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その依頼者、無謀にすぎる

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「あっ……遊びなどではない」

 真横からちらりと向けられたシルヴァの視線を避けるように、わずかに顔を逸らす。

「……わたしは、迷宮に降りねばならない。
 そう決まったことなのだ」

 自分に言い聞かせるようにうなずいている。
 イシュアの口調には何故か、どこか煮え切らない感情がにじみ出ていた。

 ギヨームは、冷めてしまったお茶のお代わりを注ぎ、そっとイシュアの前に差し出す。

「何やら退っ引きならない事情がおありの様子ですな。
 そうだとしても迷宮は危険な場所に変わりはありません。
 比較的安全といわれる地下第一階層でも、命を落とすものは皆無ではないのですよ。
 ご身分のあるお方が御自ら降りるのは、おやめになったほうが良いと思うのですがねえ……」

「なにかお目当ての宝物でもあるのかしら?」
「それにしても家臣を遣わすのが普通でしょう。
 お供の皆さんは賛成していらっしゃるのですか?」

 イシュアは今度こそ本当にうつむいた。
 横顔には、苦い困惑が貼り付いている。

「……供は……おらぬ。
 迷宮に降りるのは、わたし一人だ」

「は? いやちょっと待……」

 それまで風変わりな依頼者を面白がってながめていたシルヴァだが、ぎょっとして腰を浮かせた。
 アリエッタも机に身を乗り出して叫ぶ。

「ちょっと王子様! あなたまさか単独で迷宮に降りるつもりなの? 無茶よ!」

 あまりの剣幕に、イシュアは椅子ごと後ずさった。

 アリエッタの横から、ギヨームもそっと口を挟む。
「あなたの信頼するご家臣がどのようにおっしゃったのかは存じませんが、わたしたち『黄金の鈴』は、依頼者が迷宮で遭難したときはじめて救助に向かいます。
 いわば『保険』でしかないのですよ。
 騎士や魔導士のお供がおられぬなら、まずはギルドであなたとパーティーを組んでくれるものを雇いなさいませ。
 目的の階層にもよりますが、相応の金を積めば相応のものを紹介してくれるはずです。
 パーティーを構成するだけの人数を雇うなら金貨一枚とはいかぬでしょうが……命に代えられるものではありません」

 穏やかな進言の中に、未だ年若い王子を気遣う想いがこもっている。

 だが、そんな優しい言葉も、イシュアにとっては何の足しにもならなかった。

「…………雇う金がない」
「でもあなた王子様なのでしょう? 
 もしかして道中で盗賊にでも出くわしたの?
 まさかお供もそれで……」

 イシュアは口の端を歪めて、溜息とともに諦めの言葉を吐き出した。

「……そのようなものは、はじめからない。
 金も、家臣も……」
「……どういうこと?」

 埃にまみれてあちこちにほころびのある服は、高貴な身分を隠すためのものではなく、誰にも頼らずたった一人でルドマンから旅をしてきた証だったのか。

「……そなたらに話すことではない。
 話しても、仕方がない……」

 アリエッタの真っ直ぐな視線から身をよじるように目を逸らすと、そのままイシュアは立ち上がった。

「……邪魔をした」
「ちょっと! 契約はいいの?」
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