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帝都の大学
片翼院の夜
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ぼんやりとしながら、天井を見つめていると、それが見覚えのないものだとわかった。それから、視線を巡らせる。
あたりは暗いのに、天井の照明は点いておらず、壁に張り付くような照明と、側近くの棚に置かれた手元を照らすような照明だけが明るかった。
自分が横たわる寝台を囲うように衝立があり、その隙間から見える4つの寝台__否、病床。
__夢で見た……気がする。
その夢では日が沈みかけとはいえ、もっと明るかった。どちらにせよ、その明るさとは別にして鮮やかな夢だったことは間違いない夢。
少しばかり気になって思い出そうとするが、相変わらず頭が働かなかった。ふわふわ、とした心地が続いているものの、そこまで不快ではない。
目を閉じて深くため息をつくと、かすかに足音が近づいてきていることに気づき、キルシェは再び目を開けて、衝立の向こうに見える他の壁と違い、焦げ茶の木枠と硝子窓が嵌められている壁の方を見る。
近づく足音は部屋に踏み入って来たようで、よりよく響く。そして、衝立の向こうから現れた人影はとても大きく、深みのある蒼の双眸と視線がかち合うと、人影は__彼リュディガーは、動きを止めて目を見開いた。
動かなくなること暫し、弾かれるようにしてリュディガーが足早に駆け寄り、キルシェの枕元近くの棚に置かれていたらしいベルを取ると鳴らす。
その音が今のぼんやり、としていたキルシェにはいくらか覚醒へと促す作用をもたらして、頭の鈍さが少しだけ和らいだように思う。
リュディガーは、近くに椅子を寄せて顔を覗き込む。
「キルシェ、どこか痛むか?」
手櫛で整えただけなのだろう、珍しく前髪がいくらか額にかかっている彼。
その顔からは、心底心配していることが伺い知れて、何故それほど、とキルシェは内心怪訝に思った。
ぼんやりするが、痛みはない。キルシェは首を振って答える。すると、彼の表情がいくらかほぐれたのと同時に、自身の片手が温かいもので包まれるのがわかった。見れば、リュディガーの手だった。
「何が起きたか、覚えているか?」
「……」
何が__何かが起きたのはわかるが、まだまだぼんやりとしている頭では、記憶を辿れない。
「落馬したんだ」
「落馬……」
掠れた声で、彼の言葉を繰り返す。
そこでノックをする音が響き、リュディガーは顔を上げて彼が来たほう__衝立で視えないが、おそらく出入り口なのだろう__へ顔を向けた。
「お目覚めですか?」
「ああ」
「まあ、それはようございました。今、お典医様をお呼びいたしますね」
「よろしく頼む、ロスエル」
「お水は、先生が来てからで。身体も起こさないように」
承知した、とリュディガーが答えると、軽やかな足音が遠のいていった。
「__聞いたな。とにかく、このままで」
こくり、とキルシェが頷くと、リュディガーは苦笑を浮かべた。
「ご不浄に席を立って戻ったら君が目を開けているものだから、本当に驚いた」
「……ここは?」
「片翼院。あの馬場から最寄りの療養施設が、ここだったんだ」
片翼院というと、龍騎士の候補者が学ぶ建物のはず。
「……静か、ね……」
「ほら今は、秋分間近だろう? 秋分にはちょっとした行事があって、2年目の卒業を控えた者はそれに。1年目のも、野外での演習で帝都外へ出払っていて、ここには今、典医や侍女だとかの世話人しかいない」
「……そう……」
「あぁ、でも、今日は、チリン様もおわすようだな」
__チリン、様……。
反芻すると、脳裏に浮かぶ蓬莱の民族衣装を纏った少女の姿。
鮮やかで幾重にも重ねた、引きずるほどの長さの衣。胸元の鏡。長い白銀の髪と、印象的な真珠の照りを見せる双眸。
「……リュディ__」
キルシェが言いかけたところで、リュディガーは再び扉のほうへと顔を向けた。よくよく聞けば、近づく足音は2つ。
「目覚めたと聞いたが?」
男の声に応じるように、リュディガーは立ち上がって、是、と答える。
そして、さらに足音が近づいて衝立の向こうからひょっこり、と顔を出したのは初老の男だった。
にこにこ、として穏やかな雰囲気の男は、背後に耳長の侍女を従えていて、キルシェの側近くに歩み寄る。
「はじめまして。私は、ここの典医エーゴン・カウニッツ。自分のお名前は、わかるかな?」
「……キルシェ・ラウペン、です」
「よろしいね。ちょっと喋りにくいけど、検診が終わったらお水を飲んでもいいからね、少し我慢しておくれ」
エーゴンの目配せを受け、リュディガーは衝立の向こうへと消えていった。遠のく足音から部屋を後にしたのだとわかる。
