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4 春分の日の夜会

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 乳母のリリーはエメリアが摘んだ薬草を煎じて飲んですっかり体調を回復した。
 ただいつもなら煎じるのもエメリアがやるのにそれをメイドに任せたためリリーもメイドもちょっとびっくりした。
 もうすぐ結婚して伯爵家を出るからそういうことから徐々に手を引いていこうとしているのかと好意的に解釈するも、お嬢様らしくないと少し淋しい気もしている。


「お嬢様、今日は春分の日ですよ。もう森へ行く準備をなさいますか」

 エメリアの髪をとかしながらリリーが聞いてきた。
 ベニアは何故春分の日だからと魔女の森に行かなければならないのか分からなかったができるだけ行きたくないから答えは一つしかない。

「今日は行かないわ」
「まぁ。珍しいこともあるものですね。空からキャンディーでもふってくるんじゃないでしょうか」

 ベニアはエメリアをよく知っている人たちばかりの伯爵家からもうすぐ結婚してとっとと出て行けると分かった時は本当に安堵した。
 特に現在四十三歳になる乳母のリリーはエメリアが赤ん坊の頃から世話をしている。
 そのため父親のランス・リトランド伯爵よりエメリアに詳しそうなこの乳母から早く離れたかった。



 朝食の席はリトランド伯爵と一緒だ。
 大きなテーブルの斜め横には伯爵が座っている。

「エメリア、今夜は夜会に出席するらしいが珍しいな」
「そうですか?」
「そういうのはできるだけ避けていただろう?」
「え、ああ、独身最後の夜会なので記念にと思って」
「そうか、楽しんできなさい」

 ベニアは人間の夜会というものに一度でいいから出席してみたくて今日の日を楽しみにしていた。
 そしてエスコートはもちろんアンドレだ。
 アンドレは友人から首都で開かれる別の夜会に招待されていたが、エメリアが珍しくこの夜会に出席するとわかったので、そっちは断りエメリアのエスコートをすることにしたのだ。

 ベニアはこの日入れ替わってから初めてアンドレに会う。
 漸くアンドレに会えるベニアの心は浮き立っている。

 リトランド伯爵はアンドレと同じく黒髪で青い瞳をしており若若しく昔から美貌の伯爵として有名だった。
 まだまだ現役の感はあるが伯爵夫人がエメリアを産んですぐに亡くなってからは再婚していない。

(リトランド伯爵がこんなに近くにいるなんて夢みたいだけど、昔ほどの気持ちは湧き起ってこない。二十年前の私には想像もできなかったことだわ。感情って不思議ね。何もしなくても時間と共に変わっていく。あんなに愛していたのに)

 ベニアは実は四十歳だ。老化防止の魔法を使っているからずっと二十歳の見た目でいられる。
 だからベニアの体は中身がエメリアだとしても老化しない。
 ベニアはエメリアの体に入ったことで老化を余儀なくされるがそれでもアンドレと共に年を取って行けるのならそれでよかった。

 そんなベニアは二十年前、妹のエルシーの恋人だったリトランド伯爵を愛してしまった。だからエルシーがついにリトランド伯爵と結婚するとなった時、ベニアはリトランド伯爵を騙してエルシーと別れさせることに成功した。
 だがここで想定外の事が起こった。
 エルシーが絶望して自死してしまったのだ。
 ベニアはまさかそんなことをするとは思いもよらず激しいショックを受けたがそれでもリトランド伯爵のことを諦めることはできなかった。
 しかしすぐに母親の大魔女に自分のしたことがばれてしまい怒った大魔女に呪いをかけられた。

 だがもうベニアは呪いから逃れることができたのだ。自分の体は捨てることになったがそれは仕方のないことだと割り切っている。
 入れ替わりの魔法が使えるようになったのだから活用しない手は無い。


 魔女には日常生活に使えるような簡単な魔法の他に、体内の魔力量によって使える魔法と使えない魔法がある。
 魔力量は年と共に増えていき、老化防止の魔法が使えるようになるのは生後二十年程の魔力量になってからだ。
 そして四十歳になって初めて体を入れ替える魔法を使えるまでの魔力量に達する。

 ベニアは入れ替わったタイミングの良さに自分の運の良さを実感し心の中でほくそ笑んでいる。

(フフ……本当についている。まるで神様が味方してくれているみたい。伯爵、あなたの娘はもう戻ってくることはないけれど私だって結婚して出て行くのだから同じ事よね)

 機嫌よく朝食をとるベニアを見る伯爵の目にエメリアを疑う所は微塵も無い。
 そんなにおしゃべりではないリトランド伯爵との食事はストレスなくほのぼのと穏やかに過ぎて行った。


 夜になってアンドレが迎えに来るとエメリアは二階の部屋から走り出てアンドレを迎えた。

(ああ、やっぱりなんて素敵な人かしら! この日をどれだけ待ったことか!)

 ベニアはエメリアの持っているドレスの中から一番大人っぽいドレスを選んで着た。
 胸元の開いたパッションピンクのタイトなドレスで体の線に沿ってマーメイドラインになっておりとてもセクシーだ。
 そういうのがベニアの好みでもある。
 ベニアは長年森の中で外界から遮断されて暮らしていたので自分の美しさを披露したくて仕方なかった。
 その姿はベニアではなくエメリアであるにもかかわらず。

「とても大人っぽくてセクシーなドレスだね。よく似合っているよ」
「ありがとう。アンドレもとても素敵よ」
「でもちょっと露出しすぎじゃないか?」
「そういうドレスだもの」
「羽織るものは無いのか? あ、リリー、このドレスに合う羽織るものを何かもってきてくれないか」
「用意しておりますのでお持ちしますね」

 側にいたリリーはアンドレに言われて待ってましたとばかりに取りに行った。
 リリーはこのドレスとセットになっているケープを用意していたがエメリアがいらないと言ったのだ。

 アンドレは照れている風でもなく困った顔をして大きく開いた胸元を凝視している。

 リリーが戻ってきてケープを羽織らせた。

「大人っぽくて素敵だけど、まだ寒いからケープは必要だと思うよ。風邪を引かないようにしないと」

 アンドレがそう言うとリリーがこれは亡き伯爵夫人のドレスだと言った。
 だからエメリアの好みとは少し違うのだ。
 しかしベニアの好みとは一致していたらしい。

 ケープを羽織ったベニアは、アンドレはこういうドレスは好きではないのかと思ってがっかりした。


 今夜の夜会はリトランド伯爵の友人の伯爵家が催す夜会で堅苦しいものではない。自由に踊ったりゲームに興じたり会話するのが目的だ。

 会場に着くと滅多にこういう場に参加しないエメリアに貴族たちは興味津々だ。
 特に男性がそわそわしているのがベニアにはわかって気分がいい。
 一方アンドレは気分が悪い。
 令嬢たちから熱い視線を送られていてもアンドレは他の女性など眼中にない。
 アンドレの視線はエメリアから外れることはなく、この場からエメリアを早く脱出させなければと通りがかったボーイからワインと果実水を取るとそのままエメリアをバルコニーに誘導した。

 外はヒンヤリとして肌寒い。

「ケープを羽織ってきて良かっただろう?」
「ここに連れてきたかったのね?」

 アンドレとエメリアは向き合って軽く体を近づけて微笑み合っている。
 やっと二人きりになれたと安心したアンドレはワインを飲み干し一服するとグラスを手すりに置いてエメリアを抱きしめて言った。

「エメリア、このドレスはもう着ない方がいい」
「どうして?」
「胸元が開きすぎているし体の線もはっきりわかってしまう」
「いいじゃない」
「だめだ。男たちがどんな目で見ているかと思うとはらわたが煮えくり返るよ」
「……」

 ベニアはアンドレはこういうドレスが嫌いなのではなくてただの嫉妬からくるものだと分かって安心した。
 これなら結婚したら自分の好みのドレスを徐々に買い足していっても嫌われることはなくむしろ喜ばれるのではないかと思った。

「あなたの前でならいいのね」

 思わしげに上目づかいで言うとアンドレは少しためらいつつも頬を赤くして軽く二回頷いた。

(きっとアンドレは子どもっぽいエメリアに満足していなかったんだわ。せっかく美しい身体をしているのに活かしてなかったなんてもったいない)

 会場の中は人々の笑い声や話し声で溢れているのにこのバルコニーだけ違う空間であるかのように静かだ。
 ベニアはじっとアンドレを見つめ続けた。
 なんだかとても口づけしたい気がしてきたのだ。

 二人の間に甘い空気が漂い会場内のざわめきが遠のいて行く。世界には今この二人しか存在しない。
 アンドレはエメリアの持つ果実水のグラスを取り自分のグラスの横に置いてゆっくりと顔を近づけ口づけした。
 ベニアがその軽く優しい口づけだけでは満足できずそっと唇を開けるとアンドレは一瞬びっくりした。いつものエメリアではない。
 しかしすぐにエメリアの後頭部を抑え堰を切ったように情熱的な深い口づけに変わり、それは向きを変えながら長く長く続いた。

(エメリアより私の方がアンドレを愛している。私の方がアンドレを幸せにできる)

 甘いワイン味の口づけはベニアにアンドレとの生活がうまくいく自信を与え、ベニアはこの幸せな人生を絶対に守ってみせると誓った。


 
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