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帝都の大学
非売品
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荷車に薬草を積んで、リュディガーが運ぶようになって、どうにか日が沈みきるころには戻れそうなぐらい、以後の移動速度は劇的にあがった。
なるべくリュディガーが弾まないよう気をつけていても、そこは石畳の道。がたん、と荷車がはずむ度、咄嗟にキルシェは薬草の束を抑える。
「__それにしても、この時期にこんな緑の薬草が手に入りましたよね」
「ビルネンベルク先生のご実家経由で、南の州から仕入れたものを分けてもらったらしい。もうあちらはかなり生えて伸びているらしいから」
「なるほど、それでこんなに青いの。季節はずれなのに、と思って__あ、そういえば、紅茶に檸檬が風味づけられていましたよね?」
「檸檬……? ああ、あれは雄刈萱の一種だ。檸檬に風味が似ている香草の」
雄刈萱は、見た目は稲のようなそれだ。種類によって風味が檸檬のようなものもある。
「あぁ、あれ……あ、では、白葡萄みたいな香りは__接骨木?」
「ええ。接骨木のシロップです。疲れたときはあの紅茶が飲みやすいので。実際飲みやすかったようだ」
「ええ、本当に飲みやすかったです。生き返りました」
「接骨木のシロップなら、まだ未開封のが1本あるので、譲ろうか?」
「いえ、そんな。今度買いに行きます。どこのお店のですか?」
「あれは、非売品だ」
「非売品?」
「ええ。私が作った」
「__作った……?」
「薬草学をこれでも修了した身だ」
彼は武官。繊細な印象を覚える薬草学は修めていないものだと思っていたから、キルシェは驚いてしまうが、はた、と気づいた。
__それこそ先入観よね……。そういえば、彼が何を他に修めようとしてるのかも知らないでいる。
修了したものも知り得ない。あまり深く他人に踏み込まれたくないから、踏み込まずにいる癖がついているが故だ。キルシェにとって、これほど学友と交流を深めたのは、リュディガーが初めてだった。
「授業で作ったのがいささか多くて……。錬金術士にも、医術士にもなりたいわけじゃないんだが、覚えておいて損わないな、と。任地で植生を把握してるとしてないとでは、現地調達となったときの有用性がまったく違う」
「そう」
「ここだけの話、腹が立つ上官への密かな報復もできるな、という動機もあって」
「え……冗談でしょう?」
思わず足を止めてしまうが、対してリュディガーは振り返るだけで歩みは止めない。
「私は、存外、性格がひねくれている」
リュディガーは、人の悪い笑みを浮かべるのだった。
なんだかとんでもない話を聞いてしまった。あの笑みといい、冗談だと思いたいが__と、難しい顔をしていると、リュディガーがふいに顎をしゃくって前方を示す。
木立の影に見え隠れするのは、暮れなずむ森の中の勇壮で堅牢な石造りの佇まい。それを見た途端ほっと安堵するキルシェ。__大学へ戻ってきたのだ。
馬車が一台通れる幅のアーチ状の門をくぐり、木々に遮られていた視界が開けたところで円状になる道を左回りで進む。
本来であれば、本棟の正面玄関が出入り口に向かうところだが、2人は本棟の西に位置する建物へと向かった。四角形の四隅をそいだ形状__そこが大学で教鞭を振るう教官らの寝泊まりする建物だ。ここは防犯の観点から女性の学生の寮としても機能し、キルシェもここに部屋がある。
ちなみに、男性の学生の寮は、本棟から北へ伸びる渡り廊下の先の建物。
教官らの棟へ近づいて行くと、玄関に佇む人影が見えた。するり、と縦に長い影は、頭に天を突く長い耳を戴いている。
「ビルネンベルク先生」
「よかった、よかった。戻ってきてくれて」
破顔するビルネンベルクは安堵した表情を浮かべる。
「すみません、運ぶのに手間取ってしまって」
キルシェが荷車を示せば、ビルネンベルクは流麗な眉を申し訳無さそうに歪める。
