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 大魔女はベニアを無視してアンドレに尋ねた。

「それで、時間を巻き戻しますか」
「ちょっと待って、どういうこと? 時間を巻き戻すって何? アンドレ!」
「彼はもうあなたがエメリアではない事を知っているのよ」
「やだ、何を言っているの? 私はエメリアよ! どうしてそんな馬鹿みたいなことをこの女は言っているの? 頭がおかしいのよ! アンドレ、そんなの本気にしてないわよね?」
「往生際が悪い娘ね」

(忌々しい……)

 アンドレとベニアの目が合った。
 ベニアを見下ろすその目はとても冷たく、ベニアの心を打ち砕いた。
 愛している女に向ける目とそうでない女に向ける目はこうも違うものかとベニアは激しい絶望に襲われた。

「あ……どうして……どうしてそんな目で見るの……私は……」

 ガーラントもヨシュアも大魔女には言わないと言っていたのに何故ばれてしまったんだろう、それとも裏切ったんだろうかとベニアは悔しくて仕方がない。
 誰かのせいにせずにはいられず、考えがつい口から出てしまった。

「誰が……」
「はあああ」

 大魔女が大きく息を吐きだし呆れて言った。

「自分でかけた呪いなんだからその呪いが発動すればわかるのよ、ばかね。なのに一年過ぎてもあなたの魂のエネルギーを感じるから変だと思ってガーラントを問い詰めたら白状したの。ヨシュアもね。でもあなたに彼らを恨む権利はないわ」

 ベニアの額からは汗が流れ、手は拳を握りしめている。この状況からどうにか逃れなければいけない。
 ベニアはこの生活を絶対に失いたくないのだ。

 
 そんなベニアの考えが手に取るように分かる大魔女は手元に一枚の羊皮紙を出現させた。

「ここに来る前に魔女の家に寄ってこれを見つけたの」
「!!」

 それはベニアがエメリアと交わした魔法の契約書だ。
 ベニアはこの前魔女の家に行ったときに取って来なかったことを後悔した。

 大魔女はそれを見せつけるようにヒラヒラさせた後、読み上げた。

「エメリアの命を助けた報酬を十年後に貰う。要求した報酬を断った場合愛する者が亡くなることでその報酬とする。……つまりこれは愛する者の命を人質にした断ることができない契約ね。そして十年後の去年、報酬としてエメリアさんに入れ替わることを要求した」
「そんなのだたの脅しじゃないか!」
「こんな契約を子どもとするなんて、全くしょうがない娘ね」
「そんなの知らない! 捏造よ!」

 アンドレはその契約書を奪って目を通すと魔法文字は読めないがサインは読み取ることができた。
 何年も文通していたアンドレにはそれが誰の字かすぐにわかった。

「これは……エメリアの字に間違いない」
「アンドレ! どうしてあなたがそんなこと言うの! 私よりこの女の事を信じるなんて!」
「この期に及んでまだそんな事を言うのか!」

 アンドレの剣幕にベニアは泣き出したが泣きたいのはこっちだとアンドレは叫びたくなる。
 エメリアの体でなければ切って捨てていたところだ。

 すると泣いているベニアの横に立っていた侍女がそわそわしだし、意を決して主人たちの話に入って来た。
 侍女にとってもうこの女性は仕えるべき主人ではなくなっていた。

「あの……ちょっといいでしょうか。実は私、この前の一月に奥様と一緒にその魔女の家に行きました」
「なんだと?」
「知り合いの女性がいるということだったのですがその方は既に埋葬された後の様でした。そしてその女性が具合が悪いのを知っていたと仰っていました」
「お前! よくも!」

 バシッ!
 侍女はベニアに思い切り頬を叩かれ床に倒れ込んだ。

「やめなさい、ベニア。あなた、ごめんなさいね、言ってくれてありがとう」

「……二人とも、下がっていてくれ」

 アンドレにそう言われ、執事は倒れ込んだ侍女を起こして部屋から出て行った。
 その時痛みで頬に手を当てていた侍女が「あれ?」というような仕草をしたのはきっと魔法で痛みが治まったからだろう。
 大魔女が小さく手を動かしたのをアンドレは見ていた。



