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可惜夜 Ⅱ
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「__リュディガー」
「何だ?」
「これを見つけてくれてありがとう」
「大げさだな」
大げさ、と言って笑うのは、これで何度目かわからない礼を述べているからだろう。
この耳飾りを見つけ出して、直してくれたことは、キルシェにとって言葉では言い尽くせないほどの感謝する出来事なのだ。
__私の、数少ない持ち物で、形見だもの……。
特に今は、酒が回っているからだろうか、いつも以上にこれを失ったと分かったときの感情や、それこそ出来事が鮮明に想起されるから、思わずにはいられない。
「つくづく、本当に、見るたびに、あらためてそう思うの」
「言葉が怪しいな、これはいよいよだ」
揶揄する物言いに、キルシェは顔を上げて苦笑した。
蓋をして、それを化粧机に置こうとする仕草をすれば、すかさずリュディガーが制して箱を取り上げた。そして、視線と仕草でお互いに会話をし、彼はキルシェが仕舞おうとしていた引き出しにしまい終えると戻ってきて背もたれに手をおいた。
「__ありがとう」
「他に手伝えることは?」
「えぇっと……」
キルシェは部屋をぐるり、と見渡す。
少しだけ畳まれた衝立が目にとまる。姿見の傍に置かれたそれには、死角になっている面に寝間着がかけられているはずだ。
__そう、あれに着替える……。
その前に、化粧を落とさねば__。
暖炉の炎に近い場所__水が注がれているはずのやかんがある。炎の熱を利用して、直火でなくとも温かいお湯を常に使えるようになっているのだ。
__結った髪も解くとして……。
いつもより砕けた席だということで、専属の女中リリーは簡単にまとめてくれているから、すぐに解けるはず__とそこまで考えて、キルシェは、はっ、と気づく。
__これ以上、彼に手伝ってもらうわけにはいかない。何を手伝ってもらうというの?
たとえ婚約していても、夫婦ではないし、夫婦であってもためらう内容だ。
__ゆくゆくは、慣れてしまうのかもしれないけれど……。そもそも、手伝ってもらうこともあるのかしら……?
「__っ」
ふやけてしまっている頭で浮かんだ言葉。直後に我に返って、かっ、と顔が赤くなるのがわかった。咄嗟に両頬を覆い、俯く。
__私……何、を……っ!
「キルシェ、戻しそうなのか?」
「ち、違う、の……」
つぶさに動く彼を、反射的に手を伸ばして掴んで止めた。
「大丈夫、本当に。違うの」
「ならいいが……」
リュディガーが身体の向きを戻したので、キルシェは掴んでいた手を放す。
そして、より熱く感じる顔から手を外して、やや視線を伏せ、口を開いた。
「その……手伝っていただくことは、もう……ない、わ。大丈夫です、あとはひとりで」
「ふらふらだろうに」
「__こ、これ以上は……着替えとかですから……」
「あぁ……なるほど。そうか」
流石に憚られると察してくれた彼は、いくらか居辛そうに後頭をかき、部屋を見渡す。すると、唐突に彼は離れて壁際に置かれていた椅子を一脚持つと、衝立の側近くに置いた。
「これなら、まぁ……こっちもいくらか心配は減る」
キルシェの元へ戻ってきながら、親指で背後のそれを示すリュディガーに、キルシェは、たしかに、と頷く。
リュディガーはくつり、と笑って戻ってくると、キルシェの隣を示した。
「少し、いいか? 本当に、少し」
「ええ、どうぞ」
念を押す物言いに、思わず笑ってしまう。
リュディガーは、ありがとう、と言って隣に腰を下ろした。
「__新年からは、大学ではそれなりの関係だとするがいいか?」
前置きなく言い放たれて、キルシェはしばらく思考が空回りしてしまった。
本題を端的に伝えようとしたのは、手短に済ませて休ませようとしてのこと。優しさや配慮なのだろうが、いかんせんキルシェは頭の回転が鈍っているから、怪訝になってしまう。
察しがいいリュディガーは、やれやれ、と笑って肩をすくめた。
「詮索されたら、そういう関係だ、と答える__と言っている」
きゅっ、と思わず膝に置いていた手を握りしめるキルシェ。
「意味は、わかったな?」
「え、えぇ……」
