【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
128 / 247
帝都の大学

頭と身体の帳尻

しおりを挟む
 地麟という存在が去り、残されたキルシェとリュディガー。

「__本当に、良かった」

 しん、と静かになった室内に、リュディガーが安堵のため息とともにぽつり、と言葉を漏らした。

「……君が落馬をしたとき、肝を潰した」

 言ってリュディガーは、視線を手元のお茶へと落とす。

「エングラー様が治癒魔法を施してくださっても、目を覚まさなくて……__またか、と」

 ぎりり、と奥歯を噛み締めるリュディガーに、キルシェは目を細める。

 __また……。

 彼は、落馬で妹を__血の繋がりはないらしいが__亡くしている。

 それは彼を迎えに行こうとして起きた、不慮の事故だった。

 状況は違うとは申せ、彼にしてみれば同じ落馬事故__重ねてしまったのだろう。

「……ごめんなさい。考え事をしてしまって……」

「考え事?」

 顔を上げて視線を向けるリュディガーから逃れるように、キルシェは俯き頷く。

「この的に当てたら、と……そんなことを考えてしまったように思います。……始まる前からも、よく覚えていませんが、考えてしまっていて……」

 よく覚えていない__わけではない。

 ただ、彼に言うには憚られるから、濁してしまった。

 __あれを当ててしまったら、候補として残る可能性が高くなる……なってしまう。

 迷っていたのだ。

 始まる前から。

 __あんな手紙が来なければ……。

 キルシェは手にしたカップにわずかに力を込めた。

「余程考えていたんだろう。鞍の留め具の確認を怠るぐらいだ。私もみておけばよかったのだが……」

「私が悪いの。__良い教訓になりました」

「いい教訓? 冗談じゃない。私は二度と御免だ」

 お茶を口に運び、空になったカップを棚のトレイへと置くリュディガー。

「聞いたとおり、私は戻る。明日も迎えには来られない。明日はビルネンベルク先生が来てくださるはずだ」

 申し訳無さそうにするリュディガーに、キルシェは笑みを見せる。

「わかりました。話し相手をしてくれて、ありがとう。それに長いこと気を揉ませて、拘束までしてしまって……」

 つかつか、と廊下の遠くから足音が聞こえ、キルシェは思わず言葉を切った。聞き耳を立てると、ワゴンを押しているのか車輪の音と食器の音も聞こえてくる。

 __夕食……。

 察していれば、リュディガーは身体をやや前傾にしてカップを握るキルシェの手の一方を持った。

「__時間切れだな。流石に地麟様との約定を違える訳にはいかない」

 そうですね、と言おうとしたが、彼が顔を寄せてくるので思わず言葉を飲み込んだ。何を考えているのか、彼の目を見てつぶさに察したのだ。

 反射的に俯き身を引くと、すぐ近くで、彼がくすり、と笑った気配がした。

 いかにも余裕がありそうな彼に対して、ばくばく、と拍動する心臓を悟られないように鎮めていれば、直後、持たれていた手に彼が口付ける。

 __はたけない……。

 手を振り解く事もできない。

 名残惜しげに口付けた手を、親指の腹で幾度か撫でてくるリュディガー。

 彼はそうしながら、じっと見つめている。

 不思議なことに、体の深い芯の部分__下腹部あたりにじりじり、とした疼く感覚がし始めたではないか。

 __何……これは。

 その視線の熱っぽさと、そしてその異質な疼きに慄いて、キルシェは視線を交えることさえできなかった。幸い彼も無理に顔を覗き込もうとはしないのは、助かった。

 あの遣らずの雨の日以降、彼は極端に距離を近づけることもなく、抱擁や接吻も求めることはしない。

 それはおそらく、他人の目や外聞を気にしてのことであり、加えて少しばかり困り果てているキルシェを察してのことだろう。

 だからこそ、急に行動に出られると、やり過ごしかたがわからないから拒絶するように逃げることしかできない。

