20 / 37
14.憎み合う 思い合う-2
しおりを挟む
離れの中は古臭くて、それが妙に気持ちを落ち着かせてくれた。階段をゆっくり上がる。リッキーが手を貸してくれて、ひどく疲れたから僕はそれを素直に受け入れた。
そんなに広くはない寝室に、一つのベッド。リッキーは僕を甘やかして、僕は黙って甘やかされた。うつ伏せに横になった僕の髪をリッキーが梳いてくれる。少しずつ気持ちが楽になってくる。
「話しちまえよ。俺は墓場まで持ってくから、その話」
「僕らは父親が同じだったんだよ」
リッキーの手が止まった。誰にも話さなかったのにリッキーにはすんなり言える。
「母さんは同じ相手に二度犯されたんだ…… そして母さんはそれを知らない。その男は町に舞い戻ってきて、すぐに母さんを襲った。それを突き止めたのがアルだ。アルは17で僕は13だった。僕によく似てたって言われたよ。髪も同じ色。目と口元がよく似てたって。アルには僕がその男に見えてるんだ。母さんのことになると異常なほど人が変わるからね。本当に僕が気に食わないんだよ」
言い始めたら止まらなくなっていた。誰も知らない話。シェリーさえ知らない話。いつも……重かった。
「僕はアルに引き摺られてその男の前に行った。これがお前の息子だ、こいつがお前の父親だってね。言われた通り僕はそいつに似てた。けど」
リッキーの手がまた動き始めて、僕の言葉にまたピタリと止まった。
「その男、しばらく経ってから川に浮いてたよ。飛び下りたんだろうって言われてる」
そうだ。 飛び下りた そう聞いたんだ。そしてアルが笑った。「後はお前だけだ」 そう言って。
全部話し終えた僕にリッキーは優しかった。
「リッキー、眠りたい」
「ああ。寝かせてやるよ。ちょっとだけ待ってろ」
部屋を出て、バスルームが開く音がした。何も考えることが出来ない。ただリッキーを待った。戻ったリッキーが全部脱いだ。僕も脱いだ。
「ゆっくりでいいんだ。お前の好きなように動けよ」
僕を見つめる目を見下ろした。
ああ お前がいて僕は救われてる。悲しくもない、辛くもない。荷を下ろしたような気がする、リッキーに話して。柔らかい唇が僕を迎え入れてくれた。僕が無理しないように僕の動きに合わせてくれる。
リッキー。お前の中 あったかいよ。今日は静かなんだな。でもお前の顔は 、息は、 必死に堪えてるのが分かる。意識を飛ばしたくないんだろう、お前のことだから。僕を 守ろうとして。リッキー、僕もお前のことを守りたい。
不思議な時間だった。お互いに何も言わず、存在を確かめ合うような。あんまり静かな営みだから、互いの息づかいとベッドの揺れがこの世界の全てだった。
欲しがり過ぎず 与え過ぎず
ただ相手を味わっていく
時間が止まる
世界が止まる
壁が消えて 空気の中に漂って
浅く 口づけ ひっそりと腰が動き
胸を重ねて 鼓動を確かめ
瞳を見つめては 腰が動き
小さな喘ぎに 身を浸す
目を閉じれば リッキーの顔が浮かび
目を開ければ リッキーがそこにいた
このまま 世界が 終わればいいのに
今 命を失うなら きっと僕は幸せだ
ああ
リッキーのため息に 空気が震える
ああ
僕のため息に 風が生まれた
光も闇も 何も無くて
リッキー
お前だけがここにいる
気持ち いいな
ああ 気持ちいい
フェル、 俺はここにいるよ
リッキー 僕もここにいるよ
僕らは ゆらゆら 揺れていく
「おはよう」
「ああ、おはよう、寝坊助」
笑うリッキーを胸に抱いた。そのままくつくつと笑ってる。
「何時だ? 笑うなよ」
「知らねぇ。起きた時が朝だ」
「凄い理屈だな」
また、くつくつと笑う。
「お前、楽しそうだ」
だから僕も楽しかった。唇が触れあった。
「この朝だけでいいな」
意味が分かるよ。同じことを考えたんだ。
――このまま 世界が 終わればいいのに――
「シャワー、浴びなきゃ」
立ち上がる僕の痛みが少し薄れているような。
