよ? 不安じゃないのかよ、長いこと会えなくなるのに肉体的な繋がりも多少は必要だろ? 」

「いや、それは別に…… 」

「はあ、何だそりゃ? もっと積極的に手を出せよ。麻愛ちゃんの、温もりだって恋しくなるだろ? 」

「はあ…… 」

 僕は匡輔の積極的な働きかけに、思わず閉口していた。
 麻愛と発展しておきたいと思わないこともないけど、僕としては意向の確認が出来ただけで充分に満足していた節もある。

「だからさあ。これ、俺と椿からの恒星への餞別 」

「餞別? 僕はこれからも下呂に居続けるんだけどって、ハアっっっッッーー!!! 」

 僕は匡輔から貰った小袋の中身を見て、病院という場所を失念して思わず声を上げていた。

「ななななっ、何だよ、コレっ!? 」

「何だよって、見ればわかるだろ? コ…… 」

「オイ、ちょっと待て待て、その単語を口にするなよ? レーティングに引っ掛かるからっッ 」

 僕は匡輔の発言を念を押して口止めすると、今一度紙袋の中身を確認した。何で匡輔がこんなものを持っているのかはわからないけど、その中には見慣れない小箱が入っている。しかもこの贈り物は椿の意向も働いているとならば、ハッキリ言って重症だ。

「まあ、備えあれば憂いなしだろ? 」

「馬鹿言えよっッ、そんなことになるわけないだろ? 今日は ばあちゃん家に泊まるんだし、第一、僕らはまだ! 」

「ハア? マジで? もしかしてキスもしてないの? あれから時間はたっぷりあっただろ? それとも家族期間が長すぎて、そういう気が起きないとかか? 」

「それを言うなら、匡輔と椿お前ら二人だって、まだ何もしてないだろ? 」

「俺らのことは、今はいいんだよ。椿が回復して元気になったら、思う存分何でも出来るんだから。だけど恒星たちは物理的に時間がないだろ? そんな悠長に構えている余裕があんのかよ 」

「いや、それはまあ、そうなんだけどさあ…… 」

「お前さ、チキンだな 」

「ハア? 」

「だって、そうだろ? 次いつ会えるかわからないし、麻愛ちゃんだってイギリスで心変わりをするかもしれないじゃないか? 」

 匡輔と椿の主張は、最もな意見だった。
 だけど、僕も考えなしにその選択をしたわけではない。

「……離れたくなくなるだろ? 」

「はい? 」

「温もりを知ったら、麻愛を帰したくなくなるだろ 」


 これだけは言いたくなかったんだけど、僕は面倒臭くなって、本音を隠すのを止めていた。

 相手の温かさを知ってしまえば、離れたくなくなる。
 肉体的な幸福を感じたら、他の誰でもいいという、邪な気持ちだって生まれるかもしれない。

 だから、然るべきときまで僕は麻愛とプラトニックを貫くつもりでいた。



 だけどこの決意は、あくまでも今日の午前中までの話であったことは、先に断りをいれておく。










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