 __明確に拒絶をすればすむのに……できない。できない自分が嫌だわ……。

「おまたせ致しました。お食事です」

 こんこん、とノックの音の後に続くロスエルの声に、リュディガーはキルシェの手を放す。

 そして、リュディガーは迎えるように席を立って、衝立をずらして寝台の近くにワゴンが留められるように余裕を作った。

「ご不浄など、行かれますか?」

 ワゴンを押しながら、リュディガーに軽く頭を下げて礼を伝えるロスエルが、キルシェへ問う。

「大丈夫です」

「それではお食事のあと、一通りご案内致しますね」

 寝台の縁から足を投げるようにして座れば食べられるようにワゴンを側に留め、手際よく最後の食卓を整えていくロスエル。

 細かく刻まれた野菜のスープ。バターとチーズの香りがするのは、米を炒めて炊いたリゾットのようだ。それからジャムとパン、デザートとして蜂蜜が添えられたヨーグルトとイチジクが用意されていた。

「今夜はこれだけでご容赦を。お典医様のご指示でして」

「いえ、十分です。ありがとうございます」

「もし多いようでしたら、全部お召し上がりにならなくて大丈夫です。食べられそうな物を無理なく」

 そこまで言って、ロスエルは寝台の下から盥をずらして示した。

「万が一、戻したくなりましたら、こちらへ」

「承知しました」

 見守っていたリュディガーは、軽く両肘を折って肩の高さまであげると伸びをするように背中側へ引いた。

「では、私は行く。__ロスエル、後は頼みます」

 はい、と頷くロスエルは、くすくす笑う。

「あのリュディガーに__ナハトリンデン卿に、ロスエルと呼ばれるのは、やはり変な感じが致しますね」

「昔は私が立場は下だったから……ロスエルさん。私も変な感じがしますよ」

「ですが、後輩への示しですから。そのうちお互い慣れますよ」

 そうですね、とリュディガーは苦笑した。

「では、これで。__見送りは結構。勝手は知っているので」

 はい、と苦笑を浮かべるロスエル。

 リュディガーは改めてキルシェへ顔を向け、肩に手を置く。

 その頃にはもう落ち着きを取り戻していたキルシェは、リュディガーと視線を合わせることができた。

「気をつけて、お戻りに。先生には、もう大丈夫です、と」

「ああ。良いように伝える。ヘルゲ殿が報せに行ってから、時間も経っているからな。__よく休んでくれ」

「はい。__おやすみなさい、リュディガー」

「ああ。おやすみ」

 それを別れの挨拶として、リュディガーは部屋を後にする。

「……ナハトリンデン卿は、びっくりするぐらい身長が伸びましたね」

 その背を見送りながら、ロスエルがぽつり、と零した。

「ここにいたときは、とりわけ背が高いわけでも低いわけでもなく、平均ぐらいでしたのに」

「そうなのですか」

 カトラリーに伸ばしかけていたキルシェは手を止める。

「はい。大食らいだとも記憶にはありません。……確かに、ここに在籍していた頃、身長はのびておりましたが……ここを卒業する頃には皆身長の伸びは終わります。彼の場合、正式に騎士団に入団してからも、4年は伸びてはいたようです、聞くところに寄れば」

 齢16で片翼院への試験が実施される。そこから2年の課程を終え、正式に採用されるのが龍帝従騎士団である。

 採用されなかった者は、片翼院に在籍していたというだけでも優秀な人材とみなされるから、軍部や神職の武官に転向、編入する際、優遇されることが多い。

 リュディガーは大学に2年前に入学して、齢24。龍騎士に叙された18から4年というと大学入学頃ということになる。

 __それまで伸びていただなんて……。
 
 あれだけの身長ならば、それぐらいはかかるのだろうか。

「__ラエティティエルさんが申しますに、頭が軽いから伸びたのでしょう、ということでしたが」

「頭が、軽い……ですか」

 リュディガーは、大学での成績は良いほうだ。彼の周りの友人は、よく彼に教授を願っているほどである。彼も質問をすることはあるが、どちらかといえば受けることのほうが多い。

