11 / 247
帝都の大学
痛み Ⅱ
しおりを挟む
的を見据えた途端、彼は武人になる__そう、キルシェの目には映る。
広い背中から発せられる、覇気。立派な体躯の持ち主の武官らしい、堂々とした出で立ち__その様は、勇壮を具現化したようなもの。その背中には、龍騎士たる証の鷲獅子の紋を負っているはず。
龍騎士に叙されると、鷲獅子の紋を負う__彫られるのだそうだ。キルシェはその目で見たことはないが、特別考慮されるような事情がない限り、男であれば必ずそれが課せられる。それは相当な痛みを伴うのだそう。彫り物というものは、生涯消えない。謂わば、生涯の忠誠の証となる。
鷲獅子の紋__施される彫り物は、鷲獅子だけでない。中央に据えられた龍帝と法を表す円を、一対の翼を広げた鷲獅子が守るよう、あるいは掲げるように左右から支え、それらの文様から下へ向かって伸びる五条の放射状の線は、戦神の威光と意思を表す。
__忠義を負う背を、敵に向けて逃げない……のだったかしら。
危機に対して己が身可愛さに背中を向けて逃げること、龍帝の御意に反することは、あってはならない。
__痛みで以って、立場を自覚させる。
自分はエーデルドラクセニアの根幹を担い、全てを負っている、という使命を失わないため。
男の龍騎士に対し、女の龍騎士は少ないながらも、叙されている。だが、彼女たちは子をなすこともある。そうなると、守られる立場だ。どうひっくり返っても、男が子を宿すことなどできない。故に彫り物はされない。
子は未来。未来を担う者たち。そうした子を宿せる女の龍騎士が、敵に捕らわれても龍騎士だと悟れられず逃れられるように、龍帝が勅命でそう決めた。
キルシェは、リュディガーの背をぼんやりと眺める。
大学において、これほど体躯が立派な男はいない。それでいて、がさつな印象を覚える動きを一切しないのだ。何もせず、佇んでいる姿だけでも目を引く。
きっと龍帝従騎士の制服が、これ以上ないぐらい似合うだろう。そして、その制服に恥じない武芸の腕前の持ち主に見える__だのに。
__本当に、何が上達の妨げになっているのか……。
細く息を吐き出し、鞘から矢を取り出したところで、リュディガーが手を止めて振り返った。
「あぁ、キルシェ。忘れないうちに確認しておきたいことが」
「何でしょう?」
「来週からはどうする?」
「来週?」
「昨夜、君を運んだ後、先生と私室でご相伴に預かった。その際伺ったが、君は外へ講書に行くのだろう? 大変ではないか、と思ったのだが」
講書とは、大学が外部から依頼されて学生を講師として派遣することだ。仕事として請け負うため、依頼主は大抵が富裕層。
キルシェが派遣されたのは、半年ほど前からだ。月に4、5回程度、帝都の隣街で幅を利かせるとある貴族が依頼主。今月はたまたま時間があわず、向こうから一ヶ月ほどお休みを、という申し入れが合ったのだ。
「……忘れていました。そう……もう、来週から……そう、そうですよね」
ぶつぶつ、と独り言を呟くキルシェを、リュディガーが怪訝にした。
「__大丈夫か?」
「え、ええ……」
かろうじて、笑みをつくる。ぎこちない笑みにはなっていないだろうか__リュディガーの目が一瞬僅かではあるが細められたように思う。
「その、何も準備をしていなかったものですから……」
隣街とはいえ、講義する時間もあるから一日かかってしまう。リュディガーの弓射指南をするいつもの時間に、間に合うかどうか。
「……無理はしてほしくない。その日は、休みにしてしまっていい。射掛けているぐらい、ひとりでもできる」
「ですが……」
「……また、寮長に小言をもらう自体になるかもしれない」
「え?」
彼の言葉の意味が理解できず、怪訝に首を傾げる。
「__昨日のように女性寮に運ぶことになっても構わないなら、いざしらず」
その言葉に、ひゅっ、と息が詰まり、一気に顔が火照った。思わず両手で頬を押さえれば、間違いなく熱い。
__あんな……だらしない……。
とんでもない話だ。寮長の小言は別にして、自分にとってはあるまじき失態。曲がりなりにも、そこそこの家柄の子女。それも嫁入り前の。それを自覚して、これまで過ごしてきたというのに。
健全な成人男性に抱きかかえられて運ばれたとあっては、社交界であればしばらく賑わすには十分すぎる格好の噂話。下手をしたら、傷物、と尾ひれが付きかねない。
まだ大学という特殊な環境だったから、よかっただけ__まだましという話。それでも、噂にはなるだろう。それだって、まず間違いなく、良心から行動しただけのリュディガーも巻き込まれるような形でだ。そこがとてつもなく忍びない。
__その分、しっかり指南をしないと……。
「……ちょっと、弓射については考えます。__が」
「が?」
