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帝都の大学
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「__君が、侍女として行けばいい」
無言になって難しい顔をしていたキルシェに、リュディガーが、さらり、と言う。振り返れば、なにか問題が、と言いたげな表情で腕を組んだ。
「君なら、侍女としての立ち回りもできるだろう。先生のお供もしているぐらいだし。それに、お茶ぐらいなら、注文も困らないはずだ」
__なるほど、侍女。
内心、手を打ったキルシェ。
伯爵夫人と侍女。侍女とのお茶は、良家の女性ならば有り得ることで、砕けた雰囲気なのは不自然ではないし、自分も要領がわかる。
__老貴婦人と新しい侍女という体……できるわ。
「__是非、お供させてください」
答えれば、ぱっ、と夫人の表情が花開くように明るくなる。
「では、決まりね。なんだか、我儘を聞いてもらったみたいで」
「いえ、そんなことは。楽しみです」
「またご相談しましょう」
とても嬉しそうに言うブリュールだが、恭しく手本のような礼を欠かさず、部屋を後にした。
それを見送るキルシェもまた、とても嬉しく、心が弾んでいた。
「では、これでお開きだな。君たちも戻りなさい」
言いながらテーブルの茶器を片付け始めるビルネンベルク。リュディガーもキルシェも片付けをしようとするが、彼が笑って制してしまう。
「__あの、先生。昨夜はありがとうございました」
「何がだね?」
「食事の件です」
ぴたり、と動いていたビルネンベルクの手元が止まる。
「なんだ、リュディガー。教えてしまったのか」
「払うと言い張るので、やむを得ず」
「そこは、君、もう少しこう……あぁ……リュディガーじゃ、しょうがないか」
やれやれ、と大仰なため息を吐き出すビルネンベルクに、リュディガーは苦笑した。
そして、キルシェとリュディガーは、ビルネンベルクの部屋を後にし、教官と女性寮の建物から、本棟へと向かう渡り廊下へ向かった。
「__私も、迷っていることに驚いた」
リュディガーの言葉に、キルシェは足を止める。
「……まあ、君らしいなと思ったので、腹は立たなかったが」
キルシェが足を止めたので、リュディガーも足を止めて振り返る。
「でも、がっかりはしたでしょう? この期に及んで」
「してないな。寧ろ、感服した」
「感服?」
「まだ、立ち向かおうとしていただろう」
「それは……まあ、少しは」
「勇ましいご令嬢だよ。さすが弓射指南役殿」
苦笑を浮かべれば、リュディガーは笑って歩みを再開する。
やがて至る渡り廊下。等間隔に嵌められた窓からは、柔らかい緑に弾かれた陽の光が、ぼんやりと満ちていた。
「勇ましいと言えば……知ってるか、キルシェ」
「何?」
「ブリュール夫人は、弓射を無事修了なさっておいでだ」
「……すごいですね。あのお年で」
齢60近いはず。
入学はキルシェより一年早く、ゆっくりと踏みしめるように学を修めているらしい。
「君が来る前、弓射の話題になったんだが……貴族のたしなみで、狩りをするだろう? 夫人は女性だが、馬を使わない狩りの時にはなさっていたようで……手練も手練だった。__大抵、八矢だ」
まあ、とキルシェは感嘆した。
弓射は十矢を三回にわけて射掛ける。合計して二十一矢、的を射抜けなければ、弓射を修了したとはみなされない。故に鍛錬では、合格の目安が七矢とされている。
「今朝、君は弓射の鍛錬場に居なかっただろう」
「ええ。リュディガーは行っていたの?」
「ああ」
今朝は、いつものように早朝の鍛錬にはいけなかった。気づかないうちに、あれやこれや__一度に多くのしかかっていたらしく、目覚めた今朝は、鍛錬するほど時間に余裕はなかった。
「……負けた」
「え?」
「ビルネンベルク先生に」
「先生? どうして先生?」
「先生も顔を出したんだ。君が居るだろうと踏んで、様子を見に来たとおっしゃっていた。そこで話の流れで、お互い腕試しをしよう、となって__負けた」
自嘲して肩を落とすリュディガーを見、キルシェは思わず足を止めた。
「……何矢?」
「五矢」
「……そう」
なんと答えたらいいのか__と、掛ける言葉を考えていれば、リュディガーが細く笑う。
「__五矢が、私が放ったものか否かを確認されることもなく、先生の放った矢だと確定されてしまうとはな……」
ぼやきに、キルシェは、はっ、とした。確かに、それはそうだ。
「そ、そういうつもりじゃ……」
「冗談だ。……事実であるし」
最後の言葉は聞き漏らしそうなほどで、リュディガーが窓の外へ視線を投げ、歩みを再開して、ぼそり、と言う。
「……拗ねたの? リュディガー」
「いや、思い出したんだ。勝ち誇ったビルネンベルク先生の顔を。__花をもたせようと、手心を加えてくれたのだね、とまで言われた」
