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相和する杯事 Ⅳ
しおりを挟む__難しく考えないように。
別れ際、レナーテルがそう告げた。
二苑から四苑の入口までレナーテルによって送られたキルシェは、ビルネンベルクに頼まれたこともあり、話し合いから合流したリュディガーとともに下車した。その時、レナーテルに告げられたのだ。
車中では、特に先ごろの教員についての話題はでなかった。寧ろ、会話らしい会話は皆無。レナーテルは馴れ合うような会話を自らすすんですることもなければ、孤高な雰囲気に包まれる彼女に世間話などしようと考える輩はいないからだ。
ビルネンベルクならまだしも、格下のキルシェやリュディガーならば、緊張までしてしまう始末で、実際そのせいで会話らしい会話などできなかった。
そして、キルシェは下車してからも、並んで歩くリュディガーに何かを聞くでもなく、足元に視線を落として歩みを進める。
__難しく考えないように、と言われても……。
キルシェは別れ際のレナーテルの言葉を思い返していた。
雪に覆われる帝都の景色は見慣れてきたが、目に眩しいことにはかわりない。軒先の控えめな氷柱に視線が留まった刹那、周囲の反射する光以上の眩しい光が刺すように目を射抜き、反射的に視線をそらすと、ひゅっ、と風が吹き抜けて、思わず冷たさに震える。
「__風が出てきたな」
横を行くリュディガーは、周囲を見てから空を行く雲__とりわけ北にある山あたりの雲へ視線を移した。
「強まる前に、屋敷にはたどり着けると思うが」
言われて気付いたが、このときまで無風であった。だからなおさら、風が寒く感じられて身震いしてしまったのだ。
徐々に吹き抜ける風が長くなってきた。まだ弱いが、これから強くなる予兆に感じられ、キルシェはリュディガーを振り仰ぐ。
リュディガーはキルシェに、少し急ごうか、と言うので、キルシェは頷き返した。その頷きを受けたリュディガーは手を差し伸べてくる。キルシェはその手を素直に取った。
リュディガーに手を取られてからは、足元に不安がらずにいられて、風が強く吹き始める前にビルネンベルクの邸宅へたどり着くことができた。
外套をあずけ、温かなお茶を用意してもらいながら、煌々と燃える暖炉の前で温まっていれば、窓を叩く音にそちらを見る。舞い上がる雪が、強くなった風と一緒になって窓硝子を叩いていた。
空は陰っていないから明るい日差しの中、舞い上がった雪が翳らせつつも、自らは輝いて、なんとも不思議な景色だった。
「__風が強くなる前に、お戻りになられてよろしゅうございました」
「ええ、本当に」
お茶を配するリリーにキルシェは頷く。
おそらく、寒さだけではない。窓を叩く雪の音から氷の粒に近い雪だろうから、それが舞う中__吹き付ける中、移動をするとなると痛さは相当だったはずだ。
「ドゥーヌミオン様の件、承知いたしました。ナハトリンデン卿は、ご夕食はいつも通りに?」
暖炉前から、配されたお茶がある最寄りのテーブルへ移動しようとしていたリュディガーは、動きを止める。
リュディガーは、仕事が終わると必ずナハトリンデンの邸宅へ訪れる。それは後見人ビルネンベルクと婚約者キルシェへ挨拶するためだが、それは必然的に夕食を一緒にすることとなる。
「今日はいつもよりお早い来訪ですので、どうなさるのか、と思いまして……__ご用意してよろしいでしょうか?」
「お願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます。__お部屋も使えるようにしておきますので、そちらでお休みいただいても構いません。ご夕食まで、どうぞごゆるりと」
ありがとうございます、と丁寧に礼を受けたリリーは、穏やかな笑みを深めてから、キルシェはと向き直る。
「後ほど、身支度のお手伝いに。お時間になりましたら伺います」
「はい、よろしくお願いします」
リリーは、一礼をすると、粛々と部屋を後にした。
キルシェは、暖炉の前で手をかざして温まりながら、リュディガーへと顔を向ける。
「リュディガーは、呼び出されて、あそこに?」
問えば、お茶のカップを口から話して、リュディガーが、ああ、と頷いた。
「__まだ、席があるようでないから、色々と出向させられている。あまり詳しくは、守秘義務もあるので言えないが……今日なんかは、昨日の段階で、一苑へ顔を出してから二苑へ、ということだけは指示を受けていた。ケンプフェルト卿を訪ねろ、と。で、指導の手伝いをしていた」
「指導の手伝いというのは……武術?」
「ああ。剣術と体術の」
キルシェは暖炉の温かさで、顔が痛いくらいに火照ってきたため、離脱することにし、リュディガー同様、お茶の並べられた最寄りのテーブルへと向かい、腰掛ける。
そうして、ひとつ封筒を取り出した。
それは、二苑の片翼院で打診された帰り際、詳細が記されている、と渡された封書である。
腰掛けることもせず、立ったまま手にお茶を持つリュディガーがそれとなく見ているだろう中で、封蝋もない開いたままの封書から便箋を取り出した。
内容としては、教える教科、勤務する時間、給金、注意事項等である。
「__この内容は、よくあるものなのかしら……」
「妥当か、ということか?」
ええ、と困ったように笑ってリュディガーに便箋を差し出すと、お茶のカップを置いて立ったまま手に取った。
「……あぁ、各学問の基礎なのか。講書をしていた君なら、まるで問題ないだろう」
「基礎というと……」
リュディガーは一度視線を外して、思い出すように天井を振り仰ぐ。
「大学でやっていたよりも、遥かに簡単な基礎も基礎だ。中学までの振り返りに加えて、大学でやる部分を少し……といったところか? 国語、数学、科学、歴史の基礎の頃は、確か同じ教員だった」
「そうなの?」
「君がやってた講書より、はるかに簡単な内容だと思う。専門性が高くなるのは、春頃からだったはずで……人数だって大学ほど大所帯じゃないからな、ひとりでやれるさ」
中学までの学問は、専門性に特化したものはたしかにない。それを基に、少し発展させる__そんなところだろうか。
「……給金は良いんじゃないか? 3ヶ月でこれなら、むしろ良い方__いや、週4日なら、良すぎるな」
__週に4日、3ヶ月……ひと月4週間として、4日を3ヶ月……。
給金よりも、その日数__拘束時間がキルシェには引っかかってならなかった。
「リュディガーは……反対しないのよね?」
「ああ、しないな」
リュディガーは、笑いながらきっぱりそこまで言い切って便箋を差し出すので、キルシェはそれを受け取った。
「そう……」
「なにもそんな曇った顔をしなくても」
指摘されて、困ったように笑うことしか出来なかった。
「__大方、君の場合は、この日数が引っかかっているんだろう?」
便箋に視線を落としながら、キルシェは小さく頷いた。
挙式まで半年を切っている。時間が限られる中で、やり抜こうと決めたことの時間が削がれてしまう。
やりたいこと。やろうと決めていること__それは、リュディガーもよく知っていることだ。そして、とても理解してくれていること。
「__布支度へ割ける時間が目減りするな」
「……わかっているのよ。この打診も、学長直々にお連れするぐらいだから、とてつもなく買っていただいているということは。信頼されて、お前ならやれるだろう、って……」
キルシェは、口元を一文字に引き結んでから、ため息を吐いて便箋をテーブルへと置いた。
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