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16.武器商人と盗人と盗人の盗人
しおりを挟む酒場では、新しく現れた男たちが、元々いた男たちに縄をかけていく。その忙しい物音に混じって、ジゼルのうめき声が聞こえた。エウリッタはハッと振り返る。
「おお、よかった、生きてた。ジゼル氏―? 聞こえるー?」
新しく現れた男のひとりが血まみれのジゼルの元に跪いた。ジゼルの顔はジャガイモのようにぼこぼこと変形していた。膨れた目元で、ジゼルが男の方を見上げる。
「……誰だあんた」
「ええー? 知らないの? ロー様の話聞いてた? あんたがネズミなら、俺はハゲタカだよ」
「は?」と聞き返したジゼルの鼻面を、男が靴裏で思いきり蹴っ飛ばした。血が散って、ジゼルが顔を押さえて悶える。
「……次からは盗みに入った家の大黒柱の顔くらい調べときなね」
男はひとつ深呼吸すると視線をこちらへ向けてきた。エウリッタはぎくりと肩を震わせる。
「ロー様だいじょうぶ?」
「ああ」
「俺がジゼルに盗まれた武器、盗み返してくれてありがとねー」
味方らしいその男が懐からハンカチを取り出して、ジゼルを蹴った靴底の血を拭う。その横顔にはひどい火傷のあとがあった。火傷のある側の目は白く濁っている。多分見えないのだろう。
「リッタ。家に戻っていろ」
ロドニスの言葉に、エウリッタは彼を振り仰ぐ。「え?」
「俺はまだ用がある。怖い思いをさせてすまなかったな。行ってくれ。……おい、護衛を借りていいか?」
「もちろん、ロー様」
ロドニスが振り返ると、男はまだ熱心に靴底をきれいにしながら承諾した。すると男たちの2人が命令もないのにすっと寄ってくる。
「この男たちが守ってくれる。家まで送ってもらえ」
「旦那様、でも」
「大丈夫だ。必ず帰る。……次は、ちゃんと待っててくれ」
ぴり、とかすかな痛みが走った。ロドニスの指先が頬の傷を遠慮がちに撫でたのだ。
優しい仕草と、それとは裏腹のいっそ冷たいような硬い眼差しに突き放されて、エウリッタは2人の護衛たちに託されるまま、店の裏戸を出た。
路地に出ると、エウリッタは頭を抱えてしゃがみこんだ。
「どうしたんですか? 怪我をしたんですか?」
エウリッタは首を打ち振る。
考えがまとまらない。状況を整理する時間が必要だ。けれど、夫はそんな時間の猶予を与えてはくれない。
ここは危険だから、出来るだけ早く離れた方がいい。そういうことなのだろう。
でも。
そんな危険な場所に、夫をひとりで置き去りにしている。
夫は落ち着いた表情だった。でも、ジゼルと交渉していたときだって落ち着いた表情だったのだ。次の瞬間には獣になるなんて思えなかった。人間としての理性を捨てるほどに追い詰められていたなんて、知らなかった。
夫の、あの醒めた無表情は、必ずしも余裕があるから、じゃない。
「わたし、店に戻ります」
「えっ? ちょっと待て!」
「どうして止めるんですか?」
決心して、裏戸に手をかけると、その手を男のひとりに掴まれた。
「なんでって。あなたを無事に家まで届けるようにって指示されてるんです」
強引に戻ることは出来なさそうだ。どうしたら納得してもらえるだろうとエウリッタは考える。そして彼女の口から出た次の言葉に、男たちは顔色を変えた。
「店に戻ります。わたしはあなたがたのリーダーを知ってる。あの男性に話があるんです」
店内に戻るやいなや、ロドニスの怒鳴り声が聞こえてきた。
「5つ目の鐘で現れてジゼルを取り押さえるはずだったろう! 5つ目が合図だったはずだ!」
「いやー、ロー様ごめん、遅れました。俺が悪い」顔に火傷のある男がバツの悪そうに答える。「でもだってねジゼルの手下が女連れ込むのが見えたからね。警戒したし。様子見よっと思って」
「あれは俺の妻だ」
「うんうん解ってたら絶対助けたよ? でも解ってなかったじゃん? 誰かわからないから踏み込む勇気が持てなくてね」
緊張感のないような、のらりくらりした話し方で男は弁明した。ロドニスが黙り込む。やがて、彼は指だけで裏戸の方を差す。そこにいるエウリッタはどきりとした。
「さっき出てったのは俺の妻だ」
「うんうん」
「人の顔を覚えられない病気だとかいつも言ってるが、覚えろ」
「うん」
「覚えろよ。色とかで覚えろ。匂いで覚えろ。あの女に何かあってみろ、俺の協力はなしだ。俺は抜ける」
火傷のある男が目を丸くする。
「……抜けるって、反逆運動からですか?」
エウリッタの言葉に、ロドニスが素早く振り返った。火傷のある男はエウリッタが裏戸を入って来るのが見えていたから驚いていなかった。けれどその彼も、エウリッタの次の言葉に眉をひそめる。
「あなたはナグダライダって名前でしょう?」
「……うん?」
「宝石商でしょう。国境を超える特別な資格を持っていて、いろんな国に現れる。ファルマンデイ国の王立学院にもよく出入りしてた。王族と仲良かったって聞いてました。でも、こわい噂もあった。あなたは母国で革命活動をしているんだって。宝石の商売でもうけたお金を革命の資金にしてるんだって。ナグダライダ、あなたは反逆者なんですか? あなたに協力しているなら、旦那様、あなたもそうなの?」