「リュディガーを落第させるわけにもいかないので、早く帰って来られたときは、容赦なく弓射指南をいたします」
「承知した。心しておく」
小さく笑いあった後、リュディガーは改めて的へ向き直った。
__講書……また始まるの……。
キルシェは内心、ため息をこぼす。いくらか憂鬱になっているのを、認めざるを得ない。
射掛けるリュディガーの背を見ながら、こっそり、唇を噛み締めるのだった。
広い背中から発せられる、覇気。立派な体躯の持ち主の武官らしい、堂々とした出で立ち__その様は、勇壮を具現化したようなもの。その背中には、龍騎士たる証の鷲獅子の紋を負っているはず。
龍騎士に叙されると、鷲獅子の紋を負う__彫られるのだそうだ。キルシェはその目で見たことはないが、特別考慮されるような事情がない限り、男であれば必ずそれが課せられる。それは相当な痛みを伴うのだそう。彫り物というものは、生涯消えない。謂わば、生涯の忠誠の証となる。
鷲獅子の紋__施される彫り物は、鷲獅子だけでない。中央に据えられた龍帝と法を表す円を、一対の翼を広げた鷲獅子が守るよう、あるいは掲げるように左右から支え、それらの文様から下へ向かって伸びる五条の放射状の線は、戦神の威光と意思を表す。
__忠義を負う背を、敵に向けて逃げない……のだったかしら。
危機に対して己が身可愛さに背中を向けて逃げること、龍帝の御意に反することは、あってはならない。
__痛みで以って、立場を自覚させる。
自分はエーデルドラクセニアの根幹を担い、全てを負っている、という使命を失わないため。
男の龍騎士に対し、女の龍騎士は少ないながらも、叙されている。だが、彼女たちは子をなすこともある。そうなると、守られる立場だ。どうひっくり返っても、男が子を宿すことなどできない。故に彫り物はされない。
子は未来。未来を担う者たち。そうした子を宿せる女の龍騎士が、敵に捕らわれても龍騎士だと悟れられず逃れられるように、龍帝が勅命でそう決めた。
キルシェは、リュディガーの背をぼんやりと眺める。
大学において、これほど体躯が立派な男はいない。それでいて、がさつな印象を覚える動きを一切しないのだ。何もせず、佇んでいる姿だけでも目を引く。
きっと龍帝従騎士の制服が、これ以上ないぐらい似合うだろう。そして、その制服に恥じない武芸の腕前の持ち主に見える__だのに。
__本当に、何が上達の妨げになっているのか……。
細く息を吐き出し、鞘から矢を取り出したところで、リュディガーが手を止めて振り返った。
「あぁ、キルシェ。忘れないうちに確認しておきたいことが」
「何でしょう?」
「来週からはどうする?」
「来週?」
「昨夜、君を運んだ後、先生と私室でご相伴に預かった。その際伺ったが、君は外へ講書に行くのだろう? 大変ではないか、と思ったのだが」
講書とは、大学が外部から依頼されて学生を講師として派遣することだ。仕事として請け負うため、依頼主は大抵が富裕層。
キルシェが派遣されたのは、半年ほど前からだ。月に4、5回程度、帝都の隣街で幅を利かせるとある貴族が依頼主。今月はたまたま時間があわず、向こうから一ヶ月ほどお休みを、という申し入れが合ったのだ。
「……忘れていました。そう……もう、来週から……そう、そうですよね」
ぶつぶつ、と独り言を呟くキルシェを、リュディガーが怪訝にした。
「__大丈夫か?」
「え、ええ……」
かろうじて、笑みをつくる。ぎこちない笑みにはなっていないだろうか__リュディガーの目が一瞬僅かではあるが細められたように思う。
「その、何も準備をしていなかったものですから……」
隣街とはいえ、講義する時間もあるから一日かかってしまう。リュディガーの弓射指南をするいつもの時間に、間に合うかどうか。
「……無理はしてほしくない。その日は、休みにしてしまっていい。射掛けているぐらい、ひとりでもできる」
「ですが……」
「……また、寮長に小言をもらう自体になるかもしれない」
「え?」
彼の言葉の意味が理解できず、怪訝に首を傾げる。
「__昨日のように女性寮に運ぶことになっても構わないなら、いざしらず」
その言葉に、ひゅっ、と息が詰まり、一気に顔が火照った。思わず両手で頬を押さえれば、間違いなく熱い。
__あんな……だらしない……。
とんでもない話だ。寮長の小言は別にして、自分にとってはあるまじき失態。曲がりなりにも、そこそこの家柄の子女。それも嫁入り前の。それを自覚して、これまで過ごしてきたというのに。
健全な成人男性に抱きかかえられて運ばれたとあっては、社交界であればしばらく賑わすには十分すぎる格好の噂話。下手をしたら、傷物、と尾ひれが付きかねない。
