【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
78 / 247
帝都の大学

弟子と師匠

しおりを挟む
 帝都内を巡回する乗り合い馬車は、街道を行くそれよりも賑やかだ。

 この時期は、車窓を開け放つのが常。そこから涼しい風が入ってくる。

 それを肺いっぱいに吸っていれば、建物の向こうについに隠れて見えなくなる、三苑の森。

 さらに、身体から力が抜けるのが分かった。

 リュディガーの見舞いに行った時とは、質の違う緊張感。

 初めて会う人ばかり。

 初めての環境。

 初めての矢馳せ馬__もとい、その鍛錬の慣らし。

 構えないはずがない。

 __リュディガーは、すごいわ……。

 そんな状況でも、矢馳せ馬を命じられるまま行い、的に当ててみせたのだ。
 
 __弓射で苦労していたなんて、嘘みたい。

 隣で腕を組んで俯く彼へ、キルシェは視線を移した。

 馬車の中は満席で、大きな身体の彼は少し身を縮こませているものの、膝などが触れるほどとても近い。

 珍しく寛げた襟元から、きらり、と光る鈍色が覗く。それは、彼が暇をもらっている身でありながらも、肌身離さず所持している龍帝従騎士団の認識票だ。

 表側は龍騎士の象徴たる、前脚を蹴り上げる勇ましい一頭の鷲獅子の精緻な意匠。

 __やっぱり、身につけているのね。

 いつ何時、召喚されるかわからない身の上の証。

 認識票は肌身離さずだが、今日は太刀を置いてきていた。

 常日頃持ち歩いている訳ではないが、レナーテル学長に封じられこそすれ持ち歩くことも許されているはずだ。

 それでも、彼は部屋に保管したまま持ち出すことはないらしい。少なくとも、キルシェは見かけたことがない。

 先日の召集は大学へ直接迎えが来ていたから、得物もすべてそこで揃えられたと聞く。だが、今このとき呼び出されたら、どうするのだろう。

 __大学へとりあえずは戻るのかしら……。

 迎えは龍を駆ってくるはずだから、大学を目指して飛ぶ龍を見かけたらまずそちらへ向かえばいい__ということだろうか。

「__汗臭いだろう」

 素朴な疑問を抱いていれば、ぼそり、と俯いていたリュディガーが呟き、顔を上げる。彼の蒼く深い紫にも見える瞳が思いの外近くて、キルシェは彼の言葉に一瞬ついていけなかった。