ロドニスの仕事を怪しく思いはじめたのは、父の言葉がきっかけだった。
ロドニスは、特権階級の犬になって、嫌な仕事を任されている、そう言ったのだ。
あのときなんと返したか、しっかり覚えている。
わたしの旦那様は首輪に繋がれていて満足する方じゃない。と。
だからだろうか、あまり衝撃はなかった。
ジゼルも似たようなことを言っていたのだ。夫は国を裏切っている。忠犬のフリをしながら、何か別のことを考えていると。
「リッタ、家に帰れと言っただろう」
夫が静かに問い詰めた。いっそ冷たいほど醒めきった表情だが、言葉を発する前に戸惑うような沈黙があった気がした。
「いやです」
「リッタ」
「アグネスさんが図書館で待ってるから会いに行きます。でも、その前に、何が起こってるのか知りたいの」
「リッタ、聞け」
「旦那様が聞いて。わたしはこの男を知ってるわ。あなたの協力者だって男。いかにもあやしげな男」言いながら、エウリッタはナグダライダを指さす。「でも、全部の事情は知らない。一番安全なのは何も知らないこと。でも、中途半端な情報しか知らないのと、ちゃんと全部知ってるのとでは、中途半端な方が危ないと思う。旦那様はわたしのためを思って黙ってるのだろうけれど、逆効果です」
「うんそれは一理ありそう。頭いいよロー様の奥さん」
そのとき、ナグダライダが相づちを打った。人差し指で火傷の跡を掻きながらエウリッタを見つめている。
「ナグダライダかー。その名前で呼ばれることはもうないと思ってたよ」
「どうしてですか?」
「その名前を知ってたやつはみんな燃えたから。いや、あなたが知ってるなら、ひとり、燃えなかった人がいた、ってことだね」
無事な方の瞳は雪解けの頃の一番草みたいな鮮やかな緑色だった。その瞳と白く濁った方の瞳が細められ、エウリッタはうなずいた。
「あなたもいたんですね。戦のとき、ファルマンデイの王立学院に」
「逃げ遅れてこんな顔になったけどね。いやぁ、まさか自分以外の生き残りがいるとは思わなかった」
「わたしが生き残ったのはわりと有名な話だと思ってましたけれど。青い血の女とか言われてるし」
「そうなの? あ、もしかして、ロー様が助けたのかい?」
「え?」
「ロー様はあのころ傭兵団の師団長でさ、ファルマンデイ侵略でずいぶん活躍したよね? うん? あれ、奥さんは知らないのかな? でも、じゃあ、2人はあのとき敵国で出会って恋に落ちたとかそういうロマンチックな話じゃないの?」
エウリッタが困惑に眉をひそめるのを見てナグダライダは驚いた風にロドニスを振り返った。ふたりに見つめられて、ロドニスが小さく舌打ちした。
「てめえは遅れた上にしゃべりすぎだ」
「褒められちゃった」ナグダライダが笑う。「でも、あなたの反逆活動の協力を得られるのって、奥さんのおかげなんでしょ?」
「おい」
「さっき言ったじゃん。奥さんに何かあったら協力はしないって。つまりロー様の協力が欲しい俺にとってもめっちゃ大事なひとじゃん。しゃべれてよかったよ。共通点まで見つかっちゃって。ねえ俺はね宝石とイケメンしか見分けがつかないんだ。だから会ってすぐわからなくてごめんね」
「あ、いいえ」
ナグダライダがゆらりと歩いてきてエウリッタの手を取った。その手を引き寄せて手の甲を彼の顔の火傷跡に触らせる。エウリッタが怪訝と見ていると、「きもちわるがらないね」と彼は笑って、手の甲に紳士のキスをした。
「生涯2度と呼ばれない名前で呼んでくれて、うれしかった。ファルマンデイが俺は嫌いじゃなかった」
「わたしも」エウリッタも笑んだ。「女性がわりと男性と平等で、剣術も、体術も、学問も、ちゃんと習わせてくれた。いじめられることもあったけれど、そこは感謝してるんです」
国の人質として向かった留学先で、どんないじめにあおうと、がむしゃらに勉強した。父に誇りに思って欲しかったから。
それは叶わなかった。父はエウリッタの命を切り捨てた。
それでも、あのときがんばって習得した体術が今日ジゼルを跳ねつけロドニスを守った。あのとき得た人脈が今日役に立っている。
「俺も流れ者としてイジメられたけど飯はうまかった」
「貴族みんな小鳥を飼う文化とか楽しかったわ」
「あったあった。うん、あなたの夫なら、ロー様のことわりと無条件で信用することにする」
そんな重要そうなことを軽く決めていいのかと思ったが、ナグダライダの表情は真面目くさっている。留学先では直接言葉を交わしたことがない相手だったが、わりとおもしろい人だ。エウリッタは笑った。
「俺はね宝石商としていろんな国を回りながら他の資源も集めてるんだよ。戦場のハゲタカ。武器商人なんだ」
「まあ」
「この国は特権階級がすごい横暴な支配をしてる。ファルマンデイと違って窮屈だろ。だから革命したいって思う人は昔から一杯いたんだよ。その点、ロー様はわりと最近反逆者になったけどさ。もしかしたら、……君と結婚したからなのかな?」
「ええ? そうなの、旦那様? どういうこと?」
ナグダライダにつられて、エウリッタは離れて立っている夫を振り返った。ふたりの会話を眺めていたロドニスは、表情の無さこそ変わらなかったが、不服そうに舌で唇を濡らした。
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