お前のものになりたいから

りふる

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15.忍び寄る影-1

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 グランパとグランマはなんて言うか、要するにやっぱりズレていた、そこらの爺ちゃん婆ちゃんよりも。

「困ったもんだ。マリサ、また孫が一人増えたよ」
「いっぺんに5人になった時も驚いたのにねぇ」

グランマが頬っぺたを突き出したから、リッキーも喜んでキスをした。

「でも、私、一つ条件があるわ」

ギョッとした。だってグランマは文句なく受け入れてくれると思ってたのに。

「ウェディングケーキは、私が焼いたパイにしてほしいの」
「マリサ、パイはケーキとは言わんよ」
「あなた、私のパイが気に入らなかったの? 結婚してずいぶん経つけどそんなこと一言も言わなかったじゃない!」
「いや、だからウェディングケーキというのはだな、」
「私たちの結婚式は誰も呼べなかったでしょう?   あの時、私が焼いたパイを美味しい、最高のウェディングケーキだと言ったのはあなたよ。あれは嘘だったの!?」
「グランマ、グランマ! 僕たちパイでいい! いや、パイがいい!!  グランマの作るパイは最高だよ、な、リッキー!」

助けてくれ という僕の悲鳴にリッキーは笑い転げている。

​「グランマ、俺もパイがいいです。最高の結婚式になります」
「言い直しよ、リッキー」
「は?」
「言い直し」
「あの……パイがいいです」
「だめ、不合格」
「えと、パイが好きです」
「やり直し」

今度はリッキーが助けを求めてきた。僕も何がやり直しなのか分からない。

「リッキー。あなた私たちの何になるの?」
「……家族です……」
「そうよね? じゃ、こういう時、なんて言うの?」
「……ありがとうございます」
「違うでしょ?」
「嬉しいです」
「また間違えた」
「……降参です! 教えてください!」
「宿題にしようかしら。式はお預けね」
「それは困る! 今教えて、頼むから!」
「合格」
「……どこが?」
「分からないの? 家族はそんな他人行儀な言葉は使わないものよ」

あんまり嬉しくって、リッキーはグランマに跳びついて抱き上げた。

「ありがとう! ありがとう、俺も大好きだよ、グランマ!」

「プレゼントをやろう」
やれやれ という顔でグランパが言い出した。
「え、いいよ! そんなことしなくても」
「お前たちにあの離れをやる」
「でもジェフが……」

「あれは私の物だよ。あの子には四の五の言わせん。こっちに来た時はあそこに住みなさい。好きなように変えるといい。内装の費用も半額プレゼントしてやろう。その代わり片づけと残りの資金の調達は自分たちでやりなさい。ジェフがゴチャゴチャ言わんうちに権利譲渡の手続きをしておこうか」

あの子……ジェフもグランパにかかっちゃ形無しだ。

「あそこ、二人の大事な思い出の場所でしょ? なのに」
「だからだよ、フェル。お前たちに大事なものをやりたい。それがプレゼントってもんだ。大事に使っておくれ」
「たまにはお茶に呼んでちょうだい。パイを持って行くから」
「お前はパイのことしか言わん」
「あら、美味しいと言ったのはあなたよ」
「言わなきゃ良かったよ」


「お前、恵まれてるよ」
「なんだ、他人事みたいに言うなよ、全部お前のものにもなるんだから」
「ウソみたいだ! まだ信じらんねぇよ。まさか今日ここまで話が進むなんて思ってもいなかった!」
「実は僕も今日はジェフにOKもらえないだろうと思ってたんだ」
「お前、頑張ってくれたから……とうとう俺のこと、何も話さずに承諾させちまった…… どうなるかってハラハラしたけど、全部お前のお蔭だ」
「頑張るのは僕の役目だからね。お前は リチャード・ハワード って間違えないで言えるように頑張ってくれよ」
「リチャード・ハワード……ウソみたいだ、フェル!!」

 まず、大学に戻ろう  そう二人で決めた。ジェフに言われたことは尤もだ。世間は甘くない。綺麗事じゃ暮らしていけない。それに社会に出るまでの猶予期間が出来たことで、僕らはきちんとした生活設計が立てられる。何もかも見越したジェフのアドバイスのお陰で、僕たちには現実が見えてきた。