「これまでも、口さがない輩がそう噂していたんだ。適当にあしらうなり、無視するなりしてきたが」
「そう、なの……」
知らなかった。
キルシェはビルネンベルクに贔屓にされて彼に連れられていることが他の学生よりも多いから、復帰してからは付き合いのある学生というのはリュディガーと、彼のまわりによくいる学友ぐらい。
「学校を出て、そう経たないうちに婚姻を結ぶ__大学にいたころは、同じ担当教官で、矢馳せ馬候補にもなった者同士……まぁ、もう秘密裏にするのはいいだろう」
リュディガーは、そこまでいうと、キルシェをじぃっと見る。
「な、なに?」
「君と好を__お近づきになりたい、と……そう考えている輩もいる」
「嘘……」
「嘘を言ってどうする」
にわかには信じがたい。
以前、大学にいた頃、そんなことを認識させられる出来事はまるでなかったのだ。
自分には無縁でちょうどよいこと。都合が良かった。
「私、これもしていますよ?」
言って左手の薬指の指輪を示すが、リュディガーは肩をすくめる。
「冬至の矢馳せ馬のあと、歓談していた席のことを忘れているな」
「ぁ……」
リュディガーとビルネンベルクが言うには言い寄られていたらしいが、キルシェには未だに実感がない出来事である。
「気にしない輩もいるんだ。大学だからって、全員が品行方正というわけではない」
「遊び人もいる?」
遊び人、とリュディガーは反芻した直後、吹き出すように笑った。
「__そう、そうだな……。そう、遊び人もいる」
「私、そんなにおかしいこと言いました?」
「いや、まさか君の口から遊び人なんて言葉がでてくるとは思わなかったから……」
すまない、と詫びる彼は、まだくすくす、と身体を小さく震わせて笑っている。やがて、大きく息を吐き出して、静まった。
「__いやぁ……すまない。私も酒が回っているからな、これでも」
「見えないわ……」
「酔っている者がいるとな、酔が覚める質らしいんだ。だから介抱役に回る事が多い。それに、今夜はビルネンベルクのお二人がいる席だったから、そこまで回らなかった。それでも、酔っているは酔っている」
「__っ」
不意に背後から腕が回されて、抗う間もなく、リュディガーへと腰から彼の身体へと引き寄せられた。
「君は知らないだろうが、良くない虫を払ってもいたんだ。君は、学業を優先していたとはいえ、以前よりも交友を持つことを厭わなくなっているからな。それで、そういう虫が増えた。……それを今後気にしなくてすむのは、ありがたい」
「そうだったの……。で、でも、こういうことは、大学では……」
身じろいで抜け出そうとするが、リュディガーの太い腕がそれを許さず、より抱き寄せるようにして動きを封じる。
「人目を憚らずこういうことをする趣味はないから、安心してくれ。分別は弁えている方だ」
「人目って……い、今は……? ここはビルネンベルクの__」
「他所様の家だが、ここにいま人目はない」
それはそうだが__いささか腑に落ちないものの、彼は開放する気がないと理解したキルシェはいよいよ抵抗することが疲れてきた。
彼の身体を押しのけようとしていた手から力を抜いて、身を委ねることにした。すると、彼は、腕の力を緩める。もう抜け出さない、とわかっているからだ。
落ち着き払った声とは裏腹に、彼の拍動は力強いものであるのだが、かなり早く打っている。
彼はいつもそうだ。
__でも、それが、本当に愛しい……。
「何だ?」
「これを見つけてくれてありがとう」
「大げさだな」
大げさ、と言って笑うのは、これで何度目かわからない礼を述べているからだろう。
この耳飾りを見つけ出して、直してくれたことは、キルシェにとって言葉では言い尽くせないほどの感謝する出来事なのだ。
__私の、数少ない持ち物で、形見だもの……。
特に今は、酒が回っているからだろうか、いつも以上にこれを失ったと分かったときの感情や、それこそ出来事が鮮明に想起されるから、思わずにはいられない。
「つくづく、本当に、見るたびに、あらためてそう思うの」
「言葉が怪しいな、これはいよいよだ」
揶揄する物言いに、キルシェは顔を上げて苦笑した。
蓋をして、それを化粧机に置こうとする仕草をすれば、すかさずリュディガーが制して箱を取り上げた。そして、視線と仕草でお互いに会話をし、彼はキルシェが仕舞おうとしていた引き出しにしまい終えると戻ってきて背もたれに手をおいた。
