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漠とした Ⅱ
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所領の屋敷に着いたのは、帝都を出発して3日後の昼すぎ__お茶の時間といわれる時間には少し早いぐらい。
通常であれば夜になってしまうらしいが、アッシスのお陰で馬への負担が少ない状態を維持でき、キルシェが途中足を鈍らせてしまっても、かなり旅路は軽やかだった。
屋敷の庭は、萌え出たばかりの緑が輝いてキルシェには見えた。新天地、という言葉にふさわしいほど、景色は輝いている。
だというのに、キルシェの心にはいくらかの苦しさ、不安が燻るようにあって、複雑な心境になってしまう。__そして、それを自覚して、ほとほと嫌気がさしてくる。
馬車が屋敷の門をくぐったのがおそらく見えたのだろう。
そこから少し庭を走って、玄関前まで至る頃には、出迎えに6名が並んでいた。
男女の使用人らが控えて並ぶ中、目立つ3名。一人は、執事のホルトハウス。その横には、女の使用人を取り仕切る家政婦のリーツがいた。その彼らより一歩前に出て佇んでいるのは、一際大きな姿のリュディガーである。
姿を認めると、不安である中でも、やはり胸が踊ったのは否めない。
車が止まり、扉が開く。ビルネンベルクがまずは降り、キルシェもまた続こうとする。
「遠路はるばる、ありがとうございます」
降りたビルネンベルクと握手とともに会話を交わす人物に、思わず動きを止めてしまった。
どうやら開けたのは、追従していたアッシスでもなく、執事でもなくリュディガー。3日ぶりに聞く彼の声だ。
彼は、ビルネンベルクから視線を外し、まだ車の中にとどまっているキルシェへと手を差し伸べて降車を促した。
「__キルシェ」
キルシェは複雑な心境の中にも安堵を抱き、顔を見れば嬉しく胸が詰まった。
大きな無骨な手に自分の手を重ねて、車から降り立つ。じゃり、と白い玉砂利の音と踏みしめる感触が心地良い。
大きな無骨な手が離れて、すぐそばのリュディガーを見上げる。彼は身体こそ離れてはいないが、顔はビルネンベルクへと向けられていた。
その横顔。纏う雰囲気は穏やかであるが、覇気のような凛とした気配に包まれていて、それはどこか時折見せるビルネンベルクのそれに近いようにキルシェは感じられる。
リュディガーにしがみつきたくなる衝動が、ふつふつ、と湧き上がってくるが、奥歯を静かに噛み締めて抑えやり過ごす。
執事や使用人らがいる手前だ。この出迎えに現れていない使用人も、屋敷の窓から見ているのは明らかだった。
新しい女主人はどういう人物なのか__吟味されている。
「お早いお着きで」
「ああ、アッシスがいたからね__だろう?」
ビルネンベルクが同意を求めるように視線を向けるのは、御者のゲオルクだ。彼は、ええ、と笑みを浮かべて頷いた。
「__アッシス、本当に助かった」
「いやいや。ビルネンベルク家の馬がびっくりするぐらい賢くて、それがあったからだよ。ビルネンベルク家の馬、という矜持があるのには驚いた」
「おや、そうなのかね」
「ええ、間違いなくありますよ、この馬は。賢いし……なによりも気概が他の馬とは段違いです。御者のゲオルクさんとの信頼も厚くて……__とてもいい馬です」
とんとん、と首筋を労うアッシス。すると、馬は前足で玉砂利の地面を掻いて、軽く首を振って嘶いた。
「その子を贖ってきたのは大祖父だ。大祖父、馬を見る目はすごくおありだから」
「ははぁ……大ビルネンベルク公が見出したのなら、頷けますね」
なるほどなぁ、とひとりごちて、ハミを噛む馬を見るアッシス。
「__ご紹介いたします。こちらが当家の執事ホルトハウス。こちらが家政婦のリーツです」
主人の紹介を受け、それぞれ二人は丁寧な礼をとった。
「今夜は世話になるね、ホルトハウス」
「ビルネンベルク家の方にお泊りいただけるとは、光栄にございます」
「__荷物を」
リュディガーがホルトハウスへ言ってから、二人揃って意味深な頷きを交わす。そして、揃って屋敷へ目配せすると、玄関の扉の影から新たに人が現れた。
