パパはなんにも分かってない

東川カンナ

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第2.5話 間章

私はなんにも分かってない【雨木はるかの場合】 その4






「あの、今日は本当にわざわざ済みません。有難うございます」
 居酒屋の席について、適当に頼んだ料理と最初の一杯のビールを前に、まずは頭を下げる。
「いや、上司の仕事のうちだよ。デスクに座ってる間だけじゃ、対応しきれないこともあるしな」
 気負わせないためか、とても気軽な調子で言ってくれる。


 こんなの時間外労働なのに。それにどう考えてもこの場だって奢ってくれるだろうし。


 私がこんなことを頼んだせいで、五条さんはこの後残りのメンバーにも同じことをしなくてはならない。時間とお金と労力を費やして。
 軽はずみだったかな、と今更思っても後の祭りなのだけれど、申し訳ない。


「雨木ももう入社六年目だっけ?」
「はい、そうです」
「そろそろ落ち着いてきて、次が気になる年だよなぁ」


 そう、入社六年目。私もついに二十八。
 所謂ザ・アラサーな訳である。
 将来のことが色々気がかりな年齢だ。仕事はもちろん、結婚とか、子どもとか諸々も。
 五条さんにくらりと来てから、もちろん私に彼氏なんてものは存在していない。一向に結婚の気配を見せない娘に、どうやらそろそろ両親もそわそわしてきたらしい。


 先日、いきなり郵便が届いた。
 中身は――――――――見合い写真だった。


 藪から棒にそんなものを押し付けられて度胆を抜かれたが、そうか、そんな心配されるようになってしまったのかと愕然とした。お見合いについては丁重に丁重に辞退させて頂いたのだけれど、でもその時ハッとしたのだ。



 私、いつまでこのままなの?
 こんな行動にも移さない淡い恋心を抱いたまま、幾つまで生きる気なんだろう?
 さすがに、ヤバくない?


 五条さんが結婚したら諦められるとか思ってたけど、それっていつ? もしかしたらしないかもしれないし、でもしないからって見てるだけの私にチャンスが回ってくるなんてご都合展開もないだろう。


 どこかで、線引きをしないと、と思った。


「六年ってあっという間でしたね。このままぼーっとしてたら、そのまま四十五十になっちゃうんじゃって」
「あー、実際そうだよ。時間の流れが年々早くなる。ビジョンがなけりゃ、そのまま流される。――――まぁオレも大したビジョンがある訳じゃないが」
「そんなこと……」
 全く自信が湧かない。だから、今まで見てるだけだった。五条さんにとって、見た目も中身も平凡な私はそういう対象になりもしない。分かってる。


 でも。


 自分の中で何度も何度も気持ちを突き詰めた時に、でも、このままじゃ諦められない、と思ったのだ。
 何にも行動しないままでは諦められないって。自分に“私は頑張ったでしょ”って言い訳すらできない。


 このままでは、引き摺ってしまう。


 そのことに気付いて、私は決心したのだ。ダメ元だけれど、何かしら行動は取る。これは、自分の心に対するけじめだ。


「その点、雨木はちゃんと考えてるみたいだな」
 そう言われて、頭の中がちゃんと仕事の方へとシフトした。
「あ、はい。その……」
 下心は置いておいて、今日の本題。
「うちの会社、若手に向けた海外研修があるじゃないですか」
新人と呼ばれる時期を過ぎた社員を対象にした、育成プログラムについてだ。
「あの、実は前から興味があって」
「あぁ、アレな」
「チャレンジ、してみたいんです」
 今の仕事に不満がある訳じゃない。メンバーにも恵まれていて、本当にやりやすい。このグループに配属される前にいた部署は仕事の内容の前に人間関係がややこし過ぎて、毎日それだけでへとへとだった。それを思うと、本当にいい部署なのだ。
「あの、今の仕事は仕事ですごくやりがいあるんです。それはそれで本当なんです」
「それは見てれば分かる」
 誤解はされたくないと思って言ったら、五条さんは鷹揚に頷いてくれた。