「すまなかった、キルシェ……」
「……何がです?」
「リュディガーも」
何故謝られているのかわからないふたりは、お互いに顔を見合わせた。
「その熊葛、実家に頼んだものだったんだが、それがまずかった。リュディガーに様子をみに走ってもらった直後に届いた手紙に、大学への寄付も兼ねて、とあって……嫌な予感がしていたんだ」
「寄付……?」
「当家の宗主が、季節の変わり目だから油断するな、ということで多めによこしたらしい。実際はこの半分でも十分すぎる量なのだよ」
キルシェはまあ、と開いた口が塞がらない。
容量が悪く、体を張って道の半ばまでこれを抱え、極めつけは草の束もろとも転げた。しかもそれをリュディガーに目撃もされてしまった。肩から手にかかて倦怠感があり、意識とは関係なく、ぷるぷる、と震えてしまうほどに疲労が溜まっている__妙な徒労感で、呆然と立ち尽くす。
「これは、ここに置いておいてくれれば、あとは私がやっておく」
「重いので、自分が運びます」
「いや、いいよ。ひょろひょろで頼りなく見えるが、私はまがりなりにも我が宗主、ビルネンベルク家の者にしてビルネンベルク領の者__アルティミシオン・フォン・ウント・ツー・ビルネンベルクに連なる者なんだ。意外と力持ちなのだよ、私は」
甘く見てもらっては困る、と笑うドゥーヌミオン・フォン・ビルネンベルク。
フォンとはそもそも出身地を表すが、そこから領地を有する貴族のひとつの指標となった。これには無論、例外もある。
そうした中でも、ビルネンベルク家の者にしてビルネンベルク領の者__家名と領地を連ねた姓を持つ者は、フォン・ウント・ツーとなるが、龍帝に許された者しか名乗ることが許されない。それは個人にのみ下賜され、家族であっても名乗ることはできない。この姓は、宮家公家に匹敵する地位になるのだ。
公、侯、伯、子、男と大きく分けられる爵位。公は龍帝の系譜の宮家にのみに許された地位で、一般に貴族と呼ばれる者は侯爵以下。これ以上は例外なくありえない。
州で一番上の地位となる州侯。これに着任すると、貴族であるなしに関わらず、州という領地を統治するということで侯爵という地位になる。州侯の任を離れると本来の爵位に戻るのだが、無位のものであっても功績によりけりで侯爵以下の爵位を与えられる場合がある。
「ほら、任せた任せた」
「では……荷車だけは、私が」
「それは、今から返しに戻るのかい?」
「いえ、明日でも構わないということになってます」
「なら、その影にでも置いておきなさい」
ビルネンベルクが指し示したのは、建物の近くに生える背の高い株立した木の根本。ビルネンベルクの足元に薬草の束を下ろしたリュディガーは、指示通りそこに荷車を置く。
それを見届けて、法衣の袖とまくりあげるビルネンベルクは草の束を掴むと、ひょい、と肩に乗せた。キルシェほど細い腕ではないものの、リュディガーとは比べ物にならない細い腕でそこまで力がありそうには見えないのに、流れるような動きで労なく持ち上げてしまう。
その様は、日頃の優美な彼とは正反対で勇ましい武官のような印象を覚える。文に秀でているとはいえ、有能な武官を排出しているビルネンベルクの血統なのは間違いない。
「ふたりともご苦労様だったね。本当にありがとう」
いえ、とキルシェには答えるのが精一杯だった。
薬草を肩に担いだビルネンベルクが、裏手にある厩へ向かうのを見送る。そこで、夕闇が濃くなっている事を思い出した。
「__それでは、リュディガー。貴方が疲れてないのなら、弓射に行きましょうか」
「ご冗談を」
「何故?」
いくらか呆れたような顔になるリュディガー。
「何故も何も、疲れているだろう?」
「大丈夫。私は見ているだけだもの」
「__それはそうだが……」
リュディガーが渋るのは、明らかに疲労の色が見えるからだろう。いくら明るく言っても、武官だった彼にはこうしたことは誤魔化せないのかもしれない。
「貴方が言ったとおり、杏でも食べて、高みの見物をしているわ」