その相貌に、キルシェは驚きを隠せず目を剥く。
「ヘ、ヘルムート……リースマンさん……?!」
穏やかな表情であるが、所作は目を見張るものがある青年は、かつてビルネンベルク家に勤めていた従者ヘルムートに違いなかった。
キルシェも当然、世話になったことがある彼は、数ヶ月前に事情で辞めてしまって見送ったはず。
__何故……。
あまりにも不意打ちな出来事に、キルシェは瞠目を隠せない。
「当家の従者です」
貫禄のある、それでいて悪戯っぽい笑みを見せるのは、執事のホルトハウス。
「ですが、ご実家の都合で……って……」
「はい。私の実家、この地域に近いんです」
まぁ、とキルシェはリュディガーを見れば、彼は、くつり、と笑った。
「__驚かせようとおもってな」
「では……先生も、ご存知だった……?」
「無論。何度も口が滑りそうになったけどね」
横に並んで腕を組み笑うビルネンベルク。
「リュディガーに、使用人の雇用で相談をされてね。そこにヘルムートがお茶を持って現れて……その時、彼の実家がこの地方に近いということを思い出して、なら、こちらへ行ってみるか、と打診をしたのだよ。リュディガーとの気性との相性も悪くなさそうだし、何より知らない仲ではない。間違いなくお互いに悪い話ではないからね」
「お陰様で、ホルトハウスも逸材が来たので、痛く喜んでくれたよ」
「もったいないお言葉です」
「そうでしたか……。__皆さん、人が悪い……」
キルシェは苦笑を浮かべた。
ヘルムートだけが遅れて現れたのは、キルシェを驚かせるためでわざとだ。おそらく扉の影に隠れさせていたのだろう。
リュディガーの画策か、ビルネンベルクの画策かはいざ知らず__。
どちらにせよ、数ヶ月にわたり、自分は騙されていたことに違いはない。
「ビルネンベルク侯には、こちらのリースマンをお付けいたしますので、なんなりとお申し付けを」
「ご無沙汰しております、ドゥーヌミオ__ビルネンベルク侯」
「昔の呼び方で構わないよ。よろしく頼む。君なら私のクセを知っているから、安心だ」
冗談めかした言い方にも動じず、苦笑のような笑みで、はい、と応えるヘルムート。そのやりとりは、かつてよく見たやりとりで、キルシェも思わず顔が綻ぶ。
ヘルムートが御者から荷を受け取るために動くと、他の使用人らも彼に従い荷を受け取り始めた。
「マグヌ・ア様のお世話は、こちらのコンラート・バルリンクが」
紹介されたのは、まだ十代の面影がある人懐こい笑みが印象的な使用人だ。
「何なりとお申し付けを」
「えぇっと……僕、世話されるほどのことはないですが……」
困った顔になるアッシスは、リュディガーへ顔を向ける。
しかしながら、リュディガーは肩を竦める。
「屋敷で小回りは利かないだろう。__慣れてくれ、アッシス」
「あー……それもそうか。__よろしくお願いします、バルリンクさん」
「どうぞ、バルリンクで。よろしくお願いいたします」
その様子を見守っていれば、リュディガーが身を寄せ背中に手を添えたのを感じて、弾かれるように我に返って振り仰ぐ。
至極穏やかな笑みで見下ろすリュディガーがそこにいた。
「疲れただろう。__中へ」
「えぇ……」
キルシェが頷くと、リュディガーはビルネンベルクとアッシスへ顔を向け、玄関を示しつつ、どうぞ、とリュディガーは促して歩みだした。
そうして踏み入った玄関と玄関ホールに、キルシェは思わず足を止めて、感嘆の声を漏した。派手ではないが質素すぎることもない、淡い色味の花々で飾り付けられていたからだ。
吹き抜けのホールには、階段の手すりはもちろんもちろん、目立つところだけでなく、ホールに置かれている机には花器から溢れたかと思えるほどに飾られている。
それはビルネンベルクという貴賓もあるからだろうが、明日に控えている挙式に向けての飾り付けという意味合いが強いのは明白だった。
「これは……まさか……」
「無論、明日の為だ。ビルネンベルク家の方もお越しになるから、それなりに」
「見栄もときには大事だからね、ナハトリンデン男爵」
「左様で」