うんざり、として言うリュディガーは、後ろ頭をかく。
「……四矢は当たったんだがな」
「え?! 本当に?!」
昨今のリュディガーは、よくて三矢だ。平均で二矢。彼にすれば上等すぎる結果で、キルシェは思わず弾んだ声を上げた。
「あ、ああ」
「なにかいつもと違った感じがあった?」
「さて……どうだったかな……」
腕を組んで目を伏せ、当時を思い出すように唸るリュディガー。
彼は元々武官であるが、キルシェよりも自身の身体について__特に、どことどこの筋が連動して動くか、というようなことについてあまりにも気付かない。それも上達を遠ざけている要因だと、キルシェは踏んでいる。
動作の不調があっても原因の大元がどこか分からず、身体の動かし方、活かし方に無駄があるような状態だ。
こればかりは本人が気づかないことにはどうしようも無い。
だから、昨今は都度使っている箇所や変化を意識するよう助言している。
「__これといって特にはなかったように思うが……」
「本当に?」
「ああ」
頷いてリュディガーは、腕組を解く。
__どうなのかしら……。
キルシェもまた、唸った。
__あとは、他の違うこと……。
違うことといったら、状況。彼は、ビルネンベルクと競っていた。
しかし、弓射の授業では他にも学生がいる状況も経験しているはず。しかも時には学生同士で的中率を競うこともある。
彼曰く、だからといって劇的に的中率が変わったことはない、という。相変わらずか、あるいはいつもより一矢多いかどうか、という具合らしい。
__うーん……時間、とか。
弓射をしていた時間も違う。朝は、集中しやすいように思うが、それだって人それぞれかもしれない。
今朝、一緒にその場にいられれば、彼の様子からそれを伺うことはできただろうに、惜しいことをした。これについては、後日試してみることは可能だろうが。
__あとは……あとはなにかしら……?
昨日は、早々に切り上げさせられた。そして、自分の置かれている状況を聞き出して、先生に言うよう促して、気分転換に付き合ってくれた。
「……食事……?」
そう。そうだ。昨夜は、かなり彼は食べたのは間違いない。
大学で出る食事の倍は軽く凌ぐ量だったはず__。
「__何してる。行かないのか?」
ひとりごちているところに呼びかけられて我に返れば、いつの間にか自分は歩みを止めていたらしい。少し先__渡り廊下の中程で足を止め、リュディガーが振り返っているではないか。
慌ててキルシェは少しばかり足早に歩み、彼に追いつくのだった。
無言になって難しい顔をしていたキルシェに、リュディガーが、さらり、と言う。振り返れば、なにか問題が、と言いたげな表情で腕を組んだ。
「君なら、侍女としての立ち回りもできるだろう。先生のお供もしているぐらいだし。それに、お茶ぐらいなら、注文も困らないはずだ」
__なるほど、侍女。
内心、手を打ったキルシェ。
伯爵夫人と侍女。侍女とのお茶は、良家の女性ならば有り得ることで、砕けた雰囲気なのは不自然ではないし、自分も要領がわかる。
__老貴婦人と新しい侍女という体……できるわ。
「__是非、お供させてください」
答えれば、ぱっ、と夫人の表情が花開くように明るくなる。
「では、決まりね。なんだか、我儘を聞いてもらったみたいで」
「いえ、そんなことは。楽しみです」
「またご相談しましょう」
とても嬉しそうに言うブリュールだが、恭しく手本のような礼を欠かさず、部屋を後にした。
それを見送るキルシェもまた、とても嬉しく、心が弾んでいた。
「では、これでお開きだな。君たちも戻りなさい」
言いながらテーブルの茶器を片付け始めるビルネンベルク。リュディガーもキルシェも片付けをしようとするが、彼が笑って制してしまう。
「__あの、先生。昨夜はありがとうございました」
「何がだね?」
「食事の件です」
ぴたり、と動いていたビルネンベルクの手元が止まる。
「なんだ、リュディガー。教えてしまったのか」
「払うと言い張るので、やむを得ず」
「そこは、君、もう少しこう……あぁ……リュディガーじゃ、しょうがないか」
やれやれ、と大仰なため息を吐き出すビルネンベルクに、リュディガーは苦笑した。
そして、キルシェとリュディガーは、ビルネンベルクの部屋を後にし、教官と女性寮の建物から、本棟へと向かう渡り廊下へ向かった。
「__私も、迷っていることに驚いた」
リュディガーの言葉に、キルシェは足を止める。
「……まあ、君らしいなと思ったので、腹は立たなかったが」
キルシェが足を止めたので、リュディガーも足を止めて振り返る。
「でも、がっかりはしたでしょう? この期に及んで」
「してないな。寧ろ、感服した」
「感服?」
「まだ、立ち向かおうとしていただろう」
「それは……まあ、少しは」
「勇ましいご令嬢だよ。さすが弓射指南役殿」
