No morals

わこ

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第一部

40.9-Ⅳ

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 昼間の重労働を終えた後はその足でスーパーに向かった。眠気云々よりも体がだるい。頭も重くなっていくばかり。
 時給泥棒にはならない程度に淡々と作業をこなし、そこで数時間のシフトが明けた。更衣室に戻るとノロい動作で作業用の上着を脱いだ
 ここまで疲れているのだからさすがに今日は眠れるだろうか。呼び出してくる相手はどうせいない。それならばミオには行かず、家に帰ってしまおうか。

「宮瀬! ナンパ付き合って!!」
「…………」

 ロッカーを閉めようとしていた手を止めた。良く言えばハツラツとした、悪く言えばバカそうな呼び声にげんなりとした気分が襲いかかってくる。
 やむを得ず振り返ればそこにはにこやかな表情の橘。それから同じようにニヤつきながら、その隣にいる瀬戸内。
 昨日の今ごろの時間までは決して気安い間柄ではなかった。明るい奴らは順応も早い。こいつらは夕べ俺という人間をどう判断したのだろうか。

「いいじゃんいいじゃん、一緒に行こうって。ナンパは浮気に入んねえよ」
「今日こそはパアッと華やかにいきてえんだよ。俺らが遊べんのなんか今のうちだけだぞ」

 学生を終えても遊んでいそうな二人は言った。

「……誰が行くか。だいたいお前、アカネちゃんはどした。遊びたいならその子誘えよ」

 ロッカーを雑に閉めながら言い放つ。騒いでいた橘はその一言でピタリと止まった。
 そのあとはこれ見よがしに落ち込んだ雰囲気を醸し出してくる。隣の瀬戸内にわざとらしく泣きつき、瀬戸内もそれにノッてよしよしと慰めた。

「聞いたかよ瀬戸内……宮瀬超ヒドイ。自分が満開だからってコレだよ……」
「泣くな、泣くな。こいつは恋に目覚めちゃって今はもうそれどこじゃねえんだって」
「な……っ」

 ここでその話を蒸し返すのか。

「バイト中もこいつゼッテー彼女のことしか考えてねえから。俺さっき宮瀬が目の前にある脚立気づかねえで思いっきり蹴り倒してんの見たもん」
「ああ、それ俺も見た! 地味に痛がっててなんか笑えた。心ここにあらずみたいな? 愛想はないけどしっかりしてる奴で通ってたのに実際は相当抜けてるッ」

 抜けていて悪かったな。日々悪化していく間抜けな行動をまたもや他人に、しかもこいつらに見られていた。
 事実はごまかせず、反論は諦めてひとまず逃げることを優先させた。ところが一歩動いたその時、この腕は捕縛でもするように橘にガシッと掴まれている。

「んだよ放せ、帰んだよ」
「女のとこに?」
「それはもういいっ!」

 喚いたところで笑われるだけ。二人に背を向けて更衣室を出ていく間際も騒ぎ声は止まない。聞こえない振りを決め込みバタンとドアを閉め外に出てきた。

 恋だなんだと鬱陶しい。酒の席であるならまだしも、バイト先でまで勘弁願いたい。どれもこれも全てはあの男のせいだ。彼女ではなく女ですらなく、なんなのだか分からないあの野郎。
 この裏口のドアを開けたところで、その先にあいつはきっといない。ミオに行ってもそこに竜崎がいるのかどうかも分からない。仮に会えたとして俺は、あいつに何を言おうというのか。

 夕べはどこにいた。どうして電話に出なかった。誰か、女でも見つけたか。
 呆れるしかない。そんなことを聞いてどうする。俺が言うようなことでもなければ、言う資格さえ持っていないのに。
 どうかしている。ドアノブに手をかけ、開ける寸前に一呼吸置いた。
 もしかしたら、いるかもしれない。レンガで作られた腰の高さの花壇にいつものように寄りかかり、俺が出てくるのを待っているあいつがそこにいるかもしれないと。
 思ったそれは、すぐに裏切られた。ドアを開けても目に入る姿はない。

「…………」

 人間なんて傲慢な生き物だ。跳ね付けていたのはこちらなのに、たった一日会わなかっただけで。
 俺には飽きたか。なぜそう思う。そう思って、どうして痛くなるのか。
 いつから俺はこうなった。いつの間にここまで弱くなった。最初から強くはなかったけれど、ここまで滑稽ではなかった。
 最初から何も持っていなければ悩むことも苦しくなることもない。どれもこれも余計なものだった。ほしくなかった。こんなことなら。

「みやせー、なあ待てって!」

 後ろで慌ただしくドアが開いた。まとわりついてきた瀬戸内と橘。
 しみったれたこの心境に脱力という要素が加わる。顔をしかめた俺を二人は囲んで両脇から押し迫ってきた。
 そこまでしてナンパに挑みたいか。俺が戦力になるとも限らないのに。ここまでくると呆れよりもいっそ清々しささえ感じる。

「いいじゃん今日一回くらい。たまには他の女ともハメ外せよ」

 橘の明るい発言は世界中の女を敵に回せる。なんでこいつらこんなガツガツしてんだ。そしてそれ以上にガツガツしている奴を俺は知っていた。
 あの男は紛うことなき捕食者だ。鋭い眼光で獲物をとらえ、力と技で捕獲を実現する。猛獣のような男を振り返り、そしてふっと、無気力な笑いが込み上げてきた。

 この場から歩き出す。二人もうるさくついてきた。
 沈み込んでいた頭が急激に冷めきっていく。捕食者がいなくなった。俺は被食者を脱した。何が不満なんだ。これが望みだったはず。

「なあ行こうって。もし彼女とヤバいことんなったら俺らから…」
「分かった」
「え?」

 瀬戸内の言葉を遮り、二人は両側から顔を見合わせていた。それを放って進む俺についてくる。ミオとは逆方向。大通りの方へ。

「行くぞ」
「え……え?」
「華が欲しいんだろ。俺が捕まえてやる」

 言いきって構わず歩いた。そこで二人は足を止めた。
 全て、もう、どうでもいい。あいつがいない。それがどうした。晴れて自由を取り戻したのだからハメを外すもクソもない。
 振り返らずに歩いていると、後方からははしゃいだような歓声が上がった。

「っ宮瀬ぇぇええ……ッッッ!」
「なにお前超カッコイイんだけどー!!」
「…………」

 頭が痛い。
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