【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
43 / 247
帝都の大学

侍女という名の

しおりを挟む
 そこに、こんこん、と開け放たれているはずの扉を律儀にノックする音。キルシェは弾かれるように我に返って、手を放した。

 見れば、片付け終えてもどってきたラエティティエルだ。

「キルシェ様、すみません。お茶を__重ねて、お手を煩わせてしまいまして」

 穏やかな笑みのなかに、申し訳無さが見て取れて、キルシェは笑顔で首を振る。

「あら、様子を拝見してからお典医いしゃ様をお呼びしようとしてましたのに、もうお休みですか。思ったよりも早くていらっしゃる」

 新たな盆を手にしていた彼女は、歩み寄りながら僅かに驚きに目を見開く。

「会話などは如何でした?」

「いくらか。最初はぼんやりとしていましたけど、すぐにはっきりと言葉をやり取りできました」

「そうでしたか。なら、次に目覚めたときは、もっと快復してますね」

 よかったです、と言いながら、ラエティティエルは、盆を隣の寝台へ置き、そこでなにやら盆の上の物をいじり始める。

「キルシェ様は__すみません、先程ありがたくお名前だけでよいと仰せでしたが、ここではお許しを」

「いえ。良いようになさってください」

 自分は、彼女に傅かれるような立場にないから、という心遣いからの申し出なだけだ。彼女が都合の良いようにしてくれれば、呼び方などどうでもよい。

「ありがとう存じます。__キルシェ様は、お加減は大丈夫ですか?」

「え? 加減……ですか?」

 はい、と返事を彼女の手元から煙が立ち昇る。よくよくみれば、彼女の手元には香炉だろうと思われるものがあった。

 それを両手で大事そうに持って、窓の淵に置く。香炉は細身で、口へ向かって反り返るような形。色は一見して乳白色だが、少しばかり見る角度を変えると様々な色の光を弾いて輝き、遊色が賑わって見える。__蛋白石と呼ばれるものに近い色だった。

 緩やかな風に広がる煙。それは、甘すぎず、苦すぎず、涼やかで古風な落ち着きがある薫り。__どうやら、鼻は利くようになってきたらしい。

「あれは、瘴気の毒素の残滓みたいなものです。残穢ざんえ、と呼んでいます」

「残穢……」

「瘴気に侵された者の証です。それも深く、濃く」

 滅多にそこまでは侵されないのですが、とラエティティエルは苦笑を浮かべる。

「__今回、彼は、深みに踏み込みました。かなりの濃い瘴気に当てられると……毒気と申しますか、瘴気そのものと申しますか……そうしたものに蝕まれると、我々エルフの言い方で言えば、夢現に揺蕩うのです」

 夢現__確かに、目覚めたばかりの彼は、茫洋とした様子だった。何かに揺蕩ってふやけているような。

「私をキルシェ様と見間違えたのも、そして、最初はぼんやりとしていた、と仰っておりましたが、それもそれ故」

「そうなのですか」

「そして、夢現に彷徨ったまま、下手をすれば__戻らないことも」

「え……」

 ひゅっ、と心臓が縮こまる心地に震えてしまう。

「ですがご安心を。__もう此処へ移された段階で、その状況は脱しておりましたから」

 ラエティティエルは、リュディガーの顔を見た。静かに穏やかな寝息を繰り返す彼は、しばらく起きるようには見えない。

 キルシェはその寝姿を、過去に重ねて見た。

 __ならば、あの昔見た人たちは……。

 魔穴は頻繁に生じる事象ではない。だが、魔穴だけでなく、瘴気は平時でもこの世に吹き出すことがある。イェソド州は波があるが、他の州に比べ瘴気が吹き出しやすいとされている。

 どす黒い吐瀉物を吐いていたあの人たちは、そうした吹き出した瘴気に侵されてしまった人たち。

 吐いた人もいれば吐かなかった人もいて、後者はそのまま衰弱して命を落としていったと記憶している。吐いた人は病床を移されてしまって、その後のことは知らないが、今思えば彼らは亡くなってはいないように思う。

「__穢れは取り扱いを間違うと、触穢しょくえになります」

「触穢?」

 はい、と答え、ラエティティエルは、香炉を運んできた盆に取り残されていた小さな巾着を手に取った。

「__今日は、これをお持ち帰りください」

 手渡されたそれは、手に簡単に収まる大きさだが、見た目よりも重い。しっかりとした形があり、形状から察するに石のようだ。

「これは、石……ですか?」

「ただの石ではないですが、石は石です。__残穢とは穢れの残滓とは申せ、それでも穢れ。穢れというものは、伝播します。触穢もまさしく穢れの一種です」

 だからか、とキルシェははっ、とした。

 だから、吐瀉物__残穢を運ぼうとしたとき、彼が止めたのか。

 __そういう事だったの……。

 小さい頃はただ、飛び散ったら報せること、触れたりしたら教えることを厳しく指導されていただけ。全容を知ることはなく、ただこの黒い物はよくないものなのだ、と察して行動していただけだった。