「何しに行ったのか知らないけどもしかして自分の死体が気になって見に行ったの?」

 侍女の裏切りと自分の失態と全てがばれたことへの怒りと悔しさで涙にぬれた顔はもうグチャグチャだった。
 大魔女の問いにも答える気力が無い。

「ねえベニア、墓碑の板に書かれた文字からそれを書いた人物を読み取ることができたんだけど誰だと思う?」
「……ヨシュアじゃないだろうし……」
「リトランド伯爵よ」
「!」

 ベニアは息を呑み、泣いていた瞳が見開かれた。

「彼はきっと自分の娘とは知らずにそうしたんだろうけど。エルシーの事と言いエメリアさんの事といい、申し訳なさすぎると思わない?」

(伯爵が! じゃあ伯爵は私だと思っても埋葬してくれたの? あの花も私の為に? 私を憎んでいなかったの?)

 ベニアの顔に一瞬喜びの表情が浮かんだことを大魔女が見逃すはずはなく。
 どこまでも自分の事しか考えられない哀れな女ベニア。
 自分の為なら人が死んでも構わないベニア。

 大魔女は半分は呪いをかけた自分のせいでもあると思っていたが、呪いはただベニアの醜さを露呈させる手段でしかなかったのだ。


「アンドレ様、時間を巻き戻す覚悟は決めましたか」
「やめて、いやよ! もうすぐ子どもが生まれるのよ! あなたの子なのよ!」

 アンドレの中では既に答えは決まっている。
 ただ、生まれてくるはずの子どもに対しての言い訳を必死に頭の中でしていた。

 その子に罪は無い。だが死んでしまったエメリアにも罪は無い。
 巻き戻さなかったとしてもこの女とこのまま一緒に暮らすことはできない。
 きっと大魔女がこの女をなんとかするのだろう。
 子どもだけ引き取って離婚してもその子を愛せるだろうか。
 エメリアを騙して殺した女の子どもだ。でも体はエメリアだ。
 このエメリアの子どもと本当のエメリアの子どもは同じ子どもなのだろうか。
 いや、この子はエメリアの子どもではない。


「いいか、ベニア。巻き戻せばお前にとっても一時の猶予が与えられたことになる。巻戻った世界での行動次第で、今私から受けるべき罰を受けずに済むかもしれない」
「……うっ……せっかくここまで来たのに……。いやなの、もう、あの生活は。誰かを愛したい。でも死にたくない。お母様は酷い……」

 ベニアの言葉は誰にも届かない。
 大魔女はなかなか覚悟を決めないアンドレに言った。

「エメリアさんは自分が元の体に戻れると信じて亡くなったんです」
「!」

 子どもへの言い訳でいっぱいだったアンドレの思考がピタリと止まった。
 愛するエメリアを生き返らせるのに何をうじうじと言い訳していたのか。
 なんと愚かな。そんな暇はない。
 
 

「時間を巻き戻してください」
「アンドレ!」

 怒りでアンドレに掴み掛ろうとしたその瞬間ベニアはお腹を抱えて苦しみだした。

 しかしアンドレも大魔女も側に寄ろうとしないでただ遠巻きに見ているだけで。

 一人苦しみ悶えるその姿はあまりにも孤独だ。

(痛い……誰か!)

 さすがにアンドレはこのままにしておくこともできず、また、苦しんでいるのはエメリアの体だと考えると、扉の外で待機していた護衛の騎士たちに命じてベニアを部屋に運ばせそして執事に念のため医師に見せろと命令した。

「や、やめ……て、やめて……」

 連れて行かれる途中苦しみながらもベニアは小さく叫び続けている。
 そのうしろ姿を見ながらアンドレはこれから時間を巻き戻すのだから医者に見せることになんの意味があるのだろうかと苦笑した。


 もうすぐ昼になろうとしている。

 そろそろ話を進めようと大魔女は何事も無かったかのように続けた。

「巻き戻すと多くの人の人生が変わってしまうのは理解できるわよね。さっきも言った通り、少しの選択の違いで未来は大きく変わるの。だからあまり昔には巻き戻すことはしない。ベニアが魔法契約の望みを何にするかはあなたと出会うか出会わないかで決まると思う。だから直近であなたがベニアと会わないでいられる選択ができる時まで巻き戻すわ。もしまた入れ替わってしまったらなんとか頑張って私の元まで来て頂戴ね」

 大魔女はいたずらっぽく笑い、アンドレは頷いた。

「必ずエメリアを助けます。私は未来が変わることに賭けます」




 
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