「大学に入って頭の成長と帳尻があったから、伸びも止まったのでしょう、とまで仰せで」

 冗談めかして言うロスエルは、くすくす、と笑う。

 ラエティティエルがいかにも言いそうなことで、キルシェは思わず笑ってしまった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく

犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。 「絶対駄目ーー」 と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。 何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。 募集 婿入り希望者 対象外は、嫡男、後継者、王族 目指せハッピーエンド(?)!! 全23話で完結です。 この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。

脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。

石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。 ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。 そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。 真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。

【完結】エレクトラの婚約者

buchi
恋愛
しっかり者だが自己評価低めのエレクトラ。婚約相手は年下の美少年。迷うわー エレクトラは、平凡な伯爵令嬢。 父の再婚で家に乗り込んできた義母と義姉たちにいいようにあしらわれ、困り果てていた。 そこへ父がエレクトラに縁談を持ち込むが、二歳年下の少年で爵位もなければ金持ちでもない。 エレクトラは悩むが、義母は借金のカタにエレクトラに別な縁談を押し付けてきた。 もう自立するわ!とエレクトラは親友の王弟殿下の娘の侍女になろうと決意を固めるが…… 11万字とちょっと長め。 謙虚過ぎる性格のエレクトラと、優しいけど訳アリの高貴な三人の女友達、実は執着強めの天才肌の婚約予定者、扱いに困る義母と義姉が出てきます。暇つぶしにどうぞ。 タグにざまぁが付いていますが、義母や義姉たちが命に別状があったり、とことんひどいことになるザマァではないです。 まあ、そうなるよね〜みたいな因果応報的なざまぁです。

竜王の「運命の花嫁」に選ばれましたが、殺されたくないので必死に隠そうと思います! 〜平凡な私に待っていたのは、可愛い竜の子と甘い溺愛でした〜

四葉美名
恋愛
「危険です! 突然現れたそんな女など処刑して下さい!」 ある日突然、そんな怒号が飛び交う異世界に迷い込んでしまった橘莉子(たちばなりこ)。 竜王が統べるその世界では「迷い人」という、国に恩恵を与える異世界人がいたというが、莉子には全くそんな能力はなく平凡そのもの。 そのうえ莉子が現れたのは、竜王が初めて開いた「婚約者候補」を集めた夜会。しかも口に怪我をした治療として竜王にキスをされてしまい、一気に莉子は竜人女性の目の敵にされてしまう。 それでもひっそりと真面目に生きていこうと気を取り直すが、今度は竜王の子供を産む「運命の花嫁」に選ばれていた。 その「運命の花嫁」とはお腹に「竜王の子供の魂が宿る」というもので、なんと朝起きたらお腹から勝手に子供が話しかけてきた! 『ママ! 早く僕を産んでよ!』 「私に竜王様のお妃様は無理だよ!」 お腹に入ってしまった子供の魂は私をせっつくけど、「運命の花嫁」だとバレないように必死に隠さなきゃ命がない! それでも少しずつ「お腹にいる未来の息子」にほだされ、竜王とも心を通わせていくのだが、次々と嫌がらせや命の危険が襲ってきて――! これはちょっと不遇な育ちの平凡ヒロインが、知らなかった能力を開花させ竜王様に溺愛されるお話。 設定はゆるゆるです。他サイトでも重複投稿しています。

多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】 23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも! そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。 お願いですから、私に構わないで下さい! ※ 他サイトでも投稿中

宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~

紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。 そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。 大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。 しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。 フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。 しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。 「あのときからずっと……お慕いしています」 かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。 ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。 「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、 シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」 あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。

処理中です...