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21.見えない枷がつなぐ蜜夜※R18
しおりを挟む盗まれた武器の一件があって間もなく、ふたりの決め事で、エウリッタはシャンティー領で、ロドニスは中央で、べつべつに暮らすことになった。
中央にいると危ないのは身に染みたし、前みたいに夫に追い払われた末という誤解はもうない。寂しさは我慢した。夫が何者でどこで何をしているのかが今はわかっているから。
夫がふしぎな土産をくれたのは別居をはじめてすぐのことだった。
その日は彼が領土に帰ってきた日だった。仕事と革命運動で目が回るほど忙しい彼が城に戻るのはほんとうに稀なことで、エウリッタははりきって出迎えた。ロドニスは彼女が焼いたフーヤンを食べて彼女が手ずから張った湯に浸かって彼女を寝室で押し倒した。
「旦那様、それなに?」
ロドニスは組み敷くエウリッタの顔を見下ろしながら、鎖を見せてきた。鎖はとても長かった。なにやら異様に長かった。
「みやげだ」
「……まあ。えっと、おみやげなら夕ご飯のときにたくさんもらったよ?」
「これは特別だ。アグネスやらがいる食卓じゃ見せられねえだろ」
「ふしぎなおみやげっていう自覚はあるんだ。これ、わたしが付けるの?」
じゃらじゃらと寝台の上を這う鎖を引き寄せて、ロドニスが黒い革を通した。革はぶ厚かった。目を見張るような真っ青な宝玉が嵌めこまれている。
「嫌か」
真顔で聞いてくる夫に反応に困る。けれど、嫌じゃない、とエウリッタは言った。
「髪の毛持ってろ」
「え? これって首輪なんだ? 手か足につけるのかと思った。へえ……」
戸惑いながら指示通りに上半身を起こして二腕で長い髪を掬い上げた。夫はためらいなく黒革の首輪を彼女につけた。
「細いな」
その無骨な指が喉をなぞってゾクゾクさせる。
「鍵は俺が持ってる」
「あ、うん」首輪のちいさい鍵を夫がかけた。鉄製で頑丈そうな鍵だった。それを彼は無造作に床に脱ぎ捨てた服の上へと放った。
「痛くねえか?」
「だいじょうぶ。ねえなんで首なの? 変態っぽいよ」
「……どこでも同じだろ」
「じゃあ足がいい」
「なんでだよ」
「顔の近くだとうるさいし邪魔だもの」
「足やら手だと宝石が傷つく。せっかくあんたに似合う色を見つけたんだ」
「そういう理由なんだ。凝り性」
(手慣れてるな。仕事で国に言われて捕まえる人に枷をつけたりするのかな)
今ロドニスがエウリッタにしているのも同じ理由だ。逃がさないためだ。
指先で何度か撫でて首輪のきつさを確かめたあと、ロドニスはぽつりと言った。
「あんたは青が似合う」
「うん、ほんとは青色好きじゃなかったんだけど最近好きになってきた。あなたの目の色だから」
エウリッタは両手を伸ばして夫の頬を挟んだ。
じゃら、と新しい音がその動きについてきた。
その音を聞いても、鎖で繋がれるエウリッタを見ても、夫は無表情だ。けれどエウリッタはもう知っている。彼は冷たい能面をもって激しい熱情を御すのだと。ジゼルのときと同じ、ひとたび妻のことになるとあっという間に獣になって牙を剥く。
「わたしも旦那様に首輪をつけたかったな。ナグダライダとロー様を見守る会をやってるけれどまだ不安」
「何の会だって?」
「あなたが酒場とかで他の女に寄ってこられないよう見張ってくれてるの」
ナグダライダとの秘密の任務はそれだけではないのだが。
「……こそこそやってると思ったらそんなことか」
「まあ、旦那様気づいてたの?」
「ああ。余所見はほどほどにしろ。ナグダライダでもだ。あんたは俺だけ見てろ」
ロドニスが感情を素直に言葉に出すのは珍しい。目を瞬いたエウリッタの頬に彼は口づけた。唇はさっきまで彼女の体中を貪っていたから熱く濡れている。唾液のぬるつきがゾクゾク甘い痺れになってエウリッタを襲う。身を捩る彼女を眺めながら、くすぐったい髪の感触を残してロドニスがどんどん際どい場所へ舌を移動させていく。
「あ、あ、旦那様……」
男が吐く熱い息が秘部に吹きかかる。それだけで蕩けるような気持ちよさに蜜がとろりと溢れた。
こわれたように感じてしまっていた。ここ2か月くらい会ってなかったから。大人しく城に戻ってから秋の残りは一緒にいられなかった。とてもさびしかった。
「ん――、っ!?」
息が詰まった。
突然のことにエウリッタは目を見開く。鎖をつかまれて首輪が絞まったのだ。
さっと見上げれば、彼女の弱いところをたっぷり愛でて彼女を火照らせた張本人が彼女を見下ろしている。鎖を掴んで、その屈強な腕に巻きつけながら、ゆっくりと体を進めてきた。
「ぁ、ん」
膣を男根が容赦なく押し広げる。その異物感が彼女の背筋を甘く震わせる。
熱く潤んだ視界の隅っこに、鎖を持つ、おおきな手が近づいてきた。枕元に鎖を押しつけられた。問答無用に首を引っ張られて、顎が上がったら、ロドニスの水晶より澄んだ青い瞳にさらされた。