 楽しいことを考える余裕も出来た。式に誰を呼ぶか。いつにするか。今は夏休み。サマースクールの申し込みはもう無理だけど勉強もしなくちゃ。

 7月25日に大学に戻って、7月中にリッキーのバイトを決める。そこからはお互いに働きながらこれから先のことを決めていく。リッキーはこれまでの送金にあまり手をつけていなかった。行動が制限されていたから使いようがなかったんだ。だからここで援助を打ち切ってもある程度の生活費はある。

 問題は僕だ。実は学費だけはこっそりグランパが出してくれていた。
「大学は出た方がいい」 
それはジェフと同意見だったから助けてくれたんだ。けど生活費は自分で作らなきゃならなかった。これを機会にリッキーも働きたいと言い出して、僕らは一緒にバイトすることにした。

 本当にやること、考えることがたくさんある。
「式はいつがいいかな。フェル、誕生日はいつ?」
楽しそうなリッキーの声。
「悪い、もう過ぎた」
「……うそ」
「ほんとだよ、4月だから。リッキーは?」
「4月のいつ?」
「8日。どうかした?」
「それって……俺たちが初めてセックスした後だよな……」
思い返してみる。
「そうだな、シェリーにばれた後だから」
みるみる目が潤んで僕は焦った。
「嫌いだ、フェルなんかフェルなんか大っ嫌いだ!」


​ 何が起きたのかさっぱり分からない…… 飛び出して行ったきり、1時間も戻って来ない。あちこち探して、家に行ってみた。

「母さん、リッキー来なかった?」
「さっき見かけたけど。どうしたの?」
「それが……」
経過を聞いた母さんが笑い始めた。
「それはあなたが悪いわよ」
「どうして!」
「考えなさいな。私は教えない」
なんでこんなことになるんだよ。
「少し時間いい? リッキーなら心配ないから」
何をもってして大丈夫だと言えるのか?

「ちょうど良かったわ、二人きりで話がしたかったから」

……逃げたい。話の予想はつく。

「スーのこと。本当にごめんね。今さらだけど、頭から鵜呑みにしないであなたと話せば良かった。長いこと辛い思いをさせてしまった……」
「僕なら大丈夫だよ。それよりスーに謝りたかった。アルが好きだって言われて僕はすぐに諦めたんだ。その方が彼女にはいいと思って。後悔したよ」
「ナイフに飛び込んだって……死にたかったの?」
「……ちょっと違う。あの時の僕はどうかしてたんだ、頭に血が昇って。今ならそんなことはしないよ。もう僕の中では決着がついてるんだ」
「アルとのこと……」
「その話だけはしたくない、母さん」
「いつからなの? こんなことになったのは」
「僕もアルも絶対話さない。でも母さんに対してやましいところは何もないから。母さんが知りたい気持ちは分かるよ。けど、これだけはいくら聞いても無駄だ」

「リッキーのことなら聞いてもいい?」
「どんなこと?」
「どこに惹かれたの?」

良かった、それならいくらでも語れる。

「彼は真っ直ぐなんだよ。たくさんの人に誤解されてる。本人もそれを知ってたけど何もかも諦めていた。死ぬほど辛い目に遭ってるのに、それが自分に与えられた人生なんだと受け入れていた。僕はね、リッキーを信じてないところからスタートしたんだよ。愛してるんだって言われた時、何を言ってるのか分からなかった。こんないい加減なヤツは見たこと無いって思ってたからね。でも違った。知れば知るほどどんどん自分の気持ちが変わっていったよ。まさかこんなに自分にとって必要な人になるとは思ってもいなかった」

「いい時ばかりじゃないわ」
「そうだね」
「いつか……子どもが欲しいと思ったらどうするの?」
「それは僕1人で考えることじゃないよ。これから先、色んなことがあると思う。僕は一人じゃなくて二人で解決していきたいんだ」
「分かった。聞きたかったのはそれだけよ。リッキーはビリーの部屋にいるわ。行きなさい。彼を苛めちゃだめよ、あなたよりうんと繊細なんだから」