くつくつ、と笑うビルネンベルクに対して、リュディガーも人の悪い笑みを浮かべる。
「ご到着までに間に合ってようございました。__お気に召していただけたら、よろしいのですが」
家政婦のリーツの言葉に、キルシェは振り返る。
「ええ。とてもいい香りですし。__かなり大変でしたでしょう。ありがとうございます」
礼を述べてもう一度、優しい香りを肺いっぱいに吸い込んで満たす。
「__昼食は」
リュディガーが一行__年長者のビルネンベルクへ問う形で問うた。
「頂いたよ。流石に、一つ前の街でね__休憩がてら」
ね、とビルネンベルクが同意を求めたのは、キルシェだった。
これには、ぐっ、と表情がこわばってしまう。
ビルネンベルクは言わないが、その早めの休憩もまた、自分を気遣ってのことなのは明白だったからだ。
ざわざわ、とした気持ちが装花の香りで落ちついていた心を覆い始めるのがわかり、キルシェはひっそりと気づかれぬよう手を握りしめた。
「__リュディガー、キルシェを早速休ませてやってほしい。私とアッシスは荷解きを先にさせてもらってもいいかい?」
__あぁ……また……。
ビルネンベルクの言葉に含まれる気遣いを察して、キルシェは口を引き結んだ。
談話室へ向かおうとしたらしいリュディガーは、一歩踏み出したところで足を止める。
「__というのもね、お土産をね、うっかり荷物の中へしまったままだったのだよ」
「そんなお気遣いなど不要でしたのに……」
「大したものではないのだがね、それでも。それにね、私もこうみえて疲れている……かもしれない」
リュディガーは苦笑を浮かべた。
「長旅ですから、お疲れなのは違いないでしょう」
「うむ。だから、かもしれない、と言っている。__となると、屋敷を案内してもらっている最中、やたらに重箱の隅をつつくようなことをしてしまいかねないだろう? 後見人として気負っている分、キルシェを託すにあたり、粗探ししっぱなしの嫌味な舅のようなことをしてしまう__などというのは、私も不本意だ」
「それは……せっかくやる気がある屋敷の皆の矜持をへし折りかねない事態ですね……」
「だろうだろう。__そういうことだよ」
大げさに腕を組んで頷く様は、間違いなくいたずら心から来ている態度だ。どうにかして、自分に休息を与えるための気遣いからくる演技。
キルシェはリュディガーへと振り返り、背中へ添えている彼の腕に触れた。
「__あ、あの……リュディガー。私も、先生とアッシスさんには、休んでいただきたいの。本当にお疲れのはずですから」
意を決して言葉を紡ぐと、リュディガーは目をいくらか見開いてキルシェを見る。紫の差す蒼の双眸には、キルシェの心中が穏やかでないことが見透かされそうで、一瞬怯みそうになるが、それでも視線を外さないよう努めた。
「旦那様。お早いお着きですから、ご夕食までお時間もかなりございます。ご昼食もお済みということであれば、一度お部屋へご案内して、ゆっくりお寛ぎいただいてから明日のお話をなさる方がよろしいのではないのでしょうか? 皆様、お疲れに違いのうございます」
「それはそうだな」
リュディガーはキルシェへと顔を戻す。
「……確かに、君は疲れているようだ」
「ぇ……どうし__」
「気が利かず申し訳ない。お部屋へご案内さしあげますので」
リュディガーの言葉にキルシェは怪訝にして問おうとするのだが、すべてを言わせずリュディガーは視線を断ってビルネンベルクとアッシスへ顔を向けてしまった。
「ああ、すまないね。わがままを。後ほどしっかり話し合おう。屋敷の案内も頼むよ」
キルシェが声をかける隙があらばこそ、リュディガーの言葉を合図に、各々世話を任された使用人らに案内されて、装花で飾られた階段を昇っていくビルネンベルク。
アッシスは階段を前にして躊躇ったが、リュディガーと執事に促されて、遠慮がちにかつ慎重にして昇っていった。
重量のある馬蹄が踏みしめる音を聞きつつ見送っていれば、ビルネンベルクが視線を向けてきた。
意味深に穏やかな笑みと頷きをされ、キルシェは申し訳無さで思わず視線を伏せる。
__気遣われた……。
もはや疑いようがない。