ゆっくり降りる僕の前を、手すりに掴まったリッキーがこっちを向いて下りて行く。僕が落ちても抱きとめられるように。バスルームで互いに洗いあって、その後抱き合ったまま長いことこの雨に当たった。
「熱くねぇか? 傷に滲みねぇか?」
「ぬるいから大丈夫だ」
「腹、減ったな」
今度は僕が笑った。
「なんだよ」
「お前、健康的になったよな。運動して腹減ってる」
赤くなった首筋に唇を当てた。
「バカヤロー、ロマンチックって言葉を知らねぇのか? セックスを運動って言うな」
「夕べたっぷり僕を食ったろ?」
「黒くなってるとこ、押してやろうか?」
「なあ、僕も腹減った!」
「俺を食ったくせに」
「もう消化しちゃったよ」
手が黒い痣に近づいたから慌ててバスルームを出た。
「そんなに食って大丈夫か?」
母さんまで心配そうに僕を見てる。
「何が?」
「後でその……」
食事の席で言うことじゃないと思ったんだろう。
「自然体で座れば、自然に出るってシェリーが言ってたよ」
ジェフとリッキーがコーヒーを吹いたから、僕は素早く皿を持ち上げた。ビリーは逃げそこなって、ジェフの洗礼を浴びてしまった。
「フェル!」
夕べ何も無かったのように怒る母さんに、僕はホッとした。母さんは知らない、自分の相手が同じ男だったこと。
「何が自然に出るの?」
アナとマリーは興味津々。二人を追いやってジェフはため息をついた。
「こんな時に夏休みだなんて全く間が悪い。フェル、君は……体は大丈夫か?」
何を聞きたいか分かるよ。
「ありがとう、大丈夫だよ。この頃、大丈夫ばっかり言ってるけどね。でも本当に大丈夫。そうなりたいから」
「そうか」
「ジェフ。母さん。話があるんだ。ビリーも聞いてほしい」
リッキーがハッとした。母さんが座った。
「なんだ?」
きっとジェフは僕が何を言うのか分かってる。
「正式に僕はリッキーをパートナーにしたい。リチャード・ハワードにしたいんだ。それを認めてほしい、ジェフ、母さん、ビリー」
しばらく沈黙が生まれた。
「なんだよ! なんで黙ってんだよ! 俺、いいと思う。リッキー、すごくいいと思う!」
「待ちなさい、ビリー」
ビリーの目が吊り上がった。
「俺、許さないからな! フェルの邪魔はさせない!」
「そうじゃない、ビリー。フェル、大学を卒業するまで待てないのか?」
「意味無い、ジェフ。待つつもり無いんだ。ジェフがそう言うならきっとリッキーは待つって言うよ。でも僕は待たない」
「フェル、」
「お前は黙ってろ。言ったはずだ、これは僕がやることだって。ジェフ。反対されたくない。きちんと認めてほしい、リッキーを家族に迎え入れることを」
僕がリッキーを守るために今出来ることはこれだ。母さんは反対しない。それは知ってる。グランパもグランマも大らかな人だ。反対はしないだろう。だからジェフの承諾を得たかった。
ジェフの沈黙がリッキーを切り裂く。僕には悲鳴が聞こえる。
「ジェフ。僕は折れない。ちゃんと式を挙げたい。ジェフにも参列してほしい」
「待てないのは、なぜだ?」
リッキーの悲鳴が聞こえる。
「僕がリッキーを愛してるから。それ以上何か言う必要ある?」
「私はリッキーが好きだよ。だから反対というんじゃないんだ。ただちゃんと知りたい。アルのことでも君は関係無いと言った。家族になるリッキーのことでもそう言うつもりか?」
「喧嘩するつもりなんか無いよ。でも僕はリッキーを守っていく立場だ。リッキーに対して彼を幸せにするために責任を持つ。そのためなら何でもする。だからジェフに承諾を貰いたいんだ。それが最初の僕の責任だ」
ジェフが口を閉じた。リッキーの両の拳が白くなっていく。その上に手を重ねた。大丈夫だ。大丈夫だよ、リッキー。お前のために頑張るから。
「君は、私に承諾してほしいと言った。そして待たないとも。矛盾していないか? 私は君たちのために待つべきだと思っているんだ」
「何が僕たちのため? 待って何が変わるの?」