 なんだか僕が苛めをしてるような言われっぷりに、謂れのない扱われ方をされているのは僕の方だとプンスカしながらドドっとビリーのドアを叩いた。

「誰?」
誰もへったくれもない、この叩き方は僕だけなんだから。
「お前の兄貴だ、知らないだろうが」
「入れば」
やけに刺々しい声。ガチャっと開けると向こうを向いて座っているリッキーがいた。
「リッ……」
「フェル、酷いよ! 俺だってそんなことしない!」
何につけても直情型のビリーの頭はあっという間に沸点に達する。
「ジェフみたいな大人になるんじゃなかったのか?」
自分で分かる、今僕はリッキーに声をかけるのを躊躇っている。
「一晩じゃ無理なことくらい分かるだろっ! それよりリッキーに謝れよ!」
「もういいんだ、ビリー」
なんて悲しげな声出すんだよ。
「フェルになんか分かんねぇんだ、俺の気持ち」
「ダメだよ、泣き寝入りしちゃ」
「おい! 僕がどれほどのことをしたって言うんだよ、説明しろよ!」
「フェル、なんで誕生日のことリッキーに黙ってたんだよ!」
「へ?」

なんだ、それ?

「それがどうしたんだ?」
また大粒の涙が流れ始めるからたまんない!
「待てよ、リッキー、誕生日がどうしたんだよ?」
「フェル、リッキーのこともう少し分かってるかと思った、俺見損なった!」
「だからどうしてそこまで言われなきゃならないんだ!」
「誕生日って恋人がいたら一緒に祝うもんだろ!」

あんぐり口を開けている僕を見て、リッキーが細々とした声で言う。
「初めてのアニバーサリーだったんだ……俺、誰の誕生日も祝ったことない。憧れてたんだ」


 僕は騒がせたことをビリーに謝って……納得いかないけど……リッキーの肩を抱いて離れに戻った。

「僕に直接言えばいいんだ。心配したんだぞ」
さんざん僕に謝られて落ち着いてきたリッキーは、さすがに騒がせ過ぎたと思ったのかすっかりしょげている。
「ジーナにも心配かけたよな……」

いや、あの様子は心配というより面白がっていると言った方が正しい。

「気にするな、母さんは楽しんでたよ、息子じゃなくて娘が出来たみたいだってさ」
「消えてしまいたい……」
「ごめん、本当にそういうこと楽しみにしてたなんて思わなかったんだ」
「俺が悪い、考えてみたら俺が早く聞けば良かったんだ」
「ストップ! やめよう、また次のケンカになりかねない。どっちが悪いかなんてさ」

手を引っ張って額にキスをする。そうだった、リッキーは時々女の子になるんだ。今度からもっと気遣ってやらなくちゃ。

「リッキーはいつ? 式、その日にするか?」

「ずっと先だからそれはいやだ。俺、11月2日なんだ」
「じゃ、今僕が年上か」
「うるさい!」

ようやくいつものリッキーに戻ってホッとした。

 2晩続けてのセックスは、さすがに今の僕には無理だった。
「ごめんな、リッキー」
しかもここのところのいろんな騒ぎでドッと疲れが出た僕は、もう眠くてしょうがなかった。
「いいんだ、寝ろよ。俺、見ててやるから。今日は薬要らねぇと思う」
僕も出来ればそろそろ薬とも縁を切りたい。
「悪い、そうするよ。リッキーも早くねるんだぞ……」


 あれきり熟睡したらしい僕は早くから目が覚めて、リッキーの寝顔を眺めていた。髪が一房目にかかっているけど、あんまり綺麗で見惚れていた。かき上げてやったら起こしてしまいそうだ。

 打ち身の痛みはもう鈍痛になっている。肝心の場所も、バタバタしている時には忘れるようになってきた。フラッシュバックはまだ時折起こる。でも最初よりは落ち着いたかもしれない。

 誰かに対して責任を持つっていうのは、自分をコントロールするのにはいい薬になるのかもしれない。守っていくべき配偶者が出来る。きっとそのことも僕を強くしていくはずだ。

 結局僕はそのままリッキーに見惚れて、気がついたら30分も時間が経っていた。
『家族なんだからもっとフランクに』
今のリッキーには難しい宿題。そんなこともあったりして気疲れしてるんだろう。起きないリッキーをそのままに、そっと部屋から出てバスルームに向かった。
 昨日よりも体の痛みが取れている。動くのもだいぶ楽になっていた。夕べゆっくり眠れたおかげだ。