小さくため息を零していれば、背中に手が再び添えられる。
「君も部屋へ」
さぁ、とリュディガーに促されるまま、装花で飾られた階段を昇った。
通常であれば夜になってしまうらしいが、アッシスのお陰で馬への負担が少ない状態を維持でき、キルシェが途中足を鈍らせてしまっても、かなり旅路は軽やかだった。
屋敷の庭は、萌え出たばかりの緑が輝いてキルシェには見えた。新天地、という言葉にふさわしいほど、景色は輝いている。
だというのに、キルシェの心にはいくらかの苦しさ、不安が燻るようにあって、複雑な心境になってしまう。__そして、それを自覚して、ほとほと嫌気がさしてくる。
馬車が屋敷の門をくぐったのがおそらく見えたのだろう。
そこから少し庭を走って、玄関前まで至る頃には、出迎えに6名が並んでいた。
男女の使用人らが控えて並ぶ中、目立つ3名。一人は、執事のホルトハウス。その横には、女の使用人を取り仕切る家政婦のリーツがいた。その彼らより一歩前に出て佇んでいるのは、一際大きな姿のリュディガーである。
姿を認めると、不安である中でも、やはり胸が踊ったのは否めない。
車が止まり、扉が開く。ビルネンベルクがまずは降り、キルシェもまた続こうとする。
「遠路はるばる、ありがとうございます」
降りたビルネンベルクと握手とともに会話を交わす人物に、思わず動きを止めてしまった。
どうやら開けたのは、追従していたアッシスでもなく、執事でもなくリュディガー。3日ぶりに聞く彼の声だ。
彼は、ビルネンベルクから視線を外し、まだ車の中にとどまっているキルシェへと手を差し伸べて降車を促した。
「__キルシェ」
キルシェは複雑な心境の中にも安堵を抱き、顔を見れば嬉しく胸が詰まった。
大きな無骨な手に自分の手を重ねて、車から降り立つ。じゃり、と白い玉砂利の音と踏みしめる感触が心地良い。
大きな無骨な手が離れて、すぐそばのリュディガーを見上げる。彼は身体こそ離れてはいないが、顔はビルネンベルクへと向けられていた。
その横顔。纏う雰囲気は穏やかであるが、覇気のような凛とした気配に包まれていて、それはどこか時折見せるビルネンベルクのそれに近いようにキルシェは感じられる。
リュディガーにしがみつきたくなる衝動が、ふつふつ、と湧き上がってくるが、奥歯を静かに噛み締めて抑えやり過ごす。
執事や使用人らがいる手前だ。この出迎えに現れていない使用人も、屋敷の窓から見ているのは明らかだった。
新しい女主人はどういう人物なのか__吟味されている。
「お早いお着きで」
「ああ、アッシスがいたからね__だろう?」
ビルネンベルクが同意を求めるように視線を向けるのは、御者のゲオルクだ。彼は、ええ、と笑みを浮かべて頷いた。
「__アッシス、本当に助かった」
「いやいや。ビルネンベルク家の馬がびっくりするぐらい賢くて、それがあったからだよ。ビルネンベルク家の馬、という矜持があるのには驚いた」
「おや、そうなのかね」
「ええ、間違いなくありますよ、この馬は。賢いし……なによりも気概が他の馬とは段違いです。御者のゲオルクさんとの信頼も厚くて……__とてもいい馬です」
とんとん、と首筋を労うアッシス。すると、馬は前足で玉砂利の地面を掻いて、軽く首を振って嘶いた。
「その子を贖ってきたのは大祖父だ。大祖父、馬を見る目はすごくおありだから」
「ははぁ……大ビルネンベルク公が見出したのなら、頷けますね」
なるほどなぁ、とひとりごちて、ハミを噛む馬を見るアッシス。
「__ご紹介いたします。こちらが当家の執事ホルトハウス。こちらが家政婦のリーツです」
主人の紹介を受け、それぞれ二人は丁寧な礼をとった。
「今夜は世話になるね、ホルトハウス」
「ビルネンベルク家の方にお泊りいただけるとは、光栄にございます」
「__荷物を」
リュディガーがホルトハウスへ言ってから、二人揃って意味深な頷きを交わす。そして、揃って屋敷へ目配せすると、玄関の扉の影から新たに人が現れた。
その相貌に、キルシェは驚きを隠せず目を剥く。
「ヘ、ヘルムート……リースマンさん……?!」
