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第4話 みんななんにも分かってない
みんな分かってない【入籍編】 その15
しおりを挟む「ただいまぁ」
玄関のドアを開ける。
その向こうに続くのは暮らし慣れたマンションの一室だ。あの一人暮らした小さな部屋ではない。
ただいまと投げかければ、
「おかえり」
と返してくれる人がいる。
返してくれたその人は洗面所からひょこりと顔を覗かせた。
もうすぐ十一時を回るというのに、まだスーツ姿だ。もしかしなくても、今帰って来たところなのだろう。
「遅かったんだね」
「うん、今日はちょっとな。……香凛は? 友達にちゃんと話せたか」
「うん」
洗面台の鏡越しに少し心配そうな視線を投げかけられる。今日、会社で仲の良い同期に結婚の報告をするとは事前に告げていた。
「大丈夫だったよ。おめでとうって、今度ちゃんとお祝いするねって言ってもらえた」
「そうか」
「ごはんは? ちゃんと食べた?」
「帰りがけに食べてきた」
「そっか」
お腹が満たされているならそれでいい。
だが、嘆息しながら征哉さんは言う。
「最近外食続きであれだな、ちょっと油ものの摂取が多い気がする」
「え、なに、中性脂肪が気になる感じ?」
手を伸ばしてお腹に触れてみるけど、特段出ているようには感じなかった。
「いや、腹回りも気になるが、胃もたれがな……食べるものは選ぶようにしてるが」
「外で食べるとどうしても野菜少なめになっちゃうもんね」
タンパク質と炭水化物も必要だけど、やはり適量というものがある。
「年だな……ってこら、いつまで触ってるんだ」
「えへ」
さすさすしていたらそう言われたけど、まだ触っていたい気分なので引き続きさすさすさせてもらう。
「胃はともかく、脂肪は今は大丈夫だと思うけどなぁ……でもなぁ、この先は分かんないよねー」
今日せっかくイケオジだとかしゅっとしてるとかちやほやしてもらったとこなので、キープして頂けるなら現状をキープして頂きたい。
いや、別に多少ぽよついても構わないんだけど。
健康に支障がない範囲なら構わないんだけど。
「かーりーん」
相変わらずお触りをやめない私の頬に手を宛て顔を上げさせ、
「さては酔ってるな?」
と征哉さんは覗き込んできた。
少し冷えた手が頬の熱と混ざり合って心地好い。
「酔ってません」
確かに多少お酒は飲んだけど、酔いが回るほどではない。意識も気持ちもしっかりはっきりしている。
いや、うん、幸せには酔ってるかもしれないけど。なんちゃって。
あぁ、長かったなぁ。
頬を滑る指を感じながらそう思う。
あの日、所在がなくて途方に暮れていたら、一人にされるその途方もなさに立ち尽くしていたら、手を差し伸べられて。
それからもう十五年も経ったのだ。十五年前の私は、自分にこんな恵まれた未来があるなんて想像する余裕すらなかった。
目の前の現実と、それに対する自分の無力さでいっぱいで。
お父さん、由紀子お母さん、お母さん。沢山は一緒に過ごせなかった大切な人達がいた。その人達に、伝えられるなら伝えたい。
子ども時代の私はとても幸せだった。
今の私も、変わりなく幸せ。
そしてこれからも私は、この人と幸せになるための努力を惜しまないと。
あと、そうだ。
「ねぇ、パパ」
「?」
わざとそう呼びかけた。
この人は近い将来、正式に私のだんなさんになるけれど。
でも確かに私の育ての親で。とても大切にしてきてもらって。
だから、これは征哉さんにではなく、私の育ての親だった"パパ"への気持ち。
「大好き」
いきなりの言葉に目をぱちくりさせるその人に、私は偽りなく素直に告げる。娘として発言するこんな機会、きっともうそうそうない。
「私が寂しい時、悲しい時、痛くて仕方ない時、いつだって傍にいてくれたこと、戸惑いながらだったかもしれないけど、いつだって手を繋いで私を大切にしてくれたこと、全部全部覚えてるの」
悲しみに寄り添ってくれただけじゃない。
「楽しかったことも沢山あるよ。パパが私に自分と一緒に暮らすかって、そう選択肢を与えてくれたあの日から、数えきれない思い出の中で私がいつも笑ってられたのは、幸せだったのは、パパのおかげだったの」
関係を変える私達。
けれど、それはその根底にあるものを否定する訳じゃない。
「パパは私のお父さんだったよ。自慢の、大好きなパパだった」
不足なんて、至らないところなんてなかったのだ。
後悔してないって分かってるけど、こういう関係になったその要因に自分の父親としての不完全さがあったのではと征哉さんが思っていること、本当は私も知ってる。
でも、違うのだ。そんなことないの。
「私を育ててくれて有難う。本当に本当に、全部全部感謝してる」
「……………………香凛」
えい、と勢いに任せて抱きつく。親愛の情を込めた、娘としての、含みなんてないただ単純な愛情表現。
そうしたら、ぎゅうぎゅうと抱きしめ返された。
ずっとずっとこの腕に守られてきてばっかりだった。
でも、これからは私だって同じ目線で支えていくのだ。
埋めていた胸から顔を上げる。爪先立ちをして、ちょっとだけ距離を縮める。
それだけで、分かってくれる。
「ん」
降ってきたキスはこの上なく甘い。
優しく唇を食まれれば、私はそれに応えて口腔へと情熱的な舌を招く。
絡め取られ、舐られ、吸い上げられる。求められる感覚はいつまで経ってもこの胸をときめかせる。
全部あげたいし、私もほしい。
「んん、っぁ…………」
首筋をゆったりと往復していた大きな手が上がってきて、耳たぶをさすられる。くすぐったいと思ったのは一瞬で、すぐにそれは官能に変換されていく。
激しくはないのに、堪らない刺激。
「香凛」
唇を離された頃には、すっかり息が上がっていた。丁寧だけれど深く深く、くらり、意識がとろけるほどの口付けだった。
余韻にとっぷり浸る私に、征哉さんは言った。
「絶対幸せにする。辛いことが一つもない人生はないが、それでも、足し引きした時に幸せなことの方が多い人生だったって、そう笑ってもらえるように」
それを聞いて、私は小さく笑ってみせる。
「分かってないなぁ」
全然、分かってない。
あなたが、傍にいてくれるだけで。
その心を私に向けて傾けてくれるだけで。
「もう既に幸せなんだよ。とびきり幸せなの」
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