45 / 121
第一部
45.10-Ⅳ
しおりを挟む
「なあ、裕也よぉ。何があったなんつー野暮なことを聞く気はねえんだがな」
「…………」
「なんとかなんねえのか、この……」
「…………」
「恭介の締まりのねえ顔は」
「…………俺に言うな」
「すっげえだらしねえ」
竜崎がだらしないのは元々だ。
一日中ひどい目に遭ってきた。重労働は腰に響くし、橘と瀬戸内からはあれこれと聞かれるし。
捕まえた女三人組とはその後それなりに楽しく過ごせたようだ。またよろしく、などとふざけんなとしか言いようのない要望をされる羽目になった。頼まれてやる気はそもそもないが、万が一竜崎に知れでもしたら亭主関白ゴッコの危機が現実に迫る。
「まったく、樹の前でみっともねえツラしやがってよ。さすがに愛想尽かされんぞ」
「え、いえ、そんなこと……」
咥え煙草の店主がなんの罪もない奴を巻き込んだ。この中で唯一他人への気づかいを見せることのできる加賀は慌てたように首を左右に振った。恩義に忠実という立派な精神も相手によっては考えものだ。
竜崎のこの調子はいつまで続くのか。俺のバイト先まで迎えに来た時から目を背けたくなるくらいの笑顔だった。加賀に不思議そうな顔をされても、昭仁さんに呆れ果てられても、当の本人は全くお構いなし。それによって困るのはどうせ俺だけ。この男には羞恥心が欠落している。
「何かいいことでもあったんですか?」
加賀に聞かれた竜崎は、酒を片手に満ち足りた表情でうんうんと深くうなずいた。
「いいことなんてもんじゃねえよ。あれは天国? もしくは楽園? 今なら俺飛べる気がする」
「そのまま戻ってくんな。墜落して死ね」
本心だ。冷たく睨みつけた。一人で別世界に浸られてもそれはそれで腹が立つ。
「そういう可愛くないこと言うと亭主かん…」
「っ殺すぞクソが!」
「じゃあ、新…」
「やめろ!!」
腹が立つどころの話ではない。カウンターをバンっと叩いた。当分の間はその狂った遊戯を脅し文句に使われそう。
俺達の目の前では昭仁さんが鼻で笑った。この店に二人で入るのは三日振り。竜崎の顔を見た直後、その後ろの俺に意味深な笑みを送りつけてきたこの店主。どうしてそこまで察しがいいのか、不思議というよりも恐怖だった。
今もまた内心で冷や冷やしながらチラリとその顔を見上げた。するとまた短く笑われ、昭仁さんは咥え煙草のまま口だけ器用に動かした。
「お前らの喧嘩は犬も喰わねえ」
「っ!?」
「昭仁さん分かってる、さすが」
前方と真隣から集中砲火だ。
「ッ褒めてどうすんだバカ野郎、恥を知れこのヘンタイ!」
「的射てるよ」
「大間違いだろっ。テメエの頭はどういう作りになってんだ!?」
「そりゃあもう夕べのことで一杯に決まってんじゃん。完全キャパ超え」
「ブチ殺す……っ」
拳を握りしめると同時に足は床についている。椅子から離れて竜崎の胸倉を間近から引っ掴んだ。
昭仁さんと周りの常連はまた始まったと生ぬるく見ている。止めに入ってきたのは加賀だけ。竜崎本人より加賀の方が焦っていることが気に障るものの、この必死な様子はなんとも健気。平然と構える竜崎を見下し、しぶしぶ両手をバッと放した。同時に胸倉も押し返す。
決まり悪く椅子に座り直した。加賀は困ったように笑いながら俺のグラスに酒を注ぎ足した。
「ああ、でもなんか……ホッとしました。いつもの感じに戻ったみたいで」
「…………」
加賀の純粋な笑顔にとどめを刺される。そろそろ泣きたくなってきた。すでにトドメを食らっているのに追い打ちをかけるのはもちろんこの人。
「まあ落ち着くとこ落ち着いて良かったんじゃねえの。どっちかっていうと恭介に洗脳されたっぽいけどな」
まとめなくても良い事柄をわざわざまとめてくれやがる。
ぐうの音も出ない。何を言い返せと。洗脳。まさしくその通りだった。
竜崎にはきっと詐欺師が向いている。もしくは占い師か。謎の壺を売りつける商売の人か。
「人聞きの悪いこと言うなよ昭仁さん。洗脳なんかじゃねえっての。毎日コツコツ積み重ねてきた俺の努力の賜物だろ。雨垂れ石を穿つってな」
「テメエのどこが雨垂れだ。台風だろどう考えても」
破壊力と攻撃力は満点。強すぎるその威力から、逃げることは決してできない。
それに飲み込まれてしまった俺には軌道修正も不可能だろう。運が悪いでは済まされない。これは人生の一大事。
「さっさとくたばれこのクズ野郎」
たぶん、一生。おそらく死ぬまで。これだけは絶対に変わらない。
俺はこいつが大嫌いだ。
「…………」