彼から手渡された干した杏の入った麻袋の巾着を、冗談めかして言いながら示せば、リュディガーは肩を竦める。
「なるほど。妙案だ」
なるべくリュディガーが弾まないよう気をつけていても、そこは石畳の道。がたん、と荷車がはずむ度、咄嗟にキルシェは薬草の束を抑える。
「__それにしても、この時期にこんな緑の薬草が手に入りましたよね」
「ビルネンベルク先生のご実家経由で、南の州から仕入れたものを分けてもらったらしい。もうあちらはかなり生えて伸びているらしいから」
「なるほど、それでこんなに青いの。季節はずれなのに、と思って__あ、そういえば、紅茶に檸檬が風味づけられていましたよね?」
「檸檬……? ああ、あれは雄刈萱の一種だ。檸檬に風味が似ている香草の」
雄刈萱は、見た目は稲のようなそれだ。種類によって風味が檸檬のようなものもある。
「あぁ、あれ……あ、では、白葡萄みたいな香りは__接骨木?」
「ええ。接骨木のシロップです。疲れたときはあの紅茶が飲みやすいので。実際飲みやすかったようだ」
「ええ、本当に飲みやすかったです。生き返りました」
「接骨木のシロップなら、まだ未開封のが1本あるので、譲ろうか?」
「いえ、そんな。今度買いに行きます。どこのお店のですか?」
「あれは、非売品だ」
「非売品?」
「ええ。私が作った」
「__作った……?」
「薬草学をこれでも修了した身だ」
彼は武官。繊細な印象を覚える薬草学は修めていないものだと思っていたから、キルシェは驚いてしまうが、はた、と気づいた。
__それこそ先入観よね……。そういえば、彼が何を他に修めようとしてるのかも知らないでいる。
修了したものも知り得ない。あまり深く他人に踏み込まれたくないから、踏み込まずにいる癖がついているが故だ。キルシェにとって、これほど学友と交流を深めたのは、リュディガーが初めてだった。
「授業で作ったのがいささか多くて……。錬金術士にも、医術士にもなりたいわけじゃないんだが、覚えておいて損わないな、と。任地で植生を把握してるとしてないとでは、現地調達となったときの有用性がまったく違う」
「そう」
「ここだけの話、腹が立つ上官への密かな報復もできるな、という動機もあって」
「え……冗談でしょう?」
思わず足を止めてしまうが、対してリュディガーは振り返るだけで歩みは止めない。
「私は、存外、性格がひねくれている」
リュディガーは、人の悪い笑みを浮かべるのだった。
なんだかとんでもない話を聞いてしまった。あの笑みといい、冗談だと思いたいが__と、難しい顔をしていると、リュディガーがふいに顎をしゃくって前方を示す。
木立の影に見え隠れするのは、暮れなずむ森の中の勇壮で堅牢な石造りの佇まい。それを見た途端ほっと安堵するキルシェ。__大学へ戻ってきたのだ。
馬車が一台通れる幅のアーチ状の門をくぐり、木々に遮られていた視界が開けたところで円状になる道を左回りで進む。
本来であれば、本棟の正面玄関が出入り口に向かうところだが、2人は本棟の西に位置する建物へと向かった。四角形の四隅をそいだ形状__そこが大学で教鞭を振るう教官らの寝泊まりする建物だ。ここは防犯の観点から女性の学生の寮としても機能し、キルシェもここに部屋がある。
ちなみに、男性の学生の寮は、本棟から北へ伸びる渡り廊下の先の建物。
教官らの棟へ近づいて行くと、玄関に佇む人影が見えた。するり、と縦に長い影は、頭に天を突く長い耳を戴いている。
「ビルネンベルク先生」
「よかった、よかった。戻ってきてくれて」
破顔するビルネンベルクは安堵した表情を浮かべる。
「すみません、運ぶのに手間取ってしまって」
キルシェが荷車を示せば、ビルネンベルクは流麗な眉を申し訳無さそうに歪める。
「すまなかった、キルシェ……」
「……何がです?」
「リュディガーも」
何故謝られているのかわからないふたりは、お互いに顔を見合わせた。