苦笑を浮かべれば、リュディガーは笑って歩みを再開する。
やがて至る渡り廊下。等間隔に嵌められた窓からは、柔らかい緑に弾かれた陽の光が、ぼんやりと満ちていた。
「勇ましいと言えば……知ってるか、キルシェ」
「何?」
「ブリュール夫人は、弓射を無事修了なさっておいでだ」
「……すごいですね。あのお年で」
齢60近いはず。
入学はキルシェより一年早く、ゆっくりと踏みしめるように学を修めているらしい。
「君が来る前、弓射の話題になったんだが……貴族のたしなみで、狩りをするだろう? 夫人は女性だが、馬を使わない狩りの時にはなさっていたようで……手練も手練だった。__大抵、八矢だ」
まあ、とキルシェは感嘆した。
弓射は十矢を三回にわけて射掛ける。合計して二十一矢、的を射抜けなければ、弓射を修了したとはみなされない。故に鍛錬では、合格の目安が七矢とされている。
「今朝、君は弓射の鍛錬場に居なかっただろう」
「ええ。リュディガーは行っていたの?」
「ああ」
今朝は、いつものように早朝の鍛錬にはいけなかった。気づかないうちに、あれやこれや__一度に多くのしかかっていたらしく、目覚めた今朝は、鍛錬するほど時間に余裕はなかった。
「……負けた」
「え?」
「ビルネンベルク先生に」
「先生? どうして先生?」
「先生も顔を出したんだ。君が居るだろうと踏んで、様子を見に来たとおっしゃっていた。そこで話の流れで、お互い腕試しをしよう、となって__負けた」
自嘲して肩を落とすリュディガーを見、キルシェは思わず足を止めた。
「……何矢?」
「五矢」
「……そう」
なんと答えたらいいのか__と、掛ける言葉を考えていれば、リュディガーが細く笑う。
「__五矢が、私が放ったものか否かを確認されることもなく、先生の放った矢だと確定されてしまうとはな……」
ぼやきに、キルシェは、はっ、とした。確かに、それはそうだ。
「そ、そういうつもりじゃ……」
「冗談だ。……事実であるし」
最後の言葉は聞き漏らしそうなほどで、リュディガーが窓の外へ視線を投げ、歩みを再開して、ぼそり、と言う。
「……拗ねたの? リュディガー」
「いや、思い出したんだ。勝ち誇ったビルネンベルク先生の顔を。__花をもたせようと、手心を加えてくれたのだね、とまで言われた」
うんざり、として言うリュディガーは、後ろ頭をかく。
「……四矢は当たったんだがな」
「え?! 本当に?!」
昨今のリュディガーは、よくて三矢だ。平均で二矢。彼にすれば上等すぎる結果で、キルシェは思わず弾んだ声を上げた。
「あ、ああ」
「なにかいつもと違った感じがあった?」
「さて……どうだったかな……」
腕を組んで目を伏せ、当時を思い出すように唸るリュディガー。
彼は元々武官であるが、キルシェよりも自身の身体について__特に、どことどこの筋が連動して動くか、というようなことについてあまりにも気付かない。それも上達を遠ざけている要因だと、キルシェは踏んでいる。
動作の不調があっても原因の大元がどこか分からず、身体の動かし方、活かし方に無駄があるような状態だ。
こればかりは本人が気づかないことにはどうしようも無い。
だから、昨今は都度使っている箇所や変化を意識するよう助言している。
「__これといって特にはなかったように思うが……」
「本当に?」
「ああ」
頷いてリュディガーは、腕組を解く。
__どうなのかしら……。
キルシェもまた、唸った。
__あとは、他の違うこと……。
違うことといったら、状況。彼は、ビルネンベルクと競っていた。
しかし、弓射の授業では他にも学生がいる状況も経験しているはず。しかも時には学生同士で的中率を競うこともある。
彼曰く、だからといって劇的に的中率が変わったことはない、という。相変わらずか、あるいはいつもより一矢多いかどうか、という具合らしい。
__うーん……時間、とか。
弓射をしていた時間も違う。朝は、集中しやすいように思うが、それだって人それぞれかもしれない。
今朝、一緒にその場にいられれば、彼の様子からそれを伺うことはできただろうに、惜しいことをした。これについては、後日試してみることは可能だろうが。
__あとは……あとはなにかしら……?
昨日は、早々に切り上げさせられた。そして、自分の置かれている状況を聞き出して、先生に言うよう促して、気分転換に付き合ってくれた。
「……食事……?」
そう。そうだ。昨夜は、かなり彼は食べたのは間違いない。
大学で出る食事の倍は軽く凌ぐ量だったはず__。
「__何してる。行かないのか?」
ひとりごちているところに呼びかけられて我に返れば、いつの間にか自分は歩みを止めていたらしい。少し先__渡り廊下の中程で足を止め、リュディガーが振り返っているではないか。
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