【R18】傭兵閣下と青い血の乙女

七鳩

文字の大きさ
16 / 23

16.武器商人と盗人と盗人の盗人

しおりを挟む

 酒場では、新しく現れた男たちが、元々いた男たちに縄をかけていく。その忙しい物音に混じって、ジゼルのうめき声が聞こえた。エウリッタはハッと振り返る。

「おお、よかった、生きてた。ジゼル氏―? 聞こえるー?」

 新しく現れた男のひとりが血まみれのジゼルの元に跪いた。ジゼルの顔はジャガイモのようにぼこぼこと変形していた。膨れた目元で、ジゼルが男の方を見上げる。

「……誰だあんた」

「ええー? 知らないの? ロー様の話聞いてた? あんたがネズミなら、俺はハゲタカだよ」

「は?」と聞き返したジゼルの鼻面を、男が靴裏で思いきり蹴っ飛ばした。血が散って、ジゼルが顔を押さえて悶える。

「……次からは盗みに入った家の大黒柱の顔くらい調べときなね」

 男はひとつ深呼吸すると視線をこちらへ向けてきた。エウリッタはぎくりと肩を震わせる。

「ロー様だいじょうぶ?」

「ああ」

「俺がジゼルに盗まれた武器、盗み返してくれてありがとねー」

 味方らしいその男が懐からハンカチを取り出して、ジゼルを蹴った靴底の血を拭う。その横顔にはひどい火傷のあとがあった。火傷のある側の目は白く濁っている。多分見えないのだろう。

「リッタ。家に戻っていろ」

 ロドニスの言葉に、エウリッタは彼を振り仰ぐ。「え?」

「俺はまだ用がある。怖い思いをさせてすまなかったな。行ってくれ。……おい、護衛を借りていいか?」

「もちろん、ロー様」
 
 ロドニスが振り返ると、男はまだ熱心に靴底をきれいにしながら承諾した。すると男たちの2人が命令もないのにすっと寄ってくる。

「この男たちが守ってくれる。家まで送ってもらえ」

「旦那様、でも」

「大丈夫だ。必ず帰る。……次は、ちゃんと待っててくれ」

 ぴり、とかすかな痛みが走った。ロドニスの指先が頬の傷を遠慮がちに撫でたのだ。
 優しい仕草と、それとは裏腹のいっそ冷たいような硬い眼差しに突き放されて、エウリッタは2人の護衛たちに託されるまま、店の裏戸を出た。
 路地に出ると、エウリッタは頭を抱えてしゃがみこんだ。

「どうしたんですか? 怪我をしたんですか?」

 エウリッタは首を打ち振る。
 考えがまとまらない。状況を整理する時間が必要だ。けれど、夫はそんな時間の猶予を与えてはくれない。
 ここは危険だから、出来るだけ早く離れた方がいい。そういうことなのだろう。
 でも。
 そんな危険な場所に、夫をひとりで置き去りにしている。
 夫は落ち着いた表情だった。でも、ジゼルと交渉していたときだって落ち着いた表情だったのだ。次の瞬間には獣になるなんて思えなかった。人間としての理性を捨てるほどに追い詰められていたなんて、知らなかった。
 夫の、あの醒めた無表情は、必ずしも余裕があるから、じゃない。

「わたし、店に戻ります」

「えっ? ちょっと待て!」

「どうして止めるんですか?」

 決心して、裏戸に手をかけると、その手を男のひとりに掴まれた。

「なんでって。あなたを無事に家まで届けるようにって指示されてるんです」

 強引に戻ることは出来なさそうだ。どうしたら納得してもらえるだろうとエウリッタは考える。そして彼女の口から出た次の言葉に、男たちは顔色を変えた。

「店に戻ります。わたしはあなたがたのリーダーを知ってる。あの男性に話があるんです」




 店内に戻るやいなや、ロドニスの怒鳴り声が聞こえてきた。

「5つ目の鐘で現れてジゼルを取り押さえるはずだったろう! 5つ目が合図だったはずだ!」

「いやー、ロー様ごめん、遅れました。俺が悪い」顔に火傷のある男がバツの悪そうに答える。「でもだってねジゼルの手下が女連れ込むのが見えたからね。警戒したし。様子見よっと思って」

