モリウサギ

高村渚

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第六章 勝利の朝

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 街にクリスマスソングがあふれる季節。通りに建ち並ぶお洒落なショップにはツリーやリースがディスプレイされ、クリスマス気分を盛り上げている。
 正午の日差しは暖かく、のんびりと街歩き楽しむには絶好の日和だった。
 このショップを訪れた男女の客も、そんな十二月のひとときを楽しんでいるように見えた。
 あくまで表面上は。
「うん、紗矢さんならこっちの色のほうが似合うよ、可愛い」
 試着室から出てきた紗矢歌さやかに、尚毅なおきがにっと歯を見せて笑いかけた。
「これ着ていきなよ、すげえイケてるから、寛嗣ひろつぐさんも喜ぶんじゃない?」
「あのひと新しいドレスだって気付くかな? 髪切っても言うまで気付かないひとが」
「えーこれは気付くでしょ? 気付かなくても褒めるでしょ? ねえ」
 ショップのスタッフに、笑顔で同意を求める。
 穏やかで優しくも、女心には鈍感な年長の親戚と、仲むつまじくも、彼の鈍感さにはちょっぴり不満なその妻。二人の仲を取り持とうと、かいがいしく世話を焼く青年。
 上得意である彼らの家族関係をよく知ったスタッフは、毎度繰り返されるやり取りを、微笑ましく見守っていた。
 会計を待っている尚毅のスマホが震える。相手の名が表示された画面をちらりと見ると、傍らの紗矢歌に軽く断って距離をとった。
「遅いんだけど。今どこ?」
 尚毅は処理の成否は聞かない。失敗は許さないからだ。
 予定された時刻より帰着が遅くなり、主人の機嫌がすこぶる悪いことはよく判っているのだろう。電話の向こうの伊武の声は、弱々しくかすれ震えていた。風邪でも引いたのか、たびたび咳こんでもいる。
「……申し訳ありません、やや後処理に手間取りまして。今、都内に入りました」
「そう、ま、いいけど。今夜の『最終上演』の準備が出来てるならそれで」
「はい、手配はすべて整っております」
「じゃ、俺もオフィス戻るし」
 尚毅はやや不機嫌なまま、画面を軽くタップした。
 通話中から、紗矢歌の呼ぶ声が聞こえている。スマホをポケットに滑り込ませ、紗矢歌の方を見遣って笑顔で応えてみせた。
 スタッフにタクシーを呼ばせ、通りへ二人出る。
 荷物をぶら下げた腕と反対の腕に、紗矢歌が軽く触れてきた。
「ねえ、クリスマス、どこか連れてってくれるんでしょ?」
 無邪気で馬鹿な女の色めいた視線を、尚毅は、それと気付かせない冷笑で振り払った。
「う~んどうしようかなあ。ちょっと忙しいんだよね、年末」
 『最終上演』が終わったら、しばらく海外へ出るつもりだ。なんなら当分海外で暮らすのも悪くない。今の季節なら南半球などよさそうだ。尚毅は、海辺のリゾート地の照りつける太陽を思い浮かべた。
 『女優たちの華やかな舞台を熱烈なファンに提供する』この遊戯。
 ゲームシステムはなかなか面白かったが仕方ない、そろそろ潮時だ。
 日本はうるさい蠅がまとわりついて、どうにも不快だ。
 叩き潰すのは訳ないが、いちいち相手をするのも、いい加減面倒になってきていた。


 伊武の声が掠れていたのは、尚毅への恐れでも、裏切ったことへの罪悪感でもなく、実はほぼ九割九分、喋りすぎで声帯が限界だったことによる。
 果てのない尚毅への服従にみ、どこかで終わりを切望していた伊武は、これまでの尚毅の犯罪を洗いざらいぶちまけた。
 片腕ともいえる一番の側近が、全面的に白旗を揚げて取り調べに応じたことで、事件の全貌が一気に明らかになった。
 那臣の推理は、最悪なことにほぼ完全に的中していた。
 父親の河原崎勇毅がその政治家としての人脈を駆使して、歪んだ欲望を持つ男たちを選び、顧客として勧誘する。
 そして息子尚毅が、金にものを言わせて、仲間たちに舞台をしつらえさせ、男たちに提供する。
 『スカウト』と呼ばれる仲間が、ターゲットとなった女性に声をかけ、彼女らの願望を利用して信用させ、自ら被害の現場へ足を運ばせる。
 そして別の仲間が、男たちの欲望に忠実なシチュエーションをしつらえる。
 また別の仲間は、男たちが演目に満足して帰った後、舞台を清掃し、女優であったモノを処理する……。
 自分たちの活動を妨害する『ライバル』、警察の行動は、『会長』河原崎勇毅が押さえてくれる。
 これが、河原崎親子が作り上げた、悪魔の遊戯のシステムだった。
 今までに犠牲となった女性は、全部で十六人。
 『オーディション』のリストに上がってきた女性たちは、一人を除いてすべて、すでに帰らぬ人となっていた。
 臨時取り調べ室と化した別荘の応接間で、伊武によって淡々と語られる凄まじい犯罪の全容に、捜査員たちは皆、声を失い、応接間は不気味に静まりかえるばかりだった。
 押っ取り刀で駆けつけた市野瀬が、とりあえず仮の調書をタブレットに打ち込んでいたが、たびたび深く呼吸して自らの精神をなだめているように見えた。
「……で? その『最終上演』とやらが明日の……いや、もう今日か……今日の夜九時から、なんだな?」
 恭士もやや青ざめた表情で問う。
 いつも飄々として本心をあらわにしない恭士ですらも、あまりの凶状に、やや呼吸が荒くなっているようだ。跳ね上がった心拍数が、那臣にも伝わってくる。
 伊武がのろりと首肯した。
 秘書がビジネスの予定表を読み上げるように、さらなる殺人劇場の概要を語りはじめる。
「宮島教授のオーダーは『清楚な少女を誘拐監禁し、長期飼育して繰り返し教育』でした」
「宮島教授? もしかしてあの宮島なのか? 専門家会議常連のご意見番。政権党御用達の教育学者……」
 伊武がうなずく。
 宮島教授といえば、陽気で人懐こいキャラクターで、テレビのクイズバラエティーの解答者として人気があった。
 宮島の妻は現在、国務大臣を務めている。日本初の女性首相候補ともてはやされる豪気な妻とは、おしどり夫婦としても有名だ。
「……あの女を誘拐したのが十一月の二十六日、それから教授は毎日のように通って教育……まあ、折檻と強姦なんですがね。楽しんでいかれましたよ。
 ですが次第に女が弱り、精神状態もおかしくなってきたので、自ら楽にしてやろうと。……慈悲の処分だそうです」
 がん、と市野瀬のタブレットが鈍い音をたてた。怒りに耐えきれなくなったようだ。
 震える両肩に、背後から那臣が両手を置く。
「その怒り、もう少し取っておけ。自分たちはこれからまだ動かなきゃならん」
 静かな声を受けて、市野瀬は深呼吸を繰り返した。
 吹き上げる憤怒を、冷たいとさえ感じる上官に投げかける。
「……参事官は、なんで平気なんですか? ……こんなのを聞かされて……俺は……」
 那臣は、市野瀬が向けてきた恨みがましい目をきちんと受け止めるため、正面に回った。
 再び肩に両の手を置き、力を込める。
「……感情のまま動くのは容易たやすいよ。正義が背中を押してくれていると思う時が、一番危険だ。
 俺はそれで一度失敗した」
「あ……」
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