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帝都の大学

醜イ夢 Ⅱ

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「__キルシェ、大丈夫かね?」

「はい?」

「ぼんやり、としているようだが……やはり、疲れが溜まっているのだろう」

 きょとん、とキルシェがすると、イャーヴィスが申し訳無さそうにする。

「今日はもう、ナハトリンデンとともに帰るといい」

「もう、でございますか?」

 窓の外をちらり、とみるとまだ日はかなり高い。午を過ぎて1時間か2時間経ったぐらいだろうか。

 うむ、と頷いたイャーヴィスは一口、茶を飲むとキルシェを改めて見る。

「__ここ連日、かなり遅くまで拘束してしまっただろう。疲れていて当然」

 はぁ、と歯切れ悪く答えるキルシェ。

「いいか、ナハトリンデン」

「構いませんが、閣下は差し支えがないのですか?」

「この後は、私は出先から直帰するから、定時までいる必要はないのでな」

「そういうことでしたら」

 入室を求める声とともに扉がノックされた。

 イャーヴィスの許可を得て扉を開けたのは、先程去った文官とは違う顔。

「来客中、申し訳ございません。火急の用件で、地麟様がお召です」

「左様か。すぐに」

 イャーヴィスは残りのお茶を飲みきって、懐中時計を確認してから席を立つ。

「__慌ただしくてすまない。行かねばならん」

「どうぞ、お気になさらず」

 リュディガーが素早く立ち、キルシェも倣って立ち上がる。イャーヴィスの動きに合わせて、無意識に身体が動いて追従しようとするのが不思議だった。

「キルシェ、聞いていただろう。私だけで大丈夫だ。__そのお茶を飲んで、少し休んでから出るといい。片付けも他の者にさせるから、気にするな」

 苦笑を浮かべて振り返って制するイャーヴィス。

「は、はい……」
 頼んだ、とリュディガーに笑って、呼びに来た文官とともにイャーヴィスは部屋を後にした。

 あとに残されたキルシェは、呆然と閉まった扉を見つめる。

 すると、背後から影が近づいてきているのが見えて、キルシェが身体を思わず強張らせていると、腕が回されて背後から抱きしめられた。

「あの、ちょっと……」

 しっかりと抱きしめてくる腕からどうにか逃れられたが、大きな手が手首を掴んでくるので、キルシェは振り返る。

 見上げる顔は、穏やかな笑顔でありながら、どこか悪戯っぽい顔である。

「2週間ぶりだろう?」

「そ、そうだ、ったかしら……でも、だからって、こ、ここは元帥閣下の執務室でしょう?」

 指摘するが、リュディガーは取って手首を取り直し、口付ける。

 熱っぽい視線をますぐ向けられたままの、口付けで、キルシェは胸が苦しくなった。

 __なんで……。

 何故、夢でこんな苦しい思いをしなければならない。

 __今更、何故。

 未練がましいにもほどがあるではないか。

「何故、泣く。そんなに嫌だったか」

 苦笑を浮かべるリュディガーに、キルシェは慌てて頬を拭う。

「ほ、ほら……その、久しぶりに会えたので……安心、というか……ほっとした、というか……」

 __これが、夢だから……。夢だとわかるから……。

「……上手く言えないのですが」

 次から次に溢れてくる涙を拭っていると、太い腕が伸ばされて彼の胸に抱き寄せられる。

「閣下が仰ったように、疲れているんだろう」

「ごめんなさい……」

「何故、謝るんだ」

 頭上で笑い声を含んで彼が言う。

 __踏みにじって、しまった……。

 誠実な彼の、最大限の厚意。

「ごめん、なさい……」

 __どうしようもないぐらい、酷いことを……。

「ごめんなさい、リュディガー……」

 キルシェは、自分の声で目を開ける。

 目の前には、寮の天井。

 目尻からこめかみにかけて濡れているのは、気の所為だ。

 __気の所為……。

 そう。気の所為。

 思い切り目をこすりながら、身体を起こす。

 __ただの夢。ただの。

 目元をおさえていた手を外す。

 あまりにも片付いた部屋。いつでも出立できるように備えてだ。

 __本当に、なんて夢を見るの……。

 滲む視界に見えた窓の外は、まだ暗い。



 泣きはらしたその翌日。

 太陽が南中を通過する前に、一台の馬車が大学にやってきた。

 それは、前々から迎えに来ると告げられていた、迎えの馬車だった。

 お迎えに上がりました、と荷を手にして寮の玄関を出たところで、恭しく礼をとる一人の青年。20後半だと思しき彼は、キルシェの記憶にはない。