目があって、かあっとエウリッタは全身が汗ばんだ。ロドニスがわざとやっているとわかったから。
(この枷いやらしいことに使う気だったんだ。旦那様はそういうの疎いかと思っていたけれど……)
正直言って目新しさはない。花嫁修業として男娼たちをつけられた7晩に考えうるすべての余興は味わった。ジョナルダ伯爵が黒幕だったからそんなものだ。
けれど夫は戸惑っている。
出会った彼の青い瞳は欲情に熱く濁っていた。けれどその奥で、――彼は目を逸らしたがっていた。一方で彼自身がしていることだから真っ向からじっと見ようともしていた。
その葛藤が、エウリッタには手に取るように解る。
「旦那、さまぁ」
どくりと体のなかにいる男が脈動した。
化け物になりきれない男が葛藤する。エウリッタに呼ばれたことで、化け物じみた欲望をいっそう掻き立てられてしまって。
エウリッタを首輪で繋げている。己の所有物になり下げている。そのことにロドニスは苦しんでいる。
こんなのは間違っていると。妻が可哀そうだと。死神卿で、平民の成り上がりで、罰ゲームみたいな存在の自分の元に嫁いでくれた女をこれ以上不幸にするなと。そういう理性の声に傷つけられている。
けれどその痛みさえ欲望を煽るのだ。そんな自分自身が憎くて、幸薄い妻があわれで、あがいている。エウリッタを愛しているからこそ苦悩する。
そんなロドニスに貫かれるのがエウリッタはたまらない。
「旦那様、くるしい……」
ロドニスがはっと目を見張った。彼女を苛む動きを止めて、自分の手を見下ろしたかと思うと弾けたように鎖を放した。
その手は一転躊躇うようにエウリッタの頬に触れようとする。
けれどエウリッタは彼の手と鎖を掴んで引き留めた。
「やめないで」
「……すまない」
「謝らないで。旦那様、もっとして。いいの。何をされてもいいよ、あなたになら」
どんな仕打ちも受け入れようとする妻のいじらしさが、ロドニスの良心を痛めつける。
泥のようにどす黒くて汚い欲望に火をともす。
ロドニスはしばらく何も言わずにエウリッタの顔を見つめていた。彼のきれいな青い目がどろどろと得体の知れない汚水にまみれていくのをエウリッタは眺めた。
「あ」
そっと顔を伏せたロドニスに口づけられた。舌が入ってきて様子を見るように丁寧に彼女の口内を舐め回してから、かすかに顔を離して、お互いに一瞬で熱くなった息を吐きだした。
それから、また視線を合わせながら、ロドニスが動きはじめた。
「ぁあっ」
火のついたように激しい動きで性急に責め立てられて、エウリッタはロドニスにしがみつく。
けれどその手を強引にロドニスに引き剥がされた。
男の指がエウリッタの指に絡みつく。十の指を彼の片手で封じられて枕元に押さえこまれた。エウリッタの腰が上に逃げかければ、彼にすかさず抱きしめられて、噛みつくような口づけで息すら奪われる。
「リッタ」
「あぁっ、ぁ、んあ、あ、深、ぃっ……――ッんんんぅっ……、いっちゃ、いっちゃう、苦し、よ……」
真っ白な快感に翻弄されながら、エウリッタは苦しいと鳴く。
ロドニスは彼女に責められたいからだ。
彼は見たいのだ。エウリッタがどこまでも彼がすることを許しているところを。そうして彼が得る安心は地獄でこそ得る快楽だ。麻薬だ。ロドニスはもう手放せない。
そうやって、がんじがらめになって、ずっとここにいてくれたらいい。
エウリッタの夫はかわいそうなくらい健全だ。ほんとうはどっちがどっちに捕まってしまったのか、気づけないのだから。
「旦那様、好きよ」
ロドニスが思いがけずと言った風にちいさく呻いた。
エウリッタから与えられる愛に歓喜したのかもしれなかった。どの過ぎたその快感で低く掠れた彼の声が、ぞくぞくとエウリッタの下腹を熱くさせる。
「リッタ」
じゃらじゃら束縛の音がする。寝台の四角形の闇を満たしていく。鎖が、火照って汗ばむふたりの体に絡みつくのが、ひんやりして気持ちいい。
男の熱い額が、エウリッタの額に押しつけられる。
快感を堪える為にもっと低くなった声が、熱く湿った息遣いが、すすり泣くように言う。
「あんたが好きなんだ、愛してる、リッタ」
思わずエウリッタは笑みが漏れた。
「わたしも愛してる。旦那様」
ずっとあなたの女だよ。
いつもよりちょっと激しめの行為が済んで、エウリッタはデキャンタからじかにごくごく水を飲んだ。
ロドニスは彼女に水を持ってきたあと気怠そうに横になって彼女の白い膝元に頭を寝かせた。その黒い癖毛がくすぐったくて、エウリッタは一房指ですくう。
「旦那様もお水飲む?」
返事がない、と思って、やっと異変に気づいた。
仰天して、男の前髪を除けて顔を覗き込んだ。
「ね、寝てる?」
信じられない。
ロドニスは寝ていた。人がいると眠れないはずなのに、結婚して、実に1年以上経って、初めてその寝顔を見ることになった。エウリッタはしばらく呆然とした。
(もしかしてこれがあるから?)