「リッキー。君は私とジーナの息子になるんだ。その意味は分かっているかい?」
「俺……フェルの言った通りです。ジェフが待てと言うなら待ちます。でもそれじゃフェルを裏切ることになる。ジェフの聞いてることの意味分かってます。親子になるのになんで隠し事があるんだ? そういうことですよね? でも、でも……すみません、言えなくて本当にすみません。お願いです、俺たちを認めてください。お願いします」
ジェフがリッキーをじっと見た。その顔は怒ってはいなかった。
「大学はどうするんだ?」
「やめようかと。元々僕には必要無かった。アルがそれを求めただけだ、みっともないからって」
「俺たち、働いてやっていこうと思ってるんです」
「リッキー、君は今までどうやってきたんだ? つまり、生活や大学の費用。君の言ってた通りなら、誰かが援助してくれたのかな? 今までバイトもしてなかったんだろう?」
「ジェフ、ごめん。それも答えさせたくない」
「フェル、リッキー。君たちは私を納得させる材料を提供していない。何も言わない相手をどうして家族に迎え入れられるだろう」
「言ってること、尤もだと思う。でも信じて欲しいとしか言えない」
大きなため息が流れた。
「フェル。昨日もそうだ。君はこれまで私たちの信頼を裏切ったことなどないよ。私たちが知ろうと知るまいと君は正しい道を選んできた。そうやって私たちを救ってくれていたんだ。いや、ジーナを。だから今度もそうなんだろう」
ジェフは母さんを見た。母さんはじっと真っ直ぐジェフを見返した。
「ジーナ。君はこれでいいんだね?」
「いいわ。私、この二人の母親だもの」
「そうか」
リッキーの拳の力が強くなる。激しい鼓動と震えが伝わってくる。
「君はずっと前からとっくに大人だったんだ。夕べ改めてそれを知らされたよ。分かった、認めるよ」
リッキーが一気にへたり込んでいく。僕はその拳を叩いた。まだ震えている。涙がその手に落ちてくる。
「ただし」
また拳に力が入り、僕はそれを握りしめた。
「大学は続けるんだ。ちゃんと卒業しなさい、二人とも。今の世の中、それは大切なことなんだよ。高卒のまま夢の様な生活が出来ると思わないことだ。現実はそんなに甘くない。それが分らないようじゃ認めるわけにはいかない。必要な階段はきちんと登るんだ。これから君たちは逆境に生きることになる。世間には君たちを認めてくれない人たちが大勢いる。だからそれを覆すだけの武器を手に入れておくんだ、どんなものでも」
ジェフの言ってくれたことが有り難かった。本当に有難かった。
「ありがとう、ジェフ……僕は……僕らは心の底から感謝してる。時間がかかるだろうと覚悟してたから」
「それにしちゃ、君は全く譲る気配は無かったけどね」
笑っているジェフ。
「ジェフ……俺、感動した。本当は最初っから認めていたんだろう? けどちゃんと筋を通したんだ。ジェフみたいな大人になりたい。もう昨日みたいなことはしないよ。もっとよく考えるようにする。勉強もやり直す」
ビリーからこんな言葉を聞くなんて思いもしなかった。ビリーの言う通りだ。ジェフは大人だ、本物の。だからアルは受け入れた。
「アルにリッキーがホテルに連れて行かれたことがあったよね。あの時もきちんと僕を戒めてくれたからバカなことをしないですんだ。感謝してる、いつも助けてもらってる。分かった。大学はきちんと卒業する。それも責任を持つことの一部だから」
「式は……」
「挙げなさい。呼びたい参列者は自分たちで選んでいい。君たちに堂々としていてほしいし、私も堂々としていたい。家族は全員出席だ。アナとマリーには私がちゃんと説明するよ、いや、フェル。これは父親の役目だ。君に譲るわけにはいかない」
僕が口を開く前にジェフは手を上げた。こんなところも見習わなくちゃならない。ジェフは立派な人だ。母さん、今は幸せだよね? だから過去のことは断ち切れたんだよね?