「なんとかなんねえのか、この……」
「…………」
「恭介の締まりのねえ顔は」
「…………俺に言うな」
「すっげえだらしねえ」
竜崎がだらしないのは元々だ。
一日中ひどい目に遭ってきた。重労働は腰に響くし、橘と瀬戸内からはあれこれと聞かれるし。
捕まえた女三人組とはその後それなりに楽しく過ごせたようだ。またよろしく、などとふざけんなとしか言いようのない要望をされる羽目になった。頼まれてやる気はそもそもないが、万が一竜崎に知れでもしたら亭主関白ゴッコの危機が現実に迫る。
「まったく、樹の前でみっともねえツラしやがってよ。さすがに愛想尽かされんぞ」
「え、いえ、そんなこと……」
咥え煙草の店主がなんの罪もない奴を巻き込んだ。この中で唯一他人への気づかいを見せることのできる加賀は慌てたように首を左右に振った。恩義に忠実という立派な精神も相手によっては考えものだ。
竜崎のこの調子はいつまで続くのか。俺のバイト先まで迎えに来た時から目を背けたくなるくらいの笑顔だった。加賀に不思議そうな顔をされても、昭仁さんに呆れ果てられても、当の本人は全くお構いなし。それによって困るのはどうせ俺だけ。この男には羞恥心が欠落している。
「何かいいことでもあったんですか?」
加賀に聞かれた竜崎は、酒を片手に満ち足りた表情でうんうんと深くうなずいた。
「いいことなんてもんじゃねえよ。あれは天国? もしくは楽園? 今なら俺飛べる気がする」
「そのまま戻ってくんな。墜落して死ね」
本心だ。冷たく睨みつけた。一人で別世界に浸られてもそれはそれで腹が立つ。
「そういう可愛くないこと言うと亭主かん…」
「っ殺すぞクソが!」
「じゃあ、新…」
「やめろ!!」
腹が立つどころの話ではない。カウンターをバンっと叩いた。当分の間はその狂った遊戯を脅し文句に使われそう。
俺達の目の前では昭仁さんが鼻で笑った。この店に二人で入るのは三日振り。竜崎の顔を見た直後、その後ろの俺に意味深な笑みを送りつけてきたこの店主。どうしてそこまで察しがいいのか、不思議というよりも恐怖だった。
今もまた内心で冷や冷やしながらチラリとその顔を見上げた。するとまた短く笑われ、昭仁さんは咥え煙草のまま口だけ器用に動かした。
「お前らの喧嘩は犬も喰わねえ」
「っ!?」
「昭仁さん分かってる、さすが」
前方と真隣から集中砲火だ。
「ッ褒めてどうすんだバカ野郎、恥を知れこのヘンタイ!」
「的射てるよ」
「大間違いだろっ。テメエの頭はどういう作りになってんだ!?」
「そりゃあもう夕べのことで一杯に決まってんじゃん。完全キャパ超え」
「ブチ殺す……っ」
拳を握りしめると同時に足は床についている。椅子から離れて竜崎の胸倉を間近から引っ掴んだ。
昭仁さんと周りの常連はまた始まったと生ぬるく見ている。止めに入ってきたのは加賀だけ。竜崎本人より加賀の方が焦っていることが気に障るものの、この必死な様子はなんとも健気。平然と構える竜崎を見下し、しぶしぶ両手をバッと放した。同時に胸倉も押し返す。
決まり悪く椅子に座り直した。加賀は困ったように笑いながら俺のグラスに酒を注ぎ足した。
「ああ、でもなんか……ホッとしました。いつもの感じに戻ったみたいで」
「…………」
加賀の純粋な笑顔にとどめを刺される。そろそろ泣きたくなってきた。すでにトドメを食らっているのに追い打ちをかけるのはもちろんこの人。
「まあ落ち着くとこ落ち着いて良かったんじゃねえの。どっちかっていうと恭介に洗脳されたっぽいけどな」
まとめなくても良い事柄をわざわざまとめてくれやがる。
ぐうの音も出ない。何を言い返せと。洗脳。まさしくその通りだった。
竜崎にはきっと詐欺師が向いている。もしくは占い師か。謎の壺を売りつける商売の人か。
「人聞きの悪いこと言うなよ昭仁さん。洗脳なんかじゃねえっての。毎日コツコツ積み重ねてきた俺の努力の賜物だろ。雨垂れ石を穿つってな」
「テメエのどこが雨垂れだ。台風だろどう考えても」
破壊力と攻撃力は満点。強すぎるその威力から、逃げることは決してできない。
それに飲み込まれてしまった俺には軌道修正も不可能だろう。運が悪いでは済まされない。これは人生の一大事。
「さっさとくたばれこのクズ野郎」
たぶん、一生。おそらく死ぬまで。これだけは絶対に変わらない。
俺はこいつが大嫌いだ。
応援ありがとうございます!
10
お気に入りに追加
149
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる