【R18】傭兵閣下と青い血の乙女

七鳩

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18.ウィルディアの師団長とジョナルダの娘

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 目的の人物だとわかって、ロドニスは即動いた。
 激しく吠える炎を縫うようにして進む。背後にいる犬笛や兵たちが追って来ようとしたが、退路である石畳のトンネルを守るように命じた。そして一人で中庭へ走っていく。

「おい、女!」

 ここは危険だ。せっかく見つけた手土産。貴族騎士たちを出し抜き、人生初めてのような幸運に見舞われたのに、死なれたら困る。

「おい! 聞こえるか! 俺たちは味方だ!」

 叫ぶと煙たい空気が肺に入って一瞬噎せそうになる。ジョナルダの娘もかなり噎せていたが、黒い煙のなか近づくロドニスの姿が見えたのか、はっと顔を上げた。

「来ないで!」

 そして、なぜか後ずさりをする。さらにロドニスが近づこうとしたら背中を向けて走り出そうとするので、ロドニスは慌ててその腕をつかんだ。

「いやあ!」

「おい」

「やめろ! 触るな! 放せ!」

 ローズゴールドの瞳がぎらりとロドニスを睨み据える。近くで見るその顔は痣だらけだった。唇はぱっくりと切れて血を流しており、ドレスの肩紐はちぎれていて、ドレスの前は下着ごと大胆に破られている。白い乳房はもろ丸出しだ。なるほど。

「やめて! 何見てるの、無体は働かれてない! その前に火が回って、みんな、逃げた!」

 貴族令嬢なら自分は清いままだと主張するだろう。ウソであっても。まあどっちでもいい。女を安心させるために「わかった」と言っておく。

「大丈夫だ、俺は味方だから」

「死ねばいい、わたしを犯そうとしたやつらも、見捨てたやつも、死ね、死んでしまえ!」

「落ち着け」

「燃えてしまえ!」

「うるせえ。いいから逃げるぞ」

 そういえば敬語の方がいいのかなと思いあたりながら、ひとまず力づくで引っ立てようと女の体を羽交い絞めにするが、拘束された女はさらに激しく暴れた。頭を振って、プラチナブロンドの髪を乱しながら、咆哮する。

「もういい! もういい! もういや、行きたくない、行きたくない、行きたくない」

 生きたくない、と聞こえる。
 何があったかわからないが、常軌を逸した姿を見ていると何かがあったのは解る。
 『見捨てた奴も死ね』、か。
 女にとったら、今ここで死ぬ方がいいのかもしれない。

「……うるせえよ」

 だが、女はロドニスにとって戦の手柄なのだ。
 人を殺すのが生業の自分が、これほどまで抵抗されてもなお、この女の命を救おうとしているのはきっとそのせいだろう。それ以外理由は思いつかなかった。
 女のプラチナブロンドは毛先がちりちりに焦げている。その焦げがまた火が点きそうな気がして危機感がせり上げる。

「なあ知ってるか。火で死ぬってどんな感じか。どんな臭いがするか。焼死体がどんな見てくれか」

 7歳の泣きじゃくる無力な子供が自分に重なったようだった。ほんの一瞬だけ。 
 自分の腕の中から逃れようと身悶える女の顎をつかんで、無理やり視線を合わさせる。泣き濡れる瞳は憤怒に燃えていた。今日ここにあるどの炎よりも美しく。

「今一番やりたいことがほんとに焼け死ぬことなのか?」

 ローズゴールドが一瞬ひるんだように揺れた。
 ああ。
 汗や涙や鼻水や唾液やもしかしたら見知らぬ敵の男どもの白い精液やら。いろんな体液まみれになって。それでも生き延びている。それでも、きれいな女というのは泣き顔も、きれいだ。

「なあ、ここにいる俺たちはみんな見捨てられてるんだ。悔しいだろう。だから帰ってやれ。家に帰れ」

 いろんなものから見捨てられている。
 それが悔しい。
 だから登るのだ。
 でなければ、一生顔を泥の地面に擦りつけて生きることになる。泥水を飲みながら、いつ何のきっかけで、火あぶりなっても文句を言えない。
 だから這い上がる。

「来いよ。俺はあんたを見捨てない。約束するから」

 女の抵抗が鈍くなったのを見て、そっと身を離した。炎の海を見回しながら剣を抜くと、あいた手の方を女に差し出した。
 女はどこかぼんやりとして夢に落ちつつあるような表情で突っ立っている。

「お嬢さん、行きましょうか」
 
 さっきから命令を無視して近づいていた犬笛が横やりを入れた。薄情そうな独特の口調で言いながらロドニスの肩に腕を回す。

「この男、ほんとに見捨てねえんだよ。な」

 女がふいに身を硬くして視線を逸らした。

「べつにあなたたちの言葉を信用したわけじゃないわ。でも一緒に行く。ねえちゃんが待ってるから、家に帰る」

 おお令嬢っぽいクソ生意気、いいね、と犬笛がロドニスだけに聞こえるていどの小声で囁いた。乳が白ぇなあと下唇を舐めた。
 ロドニスは内心ほっと息をついた。
 女の気が変わってくれたことにもだが、女が泣いて笑って絶望を突き抜けた先に行こうとしなくなったのが、思いのほか、安心した。

