無想無冠のミーザ

能原 惜

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第一章 「占拠された花園」

七章 まとめ

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 ──犠牲は大切なものだと思う。人の優しさ、逞しさは犠牲があるから備えることが出来えている。そして犠牲は必要であり、消すことなど出来ない。
 つまり、どんなことであろうと、犠牲になった者にも少なからず価値がある。価値は死をもって移り、やがて一人の強者へたどり着く。
 私の命もまた、価値ある者の所へ移るのだ──。
 今ある想いはそれのみである。


───
 あまり緊張はない。失敗したらとか、そんな未来が見えない。
 二度と会えないかもしれないと思っていた皐と共に教室を目指していた。
 フリアエはかなり離れた所から俺達に付いてきている。そうしたい気分なのだとか。
「古代さん? 凄い顔で私見てんね。どしたの?」
 観察する勢いで皐を見るがどこもおかしなところはない。であればどうすればあのような話し方になるのか。
「お前さ、なんであんな丁寧な喋り方できるのに普段はそんななんだよ」
「その前に。お前って言わないでくれる?」
「ああ分かったよ。で、どうしてだ?」
 皐は人差し指を立てながら説明した。
「私の普段があれなんだよねー。古代さんの前ではおちゃらけたフリしてんの。いやだった?」
「俺は……皐が楽だったらなんでもいいぞ」
 別にああしろこうしろは言わないんだから好きにしてくれていい。今更実はシスコンのレズでしたって告白されてもパートナー解消はしないし。
 俺の想ったことを理解できたのか、皐は悪ガキっぽい笑みではなく、お淑やかに笑みを作る。
「──これからは心機一転してよろしくお願いします、古代さん」
 言い方も所作も凄く上品なのに、いつもの皐のように見えるのは、やはり皐の本当の姿がこれだからだろう。
 彼女を創ったじーさんの言うとおり、みんなをみんな大切にしていれば、こんな所など見ることは叶わなかった。
「簡単なようで、全部難しいんだな……」
「どういうことですか?」
 今までを全て無しにした皐は俺の独り言に付き合う。
 俺は嘘無く言った。
「俺は人の関係や世界の動きを大体は分かっていたつもりで、世の中単純に出来ていると思っていた。けれど、それは俺の頭が単純だっただけなんだな」
 その場合わせの相槌が返ってくる前に、言うべきことを言う。
「よろしくな、パートナー」
 大して皐は嫌ではなかったのか、笑みだけ返すのだった。
 ところで、俺達のクラスはどこなのだろうか。
「皐、クラスどこだ?」
「目を通していなかったのですか。一年一組です、私に付いてくれば着きます」
 と言って、皐は前に出ず横に並んだままだが、付いていくにはどうすれば?
 ところで、緋苗のことは頭の片隅に置いておくことにしたため、今は特に心配はしていない。
 いつかまた会えるだろう。そんな気がしてならないのだ。
「古代さんにとってのメインヒロインは誰ですか?」
 皐が話しかけてきた。
「あー、俺が一番特別に想っている女の子?」
「そうです。どうやら女の子との接触が多い古代さんに是非質問してみたかったので」
 確かに女の子ばっかりだったなぁ。男と出会った記憶があまりない。
「俺にとってのヒロインは、なんだろうな、きっと外見なんか関係がないと思う」
「中身ですか?」
「そう。俺から見て自分の感情を一番乱した、その、それこそがヒロイン……ていうのかな……」
「はっきりと言ってみてください」
「俺はだな、たとえ見た目がグロデスクな生物だろうが、絡繰り仕掛けのただのロボットだろうが、好きになる人間だと自覚している。だからまだメインはいない。一番気になるとしたら……メガイラ・ウラノス・エウメニデス……」
「? あのゴッドシリーズのメガイラですか? あれは……いえ、なにも言いません。古代さんは良い目を持っています」
「……?」
 妙な反応をする皐に違和感を感じた。
 メガイラは入学式で壇上に立ったフリアエの姉だ。フリアエにそっくりの外見で、いつもにこにこしている感じがして、さらにとても可愛い。
 皐のような反応とはまるで合わない存在なのだ。
 気付けば教室の前に立っており、さらに俺の興味はメガイラに向いていた。俺はこの時、既に昼休みに入ったのならばメガイラに会いに行くように体内予定表を決めた。