まだ大学という特殊な環境だったから、よかっただけ__まだましという話。それでも、噂にはなるだろう。それだって、まず間違いなく、良心から行動しただけのリュディガーも巻き込まれるような形でだ。そこがとてつもなく忍びない。
__その分、しっかり指南をしないと……。
「……ちょっと、弓射については考えます。__が」
「が?」
「リュディガーを落第させるわけにもいかないので、早く帰って来られたときは、容赦なく弓射指南をいたします」
「承知した。心しておく」
小さく笑いあった後、リュディガーは改めて的へ向き直った。
__講書……また始まるの……。
キルシェは内心、ため息をこぼす。いくらか憂鬱になっているのを、認めざるを得ない。
射掛けるリュディガーの背を見ながら、こっそり、唇を噛み締めるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
理想の男性(ヒト)は、お祖父さま
たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。
そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室?
王太子はまったく好みじゃない。
彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。
彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。
そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった!
彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。
そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。
恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。
この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?
◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
R-Kingdom_1
他サイトでも掲載しています。
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。
ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。
そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。
真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。
イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。
楠ノ木雫
恋愛
蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……
この度、青帝陛下の運命の番に選ばれまして
四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。
姉に代わって立派に息子を育てます! 前日譚
mio
恋愛
ウェルカ・ティー・バーセリクは侯爵家の二女であるが、母亡き後に侯爵家に嫁いできた義母、転がり込んできた義妹に姉と共に邪魔者扱いされていた。
王家へと嫁ぐ姉について王都に移住したウェルカは侯爵家から離れて、実母の実家へと身を寄せることになった。姉が嫁ぐ中、学園に通いながらウェルカは自分の才能を伸ばしていく。
数年後、多少の問題を抱えつつ姉は懐妊。しかし、出産と同時にその命は尽きてしまう。そして残された息子をウェルカは姉に代わって育てる決意をした。そのためにはなんとしても王宮での地位を確立しなければ!
自分でも考えていたよりだいぶ話数が伸びてしまったため、こちらを姉が子を産むまでの前日譚として本編は別に作っていきたいと思います。申し訳ございません。
多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】
23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも!
そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。
お願いですから、私に構わないで下さい!
※ 他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる