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第一部
31.7-1
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翌日になっても竜崎はまだ戻って来なかった。
真っ直ぐバイト先へ向かえばいいものをわざわざ遠回りをしてまで朝から竜崎のアパートへ行き、夜は夜でミオに行けば加賀には気をつかわせ昭仁さんには遊ばれ。
自分の行き場所を失いそうだ。どこに行ってもぼんやりする。あの男が帰ってきたら全力で発散させよう。蹴りつけて殴り飛ばして踏みつけてブン投げたい。八つ当たりだろうと何であろうと怒りの矛先を一つ残らず竜崎に押し付けてやる。
そしてまた一日を終えた。元の裏方仕事に戻されてそれなりに経つが今日は一段と疲れた。
つい先日一人が辞めて、今日は突然一人が病欠。元より人手の足りない職場だから人員補充も間に合わない。二人分の穴があいただけとは言え、重い荷物を抱えながらバタバタと何度も行ったり来たりを繰り返すのはなかなかの重労働だった。
この状態で酒など飲んだらすぐに酔いが回りそう。酒に対する耐性の限界を試した事はこれまでにない。重い体のままミオに直行すべく、従業員用の裏口から踏み出た。
「おつかれ」
後ろでバタンと、ドアが閉まった。直後に耳に入ったその声。顔を上げ、目を止めた。少し離れたその場所の、見慣れた光景。そこにいる男。
店の敷地とそれに面した通りとを仕切るレンガの花壇。そのすぐそばで俺を待っていたのは、二日前の別れ際に見たスーツ、ではなく、いつものラフな格好をしている竜崎。そいつの姿だった。
「…………」
唐突だったから、声が出ない。街灯の下で小さく笑って、こちらに向かって歩いてきた。
「おかえり。つーか、ただいまだな」
ちょっとその辺へ買い物にでも行っていたかのような口振り。そんなもので騙されるわけがない。聞きたいことはいくつもあった。
話はできたのか。父親は説得できたのか。組との縁は、切れたのか。
それ以上に気になったのが竜崎のその格好。すでに日は沈んでいても、街灯によって照らし出される姿は一見するとどこにも異常はない。ただ、ジャケットのファスナーが上がっているだけ。首周りを上までしっかり覆っているのが、どこか不自然なように思える。
「おい……」
「うん?」
言うのとほぼ同時に掴み掛かった。胸ぐらでぐっと手に力を込め、こいつが首元まで上げていたジャケットのファスナーをザッと、一気に引き下ろす。
「…………」
目にしたそれ。息を呑んだ。
首だ。左側半分。赤黒い線がくっきり刻まれている。咄嗟に刃物の形が浮かんだ。鋭利な切っ先が皮膚に食い込んだときに、できるような切り傷だ。
まだ真新しいそれはすでに傷口の表面を固めているが、それでも痛々しい状態でくっきりと斜めの線を刻んでいた。
「これ……」
「なんだよもうビックリすんじゃん、襲われるかと思った。俺としては大歓迎だけど」
「…………」
それとなく俺の手を離させ、なんでもないように言いながら、首元はさっさと整えている。
どうした。そんなことは聞くまでもない。それは明らかな故意だった。急所の、わずか、ほんのギリギリ。頸動脈スレスレを狙った攻撃だ。ちょっとした掠り傷とは訳が違う。凄惨な事態が想像できた。
いま、どんな顔になっているか。自分の表情も分らない。
俺が黙り込んでいると竜崎は困ったように笑った。それでいてその目元からは優しげな雰囲気が伝わってくる。
「平気だよ。ほんのちょっとモメただけ。ちゃんと話してきたし全部終わった。裕也が心配するようなことはもうない」
「…………」
そんな見え透いた嘘をついて。ほんのちょっと。どこがだ。一悶着どころの騒ぎではなかったはずだ。
「ほんとだって。もう大丈夫」
二日前の早朝にされたように、手をやわらかく包み込まれた。誰が出てきてもおかしくないような従業員用の入り口で、その手を無言で受け入れた。
「……まったくそんな顔しちゃって。やっぱお前ホントは俺に」
「惚れてるよ」
ふざけた口調を遮った。竜崎の表情からは、途端にすっと笑みが消えた。
驚きは隠されない。真顔になって俺を見てくる。手は繋がれたまま、お互いに動きが止まり、何も考えられなくなって竜崎を見つめ返した。
惚れたか。好きだろ。素直じゃねえな。散々そうやってからかわれてきた。そんな言葉が浮かんでくる。
バカげているとその都度あしらい、怒鳴りつけて返してきた。いつだってこいつは俺をおちょくった。からかって遊んで面白がって。
だから今もまたいつものように、気に障る笑い方を見せてくると思っていたのに。よりにもよってその反応はないだろう。単純に驚いていた。言葉も出ないようだ。
「…………ンな訳あるかアホが死ね! どのツラ下げて出てきてんだよッ、帰ってくんなっつっただろうがっ!!」
「……ええぇ……」
俺が怒鳴ればこいつは素で脱力。信じられないとでも言いたげな目で呆気に取られてこっちを見ている。
「俺がお前の心配なんかするか。勘違いも大概にしやがれ」
「いま惚れたって……」
「テメエの無駄口が我慢なんなかったんだよ自惚れんなクソが死ね」
一気に言いきって手を叩き落とした。呆然としている竜崎を置いて通りへと一人出ていく。
振り返らずとも俺を追ってくる足音が後ろから聞こえた。気にしないように懸命に努める。
「裕也、おい。何急いでんだよ」
「…………」
すぐに追いつかれる。当然のように隣に立ったこいつ。早くも立ち直った様子で人の顔を覗き込んでくる。
鬱陶しい。肩をぐいっと押しやった。少々顔を背けたくらいで根っからの変人であるこの男は空気を読まない。
「なあ、今の本気だろ」
「バカ言うな」
「真顔だった」
「それ以上喋ると殺すぞ。いちいち自惚れんなクソが」
街灯のある明るい通りを過ぎると今度は細い道に入る。そこはほとんど明かりがない。ここではお互いの顔も影って鮮明には見えなくなる。
そんな空間の中で手を取られた。振り払う前に指を絡められている。
「うぜえっ」
「寒いから」
「なら家にでも籠ってろ。一生出てくんな」
ブンブンと腕を振る。しかし離れない。いつもの事だ。
「テメエふざけっ…」
繋がった手をガクッと強引に引かれ、威嚇のための言葉は途切れた。行き着いた先は竜崎の腕の中。押し返すだけの暇もなく、奪うように唇を塞がれた。
「ッ……」
何度目だ。何度同じ目に遭えばいい。
竜崎の片腕が腰を引き寄せてくる。強い力で抱きしめられた。
「っ……」
無遠慮に入ってきた舌に反射で腰が後ろに引けるが、竜崎の腕がそれを許さない。
繋がっていた手はようやく離れた。しかし次には逃げられないように後ろ頭を固定されている。僅かな隙間さえも埋められてしまった。髪に差し入れられた指が、絡めるようにゆっくり動いた。
「んっ……」
両手は自由なのだから、胸板を押し返す事はできる。何を喚いてどんな暴言を吐いても行動が伴わなければ全てが無意味だ。たまらなく嫌なのに、伝わってくる体温でおかしくなりそう。
舌が触れ合うたびに水音が鳴った。竜崎の指先は俺の髪を梳き、ゾクゾクとした感覚が広がっていく。
くやしくて、それ以上に気持ちいい。その二つを天秤にかけたときにどちらが浮き上がってしまうかは、火を見るよりも明らかだ。
「……裕也」
しっとりと唇が離れた。竜崎の声が俺を呼んだ。
はっきり体温を感じられていたのに、その繋がりが失われている。どうとも言い難い、喪失感に近い何かがじわじわと湧き上がり、それを自覚した瞬間、迷うことなく腕を伸ばした。
「っ……」
この男を自ら引き寄せ、噛み付くように合わせた唇。
背に回した手できつく抱きしめ返した。足りなかった部分を埋めるように、何度もしつこく唇を合わせた。くやしいのはもう、どうでもいい。こうせずにはいられなかった。
舌を絡めて誘い込めば望んだことを返される。時折二人分の呼吸音が漏れる。暗がりの中で卑猥に音が立っていた。
「ん……ン……」