穏やかな表情であるが、所作は目を見張るものがある青年は、かつてビルネンベルク家に勤めていた従者ヘルムートに違いなかった。
キルシェも当然、世話になったことがある彼は、数ヶ月前に事情で辞めてしまって見送ったはず。
__何故……。
あまりにも不意打ちな出来事に、キルシェは瞠目を隠せない。
「当家の従者です」
貫禄のある、それでいて悪戯っぽい笑みを見せるのは、執事のホルトハウス。
「ですが、ご実家の都合で……って……」
「はい。私の実家、この地域に近いんです」
まぁ、とキルシェはリュディガーを見れば、彼は、くつり、と笑った。
「__驚かせようとおもってな」
「では……先生も、ご存知だった……?」
「無論。何度も口が滑りそうになったけどね」
横に並んで腕を組み笑うビルネンベルク。
「リュディガーに、使用人の雇用で相談をされてね。そこにヘルムートがお茶を持って現れて……その時、彼の実家がこの地方に近いということを思い出して、なら、こちらへ行ってみるか、と打診をしたのだよ。リュディガーとの気性との相性も悪くなさそうだし、何より知らない仲ではない。間違いなくお互いに悪い話ではないからね」
「お陰様で、ホルトハウスも逸材が来たので、痛く喜んでくれたよ」
「もったいないお言葉です」
「そうでしたか……。__皆さん、人が悪い……」
キルシェは苦笑を浮かべた。
ヘルムートだけが遅れて現れたのは、キルシェを驚かせるためでわざとだ。おそらく扉の影に隠れさせていたのだろう。
リュディガーの画策か、ビルネンベルクの画策かはいざ知らず__。
どちらにせよ、数ヶ月にわたり、自分は騙されていたことに違いはない。
「ビルネンベルク侯には、こちらのリースマンをお付けいたしますので、なんなりとお申し付けを」
「ご無沙汰しております、ドゥーヌミオ__ビルネンベルク侯」
「昔の呼び方で構わないよ。よろしく頼む。君なら私のクセを知っているから、安心だ」
冗談めかした言い方にも動じず、苦笑のような笑みで、はい、と応えるヘルムート。そのやりとりは、かつてよく見たやりとりで、キルシェも思わず顔が綻ぶ。
ヘルムートが御者から荷を受け取るために動くと、他の使用人らも彼に従い荷を受け取り始めた。
「マグヌ・ア様のお世話は、こちらのコンラート・バルリンクが」
紹介されたのは、まだ十代の面影がある人懐こい笑みが印象的な使用人だ。
「何なりとお申し付けを」
「えぇっと……僕、世話されるほどのことはないですが……」
困った顔になるアッシスは、リュディガーへ顔を向ける。
しかしながら、リュディガーは肩を竦める。
「屋敷で小回りは利かないだろう。__慣れてくれ、アッシス」
「あー……それもそうか。__よろしくお願いします、バルリンクさん」
「どうぞ、バルリンクで。よろしくお願いいたします」
その様子を見守っていれば、リュディガーが身を寄せ背中に手を添えたのを感じて、弾かれるように我に返って振り仰ぐ。
至極穏やかな笑みで見下ろすリュディガーがそこにいた。
「疲れただろう。__中へ」
「えぇ……」
キルシェが頷くと、リュディガーはビルネンベルクとアッシスへ顔を向け、玄関を示しつつ、どうぞ、とリュディガーは促して歩みだした。
そうして踏み入った玄関と玄関ホールに、キルシェは思わず足を止めて、感嘆の声を漏した。派手ではないが質素すぎることもない、淡い色味の花々で飾り付けられていたからだ。
吹き抜けのホールには、階段の手すりはもちろんもちろん、目立つところだけでなく、ホールに置かれている机には花器から溢れたかと思えるほどに飾られている。
それはビルネンベルクという貴賓もあるからだろうが、明日に控えている挙式に向けての飾り付けという意味合いが強いのは明白だった。
「これは……まさか……」
「無論、明日の為だ。ビルネンベルク家の方もお越しになるから、それなりに」
「見栄もときには大事だからね、ナハトリンデン男爵」
「左様で」
くつくつ、と笑うビルネンベルクに対して、リュディガーも人の悪い笑みを浮かべる。
「ご到着までに間に合ってようございました。__お気に召していただけたら、よろしいのですが」