「……重たい。男くさい。最低」

 犬笛のうっとうしい視線に思いついて、かなり遅れて甲冑の上から羽織っていた軍着を女に貸した。
 それで乳房ないし破れたドレスを隠しながら、女はそんな文句を言った。


 女はエウリッタ・ジョナルダだと自己紹介した。
 やはりジョナルダ伯爵の娘だった。あとは生きたまま国に返せればいい思いができるだろう。
 だがすぐには無理だった。女が安全に戦から落ち延びられるように退路を作らないといけないし、船の準備にも時間がかかる。結果、女はロドニスの傭兵団としばらく一緒にいることになった。
 貴族騎士団があれこれ口を出そうとしてきたが跳ねつけた。貴族だから自分たちと一緒にいるべきとかほざいた奴は殴った。この手柄を見つけたのはロドニスたちで、目撃者もたくさんいるから、騎士団もあまり強くは出られず、徐々に女から手を引いていった。
 騎士団と傭兵団は基本野営がべつべつだ。仲が悪いし、例外はいるが、貴族が戦いのために国からもらった物資を平民と仲良く分け合ういわれもない。
 ある日、貴族側の野営まで作戦会議で行ってから戻ってくると、夕日が赤く膨れるのを背負って、プラチナブロンドの女が飯炊きをしていた。

「あれどうにかしてくれませんかね、師団長」

 犬笛がドン引きした表情で、いい匂いの煙が上がるその方角を親指でしめした。

「誰もあの女の飯なんか食わねえよ。つかそんなことされたら困るよ。ジョナルダの娘だろ。何考えてんだあのお嬢さん」

「何が悪い?」

「ああ?」

「飯は飯だろうが。勝手に食材使われたうえに食わない方がもったいねえだろ」

 大貴族の令嬢に戦場で飯炊きをさせていた。そんな事実が作られるのをどうやら皆恐れているようだった。父親に告げ口されたら、平民の傭兵集団一つくらい、ころっと打ち首にされるだろう。
 だがそのへんまで考えてないのだろう、本人は。
 
「俺たちに近づこうとしてんだろう。男にひでえ目に遭わされたっぽいのに勇気あるな」

「あー、そういや師団長が見つけたとき乳丸出しでしたね。まあ、意地はってるんじゃね?」

 そして自分含める傭兵は女の気持ちがわからない。ついこの間男たちに乱暴されそうになって、なのに今男だらけの中にいないと生き延びることができない、怯えも弱さも見せられない、夜中声を殺して一人テントで震えている、この女の気持ちはロドニスもわからない。犬笛は、ちょっとはわかっているかもしれない。
 ロドニスは砂利を踏んで歩いていくと傍に積み上げられる食器を手に取った。彼の一挙一動を、女が期待と不安の混じった目でじっとり見ている。ロドニスはその視線を感じながら気づいてないフリをして、大鍋がほかほかと湯気を上げる前に立つと食器を差しだした。

「晩飯はなんだ」

 女はごくりと固唾を呑んだ。今までずっとひたすら手持ち無沙汰に鍋のなかを掻き回していたようだったが、そのおたまで初めて料理をすくった。ふわんと茹ですぎた豆の匂いがした。

「ピースープよ。ちょっとゆだってるけど、おなかに優しいから食べやすい……と、思う」

 ひまだったのか、気まぐれか、女が料理した理由はわからなかった。
 けれどその日からほぼ毎日女は飯炊きをするようになった。まさか『何もせずに置いてもらってるのは肩身が狭い』などとよっぽど大貴族様らしくない、みみっちいことを女が考えていたことはロドニスにはわからなかった。

「あの、あなた」

 次に戦場から戻ったときだったか。血まみれになった甲冑を重たく鳴らして水場の方へ歩いていると、いきなり女が近づいてきた。

「この間はありがとう。あなたが最初に食べたから、みんなも食べるようになった。今はほとんど全員が食べてくれてる。あなたが野営をあけているときも」

 この間、というのはもう2週間以上前に初めてロドニスが女の飯を食ったときのことか。
 知っている、とロドニスは答えた。野営にいるとき、ロドニスは常に女を見ているからだ。

「すぐお礼を言うべきだった。でも、もしかしたらって思ってはいたけれど、誰ひとりごはんを食べてくれなかったのが、わりと応えてて、悲しくて。すぐ素直に言えなかった。ごめんなさい。ありがとう、師団長」

 女は何やら身じろぎしたあと、どこで摘んできたのか小さい紫色の花をロドニスに差し出してきた。「女性が摘んだ花を甲冑の胸につけると戦場でお守りになる、ってだれかが言ってたから」

 犬笛あたりが吹き込んだのだろう。

「だったら出るときにくれるべきじゃねえか。今戻ってきたところなんだが」

「そ、そのくらい解ってる。いらないなら、いい」

 女がうろたえて下げようとする手をロドニスは素早く掴んだ。それを引き寄せて、戸惑う円い指先から花を摘み上げる。そして血で汚れた甲冑のちょうど心臓あたりの結び紐をほどくとそこに花を編み込んだ。

「このへんだろ」

 紫色の花がちょんと咲き、やや女々しいな、と思いながらロドニスは顔を上げたが、その先にある表情に目を細めた。
 はにかむように頬を染めて女は笑った。
 初めて見る笑み。
 泣き顔もきれいだが、それよりなお、きれいな。
 女の飯を食った礼だと、女は言う。
 だったらほかに何をくれるだろう。
 ロドニスが、夜な夜なバカが現れないように彼女が寝るテントのすぐ近くで寝ていると知ったら。彼女が飯炊きをしたいと言うからそのへんの住人がいなくなった町から食材だの食器だのバカみたいにかさばるものをいちいち取りに行っていると知ったら。彼女のために今日も戦って退路を切り開いてきたと知ったら。
 始終彼女のことを考えていると知ったら。
 慰安婦を抱きながら頭のなかでその高貴な体を自分の下に組み伏せていると知ったら。
 あんたは、何をくれる。
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