「学校……通えるとは思いませんでした」
 皐が立ち止まる。
「私のような、人ではない人形がこんな夢みたいな所へ行けると思わなかったのです」
「……俺はそういう皐だから選定したのかもな」
「古代さん……」
 言葉だけで全てを通じ合った俺達は扉を開かない道理はない。
 何となく、しかし当たり前のように、扉は二人の指で開かれた。
 視界に入ったのは二〇人の人とミーザ。
 ギリギリの時間に来たつもりだが、揃っているのは三分の二の人数だった。
「確か一クラス三〇人だよな、皐」
 俺の質問に意図が掴めないのか、小首を傾げる。
「それがどうかしましたか」
「……いや、なんでもな──」
「はいはい通行止めはやめてねー」
 俺が言い切る前に背後から出入口を塞いでいるのを注意された。
 中に入って振り返ると、そこには天使のような青髪の少女がいた。
 多分ミーザだと思うが、顔が可愛いのである。何の疑いもなく美人だと言えるくらいに完璧であるが、生憎そういうのは見飽きるくらいに出会ってきたのであんまりドキドキしない。
 あんまりね。
「ああ、悪かった」
「どーも」
 扉を通過すると、彼女は既に一人の男性が座っている席の隣に座った。
 説明すると、席はミーザとの契約があるため二人座れるように設計されている。椅子は長いすなのだ。
 俺はどこに座ろうか悩む最中、皐は一人歩き出す。
「お、おい皐」
「席も渡されたプリントに書かれていました。早く行きましょう」
 ……便利な紙くずだなぁ全く。
 面倒くさくてノロノロ付いていくと、隣に誰かが並んできた。この当たり前かのようにフレンドリーな接し方をするのは限られており、顔を見ずに話し掛けた。
「遅かったな、フリアエ」
「え?」
「……ん?」
 何故か驚かれた。姿を確認する。
 白火であった。
「し、白火だったか。久しぶりに会うな……」
「んー本当は一度も会ったことが無いんだけどなぁ……」
「……は?」
「よ! 良い目覚めは出来たかな? 虎なんとか様!」
 とんでもないことをほざいたかと思えば、やけに元気に挨拶をしてくる。
 彼女の口調はですます系ではなかっただろうか。違和感のない喋り方ではあるが、俺には違和感がある。
 すると白火は人差し指を自分の顎に指し、一瞬だけ悩むような表情になるとまた話し出す。
「最近は物騒ですから、気をつけた方が良いと思います! 私的分析の結果によれば、虎なんとか様が誘拐される可能性は非常に高いです!」
「お、おう気をつけるよ」
 どうやらいつも通りの白火に戻ったようだ。まさかキャラ作りとかじゃないよな……。
 俺は白火を無視して皐が既に座っている席に腰を落ち着け、もうすぐ始まるホームルームを待つ。
「古代さんってば冷静すぎです。こんなに緊張する場面なかなかありませんのに」
「俺は三回目の新しい学校だから慣れてんだよ」
 皐は足をそわそわさせて緊張している。こんな皐初めてで、俺は妙にドキドキしてしまった。
 その後すぐにフリアエが教室に着き、俺の所に向かってくる。黒い布で目隠しをしており、非常に強張った表情をしていた。
 周囲からは注目されている。当たり前だ、目隠しをして登校しているのはフリアエくらいなのだから。
「フリアエ、遅かったな」
「……迷惑を掛ける」
 フリアエは一言だけ言うと、俺の後ろの席に座った。もちろんパートナーはいないので隣に座る人はいない。
 それと同時に学校の制服ではなくスーツを着た男性が入ってきて、教壇に立った。
 印象的なのはスキンヘッドで、結婚指輪をしている。年は四〇代くらい。
「えー、全員揃っているのかな……?」
 手元の出席簿を開き、俺達を見回すと胸ポケットに掛けてあるボールペンを取り出して何やら書き込んでいる。
「小笠原はどうした?」
「はい。小笠原様は胃痛でお手洗いに行きました」
 片方だけ空いている席の、やけに背丈の高い男が丁寧に言った。
「ふむ。神灘かんなだはどこにいる」
 先生の言葉に誰も反応はしなかった。恐らく神灘という名字に心当たりがないのであろう。
 続けて先生が言う。
「神灘さつきはいないのか?」
 瞬間隣を見るが皐は居なかった。居るのは席の下だ。
 俺は無理矢理椅子に座らせる。
「な、なにを!?」
「いまーす」
「よろしい」
 皐に睨まれたが、大方緊張しすぎて隠れたかったのだろう。俺は悪くない。
「ことめは?」
 まだいない人がいるのかと驚いた。学校初日でそんなことありえるか?
 すると俺の隣の片方空いた席に座るどこかで見たことあるような男が手を挙げた。
「先生の後ろにいます」
 男は面倒くさそうに言うと、先生は教壇から離れて後ろを見た。すると確かに誰かはいた。
 純粋な緑色の長髪と目の色をした少女のミーザ。とても気が強そうな印象がある。
「先生、驚いたかしら」
「まあまあ驚いた」
「それは良かったわ」
 と、生意気なことを言って男の隣まで歩いて座った。
 ようやく全て解決したようで欠席者の確認は終わる。
「では、自己紹介をします。このクラスの担任をつとめるリゴレット八世です。主に人造人間科の担当をしており、みんなには生半可ではない道徳を学んでもらいます」
 人造人間科……ってなんだったかな。学校のことあまり調べてないから分からない。平和部にしか興味がないのだ。
 それにしても、リゴレットはあまり分からないが、八世というのに何かが引っ掛かる。小さいことだからどうでもいいか。
「みんなは分かっていると思いますが、君達はある程度の裕福さと未来を持っています。それは見る者によって憎悪の対象となり、油断した所から身を危険に晒してしまいます。平和部に入部したい者がこのクラスでは多いので忠告をしておきますが、弱ければ死んでしまいます。気をつけてください」
 俺は死なないがな。
「しかし、いつ危険が迫るやら分かりませんから用心棒を雇っています。白火さん、前へどうぞ」
 え、と思って白火を探すと、既に白火は先生の隣に立っており、俺と変わらない若さの顔で喋り始めた。
「これからよろしくお願いします! もしも困ったこと、危険なことがあれば私に頼ってください!」
「では、自分の席へ」
「はい!」
 笑えない冗談を言った後、白火は一番後ろの端っこの席に座った。
 はぇ~。
「次に、この学園の高等部には一〇体のゴッドシリーズのミーザがおり、一〇クラスに一体が入ることになっています。アレクトー、前へ」
「……」
「アレクトー?」
「……!」
 俺は嫌な予感がして後ろを見た。すると、フリアエは黙って先生を布越しに睨んでおり、前へ行く気はないようだ。
 困るのはみんなであるが、俺は一番困るであろうフリアエを放っておけなくて席を立った。
「古代さん!?」
「いいから」
 注目が俺に移るが気にしない。
 フリアエの隣に移動して、事を上手く働かせるために励ましの言葉を考える。
 が、それを言う前にフリアエは俺にしがみつき、みんなの視線を避けるように俺を盾にした。
 この動きは……アイザか?
 とりあえず何も言わずに教壇を目指して歩き出し、クラスメートのみんなが見やすい位置に立って、何故か俺が視線を一身に受ける。
「ほら、アイザ……」
「わらし喋られない」
「いや、フリアエでもエリニュスでもいいんだよ」
「今は休んれるあら無理らよ」
「む、むぅ……」
 アイザと小声で話し合った結果、俺がどうにかした方が良さそうだ。なんで俺なのかはともかく。
「この子は、えーと、フリアエです。呼ぶときはフリアエと言ってやってください。よろしくお願いします……」
「うむ、まあいい。席に戻りなさい」
「はい……」
 くそ恥ずかしい思いをして戻ると、皐が笑顔で迎えてくれた。
「かっこよかったです」
「……ありがとな」
 複雑な心境を抱えてホームルームは終了した。


───
 先生は教室から出ており、教室内ではある程度のグループが出来つつあった。
 人間の男のグループに、人間の女のグループ。男女関係無いミーザのグループがあれば、人間とミーザが入り混じったものもある。まだ繋がりは浅いが、これから濃くなるような未来図が見えてならない。
 かく言う俺もグループは既に作っている。俺、皐、フリアエのいつものメンバーだ。緋苗はどこだろう……。
「ようやく学校が始まりました、古代さん。今まで長かったですが、あまり進展しませんでしたね」
 皐が現在の好感度を示すように真顔で俺に言った。
「ああ。寄り道ばかりしていた気がするよ」
 俺も真顔で言っていると思う。本来すべきことはパートナーとの絆を育むことなのに、俺はパートナーであるはずの緋苗を放っていた気がする。だから、この皐との仲も緋苗と同じように少し冷めてしまっているのだ。
 友情とか愛情は平等には与えられない。特に俺では無理に決まっている。
 俺のやれることと言えば俺にとって大切なものを大切にするくらいだと思う。その大切なものに含まれるのは、皐と白雪と……緋苗だ。フリアエは入っていない。
 フリアエは他人で、関わりを持ってきたのはフリアエで、俺がフリアエの為に何かをする義理なんかないのに。
 馬鹿だよな俺。
「古代さんは今から力士を目指そうと思えますか」
「なんだよ急に。目指すわけがないだろう」
「しかし、古代さんはしたくもないのにしているではありませんか。そういう性格ではないですか」
「……むぅ。確かになんだか納得のいく言葉で不思議だ」
「なので今更呆れたり、嫌悪したりはしません。きちりと分かっていますから」
 『これから信頼を築けばいい』と言っているような気がした。案外まだ手遅れではないのだろう。
 どうやら皐は俺の理解者であった。
 そして休み時間を終えるチャイムが鳴り、少しクラスの話し声が小さくなる。もうすぐで先生が来るのだ。
「何をするのでしょうか。とても楽しみです」
「楽しみだなんて皐らしくないな」
「興味深いものには興味がわくものです」
 つまり俺がメガイラのことで気になっているのと同じことなのか。皐の言うことはなんとなく理解できる。
 やがて先生が入ってくるが、その先生は先ほどのリゴレット先生で、何かの物体を大量に乗せたカートを押しながらだった。
「──きゃああああ!?」
 それが何なのかを理解したのか、一番前に座る誰かも知らない女子生徒が悲鳴をあげる。一体どうしたのだろうか、と物体をよく見てみると、二〇立方センチメートルの檻の中に何やら動物が入っている。
 隣を見てみると、皐は青ざめていた。
「では、一時間目を始める。起立」
 先生は生徒の様子などお構いなしに全員を立たせ、挨拶を済ませようとする。
「礼」
 それが終わると、先生はカートの中の物体を教壇に置き、説明を始めた。
「これからみんなには、三年間、生半可ではない道徳を常に学んでもらう。その教材はこれだ」
 先生は檻の中からものを取り出し、みんなに見えるように掲げた。
 それは人だった。全長三〇センチメートルくらいはありそうな、小さすぎる人なのだ。
 俺は顔から血の気が引いていくのを感じる。
「これはホムンクルスと言って、君達が人としての心を育てるための人造人間であり、人間には無理のある事柄に関して使用する道具です。君達はこの先結婚相手を選び、子を産まなければ人類は滅んでしまう。その結婚までの過程をこの学校生活の間で勉強出来るように、多くの学校ではホムンクルスを配布するのであって、私はこれから君達へホムンクルスを渡します」
 先生は指先をホムンクルスの頭に挟む。
「いいですか、ホムンクルスは脆いです。強度はありますが、ある程度の衝撃を加えれば骨折をしますし、血も出てしまいます。怪我を治すよりも新しく買う方が安いくらいなのですから。ホムンクルスを壊してしまった場合、その方は一万円を払い、新しくホムンクルスを買ってもらいます」
 そのホムンクルスから指を離すと、檻の中に戻した。
「このホムンクルスは完全なノーマルです。君達の管理によってホムンクルスは色々な性格に変わるでしょう。そのホムンクルスの状態は卒業の判断材料となりますので、気をつけてください」
 ……と、話は終わったようで、先生は出席簿を開いた。
「井田、小笠原のパートナー、角馬──」
 それからは人間の方が呼び出され、檻の中のホムンクルスを渡していく。俺も当然呼ばれる番が来て、俺は先生のもとへ向かう。
 いざ目の前の先生の顔を見ると、少し怖い印象がある。まるで人間を嫌っているかのように、俺に対しての視線がきつい。
 先生は檻に付いてあるタグを見て、古代と書かれた檻を取り出し、俺に渡した。
「古代」
「あ、はい」
 何故か話し掛けられると、先生が真剣な顔で言った。
「そのホムンクルスはたまたま高性能で出来上がった。運がよかったな」
「は、はあ……?」
 と言われてもよくわからなかったので、取り敢えず頷いておく。
 俺は檻を持って席に戻り、机の上に置いた。
 檻の中に閉じ込めるのは正直嫌なので取り出すところを開けて、ホムンクルスが出てこれるようにする。
「ふ、古代さん! 勝手にそのようなことをしては……!」
「だったら皐は閉じ込められたいのか?」
「い、いえ、嫌なのですが……」
「俺は『人』の嫌がることをしたくない」
 皐の気持ちも分かるけれど、俺はとにかく嫌なのだ。
 そうするとホムンクルスは動き始め、檻の中から解放された。
「……俺、目は良い方じゃないから、こうして出てくるまでよくわからなかった」
「……古代さん」
「衝撃だよ、これは」
 中のホムンクルスは少女のようだった。長い黒髪に黒目、皐ほどは白くないが白肌で、不細工ではなかったし、でこぼこでもない。
 ただ小さいだけの女の子に見えた。
 服装は白のワンピース。靴は見当たらない。ワンピースはただのワンピースで、これといって刺繍が施されている所は見当たらなかった。
 ホムンクルスは自身よりもはるかに巨大な俺の顔を見上げ、正座をして両手を重ねて地に着ける。
「これからよろしくお願いします」
 甲高くもなければ特徴的でもない普通の声で、普通の表情のまま言うと頭を下げた。
 俺にはこれをぞんざいに扱っても良いという事実が衝撃的だった。ホムンクルスは先生の口から言えば『道具』。生きた道具なのである。殺しても犯罪にならないし、壊しても一万円で新しいのが買える。
 バリューの何万分の一の価値しかない。しかも寿命は長くない。
 本当に道具として造られているのだ。
「……よろしくな」
 俺は面子を保つため、ホムンクルスなどに頭を下げることは出来ない。人とは同じ位置に立てないものに、同じようにしてしまえば異常者として扱われると思ったからだ。クラスメートにホムンクルスに頭を下げる人などいない。
 多分、ホムンクルスを人として扱おうとするのは馬鹿だ。
 だから俺は手を差し出した。人と人がするような、小さいホムンクルスへの配慮などせずに。
 赤ん坊の把握反射で握り返すのを考えての指一本とかではなく、人として当たり前のように五本指全てをホムンクルスの前に出しているのだ。
 所詮、俺は馬鹿なのである。
「……」
 ホムンクルスが何かを言うことはなかった。俺のしていることを見つめ、次に自分の手の平を見つめ、少しだけ震える。
 やがて俺の顔を見上げると、ホムンクルスは片手を俺の中指の先の腹に手の平全てを重ねて上下に揺らし、俺もそれに合わせてほんの少し上下に動かした。
 こうやって、俺達は握手で挨拶を終えたのだ。
「プリントを配ります」
 先生が何か言ったようだが、俺は耳に入れていなかった。
「お前はなんて名前なんだ?」
 俺はホムンクルスに尋ねると、
「ありません。これから旦那様に名付けて頂きます。あちらから配られる用紙に書かれて‥…」
「いや、俺は君の名付け親なんかになりたくない。自分で決めて欲しい」
 そう言うと、ホムンクルスは困り顔をする。
「私には分かりません。言葉使いとひらがな、足し算引き算掛け算割り算くらいしか出来ないのです。名前を考えるなど、とても難しいです」
「それでも決めて欲しいんだ。無理じゃないだろ?」
「……はい」
 ホムンクルスは逆らおうとはしなかった。言われた通り自分の名前を苦しそうに考えて、少し汗をかく。
 前の方からプリントが届く頃になると、ホムンクルスは閃いたようだった。
「ミーザです」
「え?」
「私はミーザと呼ばれたい。ですので、名前はミーザがいいです」
 意外な答えだったもので、俺は少し呆気にとられた。
 人造人間のことをミーザと呼んできた俺にとって、それがこのホムンクルスの名前に替わることは混乱を招く。恐らく頭の中でミーザと呼ぶものは人造人間と置き換えなければならないだろう。
 正直ホムンクルスをミーザという名前にするのに抵抗があった。
 しかし、それが望みならば、俺は嬉しくもあるのだ。
「ミーザか。分かったよ、ミーザ」
 俺はこれからこのホムンクルスをミーザと呼ばなければならない。嫌ではない、ただ、ミーザは人造人間の呼称なのである。
 ……ミーザは特に嬉しそうでも悲しそうでもなかった。名前が決まった程度しか思っていないような目をしている。
 ミーザにとっては名前はどうでもいいものなのかもしれない。
「君達のホムンクルスにはまだ名前が付けられていません。明日、君達が名付けたものを登録するので、ホムンクルスに名前を付けるのを宿題にします」
 先生がそう言うが、俺達は既に解決している。
 先生は次に配ったプリントを見て、何やら説明を始めた。
「ホムンクルスの扱い方を載せたプリントを配りました。ホムンクルスは人と同じものが食べられますが、食堂に専用の食べ物もあります。排便排尿は一般のトイレの場合中へ落ちてしまう危険があり、第一ホムンクルスには排便を流すことが困難なので専用のマットが購買で売られています。入浴する時に洗ってあげる場合には優しくすること、自分で洗わせる場合にはきちんと教えてあげてください。そして、君達に渡されたホムンクルスは君達とは逆の性別です。これは君達が異性に対して苦手意識を無くすためのもので、君達が異性というものを理解するためのものでもあります。くれぐれも気を付けてください」
 手元に届いたプリントをミーザにも見えるように置いて確認すると、確かに死なない程度の扱い方は書かれていた。
 俺は……こんなことをしなければならないのか。『平和部』に入りたいだけなのに。
「『ななななななのないな、ななななななはななとなじなべなをなべることができますが、ななななななななのなべなが』……うう!」
 ミーザが勝手に喋り出すとクラスメートの視線が俺達に向いた。先生も俺を一回見る……が、ミーザに驚いて落としたプリントを拾ってまた何かを話しを続ける。
 俺は周りを見たがミーザのように喋り出すホムンクルスはいなかった。しかも、檻から出しているのは俺だけだ。
 とりあえずミーザに話しかけてみる。
「どうしたんだ、ミーザ」
「この漢字読めません。頭が痛いです」
 ああ、そういうことね。
 俺は筆箱からシャーペンを取り出し、プリントに書かれているひらがな以外の文字に読み仮名を書いていった。
 それをミーザが読んでいく
「『ホムンクルスほむんくるすあつかかたホムンクルスほむんくるす人間にんげんおなものべることができますが、ホムンクルスほむんくるす専用せんようものがあります』ですか、そういうのがあるのですね」
 ミーザはほうほうと頷くと、また別のを読もうとする。俺はまた読み仮名を書き、先生の話は無視したのだった。
 気付けばプリントの全てのカタカナ、漢字、数字にはひらがなが付け足されており、一時間目は終わってしまっていた。


 ミーザは自分の管理方法であるホムンクルスの扱い方を面白そうに読んでおり、俺はプリントに書かれていることをミーザにはしないでおこうと考えていた。
「それ、なんか凄いね」
 前の席にいたクラスメートの男子が近付いてきて、俺に話しかけてきた。
 顔を確認してみると、そいつは人間のようで、逞しさが見るだけで伝わる正義感の強そうな少年である。
「お前は……確か、角馬かどうまだったか?」
「お、当たりだよ」
 俺が名前を当ててしまったことに意外そうな顔をする。
「僕は角馬まもる。君は古代君だよね?」
「ああ。古代嗣虎だ」
 奇妙な出会いがあるもので、俺と角馬は目を合わせるだけで、こいつは良い仲間になれるという直感めいた確信があった。
 角馬は無遠慮にミーザの肩に触れ、自分という存在を認識させる。
「こ、こんにちは……」
「うん、こんにちは」
 ミーザは狼狽えた。何をされるのやら分からないのだろう、警戒し始めている。
 俺は顔を少し歪め、角馬の手を払う。
「おい、猫じゃないんだ。レディに気安くさわるなんて軽率だぞ」
「ごめんよ。そこまで大切にしてるとは思わなかった」
 角馬はまたしても意外そうな顔をした。俺は一応謝られたので、これ以上責める気はない。
 彼は手に持っていた檻を俺の机に置いた。
「僕は古代君と仲良くしたいんだけどね、ホムンクルス同士も仲良く出来たら良いと思ったんだよ。だから、ちょっと良いかな?」
「お前の善意を信じる。やったらどうだ」
 俺が許可を出すと、角馬は中のホムンクルスを外へ取り出した。
「お、おい! 女の子に乱暴はするな!」
「え、あ……なんのこと?」
 角馬は驚いた。手に持つホムンクルスを宙に上げたまま、馬鹿みたいな顔をしている。
 しかし角馬のホムンクルスの表情は無表情だった。別に驚いてもいなければ、嫌がってもいない。
 俺は不思議に思い、試しにミーザを片手で持ち上げてみる。
「き、きゃああああああああ!」
「わわ! ごめんごめん!」
 ミーザは人間らしく叫んだ。それはもう大きな悲鳴だ。すぐにミーザの足を机に着けて謝罪する。
 ミーザは俺の顔を見上げ、乱れた前髪を整えて言った。
「勝手に持ち上げるなんて酷いではないですか! 旦那様は反省してください!」
「あ、ああ、以後気を付ける」
 それでミーザの怒りは収まり、俺は一息つくことができる。
 そのやり取りを見ていた角馬は引き続き馬鹿みたいな顔のまま、自分のホムンクルスを机に置いた。
「……やっぱり凄いね、そのホムンクルス」
「何が凄いんだ」
「僕のホムンクルスとは大違いだ」
 どうやら角馬のホムンクルスは勝手に持ち上げても怒らないらしい。俺のミーザのように何かをする訳でなく、挨拶もしてこない。
 角馬は頭を掻きながら自分のホムンクルスのことを話し始めた。
「いやさ、僕のホムンクルスは先生に言われて出した時に『よろしくお願いします』とは言ったんだけど、」
「俺は『これからよろしくお願いします』と言われたけれどな」
「やっぱ違うねぇ」
 俺のことを無視しないのか。
「で、言ったんだけどね、それっきりなんだ。何の感情も表してくれなくて、これからどう扱えばいいのかと悩むんだけど、もしかしたら君のホムンクルスなら何とかなるんじゃないかなと思ったんだ」
「こいつがか?」
「うん。君のホムンクルスは可愛げがあるからね」
 ……ふぅん、ミーザって凄いホムンクルスなんだなぁ。
 そうしてミーザの前に置かれた角馬のホムンクルス。ミーザはそれを見て、正座をした。
 すると角馬のホムンクルスも正座をし、ミーザを真正面に見る。
 これからどうなるのか、俺も角馬も分からない。
「私はこちらの険しい目つきが特徴な旦那様に仕えています。名前はミーザと言います」
 険しい目つきって……、多分、ミーザを見守ってるからだろうなぁ。
 対して角馬のホムンクルスも喋り出す。
「私はこの『人間』のホムンクルス。名前はない」
 決定的だった。俺のホムンクルスの方が角馬のより何百倍も可愛げがある。
 角馬は、ははは、と苦笑いをした。
「旦那様、私は何を致せばよろしいのでしょうか?」
 困り顔のミーザが俺を見上げる。確かにこのホムンクルスに対して何をすれば良いのか分からない。俺の場合、ミーザに対して特に変なことはしなかったが……。
「そうだなぁ。何か面白い話でもすれば良いんじゃないか?」
 すると、ミーザは頷き、角馬のホムンクルスとの間を少し縮めて話し掛けた。
「ナナシさん、問題を出します」
「はい。私は応答できる状態にある」
「よろしいですか」
「問題ない」
「一+一を=にしてください」
「答えは三」
「違います。=二です」
「問題の追加を要求」
「承諾しました。問題を制作中です」
「了解」
「完成しました。よろしいですか」
「問題ない」
「四〇×一五を=にしてください」
「演算中」
「制限時間を一〇秒にします。よろしいですか」
「……支障あり、一〇秒の追加を要求」
「承諾できません。時間になりました」
「回答拒否」
「承諾できません。回答してください」
「答えは六五」
「違います。=六〇〇です」
「問題の追加を要求」
「拒否します。そちらの問題を要求します」
「了解。問題の制作に移る」
「わかりました」
「……提案、一時間の期間の要求」
「承諾できません。制限時間を一〇秒にします」
「……演算中」
「時間です。問題の提示を要求します」
「提示を拒否」
「承諾できません」
「問題、角馬守は道徳を持っているか」
「答えは、持っていません」
「正解」
「──ちょっと待って……」
 角馬はミーザとナナシとの愉快なやり取りを中断し、ナナシを手に持って檻に入れる。
 その時に見たナナシの顔は悲しそうであり、ミーザも悲しそうにナナシを見ていた。
「酷いなぁこれは。ちょっと止めた方がいいね」
「なに言ってんだ。楽しそうだったろ」
「そうかな。僕には機械的過ぎて怖かったよ」
 そう言う間にチャイムは鳴った。
「じゃ、僕は自分の席に戻るから」
「ああ」
 角馬は晴れやかな笑顔でここから去っていき、ミーザはナナシの檻をずっと見ていた。
 隣でそのやり取りを黙って見ていた皐は口を開き、
「あの人、嫌いです」
 俺と同意見のことを言った。



───
 どうやら、今日の授業は全てオリエンテーションみたいらしい。
 またしても教室に入ってきたのはリゴレット先生だった。
 今度は何も持ってきていない。何をするというのか。
 前に一回やったからか、起立、礼のあいさつはなく、先生はそのまま本題に入る。
「自己紹介をし合いましょう。互いのことを知らないクラスメートは、共同行事で支障をきたします。そうですね……名前、好きなもの、入りたい部活、クラスメートに一言って感じでよろしくお願いします」
 そうなってしまうと、決まって一番前の一番右端っこから言わなければならなくなるのが目に見える。
 俺の席は左端っこで後ろから二番目の位置にある席だ。後ろにはさっき説明したとおりフリアエ……じゃなくてアイザが一人座っている。
 恐らく最後に自己紹介をするのは俺達だ。
 そして予想通り一番前の一番右端っこのクラスメートが立ち上がった。
「こんにちは!」
 ミー……人造人間のようだ。金髪の男性である。
「僕の名前はアキレス。好きなものはホムンクルスで、ボランティア部に入りたいです。皆さんとっても可愛くて素敵だな!」
 と、まるで人間味のない理想的なことを言った後、アキレスは席に座った。
「私は……えっと……ガブリエル。私の名前はガブリエル」
 その次に後ろに座る人造人間が自主的に立ち上がった。その人造人間は俺達が教室に入るとき、通行の邪魔をしてしまった青髪の天使みたいな少女である。
「好きなものは平和、入りたい部活は平和部かな? 一応言っとくけど、私はあんまりみんなと仲良く出来る自信はないし、引っ込み思案で喋るの苦手。加えて執念深い性格だからみんなとそりが合わないかもね。それでもいいなら……仲良しになってもいいけど。じゃあ終わるわ」
 恥ずかしいのか、ガブリエルは若干赤くなって席に座った。
 凄く人間らしい人造人間だ、さっきのアキレスとは大違いである。
 俺はガブリエルのことが気になり、関わる機会があればと願う。
「私はゼロ、好きなものは特にありません。平和部へ入部します。私はアルケミーシリーズで、生活が皆様とは少し違いますが、仲良くしてくださると嬉しいです」
 茶髪できりっとした顔立ちをしたクラスメートは、落ち着いたまま自己紹介を終えた。
 アルケミーシリーズ……結構珍しい人造人間だぞ。
 何故ならばアルケミーシリーズというのは、人間を構成するのに必要な細胞を、ほぼ別の細胞を使って出来上がっている『仮人間』だからだ。俺は初めて出会った。
「あー私は沙耶です……。好きなものは食べ物で、苺が好きかな。入りたい部活は放送部です。あのー、多分ミーザの皆さんは、」
「私のことですか!?」
「そうじゃない」
 彼女が話している最中『ミーザ』というワードに反応をするミーザ。俺はミーザの名前を認めなかったら良かったと後悔した。
「えっと、皆さんは凄いミーザですよね。多分エンジェルシリーズとかヒーローシリーズとか、さっきのゼロさんみたいなアルケミーシリーズとか。……でも私、ただのシャドウシリーズなんです。そんな私でも、よろしければ皆さんの仲間に入れてください。以上、です……」
 沙耶は顔を青ざめながら言い切ると、ぎこちなく着席した。
 シャドウシリーズとは、普通に造られた、人間とほぼ変わらない人造人間のことである。人の影、という感じだろうか。
「オレはウルカヌス。好きなものはジュース。戦うのはだるいから園芸部に入るよ。俺は個人で造られたミーザだからなんのシリーズにもなってねぇが、よろしくな!」
 ……いちいち首曲げるのきつくて耳だけ傾けている。どうやら一番後ろまで終わったようで、また一列ずれて前から自己紹介だ。
「わ、私の名前は柳花音かのんです。好きなものは読書で、文芸部に入りたいです。こ、ここれからよろしくお願いします……」
 アニメ声のような声だ。何か鍛えていたりするのかもしれない。
「ハッ! 俺様は浅野ルキフェル! 好きなものは悲鳴で、平和部への入部を所望する! 聞こえているだろう古代とやら! お前は今度こそ逃がさねぇ……くっくっく」
 俺のことかと見てると、青髪の天使ガブリエルの隣の人間? が笑っていた。髪が金と紫が混ざって凄い。
「僕の名前は阿部達也。好きなものは花音さんと同じく読書。平和部へ入部する予定です。前の学校ではかたっくるしいと言われてましたが、そんな僕でも良ければよろしくお願いします」
 自己紹介長いなぁ。
「二葉一乃いちのと言います。好きなものは笑顔、入りたい部活は特にありません。これから一年間、よろしくお願いします!」
「佐藤蓮司れんじ、好きなものはサッカー。俺はウルカヌスと平和部へ入ります。ウルカヌスは問題児だが仲良くしてくれ」
「お、おいおい!」
 ウルカヌスは驚いているようだが、蓮司とやらは耳を貸す気はないようだ。
 これでまた一列ずれる。
「私の名前はワールド。好きなものは猫、入部は平和部にします。皆さん、私を怖がらないでくださいね」
 そう言うのは、小笠原の人造人間の、やけに背丈の高い男性のクラスメートだった。
 確かに背が高いとどうしてか怖がってしまうよな。
「名前は──」
「ところで旦那様」
 他のクラスメートが自己紹介をしているなか、ミーザが俺に話しかけてきた。
 俺はクラスメートを無視してミーザに付き合う。
「どうした?」
「旦那様が何という名前なのか知りません。私は自己紹介を要求します」
 そう言われれば俺の名前を教えてなかったな。困ったものだ、まさか予定よりも早く言わなければならないとは。
 俺はだらけた姿勢を正し、真面目に自己紹介をする。
「俺の名前は古代嗣虎。好きなものはエロと友情。入りたい部活は平和部だ。これからミーザとはパートナーとして接したいから、よろしくしてくれ」
「わかりました。旦那様は私のパートナーです」
 ミーザの可愛い笑顔を見て、内心どきりとして、とりあえず俺の自己紹介は終わりを迎えた。
 これからの話はまた今度。
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