「あれは俺の妻だ」

「うんうん解ってたら絶対助けたよ? でも解ってなかったじゃん? 誰かわからないから踏み込む勇気が持てなくてね」

 緊張感のないような、のらりくらりした話し方で男は弁明した。ロドニスが黙り込む。やがて、彼は指だけで裏戸の方を差す。そこにいるエウリッタはどきりとした。

「さっき出てったのは俺の妻だ」

「うんうん」

「人の顔を覚えられない病気だとかいつも言ってるが、覚えろ」

「うん」

「覚えろよ。色とかで覚えろ。匂いで覚えろ。あの女に何かあってみろ、俺の協力はなしだ。俺は抜ける」

 火傷のある男が目を丸くする。

「……抜けるって、反逆運動からですか?」

 エウリッタの言葉に、ロドニスが素早く振り返った。火傷のある男はエウリッタが裏戸を入って来るのが見えていたから驚いていなかった。けれどその彼も、エウリッタの次の言葉に眉をひそめる。

「あなたはナグダライダって名前でしょう?」

「……うん?」

「宝石商でしょう。国境を超える特別な資格を持っていて、いろんな国に現れる。ファルマンデイ国の王立学院にもよく出入りしてた。王族と仲良かったって聞いてました。でも、こわい噂もあった。あなたは母国で革命活動をしているんだって。宝石の商売でもうけたお金を革命の資金にしてるんだって。ナグダライダ、あなたは反逆者なんですか? あなたに協力しているなら、旦那様、あなたもそうなの?」

 ロドニスの仕事を怪しく思いはじめたのは、父の言葉がきっかけだった。
 ロドニスは、特権階級の犬になって、嫌な仕事を任されている、そう言ったのだ。
 あのときなんと返したか、しっかり覚えている。
 わたしの旦那様は首輪に繋がれていて満足する方じゃない。と。
 だからだろうか、あまり衝撃はなかった。
 ジゼルも似たようなことを言っていたのだ。夫は国を裏切っている。忠犬のフリをしながら、何か別のことを考えていると。

「リッタ、家に帰れと言っただろう」

 夫が静かに問い詰めた。いっそ冷たいほど醒めきった表情だが、言葉を発する前に戸惑うような沈黙があった気がした。

「いやです」

「リッタ」

「アグネスさんが図書館で待ってるから会いに行きます。でも、その前に、何が起こってるのか知りたいの」

「リッタ、聞け」

「旦那様が聞いて。わたしはこの男を知ってるわ。あなたの協力者だって男。いかにもあやしげな男」言いながら、エウリッタはナグダライダを指さす。「でも、全部の事情は知らない。一番安全なのは何も知らないこと。でも、中途半端な情報しか知らないのと、ちゃんと全部知ってるのとでは、中途半端な方が危ないと思う。旦那様はわたしのためを思って黙ってるのだろうけれど、逆効果です」

「うんそれは一理ありそう。頭いいよロー様の奥さん」

 そのとき、ナグダライダが相づちを打った。人差し指で火傷の跡を掻きながらエウリッタを見つめている。

「ナグダライダかー。その名前で呼ばれることはもうないと思ってたよ」

「どうしてですか?」

「その名前を知ってたやつはみんな燃えたから。いや、あなたが知ってるなら、ひとり、燃えなかった人がいた、ってことだね」

 無事な方の瞳は雪解けの頃の一番草みたいな鮮やかな緑色だった。その瞳と白く濁った方の瞳が細められ、エウリッタはうなずいた。

「あなたもいたんですね。戦のとき、ファルマンデイの王立学院に」

「逃げ遅れてこんな顔になったけどね。いやぁ、まさか自分以外の生き残りがいるとは思わなかった」

「わたしが生き残ったのはわりと有名な話だと思ってましたけれど。青い血の女とか言われてるし」

「そうなの? あ、もしかして、ロー様が助けたのかい?」

「え?」

「ロー様はあのころ傭兵団の師団長でさ、ファルマンデイ侵略でずいぶん活躍したよね? うん? あれ、奥さんは知らないのかな? でも、じゃあ、2人はあのとき敵国で出会って恋に落ちたとかそういうロマンチックな話じゃないの?」

