ドラッグジャック

葵田

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14.「アル中の母がいる自宅へ」

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 クリニックを出て、ビルの一階にある調剤薬局へ行くと、ちょうどユイが薬を受け取っていたところだった。入口の扉で待つユキの姿に気づいてユイが外に出て来る。

「ごめん、待った?」
「いや、こっちも今、終わったところだった」
「先生……なんて?」

 ユイが不安そうに尋ねる。

「そんな心配するな。診察内容を確認があっただけだ、薬の変更があったんだってな。次の予約は二週間後だって言ってたな。一人で大丈夫か?」
「うん」

 再び、このまま受診を続けられる了承を得て、安堵した様子でユイは嬉しそうに微笑んだ。
 携帯電話をズボンのポケットから取り出したユキは時計を確認すると、五時を回ろうとしていた。少し考えたのち、「お腹空いたか?」と聞くと、ユイは腹を手に置き、「んー」と空き具合を探る。二人とも、時間的に微妙だった。

「じゃあ……ハンバーガーでも買って帰るか?」
「え?」

 食べて帰るのではなく、持ち帰りにユイは戸惑う。それでは、ユキと一緒に食べれられないからだ。何か言いたがっているユイにユキは、

「母さんの分も買って、三人で食べよう」

 ユイは目を大きく開いて丸くした。もう長い間、ユキは家に帰っていないし、母親と一緒に食事をして過ごすことも滅多になかったからだ。
 会って顔を合わせても、気まずいだけで母親は喜びはしないだろうとユキは分かっていたが、実の親子だ。このまま、いつまでも無関係な訳にはいかない。

「……もしかして、先生から聞いて話したの?」
「あぁ、難しいけど、診てくれるって言うから、頼んだ。でもまだ、本人がどう言うかだけどな。今夜、母さんに話持ちかけてみようと思う。それで、構わないか?」
「私は、構わないよ」

 おそらく、ユイからは何も言い出せないし、母親も聞く耳を持たないだろう。憎まれ役だと分かっていて気が重かったが、ユキから話を切り出す事にした。

「ハンバーガー、母さん、何が好きだったっけ? ビールに合うピザの方が喜びそうだな」
「どっちでもいいよ、お母さん、きっと心では喜んでくれるはずだよ?」

 ハンバーガーの話をしていたのだが、ユイはユキの心中を読んで励ます。けれど、一番に喜んでいるのはユイだろう。久しぶりにユキが帰ってきて、家族揃って食事ができる事に。
 そんな姿に、妹に心細く寂しい思いをさせているのを改めて痛感したユキだった。

「やっぱ、ピザだな。持ち帰りは半額だし」
「そこで決めるんだね」
「節約、節約」

 じゃれ合いながら、二人は帰路に着く。



 数か月ぶりの我が家だった。とは言え、食料を運びに玄関までなら何度も来ていた。
 ユキの背中に隠れるように歩いていたユイは、ひっそり忍び込むよう家の門を通り抜ける。近所の目が気になるのだろうが、何も悪いことはしていないし、離婚した母子家庭など今時珍しくもないだろう。
 それよりも、この家も古びてきたなと、ユキはしげしげと塗装の剥げた外壁などを観察する。小さな庭には雑草が生い茂っていた。

「お姉ちゃん、どしたの?」
「いや、庭の雑草が気になって。塩入れた熱湯かければいいって聞いたけど、うちってやかんあったっけ?」
「そういえば、昔はやかんでお茶沸かしてたけど、今はパックで水出しだもんね。やかん、どこいったかな?」
「水にパックの茶を入れるだけか。便利な時代になったよな」

 まだ半世紀の半分も生きていない二人だったが、しみじみ思う。

「あとで探す?」
「あぁ、そうだな。とりあえず、中入るか」

 家の中もリフォームが必要になってきているのだろうなと、ユキは想像するが、そんな大金はない。女の二人や三人で暮らすなら賃貸の方が良いかもしれないが、そうすれば今度は空き家問題が発生する。
 考え出すとキリがなく頭が痛くなりそうだ。こんな時には、父親という存在を頼りたくなるが、あの男だけは絶対に許せないし、許さない。いずれ、この先に面を合わせなければいけない時が来ても、その気持ちだけは変わることはないだろう。
 ユキは本当に身も心も男だったらと悔しくなる。男ならば、学はなくとも力仕事で家族を養えたのに、と。

「……入らないの?」

 突っ立ってしまっているユキを、ユイが心配そうに覗き込む。やはり家に入りたくないのだと、勘違いさせたようだ。

「あぁ、ワルい。早くご飯にしなきゃな。ピザのチーズが固まっちまう」

 ユイは小さく「ただいま」と言って家に上がったが、ユキは無言のまま上がる。
 台所と居間のある扉を開くと、モアッと立ち込めていた酒の匂いが鼻を突いた。母親と同じく、あの飲んだくれの老人の息にも劣らないほどだ。
 台所の片隅にはゴミ袋に大量の空き缶が詰め込まれていた。もちろん全てビールやチューハイだ。

「資源ゴミの日っていつだ?」
「第三週目の木曜日。……この間、少しは出したんだけど……」

 全部捨てに持ち運ぶのは、さすがに人の目につくと恥ずかしい。どんだけだよ、と思われかねない。それに、捨てる量に対して缶を開ける量が半端なく、追いついていなかった。

「なんか、足でガッシャンガッシャン潰すやつあったよな?」
「あれ、うるさいよ」

 正式名称は空き缶つぶし器といって、そのまんまだ。
 夜遅くに使うのは論外。かといって、昼間でも大量に長時間やっていると、軽く迷惑だ。ユキはあまり気にしないが、ユイは周りに気を使ってしまってやれないだろう。