「ちょっと、触るね」
エーゴンは断りを入れ、キルシェの手首に触れて懐中時計を取り出すと脈をはかりはじめる。
「どこか、痛むところはあるかい?」
「……いえ」
「頭も痛くはない?」
「……ぼんやりとはしますが……」
「痛みはない?」
「はい」
脈を計り終え、エーゴンは身体を起こすように指示をした。
素直に従うが、ふわふわ、とした感覚が抜けない。慎重に起こすと、耳長の侍女が手を添えて補助をしてくれて、礼を言う。
「今は、目が回っている?」
「いえ。ふわふわ、としていて……」
「この指を追ってみて」
目の前に人差し指を立てて、左右にゆっくりと振る。それを言われたとおり追えば、よし、とエーゴンは頷いた。
「今、目眩はするかい? 視界がぐるぐる回っているとか」
「いえ」
「吐き気もない?」
「はい」
「うん、いいね。よさそうだ。__が、どうしてここに居るかは、わかっているかな?」
エーゴンは、リュディガーが座っていた椅子に腰を下ろしながら、質問を投げかけた。
「……落馬した、と聞きました。ただ、よく覚えていません」
「うん。落馬直後からもう意識はなかったようだからね。怪我は、神殿騎士のエングラー氏が治癒を施して下さったから、跡形もないよ。安心しておくれ」
エーゴンの目配せを受けて耳長の侍女は、水差しからグラスへ水を注ぎキルシェへと手渡す。
それをゆっくり一口、キルシェは飲んだ。清涼な水が、胎内のどこを流れていくのかが鮮明にわかるほど、乾いていたらしい。
「ただ、君は目が醒めなかったから、それが気がかりでね。__ナハトリンデン君」
はい、と歯切れよく答えるリュディガーに、衝立越しに手招きするエーゴン。それに従って、足音が近づく。すると、衝立の上から彼の頭が見えた。てっきり、衝立を回り込むと思ったから、キルシェは驚いて目を見開いてしまった。
「先程も説明したが、彼女には今夜はここに泊まっていってもらうよ。__君は約束通り、ご報告を兼ねて、帰りなさい」
__約束……?
「はい」
「すぐに帰れとは、私も言わないよ。ラウペンさんの夕食が整うまで、お相手をしてあげてからでいいから。__いいね、ロスエル」
「はい、もちろん」
にこり、と微笑む耳長の侍女。
彼女は、キルシェへと改めて礼ととる。
「はじめまして。“月明の谷”のロスエルです。短い間ですが、お世話をさせていただきます」
「……お手数をおかけします」
ふわり、と微笑む彼女へ、キルシェは困ったように笑うしかできなかった。
あたりは暗いのに、天井の照明は点いておらず、壁に張り付くような照明と、側近くの棚に置かれた手元を照らすような照明だけが明るかった。
自分が横たわる寝台を囲うように衝立があり、その隙間から見える4つの寝台__否、病床。
__夢で見た……気がする。
その夢では日が沈みかけとはいえ、もっと明るかった。どちらにせよ、その明るさとは別にして鮮やかな夢だったことは間違いない夢。
少しばかり気になって思い出そうとするが、相変わらず頭が働かなかった。ふわふわ、とした心地が続いているものの、そこまで不快ではない。
目を閉じて深くため息をつくと、かすかに足音が近づいてきていることに気づき、キルシェは再び目を開けて、衝立の向こうに見える他の壁と違い、焦げ茶の木枠と硝子窓が嵌められている壁の方を見る。
近づく足音は部屋に踏み入って来たようで、よりよく響く。そして、衝立の向こうから現れた人影はとても大きく、深みのある蒼の双眸と視線がかち合うと、人影は__彼リュディガーは、動きを止めて目を見開いた。
動かなくなること暫し、弾かれるようにしてリュディガーが足早に駆け寄り、キルシェの枕元近くの棚に置かれていたらしいベルを取ると鳴らす。
その音が今のぼんやり、としていたキルシェにはいくらか覚醒へと促す作用をもたらして、頭の鈍さが少しだけ和らいだように思う。
リュディガーは、近くに椅子を寄せて顔を覗き込む。
「キルシェ、どこか痛むか?」
手櫛で整えただけなのだろう、珍しく前髪がいくらか額にかかっている彼。
その顔からは、心底心配していることが伺い知れて、何故それほど、とキルシェは内心怪訝に思った。
ぼんやりするが、痛みはない。キルシェは首を振って答える。すると、彼の表情がいくらかほぐれたのと同時に、自身の片手が温かいもので包まれるのがわかった。見れば、リュディガーの手だった。
「何が起きたか、覚えているか?」
「……」
何が__何かが起きたのはわかるが、まだまだぼんやりとしている頭では、記憶を辿れない。
「落馬したんだ」
「落馬……」
掠れた声で、彼の言葉を繰り返す。