「アルも出席させるつもりでいる。あの子も大人になってもらわないと。私が話してみるよ。もしだめだったら悪いが諦めてくれ。それでいいだろうか?」
一瞬迷ったけどけじめをつけるにはいい区切りなのかもしれない。結果がどうであれ、アルとの間に線引きが出来るのは確かだ。
「ジェフ、階段を登る。ちゃんとね。アルも階段だ。そういうことだね」
リッキーが立ち上がってジェフの前に立った。ジェフが手を差し出すよりもリッキーがジェフに飛びつく方が早かった。宙に浮いたジェフの手がリッキーの背中に回った。
「ありがとう、ジェフ……ありがとう」
「リッキー。これからも君は私の釣りにつき合わなくちゃいけないよ。それでもいいかい?」
「いいです。釣りの事、もっと教えて……」
やっとジェフから離れて母さん、ビリーと抱き合った。その姿が嬉しくて僕はずっと目で追った。
「ビリー、ありがとうな。いつも励ましてくれた。俺、お前のお蔭でここまで来れたと思ってる。初めて会った時から俺を受け入れて家族になろうって言ってくれた」
「俺……俺、最高に嬉しい! フェルと幸せになってよ。ナイフ止めてくれてありがとう! 俺を抱きしめてくれた。あの後、部屋も覗いてくれた、ケガさせたのに。とっくにリッキーは俺の家族だよ」
そんなことしてくれてたのか…… 僕でさえビリーのこと、頭から抜けてたのに。
「式はいつにしたいんだ?」
「早い方が有難いんだ、ジェフ。花嫁が誰かにかっさらわれないうちに」
「おい!」
「お前は花嫁だって言ったろ? でも式にドレス着ろとは言わないよ」
泣いてる母さんが笑い声を上げた。
「あら、私ドレス縫いたかったのに」
「ジーナ、勘弁して!」
真っ赤になったリッキーが情けない顔をしている。
これで責任一つ果たしたよ、リッキー。あと一つだ。その階段を無事に登れば僕たちの生活が待っている。
そんなに広くはない寝室に、一つのベッド。リッキーは僕を甘やかして、僕は黙って甘やかされた。うつ伏せに横になった僕の髪をリッキーが梳いてくれる。少しずつ気持ちが楽になってくる。
「話しちまえよ。俺は墓場まで持ってくから、その話」
「僕らは父親が同じだったんだよ」
リッキーの手が止まった。誰にも話さなかったのにリッキーにはすんなり言える。
「母さんは同じ相手に二度犯されたんだ…… そして母さんはそれを知らない。その男は町に舞い戻ってきて、すぐに母さんを襲った。それを突き止めたのがアルだ。アルは17で僕は13だった。僕によく似てたって言われたよ。髪も同じ色。目と口元がよく似てたって。アルには僕がその男に見えてるんだ。母さんのことになると異常なほど人が変わるからね。本当に僕が気に食わないんだよ」
言い始めたら止まらなくなっていた。誰も知らない話。シェリーさえ知らない話。いつも……重かった。
「僕はアルに引き摺られてその男の前に行った。これがお前の息子だ、こいつがお前の父親だってね。言われた通り僕はそいつに似てた。けど」
リッキーの手がまた動き始めて、僕の言葉にまたピタリと止まった。
「その男、しばらく経ってから川に浮いてたよ。飛び下りたんだろうって言われてる」
そうだ。 飛び下りた そう聞いたんだ。そしてアルが笑った。「後はお前だけだ」 そう言って。
全部話し終えた僕にリッキーは優しかった。
「リッキー、眠りたい」
「ああ。寝かせてやるよ。ちょっとだけ待ってろ」
部屋を出て、バスルームが開く音がした。何も考えることが出来ない。ただリッキーを待った。戻ったリッキーが全部脱いだ。僕も脱いだ。
「ゆっくりでいいんだ。お前の好きなように動けよ」
僕を見つめる目を見下ろした。
ああ お前がいて僕は救われてる。悲しくもない、辛くもない。荷を下ろしたような気がする、リッキーに話して。柔らかい唇が僕を迎え入れてくれた。僕が無理しないように僕の動きに合わせてくれる。
リッキー。お前の中 あったかいよ。今日は静かなんだな。でもお前の顔は 、息は、 必死に堪えてるのが分かる。意識を飛ばしたくないんだろう、お前のことだから。僕を 守ろうとして。リッキー、僕もお前のことを守りたい。
不思議な時間だった。お互いに何も言わず、存在を確かめ合うような。あんまり静かな営みだから、互いの息づかいとベッドの揺れがこの世界の全てだった。
欲しがり過ぎず 与え過ぎず
ただ相手を味わっていく
時間が止まる
世界が止まる
壁が消えて 空気の中に漂って
浅く 口づけ ひっそりと腰が動き
胸を重ねて 鼓動を確かめ
瞳を見つめては 腰が動き
小さな喘ぎに 身を浸す
目を閉じれば リッキーの顔が浮かび
目を開ければ リッキーがそこにいた
このまま 世界が 終わればいいのに
今 命を失うなら きっと僕は幸せだ
ああ
リッキーのため息に 空気が震える
ああ
僕のため息に 風が生まれた
光も闇も 何も無くて
リッキー
お前だけがここにいる
気持ち いいな
ああ 気持ちいい
フェル、 俺はここにいるよ
リッキー 僕もここにいるよ
僕らは ゆらゆら 揺れていく
「おはよう」
「ああ、おはよう、寝坊助」
笑うリッキーを胸に抱いた。そのままくつくつと笑ってる。
「何時だ? 笑うなよ」
「知らねぇ。起きた時が朝だ」
「凄い理屈だな」
また、くつくつと笑う。
「お前、楽しそうだ」
だから僕も楽しかった。唇が触れあった。
「この朝だけでいいな」
意味が分かるよ。同じことを考えたんだ。
――このまま 世界が 終わればいいのに――
「シャワー、浴びなきゃ」
立ち上がる僕の痛みが少し薄れているような。
ゆっくり降りる僕の前を、手すりに掴まったリッキーがこっちを向いて下りて行く。僕が落ちても抱きとめられるように。バスルームで互いに洗いあって、その後抱き合ったまま長いことこの雨に当たった。
「熱くねぇか? 傷に滲みねぇか?」
「ぬるいから大丈夫だ」
「腹、減ったな」
今度は僕が笑った。
「なんだよ」
「お前、健康的になったよな。運動して腹減ってる」
赤くなった首筋に唇を当てた。
「バカヤロー、ロマンチックって言葉を知らねぇのか? セックスを運動って言うな」
「夕べたっぷり僕を食ったろ?」
「黒くなってるとこ、押してやろうか?」
「なあ、僕も腹減った!」
「俺を食ったくせに」
「もう消化しちゃったよ」
手が黒い痣に近づいたから慌ててバスルームを出た。
「そんなに食って大丈夫か?」
母さんまで心配そうに僕を見てる。
「何が?」
「後でその……」
食事の席で言うことじゃないと思ったんだろう。
「自然体で座れば、自然に出るってシェリーが言ってたよ」
ジェフとリッキーがコーヒーを吹いたから、僕は素早く皿を持ち上げた。ビリーは逃げそこなって、ジェフの洗礼を浴びてしまった。
「フェル!」
夕べ何も無かったのように怒る母さんに、僕はホッとした。母さんは知らない、自分の相手が同じ男だったこと。
「何が自然に出るの?」
アナとマリーは興味津々。二人を追いやってジェフはため息をついた。
「こんな時に夏休みだなんて全く間が悪い。フェル、君は……体は大丈夫か?」
何を聞きたいか分かるよ。
「ありがとう、大丈夫だよ。この頃、大丈夫ばっかり言ってるけどね。でも本当に大丈夫。そうなりたいから」
「そうか」
「ジェフ。母さん。話があるんだ。ビリーも聞いてほしい」
リッキーがハッとした。母さんが座った。
「なんだ?」
きっとジェフは僕が何を言うのか分かってる。
「正式に僕はリッキーをパートナーにしたい。リチャード・ハワードにしたいんだ。それを認めてほしい、ジェフ、母さん、ビリー」
しばらく沈黙が生まれた。
「なんだよ! なんで黙ってんだよ! 俺、いいと思う。リッキー、すごくいいと思う!」
「待ちなさい、ビリー」
ビリーの目が吊り上がった。
「俺、許さないからな! フェルの邪魔はさせない!」
「そうじゃない、ビリー。フェル、大学を卒業するまで待てないのか?」
「意味無い、ジェフ。待つつもり無いんだ。ジェフがそう言うならきっとリッキーは待つって言うよ。でも僕は待たない」
「フェル、」
「お前は黙ってろ。言ったはずだ、これは僕がやることだって。ジェフ。反対されたくない。きちんと認めてほしい、リッキーを家族に迎え入れることを」
