No morals

わこ

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第一部

5.1-Ⅴ

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「シケたもん持ってくんじゃねえよ。酒が不味くなるだろうが」
「仕方ねえだろ。仕事しないでどうやって飯食ってくんだ」
「家で探せ」
「あのバカがうるせえんだよ! 十五分ごとにスマホ鳴らしてくんだぞ!?」

 顔を上げて猛抗議。昭仁さんは咥え煙草のまま喉の奥でくくっと笑った。

 店に来て早々カウンターの上で広げたのはフリーペーパー。駅に置いてあったのを適当に取って持ってきた求人情報だ。酒を片手に眺めていたところ今しがたの言葉を投げられたわけで。
 最近はこれと言ったトラブルもなく淡々と日々を過ごしていたのだが、バイト先の同僚と喧嘩になった末に怒りにまかせて乱闘騒ぎを起こしてしまったのがつい昨日。結果、俺だけクビになった。突っかかってきたのは向こうだったが世の中なんてこんなものだ。

 できる事なら俺だってもちろん家に帰ってゆっくり探したい。なんの因果かこの店に入り浸るようになって早一ヶ月。
 俺の夜はこの店で更けていく。全ての原因はあの男。竜崎恭介が唯一かつ最大の悪因だった。

「ずいぶんとまあ懐かれたもんだ。図体のデカいガキの面倒見んのは疲れんだろ?」
「疲れるどころじゃねえ、地獄だ地獄。あいつといると胃に穴があく」
「の割に来てやってんじゃねえか」
「だから来ねえといちいち呼び出されんだよ」

 イライラと八つ当たり気味に吐き捨てた。ついつい手にも力が入ってしまってフリーペーパーがぐしゃっとなった。
 あまりのしつこさに耐えかねたとは言え、あんな男に連絡先を教えてしまったのがいけなかった。店に行かない日があろうものなら竜崎は何度でも呼び出しを入れてくる。無視を決め込むと余計に酷くなってメッセージが連続で来る。
 電話は十五分ごとにかけてくる。ここまで来るともうストーカーだ。

「あいつマジで意味分んねえ。誰にでもこうなのか?」

 思い出しただけでぐったりしながら昭仁さんにたずねると、この人はいいやと首を横に振った。
 標的は俺だけの模様。その事実でさらに落胆させられる。遠い目になって酒を飲んでいると、手元で煙草の灰を落とした昭仁さんは笑って言った。

「いいじゃねえか。恭介はお前を気に入ったんだろ」
「嬉しくねえよ」
「そういう冷たい態度がたまらねえとかこの前ここで言ってたな」
「ヘンタイなのかあいつは」
「否定はできねえ」

 家にまでついてこられそうになったのは一度や二度のことではない。それだけは絶対に阻止しなければ。変態に住所は知られたくない。
 何が悲しくて毎晩毎晩男ばかりが寄り集まっている寂れたバーに来ているのだろう。一人で自宅にいる時ならまだしも、ホテルに入ろうとしたタイミングで呼び出しを食らった時には本気でブチ殺してやろうかと思った。
 人の事情などお構いなしだ。スマホの電源を切ってみたこともあったが、そうすると次の日にうるさくて敵わない。

 あいつと一度でもかかわってしまった時点で俺の不幸は始まっていた。もはや自由もプライバシーもない。
 そろそろここに来るだろう竜崎の姿が頭に浮かび、眉間が自然と寄っていた。気づけばまたもや溜め息をついていたがそれで心が晴れるはずもない。

「……なあ昭仁さん、あいつ女とかいねえの? 毎晩俺に絡んでねえでそっち行けばいいのに」

 あの男から逃れるための手段があるとするならば、本人の気を他に逸らすしかない。
 悪くない顔立ちだと思う。女の大半はああいうのが好きだろう。竜崎のあの雰囲気からして女の扱いにも慣れていそう。
 にもかかわらず俺に構う。毎晩毎晩、飽きもしないで。

「暇なら女の一人でも作れっての」
「そりゃあ無理だ。恭介が特定の相手連れてるとこなんか見た事ねえよ。一晩だけ脚開くような女にしか興味ねえんだろ」
「サイテーだな」

 俺も人のことは言えないが。

「お前は? あいつのせいで女もつくれねえ?」
「いたことねえよ。つくる気もねえけど」
「童貞?」
「ざけんな」

 ジトッと下から睨む俺をらかったように見返してくる。

「似た者同士じゃねえの。メンドーは嫌いってな?」
「そんなもんだろ男なんて」
「冷めてんなあ、若いのに。恭介が余計に懐くぞ」
「勘弁してくれ……」

 これ以上つきまとわれたら冗談抜きで身が持たない。運のない自分を憐れみ、頭を抱えたくなった代わりに酒で気分を紛らわせた。

 昭仁さんと話しているのは落ち着く。この人は距離感の掴み方がうまい。踏み込んでくるラインは深すぎず、それでいて浅すぎず。人生経験豊富そうな大人が醸し出す雰囲気はやわらかく、変に肩肘張る必要もなくただゆっくりと過ごしていられる。
 そういう店だ。むさ苦しい野郎ばかりが集まってくる酒場である割に和やかな空気なのもうなずける。ここは通うには最適の店。何かにつけては人の神経を逆撫でしてくるあいつさえいなければ。