「その熊葛、実家に頼んだものだったんだが、それがまずかった。リュディガーに様子をみに走ってもらった直後に届いた手紙に、大学への寄付も兼ねて、とあって……嫌な予感がしていたんだ」
「寄付……?」
「当家の宗主が、季節の変わり目だから油断するな、ということで多めによこしたらしい。実際はこの半分でも十分すぎる量なのだよ」
キルシェはまあ、と開いた口が塞がらない。
容量が悪く、体を張って道の半ばまでこれを抱え、極めつけは草の束もろとも転げた。しかもそれをリュディガーに目撃もされてしまった。肩から手にかかて倦怠感があり、意識とは関係なく、ぷるぷる、と震えてしまうほどに疲労が溜まっている__妙な徒労感で、呆然と立ち尽くす。
「これは、ここに置いておいてくれれば、あとは私がやっておく」
「重いので、自分が運びます」
「いや、いいよ。ひょろひょろで頼りなく見えるが、私はまがりなりにも我が宗主、ビルネンベルク家の者にしてビルネンベルク領の者__アルティミシオン・フォン・ウント・ツー・ビルネンベルクに連なる者なんだ。意外と力持ちなのだよ、私は」
甘く見てもらっては困る、と笑うドゥーヌミオン・フォン・ビルネンベルク。
フォンとはそもそも出身地を表すが、そこから領地を有する貴族のひとつの指標となった。これには無論、例外もある。
そうした中でも、ビルネンベルク家の者にしてビルネンベルク領の者__家名と領地を連ねた姓を持つ者は、フォン・ウント・ツーとなるが、龍帝に許された者しか名乗ることが許されない。それは個人にのみ下賜され、家族であっても名乗ることはできない。この姓は、宮家公家に匹敵する地位になるのだ。
公、侯、伯、子、男と大きく分けられる爵位。公は龍帝の系譜の宮家にのみに許された地位で、一般に貴族と呼ばれる者は侯爵以下。これ以上は例外なくありえない。
州で一番上の地位となる州侯。これに着任すると、貴族であるなしに関わらず、州という領地を統治するということで侯爵という地位になる。州侯の任を離れると本来の爵位に戻るのだが、無位のものであっても功績によりけりで侯爵以下の爵位を与えられる場合がある。
「ほら、任せた任せた」
「では……荷車だけは、私が」
「それは、今から返しに戻るのかい?」
「いえ、明日でも構わないということになってます」
「なら、その影にでも置いておきなさい」
ビルネンベルクが指し示したのは、建物の近くに生える背の高い株立した木の根本。ビルネンベルクの足元に薬草の束を下ろしたリュディガーは、指示通りそこに荷車を置く。
それを見届けて、法衣の袖とまくりあげるビルネンベルクは草の束を掴むと、ひょい、と肩に乗せた。キルシェほど細い腕ではないものの、リュディガーとは比べ物にならない細い腕でそこまで力がありそうには見えないのに、流れるような動きで労なく持ち上げてしまう。
その様は、日頃の優美な彼とは正反対で勇ましい武官のような印象を覚える。文に秀でているとはいえ、有能な武官を排出しているビルネンベルクの血統なのは間違いない。
「ふたりともご苦労様だったね。本当にありがとう」
いえ、とキルシェには答えるのが精一杯だった。
薬草を肩に担いだビルネンベルクが、裏手にある厩へ向かうのを見送る。そこで、夕闇が濃くなっている事を思い出した。
「__それでは、リュディガー。貴方が疲れてないのなら、弓射に行きましょうか」
「ご冗談を」
「何故?」
いくらか呆れたような顔になるリュディガー。
「何故も何も、疲れているだろう?」
「大丈夫。私は見ているだけだもの」
「__それはそうだが……」
リュディガーが渋るのは、明らかに疲労の色が見えるからだろう。いくら明るく言っても、武官だった彼にはこうしたことは誤魔化せないのかもしれない。
「貴方が言ったとおり、杏でも食べて、高みの見物をしているわ」
彼から手渡された干した杏の入った麻袋の巾着を、冗談めかして言いながら示せば、リュディガーは肩を竦める。
「なるほど。妙案だ」
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