僕がリッキーを守るために今出来ることはこれだ。母さんは反対しない。それは知ってる。グランパもグランマも大らかな人だ。反対はしないだろう。だからジェフの承諾を得たかった。
ジェフの沈黙がリッキーを切り裂く。僕には悲鳴が聞こえる。
「ジェフ。僕は折れない。ちゃんと式を挙げたい。ジェフにも参列してほしい」
「待てないのは、なぜだ?」
リッキーの悲鳴が聞こえる。
「僕がリッキーを愛してるから。それ以上何か言う必要ある?」
「私はリッキーが好きだよ。だから反対というんじゃないんだ。ただちゃんと知りたい。アルのことでも君は関係無いと言った。家族になるリッキーのことでもそう言うつもりか?」
「喧嘩するつもりなんか無いよ。でも僕はリッキーを守っていく立場だ。リッキーに対して彼を幸せにするために責任を持つ。そのためなら何でもする。だからジェフに承諾を貰いたいんだ。それが最初の僕の責任だ」
ジェフが口を閉じた。リッキーの両の拳が白くなっていく。その上に手を重ねた。大丈夫だ。大丈夫だよ、リッキー。お前のために頑張るから。
「君は、私に承諾してほしいと言った。そして待たないとも。矛盾していないか? 私は君たちのために待つべきだと思っているんだ」
「何が僕たちのため? 待って何が変わるの?」
「リッキー。君は私とジーナの息子になるんだ。その意味は分かっているかい?」
「俺……フェルの言った通りです。ジェフが待てと言うなら待ちます。でもそれじゃフェルを裏切ることになる。ジェフの聞いてることの意味分かってます。親子になるのになんで隠し事があるんだ? そういうことですよね? でも、でも……すみません、言えなくて本当にすみません。お願いです、俺たちを認めてください。お願いします」
ジェフがリッキーをじっと見た。その顔は怒ってはいなかった。
「大学はどうするんだ?」
「やめようかと。元々僕には必要無かった。アルがそれを求めただけだ、みっともないからって」
「俺たち、働いてやっていこうと思ってるんです」
「リッキー、君は今までどうやってきたんだ? つまり、生活や大学の費用。君の言ってた通りなら、誰かが援助してくれたのかな? 今までバイトもしてなかったんだろう?」
「ジェフ、ごめん。それも答えさせたくない」
「フェル、リッキー。君たちは私を納得させる材料を提供していない。何も言わない相手をどうして家族に迎え入れられるだろう」
「言ってること、尤もだと思う。でも信じて欲しいとしか言えない」
大きなため息が流れた。
「フェル。昨日もそうだ。君はこれまで私たちの信頼を裏切ったことなどないよ。私たちが知ろうと知るまいと君は正しい道を選んできた。そうやって私たちを救ってくれていたんだ。いや、ジーナを。だから今度もそうなんだろう」
ジェフは母さんを見た。母さんはじっと真っ直ぐジェフを見返した。
「ジーナ。君はこれでいいんだね?」
「いいわ。私、この二人の母親だもの」
「そうか」
リッキーの拳の力が強くなる。激しい鼓動と震えが伝わってくる。
「君はずっと前からとっくに大人だったんだ。夕べ改めてそれを知らされたよ。分かった、認めるよ」
リッキーが一気にへたり込んでいく。僕はその拳を叩いた。まだ震えている。涙がその手に落ちてくる。
「ただし」
また拳に力が入り、僕はそれを握りしめた。
「大学は続けるんだ。ちゃんと卒業しなさい、二人とも。今の世の中、それは大切なことなんだよ。高卒のまま夢の様な生活が出来ると思わないことだ。現実はそんなに甘くない。それが分らないようじゃ認めるわけにはいかない。必要な階段はきちんと登るんだ。これから君たちは逆境に生きることになる。世間には君たちを認めてくれない人たちが大勢いる。だからそれを覆すだけの武器を手に入れておくんだ、どんなものでも」
ジェフの言ってくれたことが有り難かった。本当に有難かった。
「ありがとう、ジェフ……僕は……僕らは心の底から感謝してる。時間がかかるだろうと覚悟してたから」
「それにしちゃ、君は全く譲る気配は無かったけどね」