 しばらくして店のドアが開いた。入ってきたそいつ。竜崎だ。あの男こそ俺に毎晩無用な苛立ちを与えてくる奴。
 短い距離を歩いてくるのを、酒を片手にそれとなく一瞥。竜崎が足を止めたのはいつものように俺の右隣。そこの椅子にドサッと腰を下ろした。

「んー、どした裕也。なんか疲れてる?」
「お前のせいだ」
「俺? なんで?」
「……もういい」

 能天気な声にうんざりしてくる。わざとらしく肩をすくめて見せてくるのもイラっとする。
 俺の手元にあるフリーペーパーにもこの男はすぐに気付いた。サッとそれに手を伸ばし、ペラっと持ち上げながら言った。

「バイト探してんの? 見つかりそう?」
「うるせえよ」
「なかなかねえか。お前短気だもんな」
「…………」

 今すぐにでもぶっ殺してやりたい。額に青筋が立つというのはこういう状態の事を言うのか。
 ツケ上等のタダ飲み野郎にも昭仁さんは普段通り酒を出す。竜崎はクイッといい飲みっぷりを披露しながら求人情報に目を通し、今度は一体何を思ったか急にこっちに顔を向け、そして俺を凝視しだした。
 品定めでもするかのように上から下までじっくり見てくる。不愉快だ。というか不快だ。かと思えば次には怪訝そうな顔になってジロジロ視線を送りつけてくる。

「……んだよ」
「いやさ……これは真面目な話な。働き口に困ったとしてもカラダ売るのだけはよせよ」
「はあッ?」

 手が出そうなのを堪えて睨んだ。無礼にも程がある。

「バカかテメエ。人をなんだと思ってんだ」
「人間ってのは切羽詰まると何しでかすか分かんねえじゃん」
「ふざけんな死ね」

 身売りまでしなければならないほど今のところ困ってはいない。毎晩ここにいるのがその証拠。俺はこのクズ野郎とは違って飲んだ分の金は払って帰る。
 顔だけは真面目そうにしているこいつは新手の嫌がらせを編み出すのが得意だ。すぐ捨ててもいいようなフリーペーパーを奪い返そうと手を伸ばすとヒョイッと遠ざけられて眉間が寄った。

「……返せ、クズ。ゴミ。カス」
「可愛くねえな。人がせっかく心配してやってんのに」
「余計なお世話だ」
「ぃっだッ……ったく、お前は。その足グセの悪さもどうかと思うよ」
「黙ってろ吊るすぞ」

 今度こそガサッとぶん取った。適当に持ってきただけの求人情報ではあるがこいつに取られたままなのはムカつく。
 この男もこのペライ情報紙に興味があるわけではないはずだ。またもや懲りずに手を伸ばしてきて俺の防御もものともせずにひったくっていったのは単に、人をおちょくって遊びたいだけ。腹の立つ男だ。存在が邪魔だ。
 俺の睨みくらいじゃこいつは引かず、掲載情報の一つに目をとめた。

「お、これは? 時給千百円から。土日できる方大歓迎。未経験の方もぜひご応募ください。の、花屋」
「あぁッ!?」

 おおよそ俺には無縁の業種。よりにもよってなぜそこを読み上げた。
 決まっている。嫌がらせだ。それ以外に何がある。

「花に囲まれりゃその短気な性格も直るかもしんねえからな。じゃなきゃペットショップとか。それも出てるぞ。わんわんニャンニャンに癒されながらそのしかめっ面直して来いよ」
「ッ人をコケにすんのも大概にしろ……っ」
「してないって。エロ親父に跨るよりマシだろ」
「どっからそういう発想が出てくんだッ!?」

 侮辱の総攻撃が酷い。女相手の水商売もごめんだがましてや男相手など。考えただけでも死にたくなってくる。
 愉快な表情で酒を飲む竜崎。この国にもしも殺人罪がなければとっくにこの手でブチ殺している。
 この男は俺の精神をズタズタに切り裂くために毎晩ここへ呼びつけているのではないだろうか。そう疑ってしまうくらい、事あるごとに人の神経をこれでもかという程つついてくる。
 俺が怒れば怒るほど、この男を喜ばせることになる。これ以上思い通りにさせてたまるか。少しでも気分を落ち着かせるために酒をグイッと一口仰いだ。

「なんなら俺が買ってやろうか?」
「っ……!?」

 ゲホッとむせた。変な所に入った。
 俺達の目の前で聞いていた昭仁さんも含みのある薄ら笑いをこぼしている。

「なんだお前、いつからそういうシュミになった」
「今後も含めて男はシュミじゃねえよ。裕也の顔はかなりタイプだけど」
「なっ……」

 ニコニコと笑顔を向けられ、頬が引きつる。冗談だとしても身の毛がよだつ。

「本人すげえ引いてんぞ。安心しろ裕也。こいつには人に払う金なんかねえから」
「あ、そっか。そうだよな、金だよなぁ。残念」
「テメエ……」

 何が残念だ。金があったらどうするつもりだ。
 ただ求人情報を見ていただけなのに、なぜこいつの悪ふざけに付き合わされることになるのか。握った拳も怒りで震える。そもそも第一印象からしてウマは合わなそうだと思ったが、まさかここまでタチが悪いとは。

「ま、当面は花屋で」
「死ねッ」

 大嫌いだ。
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