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1 36番目の婚約者候補

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「フォルモント公爵令嬢。私には貴女のような素晴らしい人の婚約者など務まりません。この話はなかったことに……」

 目の前に座る子犬のような目をした男はビクビクとしながら、婚約者になることを断ってきた。

「そうですか」

 私が了承と受け取れる返事をすると、脱兎のごとく私の目の前から去っていった。これで35人から私の婚約者になることを断られたことになる。

 私はため息を吐きながら立ち上がった。いったいどれ程この過程を繰り返せばいいのだろうか。

「お嬢様おめでとうございます。新記録達成ですね」

 そう私に声を掛けてきたのは、私付きの侍女のイリスだ。

「ああ」

 私はその言葉に端的に答える。

「まさか、お嬢様を目の前にして断る殿方がいらっしゃるなんて、勇気がありますね」

 イリスの言葉に思わず苦笑いが浮かぶ。確かに今まで34人は直接私に言うこと無く、手紙で断る返事をしてきた。

「お嬢様が歩けば黄色い悲鳴があがり、お嬢様が微笑めば失神するご令嬢が後を絶たず、騎士団の中でもファンクラブの会員数はトップクラス」

 ん?

「16歳で第8師団長に抜擢される逸材。青薔薇の魔女と言われるお嬢様を目の前にして、断る勇気。私本当に感動しました!」

 イリスが興奮しながら言っているが、何やら私の知らない事が耳に入っていた。

「イリス。私にファンクラブがあるとは聞いていないが?」

 確かにご令嬢に声をかけられる事は多い。それに私の目の前で気を失うご令嬢がいるのも本当のことだ。今は19歳だが、3年前に前第8師団長から師団長の地位を引き継いだのも事実。『青薔薇の魔女』という痛い二つ名は、別に私の容姿になぞらえたものではなく、ただ単に第8師団の紋章が青薔薇なだけだ。そして、魔女という異名は後ほど語ることにしよう。

「お嬢様。先代の公爵夫人であらせられるマリ様に瓜二つのお嬢様にファンクラブが無いはずありません」

 前フォルモント公爵夫人。私の祖母にあたる人だ。色々逸話を残した人物でもある。公爵夫人であるにも関わらず、山ごもりに行ってくると言って半年ほど行方知れずになり、前フォルモント公爵自ら探し出してきたとか、子育てが終わったからと40歳で誰にも相談せずに冒険者デビューをして前フォルモント公爵に怒られていたとか、王都にドラゴンが襲来してきた時は、素手でドラゴンを殴っただとか、とても貴族としては如何なものかという話が出てくる人だ。

 そんな自由人と言っていい祖母は何故かモテたらしい。
 珍しい黒髪で年齢よりは幼く見える容姿。肌の色も普通の人とは違い象牙色。異国から来たと言われているが、祖母は死ぬまでどの国から来たとは言わなかった。

 しかし、私には心当たりがある。絶対に祖母は転移者だと。そう言う私は転生者だ。そのことは祖母と同様に誰にも言っていない。言っても仕方がないことだ。そして、祖母はこの世界を受け入れたのだろう。ゲームのような剣と魔法の世界を。

 これでわかったかと思うが、私の容姿は日本人そのままだ。少しはハーフ……いや、クウォーターらしく別の血の要素が混じってもいいと思うが、私の容姿は見飽きた黒髪黒目に凹凸の少ないのっぺりとした顔。美人には違いないが、西洋人の中に東洋人の日本人がポツンといるのだ。それは違和感しかない。

 だが、何故かこの容姿が好まれるらしく、祖母のファンという人物が夫婦そろってよく我が家に遊びにくるのだ。恐らくファンクラブの筆頭はその夫婦だと思う。夫婦そろって祖母への愛が異常なまでに大きいのだ。