「__え? あ……いいえ」

「そうか?」

「そんなことを言ったら、私もですよ」

「いや、それはないが……私はほら、嫌な汗をかいたからな……」

 渋い顔になったリュディガーが言っているのは、皆の前で突然、矢馳せ馬をさせられたことだろう。

 大げさにため息を零すものだから、くすり、とキルシェの笑いを誘う。

「これからは、着替えを持ってこなければいけないな。汗を流しても、同じのを着ると意味がない」

「私も、それは思いました。暑くもなりますしね」

 だろう、と言うリュディガーは笑う。

「__あの、ヘルゲという教官殿に、手拭いさえも持参しなかったのか、と詰られたぞ、こちらは。心底信じられない、という顔で」

 まあ、とキルシェは目を見開く。

 何も持ち物については指示をされていなかった__とは申せ、汗をかく自体は予想できる範疇のはずだから、こちらが至らなかった部分はあると言える。

 __それにしても……よね。

「神学校の候補者からの話なんだが、少なくとも三手先を読んで行動しないと使えない、と思う教官殿らしい」

「ええぇ……」

 マルギットにつきっきりで指導__今日は、指導らしい指導はなかったが__してもらっていたから、ヘルゲと関わることはなかった。

 おそらく今後もマルギットが外されない限り、ヘルゲに指導されるということはないように思われる。

 __思えば、過分すぎる待遇よね……。

 デリング教官がどのような評価を伝えているかは知らない。

 リュディガーは、矢馳せ馬らしいことはできる、と予め触れこまれていたのだから、自分も何かしら伝えられているはず。

 __重いなぁ……。

 追加とはいえ、期待はいくらかされているに違いない。

 停車する毎ひとり、ふたり、と降りていく乗客。入れ替わるようにして、また乗り込んでくる様子をぼんやりと眺めながら、キルシェはため息を零した。

「応えられるかしら……」

「ん?」

 知らず識らずに口から溢れていた言葉。リュディガーが反応するので、キルシェはとっさに口元を押さえた。

 なんでもない、と首を振ってやり過ごし、再び窓の外を見やった。

 それから30分ほどは揺られていただろうか。見慣れた景色になって、リュディガーが目配せで降りると言うので、それに従う。

 車内の紐を軽く幾度か引けば連動して鈴が鳴り、それが次の停留所で停まる合図だ。馬車が緩く減速し、目的の停留所で停まる。

 御者と違い、車の乗降口の脇の外に設えられたひさし付きの座席に腰掛ける者がいる。それは車掌で、主に運賃等を含む円滑な旅客の乗降と、貨物の管理といった役割を担う。

 車掌に運賃を支払い降車して、キルシェは足早に通りを進んだ。

 繁華街を抜け、やがて大学に最も近い店が並ぶ商店街の様な通りに至るが、それらにはあまり目をやらずただひたすら先を目指す。

「__キルシェ、ここまでくればそんなに急がなくてももう間に合うから大丈夫だ」

 大学の境界が見えてきたあたりでリュディガーが懐中時計を見ながら、そう告げた。キルシェは頷いて歩調を戻す。

 そこまでくると大学の方から、森を抜けて涼しい風が吹いてくるようになってきた。

「リュディガー、お願いがあります」

 敷地の森を進み、やがて大学の校舎が見えてきたあたりでキルシェが言えば、リュディガーは歩調をさらに緩めた。

「なんだ?」

「私を弟子にしてくれませんか?」

「……は?」

 流石にリュディガーは、足を止めた。その顔は、呆気にとられたようになっているので、キルシェは視線を落とした。

「よく考えたのだけれど、私、間違いなくあの中では一番下の腕だと思うの。鞍でさえこれまで女鞍だったのだから。まずはそこからで、立ち乗りもですし……」

「だとしても、私が教えられるようなことは何も……」

「リュディガーは十分できているじゃない」

「私だって、まだまだだ。完璧じゃない。君もその目で見ただろう? そもそも、自覚もないのだし。それに、それこそマルギット殿やヘルゲ殿__ゲオルク殿にご助言を乞えばいい」

「それはもちろんだけれど、次は一週間後よ? それまで何もせずに過ごすなんて……」

 キルシェは、両手を腹のあたりで組んだ。

「……そこまで、真面目にしなくてもよいのではないか? 候補者は他にもいるのだし」

「逆の立場だったら、リュディガーはそういう心持ちになれる?」

 キルシェは目元に力を込めて、リュディガーに問う。それは少しばかり強い言い方で、彼は一瞬息を詰めてから顎をさすって罰が悪い顔になった。

「……すまない、配慮に欠けた」

「いえ、言いたいことはわかるの。だけれど……やれるだろうと見込まれているのだったら、少しはそれに応えないといけない、と私は思うのよ」

 リュディガーは、唸って腕を組み、視線を足元へ落とした。

「授業もある貴方の負担を増やすことも重々承知ですが……」

 キルシェは考え込んだ彼を見、申し訳無さから、組んでいた手に力を込めた。

「いや、それは全然。そこは気にしていないんだ。ただ……」

「ただ?」

「君からの願いは、安請け合いはできないな、と思っていたんだ」

 リュディガーはそこまで言うと、ふっ、と笑った。

「そういえば、言ったな。勧めたなりに、責任は負うつもりだ、と。__果たさせてもらおうじゃないか」

 キルシェは、目を見開く。

「じゃあ、いいの? 本当に? 本当にいいの?」

「ああ。協力させてもらう。惜しみなくな」

 苦笑とも自嘲ともわからない笑みを浮かべるリュディガーに、キルシェは心の底から高揚した。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない

三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

夫婦戦争勃発5秒前! ~借金返済の代わりに女嫌いなオネエと政略結婚させられました!~

麻竹
恋愛
※タイトル変更しました。 夫「おブスは消えなさい。」 妻「ああそうですか、ならば戦争ですわね!!」 借金返済の肩代わりをする代わりに政略結婚の条件を出してきた侯爵家。いざ嫁いでみると夫になる人から「おブスは消えなさい!」と言われたので、夫婦戦争勃発させてみました。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。10~15話前後の短編五編+番外編のお話です。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非! *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。  ※R7.10/13お気に入り登録700を超えておりました(泣)多大なる感謝を込めて一話お届けいたします。 *らがまふぃん活動三周年周年記念として、R7.10/30に一話お届けいたします。楽しく活動させていただき、ありがとうございます。 ※R7.12/8お気に入り登録800超えです!ありがとうございます(泣)一話書いてみましたので、ぜひ!

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。

楠ノ木雫
恋愛
 蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

処理中です...