「__ありがとう」
「他に手伝えることは?」
「えぇっと……」
キルシェは部屋をぐるり、と見渡す。
少しだけ畳まれた衝立が目にとまる。姿見の傍に置かれたそれには、死角になっている面に寝間着がかけられているはずだ。
__そう、あれに着替える……。
その前に、化粧を落とさねば__。
暖炉の炎に近い場所__水が注がれているはずのやかんがある。炎の熱を利用して、直火でなくとも温かいお湯を常に使えるようになっているのだ。
__結った髪も解くとして……。
いつもより砕けた席だということで、専属の女中リリーは簡単にまとめてくれているから、すぐに解けるはず__とそこまで考えて、キルシェは、はっ、と気づく。
__これ以上、彼に手伝ってもらうわけにはいかない。何を手伝ってもらうというの?
たとえ婚約していても、夫婦ではないし、夫婦であってもためらう内容だ。
__ゆくゆくは、慣れてしまうのかもしれないけれど……。そもそも、手伝ってもらうこともあるのかしら……?
「__っ」
ふやけてしまっている頭で浮かんだ言葉。直後に我に返って、かっ、と顔が赤くなるのがわかった。咄嗟に両頬を覆い、俯く。
__私……何、を……っ!
「キルシェ、戻しそうなのか?」
「ち、違う、の……」
つぶさに動く彼を、反射的に手を伸ばして掴んで止めた。
「大丈夫、本当に。違うの」
「ならいいが……」
リュディガーが身体の向きを戻したので、キルシェは掴んでいた手を放す。
そして、より熱く感じる顔から手を外して、やや視線を伏せ、口を開いた。
「その……手伝っていただくことは、もう……ない、わ。大丈夫です、あとはひとりで」
「ふらふらだろうに」
「__こ、これ以上は……着替えとかですから……」
「あぁ……なるほど。そうか」
流石に憚られると察してくれた彼は、いくらか居辛そうに後頭をかき、部屋を見渡す。すると、唐突に彼は離れて壁際に置かれていた椅子を一脚持つと、衝立の側近くに置いた。
「これなら、まぁ……こっちもいくらか心配は減る」
キルシェの元へ戻ってきながら、親指で背後のそれを示すリュディガーに、キルシェは、たしかに、と頷く。
リュディガーはくつり、と笑って戻ってくると、キルシェの隣を示した。
「少し、いいか? 本当に、少し」
「ええ、どうぞ」
念を押す物言いに、思わず笑ってしまう。
リュディガーは、ありがとう、と言って隣に腰を下ろした。
「__新年からは、大学ではそれなりの関係だとするがいいか?」
前置きなく言い放たれて、キルシェはしばらく思考が空回りしてしまった。
本題を端的に伝えようとしたのは、手短に済ませて休ませようとしてのこと。優しさや配慮なのだろうが、いかんせんキルシェは頭の回転が鈍っているから、怪訝になってしまう。
察しがいいリュディガーは、やれやれ、と笑って肩をすくめた。
「詮索されたら、そういう関係だ、と答える__と言っている」
きゅっ、と思わず膝に置いていた手を握りしめるキルシェ。
「意味は、わかったな?」
「え、えぇ……」
「これまでも、口さがない輩がそう噂していたんだ。適当にあしらうなり、無視するなりしてきたが」
「そう、なの……」
知らなかった。
キルシェはビルネンベルクに贔屓にされて彼に連れられていることが他の学生よりも多いから、復帰してからは付き合いのある学生というのはリュディガーと、彼のまわりによくいる学友ぐらい。
「学校を出て、そう経たないうちに婚姻を結ぶ__大学にいたころは、同じ担当教官で、矢馳せ馬候補にもなった者同士……まぁ、もう秘密裏にするのはいいだろう」
リュディガーは、そこまでいうと、キルシェをじぃっと見る。
「な、なに?」
「君と好を__お近づきになりたい、と……そう考えている輩もいる」
「嘘……」
「嘘を言ってどうする」
にわかには信じがたい。
以前、大学にいた頃、そんなことを認識させられる出来事はまるでなかったのだ。
自分には無縁でちょうどよいこと。都合が良かった。
「私、これもしていますよ?」
言って左手の薬指の指輪を示すが、リュディガーは肩をすくめる。
「冬至の矢馳せ馬のあと、歓談していた席のことを忘れているな」
「ぁ……」
リュディガーとビルネンベルクが言うには言い寄られていたらしいが、キルシェには未だに実感がない出来事である。
「気にしない輩もいるんだ。大学だからって、全員が品行方正というわけではない」
「遊び人もいる?」
遊び人、とリュディガーは反芻した直後、吹き出すように笑った。
「__そう、そうだな……。そう、遊び人もいる」
「私、そんなにおかしいこと言いました?」
「いや、まさか君の口から遊び人なんて言葉がでてくるとは思わなかったから……」
すまない、と詫びる彼は、まだくすくす、と身体を小さく震わせて笑っている。やがて、大きく息を吐き出して、静まった。
「__いやぁ……すまない。私も酒が回っているからな、これでも」
「見えないわ……」
「酔っている者がいるとな、酔が覚める質らしいんだ。だから介抱役に回る事が多い。それに、今夜はビルネンベルクのお二人がいる席だったから、そこまで回らなかった。それでも、酔っているは酔っている」
「__っ」
不意に背後から腕が回されて、抗う間もなく、リュディガーへと腰から彼の身体へと引き寄せられた。
「君は知らないだろうが、良くない虫を払ってもいたんだ。君は、学業を優先していたとはいえ、以前よりも交友を持つことを厭わなくなっているからな。それで、そういう虫が増えた。……それを今後気にしなくてすむのは、ありがたい」
「そうだったの……。で、でも、こういうことは、大学では……」
身じろいで抜け出そうとするが、リュディガーの太い腕がそれを許さず、より抱き寄せるようにして動きを封じる。
「人目を憚らずこういうことをする趣味はないから、安心してくれ。分別は弁えている方だ」
「人目って……い、今は……? ここはビルネンベルクの__」
「他所様の家だが、ここにいま人目はない」
それはそうだが__いささか腑に落ちないものの、彼は開放する気がないと理解したキルシェはいよいよ抵抗することが疲れてきた。
彼の身体を押しのけようとしていた手から力を抜いて、身を委ねることにした。すると、彼は、腕の力を緩める。もう抜け出さない、とわかっているからだ。
落ち着き払った声とは裏腹に、彼の拍動は力強いものであるのだが、かなり早く打っている。
彼はいつもそうだ。
__でも、それが、本当に愛しい……。
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