 さて、いつまでもこの場にいるわけにはいかない。わざわざ今日の為にセッティングされた間借りした場所だ。イリスから剣を受け取り、腰に佩いた私は足取り軽く歩き出す。

 今回も上手く断ってくれたものだ。

 休みの日まで、堅っ苦しい騎士団の隊服に袖を通した甲斐があった。隊服に付けられたジャラジャラとした勲章が威圧を放ってくれたおかげだ。

 ただでさえ年下に見られがちの容姿であるので、一番最初が肝心なのだ。どれだけ、相手を威圧しマウントを取れるかだ。

 年下に見える女が自分より優秀だとわかれば、無駄にプライドが高い大抵の貴族の男など、敬遠してくるものだ。それに、腰に武器を下げている女など近づきたくもないだろう。

 私の作戦は完璧だ。誰が貴族の嫁になどなるものか。







「は?」

 私は私の耳を疑った。なんと言われましたか?お母様。私は信じられないという視線を金髪碧眼のグラマラスな女性に向ける。元々は伯爵令嬢だった母は父の一目惚れによって公爵家に嫁いできたのだ。その容姿も美の女神と言っていいほどだし、その魅惑的な体付きも人の目を引くほどだ。その母が私が戻って来たその日の内にありえないことを口にしたのだ。

「次の婚約者候補の人が決まったわよと言ったのよ」

 次。次だって!たった今35人目に断られたのだから、後2~3ヶ月は話を持ってこられないと思っていたが、これはもしかして、今日の話が出る以前から用意されていたということか?

「お母様。普通は傷心の娘を気遣って、2~3ヶ月は期間をあけるものではないのですか?」
「あら?エルシーはそんなことで傷つかないでしょ?お義父様はお義母様を口説き落とすのが大変だったとおっしゃっていましたわよ。『公爵家なんかに嫁げるか!』と言うのが口癖だったようですし」

 エルシーと母は私のことを呼ぶが、私の名はアリシアローズと言う。まぁ、愛称というものだ。

 しかし、祖母の気持ちもよくわかる。確かに公爵令嬢となれば衣食住に困る事無く暮らしていけるだろう。しかし、してはいけない事が多すぎるのだ。いや、別の記憶を持っているから余計に思うのだろうが、笑うこと一つとっても歯を見せてはいけないだとか、大声で笑わないだとか、マナーを指導したフェスナー侯爵夫人にチクチク言われるのだ。
 因みに今はぞんざいな言葉遣いだが、幼い頃はお嬢様らしい言葉遣いではあった。

「エルシー。だからね。今から行くのよ」
「は?何処にですか?」

 いや、確かに今日は休日だ。今回の顔合わせの為に嫌々ながら休みを取ったと言い換えてもいい。だが、今から行く!!いったい何処に行くと言うのだろう。

「勿論、次のお相手のお屋敷よ」

 母は私を逃がさないと言わんばかりに、目が笑っていない笑みを向けてくる。何気に怖い。
 しかしまた、あの窮屈な隊服に着替えなければならないではないか。戻ってきて何やら新しい服の試着をさせられ、家族にお披露目という口実のために、そのままの姿で昼食を取ったのだ。流石にこの服は着ていけない。

 私が立ち上がろうとすると、私の両サイドを侍女長のマリエッタと母の侍女のルアンダに立ち塞がれてしまった。二人とも私が直ぐに逃げ出そうとしているのを察知して、退路を塞いできたのだ。それも二人とも恰幅がいいので、とても威圧感がある。

「アリシアお嬢様。それでは参りましょうか」

 二人から両腕を掴まれてしまった。私は助けを求めるため、私付きのイリスは何処だと視線を巡らす。しかし、私と視線が合ったイリスは首が取れるかと思うほど勢いよく横に振り、私の助けを否定してきた。
 これは二人の上司から言いくるめられているのだろう。私に手を貸すなと。

「マリエッタ。ルアンダ。取り敢えず着替えてきていいか?」
「駄目ですよ。そのような時間はありませんので、急いで向かいますよ」

 マリエッタに進むようにう促され、今着ている服のままで出て行かされそうになる。これは駄目だ。この二人に命令できるのは、そこでニコニコと笑っている母だ。

「お母様。この格好で人と合うのは些か問題ですよね。お祖父様がお許しになりませんよね!」

 祖父の名を引き合いに出して、二人を止めるように願うも虚しく。

「あら?大丈夫よ。今回のお話はお義父様も了承してくださったのよ。エルシーには幸せになって欲しいのよ」

 幸せ……それは、女性の幸せは結婚こそが幸せだという押し付けがましい、この世界の常識だ。貴族の世界という押し込められた小さな世界。
 しかし、今回は前フォルモント公爵であるお祖父様が一枚噛んでいるのか。約束の日が近くなってきたので、両親も焦ってきたのか?

「しかし、お母様。お祖母様が好んで着ていた服を私が着て行くということは些か問題ではありませんか」

 そうなのだ。私が今着ている服は祖母が好んで着ていた服を私のサイズに合わせて直された服だ。見た目は光沢のある白地の生地に、総刺繍された詰め襟のチャイナ服だ。首元まで生地に覆われているが、胸元で合わせになり、飾り刺繍で止めるようになっている。足元に向かって広がる白い布地の隙間から淡いピンクのオーガンジーがフワリと見え隠れしている。言うなれば、中華風ドレスだ。祖母はこのようなドレスを好んで着ていた。そして、長い黒髪は結わずに背中に流していた。
 恐らくこの形を好んで着ていた理由は、普通のドレスだと拷問かと言いたくなるコルセットを付けることになるからだ。
 あれは拷問だと思う。だから、自分でデザインしたコルセットが必要ないドレス風の洋服を好んで着ていたのだろう。私も嫌いなので正式の場は騎士団の隊服でいることが多いのだ。

「エルシー。無駄な抵抗は諦めて行ってきなさい」

 この屋敷で一番発言権のある母の鶴の一声によって私は恰幅のいい侍女二人に挟まれて、亡き祖母のコスプレかという姿で、この場を後にすることになってしまった。






「取り敢えず、これを仕組んだ人をシメてきていいか?」

 私は目の前で機嫌悪さを隠しもせずにティーカップを傾けている男に尋ねる。その男は私を一睨みし、鼻で笑った。出来るものならしてみるといいということだろう。

 結局、あの後両脇を私が逃げないように恰幅のよい侍女二人に挟まれ、カーテンが閉められた馬車という檻の中に閉じ込められたのだ。私は馬車から降りて見上げた邸宅を見て唖然とした。良くお祖父様がこの縁談に了承したものだと。


 そして、通された部屋の中にいる人物を見て、私は内心項垂れた。この男に今まで私が使っていた脅しは通じない。
 目の前の男は見た目はいい。長い銀髪を首の後ろで一つに結い、三国一の美人とまで謳われた隣国の王女である母親譲りの顔立ちだが公爵家特有の青い瞳が人を近寄らせない冷たさが滲み、『氷の騎士』という痛い二つ名を持つ男だ。

 公爵家の嫡男であるレイラファール・アスールヴェントが素直にこの場にいるということは、恐らく前公爵あたりが絡んでいるのだろう。前公爵。私の祖父と旧知の仲だが、犬猿の仲と言っていい。原因はモテにもてたお祖母様を取り合いした仲だったという噂だが、その真相は孫に当たる私には知り得ぬことだ。

 そして、目の前に不機嫌を隠そうとしない男の祖父と祖母にあたる二人が私を猫可愛がりする当人たちだ。そうと言うなれば、私もこの男と仲が良いように思われがちだが、それは全くない。何故なら目の前の男は女嫌いで有名だからだ。

 そんな男が素直にこの場にいるということは、逆らえない人物からの命令なのだろう。

「この話を取り持ったのは、前アスールヴェント公爵か?第3師団長殿から断っていただけないか?」
「残念ながら違う」

 違うだと!てっきり前アスールヴェント公爵が絡んでいると思っていたが。

「そこにいる執事がいい加減に婚約者を決めろと父であるアスールヴェント公爵に話を持って行ったことだ」

 レイラファールは不機嫌そうに視線だけで、彼の後ろに控えている初老の人物を指し示した。灰色の髪を後ろに撫で付け背筋をピシッと伸ばして立っている使用人のことだ。
 前アスールヴェント公爵に付いている姿を幾度か見かけたが、直接話したことは無かったはずだ。

「それはどういうことですか?」

 私はレイラファールとも執事にとも問いかけたと捉えられない質問をした。そう、どちらが答えても良いように名指しは敢えてしなかったのだ。ただ、視線は後ろに控えている執事には向けている。

「歓談中、お邪魔して申し訳ございません。そのことは私から説明させていただきます」

 レイラファールの後ろに控えている初老の執事が頭を少し下げて言葉を発した。
 全く歓談していなかったので、大いに邪魔をしてもらって構わない。

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