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勇者を目指せ!?

第42話 

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「ふぅ……」

 ゼノスは軽くため息を吐いた。
 『イフリート』は攻撃魔法というよりも召喚魔法に近い。
 己の魔力を媒介として、高位の存在を顕現させるのだ。
 消費する魔力はカイナの最上位魔法の比ではない。

 ゼノスは多少の倦怠感を感じながらもイリスの傍へ歩み寄る。

「イリス、怪我はねえか?」
「ええ、ゼノスのおかげで」

 その言葉にゼノスは心の底からホッとする。
 イリスが無事だったことが何より嬉しかった。

「……でも、どうして私がここにいるって分かったの?」
「それは……」

 ゼノスは言い淀む。

 イリスが魔術学院にいないと分かったのは偶然ではない。
 ゼノスはダンジョンでミノタウロスに襲われて以降、常にイリスの場所が分かるように魔力探知を使用していたのだ。

 カイナの障壁は物質や音を遮断してはいたが、魔力までは遮断していなかった。
 イリスの魔力が魔術学院から離れた場所に留まっていることを不審に思っていたところに、巨大な魔力が反応したのだ。

 すぐに『転移』を使用していなければイリスは今頃……。
 だが、結果的にイリスの為であったとはいえ、本人が聞けば引いてしまうかもしれない。
 
 そう考えたゼノスだったが、やはり黙っておくのはよくないと判断し、魔力探知のことを告げる。

「魔力探知で私のことを、ずっと……」

 イリスが信じられないといった目で、口元を押さえながらゼノスを見た。

「ああ。気持ち悪いよな」

 ゼノスはショックを受けるが、同時に仕方ないとも思っていた。
 いくら恋人同士だといえ、一方的に相手の居場所を知ろうとするなど引かれるに決まっている。

 ――こりゃ、嫌われちまったかな。

 しかし、ゼノスの考えは杞憂だった。
 
「それほどまでに私のことを想ってくれていただなんて……嬉しい」
「……え?」
「だって、私のことが心配でしてくれていたことでしょう? どうでもいい相手だったら気持ち悪いけど、ゼノスだもの。嬉しいに決まっているわ」

 ――私だって、魔力探知が使えるんだったらゼノスに使うもの。

 好きな人のことはどんなことでも知っておきたい。
 例え良いことでも悪いことでも。
 それがイリスという女の子であった。

「えいっ」

 イリスは勢いよくゼノスの胸に飛び込んだ。
 
「っと」

 ゼノスはイリスを優しく抱きとめる。
 いつもより身を寄せてきているせいか、柔らかな感触が伝わってくる。
 積極的なイリスにゼノスは戸惑うが、イリスの顔は真っ赤になっており、恥ずかしさを我慢しているようでもあった。
 
「助けに来てくれてありがとう」
「俺がイリスを助けたいからそうしたまでだ」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃ、俺の彼女だから、だよ。当たり前だろ」

 恥ずかしそうに顔を逸らしながらぶっきらぼうに告げるゼノス。
 彼の頬もまた、ほんのり赤く染まっていた。

 ――もうっ! ゼノスったら!
 
 自分のことを大切に思ってくれている気持ちが伝わり、頬は熱く、動悸も激しくなる。
 
 ゼノスはゼノスで、イリスの柔らかさと温もりで理性が飛びそうになるのを必死で抑えていた。
 下を向けば、とろんとさせたイリスの目がこちらに向けられている。

 スッ、と静かにイリスの目が閉じられた。

 ――や、やべえ。いや、違う。
 これはもしかしなくても、あれか。
 
 女の子が目の前で目を閉じた状態で顔を向けているのだ。
 それが何を意味しているのか分からないほど、ゼノスも馬鹿ではない。
 そして、ここまでされて何もしないような男でもなかった。

 ゼノスはイリスの肩に手を置いた。

 一瞬、ビクッとしたイリスだが、目は閉じたままだ。
 ゼノスは恐る恐る顔を近づける。
 ぷっくりと柔らかそうな唇に迫り、あと少しでゼノスの唇と重なる寸前――。

「こりゃいったいどうしたんだ!?」

 後ろの方で大声が上がった。

 その声に反応して、二人はバッと勢いよく離れる。
 イリスは熟れた林檎のような頬をしているが、自分も似たようなものだろう、とゼノスは感じていた。
 
 イリスはむすっと不満げな表情を浮かべているが、それはゼノスも同じことだ。
 人生で初めてのキスを邪魔されたのだから。

 ゼノスは声のした方へと振り返ると「あっ」、という声を漏らした。
 中立都市のシンボルだった教会が、瓦礫がれきの山と化していたことを思い出したからだ。

 カイナが死に、障壁が解除されたことでまばらではあるが人が集まり始めている。
 この場に留まるのはマズい。
 言い訳しようにも教会を粉々にした張本人は、ゼノスの魔法で文字通り跡形もなく消えてしまっている。

「あー……イリス」
「……なあに」
「ひとまず、ウィリアム先生を連れてこの場を離れねえか」
「そうしたほうがよさそうね」

 元はと言えば、勇者協会に所属していたウィリアム先生が魔族と繋がっていたから起きてしまったことだ。
 ならば、ウィリアム先生をオルフェウス学院長に渡して、勇者協会から説明してもらった方がいい。