キスがこんなに気持ちいいことってあるか。その舌に自分の舌を這わせ、ねだって主導権を明け渡す。この男は好き勝手に俺を犯した。それがどうしたって気持ちいい。たぶん相手が、この男だから。
「ふ……ん、ぅ……」
一度小さく啄まれ、すぐにまた舌が入ってきた。ひどく上手くて、手慣れているのが分かる。竜崎の過去の相手も同じようにキスされたのだろうか。
プロの女を本気にさせる男だ。こうやって抱いた体は、男の俺とは全く違って繊細で柔らかかっただろう。
本来ならばそれが当然。間違っているのは今の俺達。
どうして、俺なのだろう。女に不自由したこともない奴が。男なんか相手に好きだと言って、欲情を伴った濃密なキスをする理由は。
竜崎はなぜ俺を、選んだのだろう。
「ッ……」
突如、はっと我に返った。頭の中が一気に弾ける。同時に罪の意識が押し寄せてきた。
求めたくせに、そのキスを中断させて、防御でもするかのように竜崎の胸板に両手を突いた。押しのけるほど力は込めていない。けれど目ははっきり逸らした。
だが竜崎は俺から視線も手も離さなかった。じっと見つめられているのが分かる。
「……裕也」
その手が俺の左頬に触れた。半ば強引に目を合わせられている。飾り程度の仄かな明かりの下でも、ここまでの至近距離であればその表情も分かってしまう。
困ったような竜崎の顔は、それでいて、少し怖い。
「今のは……なかったことにはできねえよ」
「…………」
初めてみるような顔だった。とても静かにそれだけ言うと、俺からそっと手を離した。
そのまま一人で足を踏み出した。追いかける勇気はなかった。後ろ姿を目で追うことしかできない。
しかし数歩だけ先に行ったところで、竜崎はこっちを振り返った。
「行こう」
「……え?」
「ミオ。行くだろ?」
「…………」
置いて行かれるのだと思った。しかし竜崎はそうせずに、三歩分足を戻して俺の手をすっと取った。戸惑いは隠せない。腕を引っ張られても反応できない。
「ほら、行くぞ」
子供のように手を引いて歩かされた。
ミオに辿り着くまでには、ここからほんの少し時間がかかる。
真っ直ぐバイト先へ向かえばいいものをわざわざ遠回りをしてまで朝から竜崎のアパートへ行き、夜は夜でミオに行けば加賀には気をつかわせ昭仁さんには遊ばれ。
自分の行き場所を失いそうだ。どこに行ってもぼんやりする。あの男が帰ってきたら全力で発散させよう。蹴りつけて殴り飛ばして踏みつけてブン投げたい。八つ当たりだろうと何であろうと怒りの矛先を一つ残らず竜崎に押し付けてやる。
そしてまた一日を終えた。元の裏方仕事に戻されてそれなりに経つが今日は一段と疲れた。
つい先日一人が辞めて、今日は突然一人が病欠。元より人手の足りない職場だから人員補充も間に合わない。二人分の穴があいただけとは言え、重い荷物を抱えながらバタバタと何度も行ったり来たりを繰り返すのはなかなかの重労働だった。
この状態で酒など飲んだらすぐに酔いが回りそう。酒に対する耐性の限界を試した事はこれまでにない。重い体のままミオに直行すべく、従業員用の裏口から踏み出た。
「おつかれ」
後ろでバタンと、ドアが閉まった。直後に耳に入ったその声。顔を上げ、目を止めた。少し離れたその場所の、見慣れた光景。そこにいる男。
店の敷地とそれに面した通りとを仕切るレンガの花壇。そのすぐそばで俺を待っていたのは、二日前の別れ際に見たスーツ、ではなく、いつものラフな格好をしている竜崎。そいつの姿だった。
「…………」
唐突だったから、声が出ない。街灯の下で小さく笑って、こちらに向かって歩いてきた。
「おかえり。つーか、ただいまだな」
ちょっとその辺へ買い物にでも行っていたかのような口振り。そんなもので騙されるわけがない。聞きたいことはいくつもあった。
話はできたのか。父親は説得できたのか。組との縁は、切れたのか。
それ以上に気になったのが竜崎のその格好。すでに日は沈んでいても、街灯によって照らし出される姿は一見するとどこにも異常はない。ただ、ジャケットのファスナーが上がっているだけ。首周りを上までしっかり覆っているのが、どこか不自然なように思える。