 バスルームを出たところでノックがあった。

「誰?」
「俺! 起きてた?」
バスタオル一枚腰に巻いてドアを開ける。
「今シャワー浴びてたんだ」

そして、ビリーから朝食の知らせを申し訳無さそうに俯いた顔で言われる羽目になった。

「あの……邪魔するつもりじゃなかったんだ……」

 ドアを開けたちょうどその時、ほとんど裸体で降りてくるリッキーを見て泡食ってしまったんだ。リッキーもビリーの姿を見て一目散に2階に駆け上がってしまった。

「良かったら朝食に来て! 来なかったら俺、適当に言い訳しとくから!」
ご丁寧に2階に叫んでビリーは戻っていった。


「バカ! もっと早く起こしてくれれば良かったんだ!」
「見られちゃったもんはしょうがないだろ?」
「夕べはヤッてねぇ!」
「そういう問題?」
「ビリーにどんな顔すりゃいいんだよ!」
「堂々としてりゃいいじゃないか。それともヤッてないって言うか?」
「俺……フェルのそういうとこ、たまについてけない」
「気にするなよ、僕たち夫婦になるんだからな」

途端に赤くなったリッキーがおかしかった。

「いいから食事に行こう。食いっぱぐれちゃうし、ビリーの変な言い訳の方が心配じゃないのか?」
その言葉は効いたらしい、慌てて寝室にあるシャツを羽織りながらリッキーは下りてきた。

「シャワー浴びるくらいの時間はあるよ」
「お前は?」
「もう済んでる」
「……きったねぇ!」

バスルームに飛び込んで濡れ髪のまま家に向かった。


「あの……間に合って良かったね」

 濡れた髪に目をやったビリーの要らない気遣いにリッキーは赤くなるから、まるで認めちゃったようなもんなのに本人は気づいちゃいない。ジェフも母さんも素知らぬ顔してんだか気づいてないんだか分からなかったけど、僕の口元はどうもニヤついてくる。お蔭でテーブルの下でリッキーに蹴られてしまった。

「いつ、ここを発つの?」
「明後日くらいかな、ゆっくり考えたいことも、やんなきゃならないこともあるからね」
「どんなこと?」
「俺のバイト先を決めるんです。自分の生活を変えようと思って。少しでも自力でやっていこうと」
「あのね、リッキー。グランマから釘を刺されてるの。普通に喋らないと式は見送りって」
「え……?」

思わずジェフを見るリッキーにジェフは笑っている。

「私に助けを求めないでくれ、リッキー。ここじゃ実権を握ってるのは母だと思った方がいい。私はよく家を留守にするからね」
これはリッキーにはハードルが高いだろう。
「あの、ジーナ……いきなりは無理かと……」
「そう? 私は構わないわよ。だってビリーには普通に喋ってるでしょ? 後は私とジェフにだけよ」
完璧に母さんはリッキーで遊んでる。
「……頑張ります」
「え? なんて言ったの?」
「が、がんばるよ」

しばらくはこの片言が続くだろう。大学に戻るまで大変そうだな、リッキー。


 母さんが力を注いだ贅沢な朝食を味わって、僕らは離れに向かった。あの後、リッキーはすごく口数が少なくって、いつもの倍くらい緊張してフォークを取り落としたくらいだ。

「早く大学に戻ろう」
「焦るなよ、僕はまだそんなに早く動けない」
急に不安そうな顔に変わった。
「まだ……そうだよな、まだ痛むよな……ごめん、平気な顔してるからすっかりそのことが頭から飛んでた」
「謝ることじゃないよ。無視出来ない痛みじゃなくなってきたから。でももうちょっとだけ待ってくれるか?」
「もちろんだよ! お前が最優先なんだ、してほしいことあったらなんでも言えよ」
「リッキーは充分僕の面倒見てくれてるよ。後は自分で立ち直んなきゃ」
「一緒に戦うって言っただろ? 自分だけ一人で頑張んなよ」
「お前がいてくれるだけで僕は頑張れるんだ。僕がだめな時は助けてくれよ。きっとお前しか僕を助けられない」
「任せとけ、お前には俺がいる」

 そうだ。それが僕の支えなんだ。それから3日して、僕らは大学に戻ることに決めた。

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