 あぁ、なにその口許に浮かべられた微笑。カッコいい。


「えっと、その、あの研修、でも大体三十前後の社員がメインターゲットだって聞いてて、そういうことならリミットもあるし、今なら自分も身軽だし、自分としてはここがタイミングなんじゃって思ってて」
 年齢っていうのは、この年になると常に制限を持って追い回してくるものだ。
「確かに今くらいがいい時期かもな」
「あの、私がどれくらいチーム内で戦力になれてるか分かりませんが、人事って複雑だし、一人抜けたら普通に考えて一人要る訳じゃないですか」
 人を融通できないなら、残りの人間でその人間の仕事を負担しなければならない。
「異動って、一方的なものじゃないって分かってるつもりです。互いの部署で上手いこと人を回していかなくちゃいけない。すり合わせがあるものですから」
「まぁな。でもそこら辺を考えるのは管理職の仕事だよ」
「はい…………でもあの、研修に参加するにも選考があるし、それに際して推薦文も必要です。私の一方的な希望なんですが、グループ長としてはいかがでしょうか」


 この環境を手放すのは惜しいとも思う。
 だって五条さんと同じ職場だ。この距離感だ。すごくすごく贅沢な環境だ。
 でも、恋愛だけで生きてる訳じゃない。
 私には大切なこと、必要なこと、憧れていることが他にもある。
 研修には前から興味があった。許されるのなら、タイミングとしては今がベストだと思ってる。


「海外、大変だとは思うが」
 少し考えてから、五条さんは言った。
「まぁでも、反対はしない。まずは選考に通る必要があるが、そうやって自分の進む先をちゃんと考えてるのはすごいなって思うよ」
「…………!」
 頭ごなしに否定されるようなことはないって思ってたけど、そういう風に言ってもらえて、心底ホッとした。嬉しかった。
「まぁでも、来年だなぁ」
 ビールを飲みながら、五条さんが言う。ただビールを飲んでるだけなのに、それだけのことがものすごくカッコよく見える。そこらの会社員と違って、オッサンくささみたいなのが全然ない。
「今からだと今年は多分間に合わない。中途半端な準備じゃ、選考漏れになるだけだ。スケジュール的に雨木も辛いと思うぞ」
 それは分かっていたことだった。逆算すると厳しいだろうなって。
「ですよね」
 挑戦するなら次の年だ。ただ、そのためには早めの根回しが大切で。
「来年で良ければ協力するよ。上にも話を通しておくし、推薦文も書く」
 優しい顔で五条さんが笑った。
「あ、有難うございます」


 やっぱりこの人が好きだ、と思った。


 どうしようもなく好き。
 脈があるとかないとか、関係ない。好き。


「まぁグループが発足してからずっといた雨木が抜けるとなると、ウチ的には損害だけどな」
 自分なんてただの歯車の一つだ、と思う。今この場で仕事をしてる分急に抜けたりしたら迷惑がかかるとは思うけど、代わりの人が来たなら、それはそれで上手く回るようになる。というかそうならなくてはならない。それが会社だ。
「そんな、もったいないお言葉です」
「いやいや、お世辞じゃなくて」
 でも、こういう風によくやってくれてるよと伝えてくれる心遣いが嬉しかった。
「正直自分が通るか不安の方が多いですけど、許して頂けるなら全力を尽くします」
 拳をぎゅっと握ってみせたら、五条さんはさらっと励ましてくれた。


「雨木は度胸があるよ。一つ一つ、乗り越える力を持ってる。そこら辺は心配してない。プレゼンだって大丈夫だっただろ」


 この人は、一つ一つのことに目配りしてくれる。
 沢山の出来事がある中で、自分にまつわる小さなエピソードだって覚えてくれている。


 そう思ったら、胸がきゅっと鳴って仕方がなかった。




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