「__お嬢様が、大学へ進学された後、召し抱えられた者です。オーガスティン・ギーセンと申します、以後をお見知りおきを」

 キルシェが怪訝にしているのを見て、人懐こい笑みを浮かべながら改めて礼をとるオーガスティン。

 彼は従者のなりであるが、護衛も兼ねているようで、腰に一振りの剣を提げている。専属の従者というよりも、彼の立ち居振る舞いは武官のそれだ。

「そうですか。よろしくお願いします。__他の者は?」

  馬車には御者がいるだけである。

「今夜の逗留先に、先に待機しております」

 逗留先、とキルシェが眉をひそめて荷を彼に手渡す。

「旦那様のご指示で、帰路いくつかご挨拶に行くように、と」

「……転移装置は使わず?」

「左様でございます。州境にも用向きがございますので。飛行挺も使わないほうが、回りやすい順路になっております」

「そうですか。従います」

 キルシェの言葉を聞き、彼は軽く頭を下げる。

「荷は、こちらおふたつだけですか?」

「ええ。身軽にしておきました」

 オーガスティンは一瞬面食らったような顔になるも、かしこまりました、と車へ荷を運び入れる。

「私は、先生方にご挨拶に__」

 キルシェがそう言う視界の端で、ビルネンベルクとレナーテルは見送りに現れたのが見えて、言葉を切って彼らに向き直り、キルシェは丁寧に頭を下げる。

「急で申し訳ございません。最後までご迷惑を……」

 歩み寄ってそう詫びる言葉を、レナーテルは手をかざして制した。

「よい。__なんら、力になれずにすまない、ラウペン」

「いえ、家庭のことですのでお気になさらず」

「__息災を祈っている」

 レナーテルに恭しく礼をとってから、改めてビルネンベルクへと向き直る。

 ビルネンベルクは、真紅の瞳を細めてじっと見つめていた。口元は彼にしては珍しく、引き結んでいて、どこか口惜しげにも見える。

「不肖の教え子で申し訳ございません。それでも、先生の教えていただいたこと、活かせるように精進してまいります」

「何かあれば、遠慮なく連絡を」

 __連絡、か……。

 キルシェは困ったように笑うに止める。

 __連絡なんて、とりようがないのでしょうね。

 頭上から、人の視線が増えたように感じられる。

 それは、外の騒ぎに気がついた者の視線に違いなかった。

 大事にされるのはごめんだ。これ以上の見送りは苦痛__恩師らに丁寧な礼をして下がった。

 その脇をすり抜けて、オーガスティンが進み出る。

「旦那様から、お預かりしているものにございます」

 彼が恭しく両手で差し出すのは、一抱えほどの小箱。

「旦那様が直々にご挨拶に来られない非礼、ならびに明確な日取りも告げられないまま、急にお迎えにあがった非礼のお詫びと、お嬢様が長らくお世話になりましたことへのお礼とのことです」

 お納めを、と半ば押し付けるような形でレナーテルに託す。

 託されたレナーテルの表情が曇る様子を見て、キルシェが口を開く。

「どうか、お納めを。受け取っていただけなければ、その者は戻ったとき叱られると思いますので」

「……わかった」

 静かに言ってレナーテルは頷いた。

「それでは、失礼致します。__ありがとうございました」

 改めて、キルシェは丁寧に礼をとって、倣って挨拶をしたオーガスティンに促されるように馬車へ乗り込む。

 ぎしぎし、と痛む胸のしこりを無視して。

 名残惜しいに違いないが、後ろ髪引かれている印象を抱かれないよう、さっさと。

 ともすれば、味気ない別れ。だが、それでよい。

 仰々しい見送りにならなくて済んでよかった。

 それだけは救いだ。

 乗り込んでから、なるべく穏やかな笑みを恩師らに向けて頭を下げる。

 そして、馬車が走り出した。

 恩師らの姿が見えなくなったところで、キルシェはカーテンを閉めた。

 しばらくすると、馬車の揺れが変わった。

 揺れの変化で、窓の外に見えるだろう景色を想像していると、目頭が熱くなる。

 __終わったのよ……。

 目元を乱暴に拭い、衣嚢から小袋を取り出す。

 そこからそっと優しく取り出すのは、片方だけになった母の形見である耳飾り。

 結局もう一方は手元に戻ってくることはなく、これだけは失くしてはならない、と、あの事件以降はこうして身につけている。

 __疲れた……。

 目が熱い。

 視界が滲む。

 喉がひきつる。

 ほとほと自分が、嫌になった。
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