「まさか、残穢があるから、ここに独り?」

「ご推察の通りです__が、残穢を吐き出す……とは判断しかねておりまして、どちらかと言うと、そうなっても良いように、という程度でこちらに」

「残穢があると……容態が急変したりするのですか?」

「はい。なくはないです。__させませんが」

 答えるラエティティエルは、力強く答え頷く。それは確固たる自信に満ちたもの。彼女はきっと幾度もこうした状況を乗り越えてきたのだろう。

「ご家族が面会に来て、あれを目撃したら卒倒ものです。通常であればあれを吐き切るまでは、面会の許可は出ません」

「では、今回は何故?」

「彼は一度目覚めましたとき、残穢を吐き出さなかった。安定もしておりましたので、現地での祈祷等の処置で浄化しきって吐き出さないのだろう、と判断されて許可が下りたのです。一応、限られた方__いま彼の所属先は大学で、その大学から騒がしく出立したので、学長様など限られた方には許可が出されたと」

 確かに、あれを目の当たりにして、家族はただ不安がるに違いない。それに、レナーテル学長やビルネンベルクならば、冷静に対処する様しか浮かばない。恐らく、龍帝従騎士団でも、それも見越しての許可だったのだろう。

「まあでも、大げさに聞こえてしまっているかもしれませんが、先程の残穢からでしたら、影響はほぼありません。最悪、少し体調を崩すか、気分が塞ぐかといった程度でしょう。キルシェ様には触穢はありませんが、念の為のお守りのようなものです。私の息を吹きかけてあります」

「息……?」

「念を込める、とでも申しますか」

 いまいち合点がいかず首をかしげると、ふふ、とラエティティエルは笑う。

 そして、失礼、と言い徐にキルシェが持つ巾着に二指で触れた。

「……《フルベ》」

 小さく吐息のように言葉を発するラエティティエルは、指を離した。

「これでしかと御身を、穢れからお護りするはずです」

「今のは?」

「その《もの》がもつ力を震わせて、発揮させるための言葉です」

 ラエティティエルは柔和に笑む。

「私ども、ここでお勤めをさせていただいている全て__とりわけ、私のような侍女は、便宜上侍女としておりますが、そうした小間使というよりも、祓い清めるためにおります」

「では、神官なのですか?」

「神官とは違いますが、似たようなものです。所属は文官にあたります。宮妓というものがおりますが、それと同じような立場ですね」

 それは知らなかった、とキルシェは目を見開く。

 宮廷には、舞踊や楽器などの芸で来客をもてなす者がいる。これを宮妓と呼ぶ。文字通り、これは全て女性だという。

 儀式にも使われることがある彼女たちは、ラエティティエルの言う通り、文官でありながら神官との中間という位置づけ。

「お休みになられる前、枕元に忍ばせてお休みになってください。脅すつもりなどはなく、先程も申し上げましたが、念の為というだけです」

 言って、ラエティティエルはリュディガーへと視線を投げる。

「大小に関わらず、何かあったとしたら、残穢に晒したナハトリンデン卿も寝覚めが悪いでしょう。__彼のためにも」

 はい、とキルシェは頷いて、その巾着を胸に押し抱くようにし、リュディガーを見た。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない

三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

夫婦戦争勃発5秒前! ~借金返済の代わりに女嫌いなオネエと政略結婚させられました!~

麻竹
恋愛
※タイトル変更しました。 夫「おブスは消えなさい。」 妻「ああそうですか、ならば戦争ですわね!!」 借金返済の肩代わりをする代わりに政略結婚の条件を出してきた侯爵家。いざ嫁いでみると夫になる人から「おブスは消えなさい!」と言われたので、夫婦戦争勃発させてみました。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。10~15話前後の短編五編+番外編のお話です。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非! *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。  ※R7.10/13お気に入り登録700を超えておりました(泣)多大なる感謝を込めて一話お届けいたします。 *らがまふぃん活動三周年周年記念として、R7.10/30に一話お届けいたします。楽しく活動させていただき、ありがとうございます。 ※R7.12/8お気に入り登録800超えです!ありがとうございます(泣)一話書いてみましたので、ぜひ!

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。

楠ノ木雫
恋愛
 蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

処理中です...