家政婦のリーツの言葉に、キルシェは振り返る。
「ええ。とてもいい香りですし。__かなり大変でしたでしょう。ありがとうございます」
礼を述べてもう一度、優しい香りを肺いっぱいに吸い込んで満たす。
「__昼食は」
リュディガーが一行__年長者のビルネンベルクへ問う形で問うた。
「頂いたよ。流石に、一つ前の街でね__休憩がてら」
ね、とビルネンベルクが同意を求めたのは、キルシェだった。
これには、ぐっ、と表情がこわばってしまう。
ビルネンベルクは言わないが、その早めの休憩もまた、自分を気遣ってのことなのは明白だったからだ。
ざわざわ、とした気持ちが装花の香りで落ちついていた心を覆い始めるのがわかり、キルシェはひっそりと気づかれぬよう手を握りしめた。
「__リュディガー、キルシェを早速休ませてやってほしい。私とアッシスは荷解きを先にさせてもらってもいいかい?」
__あぁ……また……。
ビルネンベルクの言葉に含まれる気遣いを察して、キルシェは口を引き結んだ。
談話室へ向かおうとしたらしいリュディガーは、一歩踏み出したところで足を止める。
「__というのもね、お土産をね、うっかり荷物の中へしまったままだったのだよ」
「そんなお気遣いなど不要でしたのに……」
「大したものではないのだがね、それでも。それにね、私もこうみえて疲れている……かもしれない」
リュディガーは苦笑を浮かべた。
「長旅ですから、お疲れなのは違いないでしょう」
「うむ。だから、かもしれない、と言っている。__となると、屋敷を案内してもらっている最中、やたらに重箱の隅をつつくようなことをしてしまいかねないだろう? 後見人として気負っている分、キルシェを託すにあたり、粗探ししっぱなしの嫌味な舅のようなことをしてしまう__などというのは、私も不本意だ」
「それは……せっかくやる気がある屋敷の皆の矜持をへし折りかねない事態ですね……」
「だろうだろう。__そういうことだよ」
大げさに腕を組んで頷く様は、間違いなくいたずら心から来ている態度だ。どうにかして、自分に休息を与えるための気遣いからくる演技。
キルシェはリュディガーへと振り返り、背中へ添えている彼の腕に触れた。
「__あ、あの……リュディガー。私も、先生とアッシスさんには、休んでいただきたいの。本当にお疲れのはずですから」
意を決して言葉を紡ぐと、リュディガーは目をいくらか見開いてキルシェを見る。紫の差す蒼の双眸には、キルシェの心中が穏やかでないことが見透かされそうで、一瞬怯みそうになるが、それでも視線を外さないよう努めた。
「旦那様。お早いお着きですから、ご夕食までお時間もかなりございます。ご昼食もお済みということであれば、一度お部屋へご案内して、ゆっくりお寛ぎいただいてから明日のお話をなさる方がよろしいのではないのでしょうか? 皆様、お疲れに違いのうございます」
「それはそうだな」
リュディガーはキルシェへと顔を戻す。
「……確かに、君は疲れているようだ」
「ぇ……どうし__」
「気が利かず申し訳ない。お部屋へご案内さしあげますので」
リュディガーの言葉にキルシェは怪訝にして問おうとするのだが、すべてを言わせずリュディガーは視線を断ってビルネンベルクとアッシスへ顔を向けてしまった。
「ああ、すまないね。わがままを。後ほどしっかり話し合おう。屋敷の案内も頼むよ」
キルシェが声をかける隙があらばこそ、リュディガーの言葉を合図に、各々世話を任された使用人らに案内されて、装花で飾られた階段を昇っていくビルネンベルク。
アッシスは階段を前にして躊躇ったが、リュディガーと執事に促されて、遠慮がちにかつ慎重にして昇っていった。
重量のある馬蹄が踏みしめる音を聞きつつ見送っていれば、ビルネンベルクが視線を向けてきた。
意味深に穏やかな笑みと頷きをされ、キルシェは申し訳無さで思わず視線を伏せる。
__気遣われた……。
もはや疑いようがない。
小さくため息を零していれば、背中に手が再び添えられる。
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