笑っているジェフ。
「ジェフ……俺、感動した。本当は最初っから認めていたんだろう? けどちゃんと筋を通したんだ。ジェフみたいな大人になりたい。もう昨日みたいなことはしないよ。もっとよく考えるようにする。勉強もやり直す」
ビリーからこんな言葉を聞くなんて思いもしなかった。ビリーの言う通りだ。ジェフは大人だ、本物の。だからアルは受け入れた。
「アルにリッキーがホテルに連れて行かれたことがあったよね。あの時もきちんと僕を戒めてくれたからバカなことをしないですんだ。感謝してる、いつも助けてもらってる。分かった。大学はきちんと卒業する。それも責任を持つことの一部だから」
「式は……」
「挙げなさい。呼びたい参列者は自分たちで選んでいい。君たちに堂々としていてほしいし、私も堂々としていたい。家族は全員出席だ。アナとマリーには私がちゃんと説明するよ、いや、フェル。これは父親の役目だ。君に譲るわけにはいかない」
僕が口を開く前にジェフは手を上げた。こんなところも見習わなくちゃならない。ジェフは立派な人だ。母さん、今は幸せだよね? だから過去のことは断ち切れたんだよね?
「アルも出席させるつもりでいる。あの子も大人になってもらわないと。私が話してみるよ。もしだめだったら悪いが諦めてくれ。それでいいだろうか?」
一瞬迷ったけどけじめをつけるにはいい区切りなのかもしれない。結果がどうであれ、アルとの間に線引きが出来るのは確かだ。
「ジェフ、階段を登る。ちゃんとね。アルも階段だ。そういうことだね」
リッキーが立ち上がってジェフの前に立った。ジェフが手を差し出すよりもリッキーがジェフに飛びつく方が早かった。宙に浮いたジェフの手がリッキーの背中に回った。
「ありがとう、ジェフ……ありがとう」
「リッキー。これからも君は私の釣りにつき合わなくちゃいけないよ。それでもいいかい?」
「いいです。釣りの事、もっと教えて……」
やっとジェフから離れて母さん、ビリーと抱き合った。その姿が嬉しくて僕はずっと目で追った。
「ビリー、ありがとうな。いつも励ましてくれた。俺、お前のお蔭でここまで来れたと思ってる。初めて会った時から俺を受け入れて家族になろうって言ってくれた」
「俺……俺、最高に嬉しい! フェルと幸せになってよ。ナイフ止めてくれてありがとう! 俺を抱きしめてくれた。あの後、部屋も覗いてくれた、ケガさせたのに。とっくにリッキーは俺の家族だよ」
そんなことしてくれてたのか…… 僕でさえビリーのこと、頭から抜けてたのに。
「式はいつにしたいんだ?」
「早い方が有難いんだ、ジェフ。花嫁が誰かにかっさらわれないうちに」
「おい!」
「お前は花嫁だって言ったろ? でも式にドレス着ろとは言わないよ」
泣いてる母さんが笑い声を上げた。
「あら、私ドレス縫いたかったのに」
「ジーナ、勘弁して!」
真っ赤になったリッキーが情けない顔をしている。
これで責任一つ果たしたよ、リッキー。あと一つだ。その階段を無事に登れば僕たちの生活が待っている。
0
あなたにおすすめの小説
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
恭介&圭吾シリーズ
芹澤柚衣
BL
高校二年の土屋恭介は、お祓い屋を生業として生活をたてていた。相棒の物の怪犬神と、二歳年下で有能アルバイトの圭吾にフォローしてもらい、どうにか依頼をこなす毎日を送っている。こっそり圭吾に片想いしながら平穏な毎日を過ごしていた恭介だったが、彼には誰にも話せない秘密があった。
発情薬
寺蔵
BL
【完結!漫画もUPしてます】攻めの匂いをかぐだけで発情して動けなくなってしまう受けの話です。
製薬会社で開発された、通称『発情薬』。
業務として治験に選ばれ、投薬を受けた新人社員が、先輩の匂いをかぐだけで発情して動けなくなったりします。
社会人。腹黒30歳×寂しがりわんこ系23歳。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる