亡国の王女は押しかけ女房になって愛する人と結婚します

今井杏美

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静かな涙

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 時は遡りソーハンが記憶を失ってから一年が経過した頃。



 体の刀傷はすっかり癒え、片目に黒い眼帯を付けた生活にもだいぶ慣れた。
 俺は男爵の仕事として領地の視察に出た時、昔暮らしていた家に寄った。

(この家もなんとかしないといけないな……)

 家の中は蜘蛛の巣が張っていたが、きちんと整っていて壁にはドライフラワーが紐で括り付けられている。
 マリオによると、俺はここで女の子と一緒に暮らしていたと言うが、全く記憶にない。
 だが、ドライフラワーはその女の子が飾ったんだと思うと何故か胸が苦しくなった。

 外に出るとさっきまで明るかった空に灰色の雲が広がり、辺りが薄暗くなっていた。

 一雨来るなと思ってマリオに帰ることを告げると、急な突風が吹いて雨が降ってきた。

 キャーキャー言いながら急いで家へと帰る村の子どもたち。
 大人たちは牛や馬を小屋に移動させ、干していた洗濯物を急いでしまいこんでいる。

 
 マントを羽織って馬に跨ると、一人の女の子が馬の前で滑って転んだ。
 他の子どもたちは地面を叩きつける雨音と風の音で気付かないのかその子を置いてさっさと走って行く。

 服にべったりと泥をつけて泣く女の子が見るからに哀れで、馬から降りて手を差し伸べると、雷鳴と共に稲光がして辺り一面が白くなった。

 その瞬間、ある光景が目の前に鮮明に浮かび上がる。
 俺は息を呑んだ。

 大木の下で一人打ち震えている小さな女の子。 

 それを機に失くしていた記憶がチカチカと断片的に蘇り、次第にパズルのピースを埋めていくかのように繋がっていく。

(ソフィア!!!!)

 春の嵐が吹きすさぶ日、全ての記憶が完全に戻った瞬間だった。



 邸に戻って迎えに行く用意をする中、俺は引き出しの中を漁った。
 そこには封を開けていないソフィアからの手紙が八通、無造作に入れられている。
 記憶にない女性からの手紙だから読む気がしなかったのだ。
 
 急いで封を開けると、今はランシアではなくティリティアの王宮にいると書いてあった。
 ランシアに行くつもりだったから読んでよかった。

 一番最近届いた手紙には、ティリティアの王女として孤児院への訪問、チャリティ、貧しい民への炊き出し、国王の仕事の手伝いなど色々やることがあってなかなか会いに行く時間が取れないと書いてある。

 俺が迎えに行かない事の不平不満は書いておらず、自分から俺の所に来ようとしていた。
 彼女らしい。
 だがどれだけ不安の中この手紙を書いたのだろうか。
 以前のように俺に捨てられたと思っているかもしれない。

 それを思うと、いますぐ飛んで行って抱きしめ、安心させてやりたいという思いが溢れる。

 最後に届いた手紙の日付を見ると約半年前だった。

 そこで俺ははたと立ち止まった。
 手紙が届かなくなってから半年以上も経っている。
 その間、音沙汰がないという事は俺の事をもう諦めた?

 彼女に限ってそんなことはないと思いながらも汗が出てくる。 
 
 アーロンでなくても若い貴族とたくさん接する機会があるだろう。
 そして彼女に相応しい男と出会って俺の事を忘れて……。

 迎えにも来ないし手紙の返事も出さない男などとっくに愛想を尽かしたのかもしれない。

 そうだ……。
 ソフィアは本当にいるべき場所に戻った。ただそれだけのこと。
 彼女との生活は愚かな俺の幻想だったんだ。

 体から力が抜けていき、俺は椅子に座り込んだ。

 自虐的な笑いが込み上げてくる。
 記憶を失っている間は、自分の感情に妙な違和感を抱きながらも多くの女と遊んだ。
 記憶が無かったとはいえ裏切ったことに変わりはなく、激しい自己嫌悪に陥った。
 こんな俺のような汚れきった男が彼女を迎えに行くなど図々しいにもほどがある。
 
 何を勘違いしていたんだ。

 それでも彼女と最後に過ごした日々、約束、彼女の馬車から手を振る姿が思い出されて俺は静かに泣いた。


※※※

 ソフィアの事を考えながらも領主としての覚えなければいけない仕事に忙殺され、それからあっという間に半年が経った。

「旦那様、今日の報告書です」

 そう言って執事が報告書を手渡した。
 この執事はエクシオ侯爵家から派遣され、男爵家の使用人や日常生活における様々な管理、給与の支払い等を行い、俺の領主としての教育も任されている。

「それにしても、そんな風に呼ばれるのは未だに慣れない」
「慣れてください」

 隣の机に座る侍従となったマリオが冗談めかして言った。

「では“お頭”の方がよろしいですか」
「ははは」


 机の後ろの大きな窓越しに外を見た。
 庭の樹木は強風に煽られ、窓には大きな雨粒が打ち付ける。
 まるでソフィアを迎えにに行きたいが、行けずに葛藤し苦しむ自分の心の中を反映しているようだ。

 こんな日は、ソフィアは俺と一緒じゃないと眠れなかったことを思い出す。
 しかしもうお化けのような風の音が室内に聞こえることは無い。


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