そこでノックをする音が響き、リュディガーは顔を上げて彼が来たほう__衝立で視えないが、おそらく出入り口なのだろう__へ顔を向けた。
「お目覚めですか?」
「ああ」
「まあ、それはようございました。今、お典医様をお呼びいたしますね」
「よろしく頼む、ロスエル」
「お水は、先生が来てからで。身体も起こさないように」
承知した、とリュディガーが答えると、軽やかな足音が遠のいていった。
「__聞いたな。とにかく、このままで」
こくり、とキルシェが頷くと、リュディガーは苦笑を浮かべた。
「ご不浄に席を立って戻ったら君が目を開けているものだから、本当に驚いた」
「……ここは?」
「片翼院。あの馬場から最寄りの療養施設が、ここだったんだ」
片翼院というと、龍騎士の候補者が学ぶ建物のはず。
「……静か、ね……」
「ほら今は、秋分間近だろう? 秋分にはちょっとした行事があって、2年目の卒業を控えた者はそれに。1年目のも、野外での演習で帝都外へ出払っていて、ここには今、典医や侍女だとかの世話人しかいない」
「……そう……」
「あぁ、でも、今日は、チリン様もおわすようだな」
__チリン、様……。
反芻すると、脳裏に浮かぶ蓬莱の民族衣装を纏った少女の姿。
鮮やかで幾重にも重ねた、引きずるほどの長さの衣。胸元の鏡。長い白銀の髪と、印象的な真珠の照りを見せる双眸。
「……リュディ__」
キルシェが言いかけたところで、リュディガーは再び扉のほうへと顔を向けた。よくよく聞けば、近づく足音は2つ。
「目覚めたと聞いたが?」
男の声に応じるように、リュディガーは立ち上がって、是、と答える。
そして、さらに足音が近づいて衝立の向こうからひょっこり、と顔を出したのは初老の男だった。
にこにこ、として穏やかな雰囲気の男は、背後に耳長の侍女を従えていて、キルシェの側近くに歩み寄る。
「はじめまして。私は、ここの典医エーゴン・カウニッツ。自分のお名前は、わかるかな?」
「……キルシェ・ラウペン、です」
「よろしいね。ちょっと喋りにくいけど、検診が終わったらお水を飲んでもいいからね、少し我慢しておくれ」
エーゴンの目配せを受け、リュディガーは衝立の向こうへと消えていった。遠のく足音から部屋を後にしたのだとわかる。
「ちょっと、触るね」
エーゴンは断りを入れ、キルシェの手首に触れて懐中時計を取り出すと脈をはかりはじめる。
「どこか、痛むところはあるかい?」
「……いえ」
「頭も痛くはない?」
「……ぼんやりとはしますが……」
「痛みはない?」
「はい」
脈を計り終え、エーゴンは身体を起こすように指示をした。
素直に従うが、ふわふわ、とした感覚が抜けない。慎重に起こすと、耳長の侍女が手を添えて補助をしてくれて、礼を言う。
「今は、目が回っている?」
「いえ。ふわふわ、としていて……」
「この指を追ってみて」
目の前に人差し指を立てて、左右にゆっくりと振る。それを言われたとおり追えば、よし、とエーゴンは頷いた。
「今、目眩はするかい? 視界がぐるぐる回っているとか」
「いえ」
「吐き気もない?」
「はい」
「うん、いいね。よさそうだ。__が、どうしてここに居るかは、わかっているかな?」
エーゴンは、リュディガーが座っていた椅子に腰を下ろしながら、質問を投げかけた。
「……落馬した、と聞きました。ただ、よく覚えていません」
「うん。落馬直後からもう意識はなかったようだからね。怪我は、神殿騎士のエングラー氏が治癒を施して下さったから、跡形もないよ。安心しておくれ」
エーゴンの目配せを受けて耳長の侍女は、水差しからグラスへ水を注ぎキルシェへと手渡す。
それをゆっくり一口、キルシェは飲んだ。清涼な水が、胎内のどこを流れていくのかが鮮明にわかるほど、乾いていたらしい。
「ただ、君は目が醒めなかったから、それが気がかりでね。__ナハトリンデン君」
はい、と歯切れよく答えるリュディガーに、衝立越しに手招きするエーゴン。それに従って、足音が近づく。すると、衝立の上から彼の頭が見えた。てっきり、衝立を回り込むと思ったから、キルシェは驚いて目を見開いてしまった。
「先程も説明したが、彼女には今夜はここに泊まっていってもらうよ。__君は約束通り、ご報告を兼ねて、帰りなさい」
__約束……?
「はい」
「すぐに帰れとは、私も言わないよ。ラウペンさんの夕食が整うまで、お相手をしてあげてからでいいから。__いいね、ロスエル」
「はい、もちろん」
にこり、と微笑む耳長の侍女。
彼女は、キルシェへと改めて礼ととる。
「はじめまして。“月明の谷”のロスエルです。短い間ですが、お世話をさせていただきます」
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