「分かった。帰りに持ってく」

 河川敷で青空の下、爽快にぶっ潰すとした。アルミ缶は一キロ当たり九0円で売れるので、老人ならば喜んで売りに行くだろう。ユイは「全部? どうするの?」と、どこに捨てるのだろうか首を傾げた。
 ゴミはさておき、台所の隣にある居間に目を向ける。

「母さんは?」
「そこ、ソファで寝てるよ」

 ソファの上にあった毛布の塊が母親だったが、すぐに見つけられなかった。すっぽりとくるまって頭を隠してサナギになっている。
 床の上は散らかっているようでいて、そこがそれの定位置かもしれず、ユキはなるべく物を動かさないように、足を踏み入れた。

「母さん」

 どれくらい呼んでいなかっただろうか。その名を口にした。しかし、返事はない。

「ピザ買って来たから、冷めないうちに食べよ」

 ごく自然に当たり前な日常会話で接する。実際には、もう一年以上、会話を交わしていなかった。

「ユイ、ビール冷えたの、ある?」
「あ、うん」
「これ、さっき買ったのも冷やしといてくれ」

 コンビニで買い足して来たのもキンキンに冷やす。一気に飲みかねなかったが、特別だ。ピザとビールという単語を聞いて、母親がモゾリと身じろぎして、毛布から頭を出した。
 顔を突き合わせるのは久しぶりだったが、二人とも目線だけは合わせなかった。
 目の端で捉えた母親の姿は、最後に見た時よりも一気に老け込んで見えた。目が落ちくぼんで大きなクマができている。ほうれい線のシワもくっきりとある。ユキの母親だ、誰もが褒めるほどの美人だった。が、今はとてもそうとは言い難いほど変わり果てていた。
 目のクマは寝不足からだろうが、きっと寝付けずアルコールの力を借りているのだろう。しかし、それを続けていれば余計に不眠に陥る。

「マルゲリータとシーフードと、ナゲットにアイスもあるよ。って、半額だからって買い過ぎたなぁ」
「それが狙いなんだろね」

 ユイが冷えたビール缶を二本とコーラが入ったコップを一つ持って来ると、ついに母親はテーブルの前まで這い出た。早速、ビール缶のフタをプシュッと開けて、グイッと一気にゴクゴクと飲み干す。
 ここまで、おびき寄せるのにユキは無駄な神経を使って疲弊してしまい、食欲は半減した。しかし、久しぶりに三人で囲むテーブル。少し気まずい雰囲気の中、三人は食事をとる。

「……お姉ちゃん、仕事はまだ、あの駅前のビルの清掃?」

 空気を読みながら、ユイが話題を振る。駅前のビルの清掃とは、もちろん大嘘つきだったが、

「あぁ、うん。なに? 生活費なら心配しなくていい。オレ……姉ちゃんには、メッシーがいるから」
「ネッシー? もう古いよ、それ」

 プッと母親が吹き出した。どちらも死語だったが、母親の世代の言葉らしく、ウケたようだった。
 ユキはその隙を狙って話を切り出した。

「母さん」

 呼びかけには無言だったが、続ける。

「再来週の金曜日、ユイと一緒に心療内科の診察予約取っておいたから」

 ピタリと母親のビールを持つ手が止まる。

「……なんでよ?」

 と、初めて口を開いた。その声はかすれて低音で、不快感が込められたものだった。が、ユイがあまり動じていないところからして、普段の口調と態度が窺えた。

「その、酒を飲むのをやめろとか、母さん自身を責めてるワケじゃないよ。ただ、体は壊さないでほしいから。ユイも心配してるから」

 体だけでなく、心はもうすでに壊れかけている。

「…………」
「あ、心療内科でも血液検査やってるらしいから、一度、肝機能とか調べてもらうと安心だよ。自治体の健康診断とか行ってないんだよね? あと、眠れてなさそうだから、ついでに眠剤も言ったら出してもらえると思うよ」

 言葉を慎重に選びながら、もっともらしい理由を並び立てた。酒と睡眠薬は危険だったが、今は説得ができればいい。

「…………」

 始終、何も言わなかったが、ビールを一気にあおって喉に流し込むと、ソファへ戻ると、再びでサナギになった。話に逃げたように見せかけて、頭の中では何かしら考えているようだった。

「まぁ、一度行ってみなよ。嫌なら、予約もそのまま、すっぽかしでいいから」

 診察に穴が空く事くらい、赤樫あかがしも計算ずくだろう。それほど混んでいるクリニックではないが、予約キャンセルが入ると待合室で待っていた患者にとってはラッキーだ。
 勝手な行動に逆ギレされる覚悟もしていたが、その心配はなさそうだった。しかし、これ以上は下手に触れるのを止める。不安そうな顔で見てくるユイにコクリと頷き、大丈夫だというとサインを送った。
ユキはナゲットを一つ、口に頬張ると、立ち上がる。

「もう、行くの?」

 泊まってはくれないだろうと分かってはいたユイだったが、引き止めるように聞く。

「あぁ」
「ネッシーのところ?」
「そ、」

 普段、どこで寝泊まりしているのか、ユキはユイにハッキリと伝えていない。ユイもユキの年齢にもなると、本当にメッシーなる恋人でもいるのだろうと察して、無理に聞き出さなかった。

「カギ、閉めろよ」と玄関を出ると、カチャリという施錠の音と、ガチャというドアノブを回して確認する音に、

「よし、じゃあまたな」
「おやすみなさい」と、中からユイの挨拶を耳に聞くと、ユキは夜道を歩き出した。
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