「おい……」
「うん?」
言うのとほぼ同時に掴み掛かった。胸ぐらでぐっと手に力を込め、こいつが首元まで上げていたジャケットのファスナーをザッと、一気に引き下ろす。
「…………」
目にしたそれ。息を呑んだ。
首だ。左側半分。赤黒い線がくっきり刻まれている。咄嗟に刃物の形が浮かんだ。鋭利な切っ先が皮膚に食い込んだときに、できるような切り傷だ。
まだ真新しいそれはすでに傷口の表面を固めているが、それでも痛々しい状態でくっきりと斜めの線を刻んでいた。
「これ……」
「なんだよもうビックリすんじゃん、襲われるかと思った。俺としては大歓迎だけど」
「…………」
それとなく俺の手を離させ、なんでもないように言いながら、首元はさっさと整えている。
どうした。そんなことは聞くまでもない。それは明らかな故意だった。急所の、わずか、ほんのギリギリ。頸動脈スレスレを狙った攻撃だ。ちょっとした掠り傷とは訳が違う。凄惨な事態が想像できた。
いま、どんな顔になっているか。自分の表情も分らない。
俺が黙り込んでいると竜崎は困ったように笑った。それでいてその目元からは優しげな雰囲気が伝わってくる。
「平気だよ。ほんのちょっとモメただけ。ちゃんと話してきたし全部終わった。裕也が心配するようなことはもうない」
「…………」
そんな見え透いた嘘をついて。ほんのちょっと。どこがだ。一悶着どころの騒ぎではなかったはずだ。
「ほんとだって。もう大丈夫」
二日前の早朝にされたように、手をやわらかく包み込まれた。誰が出てきてもおかしくないような従業員用の入り口で、その手を無言で受け入れた。
「……まったくそんな顔しちゃって。やっぱお前ホントは俺に」
「惚れてるよ」
ふざけた口調を遮った。竜崎の表情からは、途端にすっと笑みが消えた。
驚きは隠されない。真顔になって俺を見てくる。手は繋がれたまま、お互いに動きが止まり、何も考えられなくなって竜崎を見つめ返した。
惚れたか。好きだろ。素直じゃねえな。散々そうやってからかわれてきた。そんな言葉が浮かんでくる。
バカげているとその都度あしらい、怒鳴りつけて返してきた。いつだってこいつは俺をおちょくった。からかって遊んで面白がって。
だから今もまたいつものように、気に障る笑い方を見せてくると思っていたのに。よりにもよってその反応はないだろう。単純に驚いていた。言葉も出ないようだ。
「…………ンな訳あるかアホが死ね! どのツラ下げて出てきてんだよッ、帰ってくんなっつっただろうがっ!!」
「……ええぇ……」
俺が怒鳴ればこいつは素で脱力。信じられないとでも言いたげな目で呆気に取られてこっちを見ている。
「俺がお前の心配なんかするか。勘違いも大概にしやがれ」
「いま惚れたって……」
「テメエの無駄口が我慢なんなかったんだよ自惚れんなクソが死ね」
一気に言いきって手を叩き落とした。呆然としている竜崎を置いて通りへと一人出ていく。
振り返らずとも俺を追ってくる足音が後ろから聞こえた。気にしないように懸命に努める。
「裕也、おい。何急いでんだよ」
「…………」
すぐに追いつかれる。当然のように隣に立ったこいつ。早くも立ち直った様子で人の顔を覗き込んでくる。
鬱陶しい。肩をぐいっと押しやった。少々顔を背けたくらいで根っからの変人であるこの男は空気を読まない。
「なあ、今の本気だろ」
「バカ言うな」
「真顔だった」
「それ以上喋ると殺すぞ。いちいち自惚れんなクソが」
街灯のある明るい通りを過ぎると今度は細い道に入る。そこはほとんど明かりがない。ここではお互いの顔も影って鮮明には見えなくなる。
そんな空間の中で手を取られた。振り払う前に指を絡められている。
「うぜえっ」
「寒いから」
「なら家にでも籠ってろ。一生出てくんな」
ブンブンと腕を振る。しかし離れない。いつもの事だ。
「テメエふざけっ…」