 ゼノスはそう考え、イリスも同意した。



 翌日の早朝。

「――いや、いいんじゃよ。気づけなかった儂の責任じゃしな」

 オルフェウス学院長は、これまで生きてきた中で一番深いため息を吐いた。

 朝一番に扉をノックされ開けてみれば、ゼノスとイリス、そして拘束されたウィリアム先生の姿があった。
 最初に感じたのは、「また厄介ごとを持ってきたな」だった。
 
 ゼノスという少年。
 戦闘に関しては非常に優秀なことは間違いない。
 今すぐ勇者協会に入ったとしても、上位の強さだろう。
 それぐらい将来有望な少年だ。

 しかし、である。
 彼が関わるとろくなことがない。
 主に自分にとって、だ。

 帝国の皇帝が直々に視察にやってくるだけならまだよかった。
 その娘を無理やり滞在させるのも、まだ我慢しよう。
 王国の第一王子が視察にやってくるのも、胃が痛いが許容範囲だ。

 だが、今回ゼノスとイリスが話した内容は、それら全てを吹き飛ばすようなものだった。
 ウィリアム先生が魔王信奉者で、魔族と繋がっていて、しかも王族であるイリスの命を奪おうとした。

 にわかには信じられない。
 勇者協会は所属する者の出自を調べ、問題を起こしていないかどうか入念に調査する。
 万が一にでも、所属した魔術師が問題を起こそうものなら信用問題に関わるからだ。

 しかし、ウィリアム先生本人が否定しなかったのだから、認めるしかない。
 勇者協会を束ねる者として、今まで気づけなかった自分の失態である。
 
「じゃがのう……」

 再び、オルフェウス学院長は大きく息を吐く。

「教会の修繕費、いくらするんじゃろう……」

 あれだけ巨大な建物だ。
 どれだけの金額が必要かなど、想像もつかない。

「あのう、王国からいくらか出してもらえないかお父様にお願いしましょうか?」
「ほ、本当かね!?」

 イリスの提案は願ってもいないものだった。
 
「ええ。私が不用意に追いかけるようなことをしなければ、このような事態にはなっていなかったかもしれませんから。ただ、全額というわけにはいかないでしょうけど……」
「いや、助かる! 恩に着るぞ、イリスくん」

 「いえ……」とイリスは曖昧な返事をした。
 確かにイリスがウィリアム先生を追いかけなければ、教会は崩れていなかったかもしれない。
 だが、そのこととは別に、イリスは告げていないことがあった。

 自身の中に、魔王ルキフェの魂が眠っているということだ。
 このことをオルフェウス学院長に言おうものなら、間違いなく王国に報告されてしまうだろう。
 それはゼノスと離れ離れになってしまうことを意味する。

 初めは言おうとしたのだが、ゼノスから「俺が絶対に守ってやる」などと言われれば、イリスには反論する言葉を探し出すことは出来なかった。

 お金の負担が少しでも軽くなると分かり、オルフェウス学院長の表情もいくらか和らいだものに変わる。

「相分かった! 教会の件は儂が話すゆえ、君たちはいつも通り授業を受けるのじゃ」
「あの……」
「ん? なんじゃね」
「でも、どなたが教えてくださるのでしょう? ウィリアム先生、というわけにはいきませんよね」
「あ……うん、そうじゃったな……」

 今、この魔術学院にはオルフェウス学院長とウィリアム先生しかいなかった。
 雑務をこなす人員は若干名いるものの、魔術師ではないため、教えることはできない。
 勇者協会から新たに呼ぶにも時間が掛かる。
 その間の代役を誰が務めるか、考えるまでもなかった。



「……というわけで、ウィリアム先生は一身上の都合により急遽退職されることとなった」

 オルフェウス学院長の言葉に教室内は騒然となる。
 事情を知っているゼノスとイリスは苦笑を浮かべていた。

「じゃが、心配無用じゃ! 当面はこの儂が君たちの師として授業を受け持つ」

 あちこちから安堵の声が漏れる。
 オルフェウス学院長も生徒たちを見ながら、うんうんと頷いている。
 
 ゼノスはふとイリスの座っている席を見た。
 同じくゼノスを見ようとしたイリスと視線が合う。
 途端に二人とも顔が真っ赤になった。
 昨夜の未遂となったキスのことを思い出したからだ。

 ――昨日はできなかったけど、次は。

 邪魔さえ入らなければいくらでもチャンスはある。
 二人はそう考えていた。

 しかし、世の中はそんな甘くはない。
 
「失礼いたします!」

 教室の扉が急に開かれ、入ってきた男がオルフェウス学院長に近づく。

「これ、授業中じゃぞ!」
「も、申し訳ございません。ですが、帝国からの文でして……皇帝から直々の」
「な、なんじゃとっ!?」

 オルフェウス学院長は手紙を受け取り手紙を確認する。
 手紙には確かに皇帝の押印があった。
 恐る恐る封を開け、中身を確認する。

 その瞳が大きく開かれ、直ぐにユリウスとレティシアへと向けられる。
 ユリウスは首を左右に振ったが、レティシアは微笑を浮かべていた。
 オルフェウス学院長は諦めたようにがっくりと肩を落とす。

「あー、生徒諸君。突然じゃが今日から新たに一人の生徒を迎え入れることになった。君たちもよく知る者じゃ」

 思いつく生徒など一人しかいない。
 生徒たちの視線が一人の少女に向けられる。
 
 ――ま、まさか……。

 イリスの不安は的中した。
 視線の先の少女――レティシアと目が合った。
 
「そういうわけですので、今後ともよろしくお願いしますね、イリス様」

 イリスの表面上は笑みを浮かべた顔の中で、目だけが挑戦的な光を放っている。

 レティシアは、ゼノスとイリスが二人きりになることを阻止しようとするだろう。
 それはキスをするどころか、イチャイチャすることも難しくなることを意味する。

 そう、少なくともゼノスが勇者に選ばれるまでは。

「な、なんでなのよおおおおおおっ!!」

 イリスの叫びが教室内に木霊したのだった。
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