 エウリッタが困惑に眉をひそめるのを見てナグダライダは驚いた風にロドニスを振り返った。ふたりに見つめられて、ロドニスが小さく舌打ちした。

「てめえは遅れた上にしゃべりすぎだ」

「褒められちゃった」ナグダライダが笑う。「でも、あなたの反逆活動の協力を得られるのって、奥さんのおかげなんでしょ?」

「おい」

「さっき言ったじゃん。奥さんに何かあったら協力はしないって。つまりロー様の協力が欲しい俺にとってもめっちゃ大事なひとじゃん。しゃべれてよかったよ。共通点まで見つかっちゃって。ねえ俺はね宝石とイケメンしか見分けがつかないんだ。だから会ってすぐわからなくてごめんね」

「あ、いいえ」

 ナグダライダがゆらりと歩いてきてエウリッタの手を取った。その手を引き寄せて手の甲を彼の顔の火傷跡に触らせる。エウリッタが怪訝と見ていると、「きもちわるがらないね」と彼は笑って、手の甲に紳士のキスをした。

「生涯2度と呼ばれない名前で呼んでくれて、うれしかった。ファルマンデイが俺は嫌いじゃなかった」

「わたしも」エウリッタも笑んだ。「女性がわりと男性と平等で、剣術も、体術も、学問も、ちゃんと習わせてくれた。いじめられることもあったけれど、そこは感謝してるんです」

 国の人質として向かった留学先で、どんないじめにあおうと、がむしゃらに勉強した。父に誇りに思って欲しかったから。
 それは叶わなかった。父はエウリッタの命を切り捨てた。
 それでも、あのときがんばって習得した体術が今日ジゼルを跳ねつけロドニスを守った。あのとき得た人脈が今日役に立っている。

「俺も流れ者としてイジメられたけど飯はうまかった」

「貴族みんな小鳥を飼う文化とか楽しかったわ」

「あったあった。うん、あなたの夫なら、ロー様のことわりと無条件で信用することにする」

 そんな重要そうなことを軽く決めていいのかと思ったが、ナグダライダの表情は真面目くさっている。留学先では直接言葉を交わしたことがない相手だったが、わりとおもしろい人だ。エウリッタは笑った。

「俺はね宝石商としていろんな国を回りながら他の資源も集めてるんだよ。戦場のハゲタカ。武器商人なんだ」

「まあ」

「この国は特権階級がすごい横暴な支配をしてる。ファルマンデイと違って窮屈だろ。だから革命したいって思う人は昔から一杯いたんだよ。その点、ロー様はわりと最近反逆者になったけどさ。もしかしたら、……君と結婚したからなのかな?」

「ええ? そうなの、旦那様? どういうこと?」

 ナグダライダにつられて、エウリッタは離れて立っている夫を振り返った。ふたりの会話を眺めていたロドニスは、表情の無さこそ変わらなかったが、不服そうに舌で唇を濡らした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

《完》義弟と継母をいじめ倒したら溺愛ルートに入りました。何故に?

桐生桜月姫
恋愛
公爵令嬢たるクラウディア・ローズバードは自分の前に現れた天敵たる天才な義弟と継母を追い出すために、たくさんのクラウディアの思う最高のいじめを仕掛ける。 だが、義弟は地味にずれているクラウディアの意地悪を糧にしてどんどん賢くなり、継母は陰ながら?クラウディアをものすっごく微笑ましく眺めて溺愛してしまう。 「もう!どうしてなのよ!!」 クラウディアが気がつく頃には外堀が全て埋め尽くされ、大変なことに!? 天然混じりの大人びている?少女と、冷たい天才義弟、そして変わり者な継母の家族の行方はいかに!?

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

処理中です...