今も巻かれたままの首輪をそっと指でなぞる。
エウリッタが絶対にどこにもいかないと思って安心した。その安心が、ささくれだった神経をいやす薬になったのだろうか。
だったらいい。
だったら、これから毎晩これをつけよう。
柔らかく瞼を下ろしているせいか、夫の寝顔はずいぶん安らかに見えた。エウリッタは彼の裸の肩にベッドシーツをかけた。やっぱり起きない。ロドニスの意外な無防備さがおかしくなって、エウリッタはくすくす笑いながら彼の額に口づける。
ロドニスは解ってない。
彼はエウリッタの英雄なのだ。彼女のために反逆者になった。これまで執着していた出世を捨てた。高いところからの景色より彼女を選んでくれた。
ロドニスは火あぶりにされた罪人の子で、捨て子で、けれど傭兵団に入って目まぐるしい努力をして、出世して、子爵にまでなった。
領主として召使のちいさな声も真剣に聞く。カナリアを買ってあげる。じぶんを慕ってついて来た傭兵仲間たちにいい生活を与えた。
かと思うと、国の言いなりになって汚れ仕事で花嫁を殺す。
かと思うと、国に背いて反逆者になる。
怪我をたくさん作って、神経をすり減らして、眠れなくなって、自分が犯した罪を悪い夢にみて、かと思うと、ふと子供みたいにあどけない顔で笑う。命乞いのように、妻にどこにも行かないでくれと縋る。
一生懸命なのだ。
ロドニスは全力で生きている。斜めにかまえて流されるだけだったエウリッタにとって彼はまぶしい。彼の周りにいる人間たちも多かれ少なかれそこに惚れ込んだのではないだろうか。
「でもだめ。ほかの誰にもあげない」
思わず本音が声になった。苦笑いしながら、ロドニスの意外に長い黒い睫毛を指でつついた。
(あなたはわたしのもの)
あなたのひたむきさを愛するのはわたし。守るのはわたし。
自分にはない、ロドニスの一生懸命さをエウリッタは守りたいと心底思えるのだ。
「あなたにもあげないよ」
ふと視線を向ければ、月が隠れて音もなく暗くなった寝室の物陰から、すすり泣きが聞こえた。城に帰って来て夜になると時々聞こえるようになった声だった。えづくような、血を吐くような、女のうめきだ。
幻なのかなんなのかわからないが、その女がだれなのかはわかっていた。
「あつかましいんだよ。あなたがロドニス様の妻だったのは一日もなかったでしょう? 抱かれもしなかったでしょう? その前に殺されたんでしょう? そのくせ今も旦那様の心を掴んでいるなんて、許せない」
死んだように眠る夫をぎゅっと抱きしめる。
今夜初めて妻と一緒に眠れた男に、こんな夜を、おだやかな夜を、明日も、明後日も、何十年先までも、渡してあげたい。それだけなのかもしれない。
だから、ロドニスの心の片隅にでも他の女がいるのはだめなのだ。
「消えて。あなたはもういらない。旦那様の中に、あなたへの罪悪感なんていらない。わたしが忘れさせてみせる。きっとすぐ」
女の亡霊は何かを叫ぶようにして暗やみの中に消えた。
エウリッタは鼻で笑った。ロドニスの寝顔を見下ろすと一転視線を和らげてその薄くひらく唇に口づけた。
それから彼を起こさないようにそうっと隣に寝転がると、すうすうと安らかな寝息に聞きほれながら、うっとりと瞼を下ろした。
3日後、ロドニスが城を去ったその日、エウリッタは実家の父にあてて一通の招待状を送った。
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