繋がった手をガクッと強引に引かれ、威嚇のための言葉は途切れた。行き着いた先は竜崎の腕の中。押し返すだけの暇もなく、奪うように唇を塞がれた。
「ッ……」
何度目だ。何度同じ目に遭えばいい。
竜崎の片腕が腰を引き寄せてくる。強い力で抱きしめられた。
「っ……」
無遠慮に入ってきた舌に反射で腰が後ろに引けるが、竜崎の腕がそれを許さない。
繋がっていた手はようやく離れた。しかし次には逃げられないように後ろ頭を固定されている。僅かな隙間さえも埋められてしまった。髪に差し入れられた指が、絡めるようにゆっくり動いた。
「んっ……」
両手は自由なのだから、胸板を押し返す事はできる。何を喚いてどんな暴言を吐いても行動が伴わなければ全てが無意味だ。たまらなく嫌なのに、伝わってくる体温でおかしくなりそう。
舌が触れ合うたびに水音が鳴った。竜崎の指先は俺の髪を梳き、ゾクゾクとした感覚が広がっていく。
くやしくて、それ以上に気持ちいい。その二つを天秤にかけたときにどちらが浮き上がってしまうかは、火を見るよりも明らかだ。
「……裕也」
しっとりと唇が離れた。竜崎の声が俺を呼んだ。
はっきり体温を感じられていたのに、その繋がりが失われている。どうとも言い難い、喪失感に近い何かがじわじわと湧き上がり、それを自覚した瞬間、迷うことなく腕を伸ばした。
「っ……」
この男を自ら引き寄せ、噛み付くように合わせた唇。
背に回した手できつく抱きしめ返した。足りなかった部分を埋めるように、何度もしつこく唇を合わせた。くやしいのはもう、どうでもいい。こうせずにはいられなかった。
舌を絡めて誘い込めば望んだことを返される。時折二人分の呼吸音が漏れる。暗がりの中で卑猥に音が立っていた。
「ん……ン……」
キスがこんなに気持ちいいことってあるか。その舌に自分の舌を這わせ、ねだって主導権を明け渡す。この男は好き勝手に俺を犯した。それがどうしたって気持ちいい。たぶん相手が、この男だから。
「ふ……ん、ぅ……」
一度小さく啄まれ、すぐにまた舌が入ってきた。ひどく上手くて、手慣れているのが分かる。竜崎の過去の相手も同じようにキスされたのだろうか。
プロの女を本気にさせる男だ。こうやって抱いた体は、男の俺とは全く違って繊細で柔らかかっただろう。
本来ならばそれが当然。間違っているのは今の俺達。
どうして、俺なのだろう。女に不自由したこともない奴が。男なんか相手に好きだと言って、欲情を伴った濃密なキスをする理由は。
竜崎はなぜ俺を、選んだのだろう。
「ッ……」
突如、はっと我に返った。頭の中が一気に弾ける。同時に罪の意識が押し寄せてきた。
求めたくせに、そのキスを中断させて、防御でもするかのように竜崎の胸板に両手を突いた。押しのけるほど力は込めていない。けれど目ははっきり逸らした。
だが竜崎は俺から視線も手も離さなかった。じっと見つめられているのが分かる。
「……裕也」
その手が俺の左頬に触れた。半ば強引に目を合わせられている。飾り程度の仄かな明かりの下でも、ここまでの至近距離であればその表情も分かってしまう。
困ったような竜崎の顔は、それでいて、少し怖い。
「今のは……なかったことにはできねえよ」
「…………」
初めてみるような顔だった。とても静かにそれだけ言うと、俺からそっと手を離した。
そのまま一人で足を踏み出した。追いかける勇気はなかった。後ろ姿を目で追うことしかできない。
しかし数歩だけ先に行ったところで、竜崎はこっちを振り返った。
「行こう」
「……え?」
「ミオ。行くだろ?」
「…………」
置いて行かれるのだと思った。しかし竜崎はそうせずに、三歩分足を戻して俺の手をすっと取った。戸惑いは隠せない。腕を引っ張られても反応できない。
「ほら、行くぞ」
子供のように手を引いて歩かされた。
ミオに辿り着くまでには、ここからほんの少し時間がかかる。
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