5 / 14
第4章
剣技大会とソレインの王子
しおりを挟む
ルーナが目を覚ますと、近くのテーブルにパンとミルクが置いてあった。
「お目覚めですか?少しで申し訳ありませんが朝食を用意しました。」
「カノンは?」
「私は同じものを先に頂きましたので、それはルーナ様の分です。」
「そう…。」
ルーナはパンをじっと見つめた。朝食にパンとミルクしかないのは初めてだった。いつもは卵やチーズ、たくさんの果物がテーブルにのっていた。しかし、今は贅沢はできない。カノンがお金を少し持ってきてくれたが、いつまでもあるわけではない。国を出た今、自分は王女ではないのだ。
ルーナはため息をつき、パンを一口かじった。素朴だが、ほんのりと甘さが口の中に広がっていく。
「…おいしいわ。」
思わず笑顔になり、次々とパンを食べていく。
「この国では多くの商人が出入りしているため、食文化が進んでいるようです。」
「そうなの?こんなにおいしいパンは初めて食べたわ。」
ルーナにつられたようにカノンも微笑んだ。しかし、ルーナが食べ終わると顔を引き締め、真剣に話を始めた。
「ルーナ様、これからどうするかを考えましょう。所持しているお金は今夜分の宿代くらいしかありません。そして今、国王は病を患っているようなので助けは求められないでしょう。そうなれば王子に期待するしかありません。」
「でも、ここの王子は王になることに興味がないんでしょう?助けてなんてくれないんじゃないかしら。」
「はい。ですから剣技大会に出て、まずはその王子と謁見の機会を得ようと思います。王子と直にお会いして、それとなくルーンの状況をお伝えするのです。」
「でも…優勝しないといけないのよ?」
女性を伴った者ならばすぐに王子と謁見することは可能だ。しかし剣技大会に出場しただけでは無理だ。優勝者でなければ会えないと商人の男が言っていたからだ。
「カノンが女性である私を連れて王子に謁見すればいいじゃない。そのほうが簡単だわ。」
「いけません‼︎あなたは王女なのですよ。王族が他国の王族を訪ねるときは正式な書状が必要になります。私たちは正式にここへ来たわけではないのでまだ身分は隠しておくべきです。」
《カノンの言うとおりだ。しかし剣技大会もカノンでは無理だろう。私が出よう。》
ルーナの頭の中でディアナの声が響く。
「えぇ⁉︎」
「どうなさいました?」
突然声を上げたルーナを不思議そうにカノンが見つめている。
「あ、あの…ディアナが自分が剣技大会に出るって…。」
「それはいけません!!ルーナ様の御身体に傷がついては困ります‼︎」
「自分じゃないと優勝はまず無理だって言ってる…。」
「しかし---」
『聞き分けのないやつめ。私が出ると言っているだろう。確かにカノンは強いかもしれないが優勝は無理だ。』
カノンの言葉を遮ったルーナの瞳が突然赤に変わっていて、カノンは一瞬言葉が出なかった。急にルーナと入れ替わるのはやめてほしい。まだ慣れないため心臓に悪い。
『このような大国に強者はいくらでもいる。おまえが優勝できる保証はない。だが私は違う。絶対に優勝すると誓おう。いいか、今からおまえが従者だ。そうと決まれば行くぞ。』
ディアナは勝手に支度を済ませ、宿を出て行ってしまった。カノンは慌ててその後を追う。ディアナの向かった先は闘技場だった。
「ディアナ様、お待ちください‼︎その御顔は目立ちますのでどうぞこの仮面と、左手を隠す手袋を身につけて下さい。」
カノンはディアナを止め、今朝ルーナが寝ているときに用意した仮面と手袋を渡した。
『今の私はティルだ。ティル様と呼べ。それにしても仮面か…目しか覆えないものだがまぁいいか。』
ディアナは仮面をつけ、左手に手袋をはめてルミエールを隠した。そして闘技場の受付へと向かう。
『剣技大会に出たい。名はティル・グランシェ。』
受付の男はあからさまに不審そうにディアナを眺めていた。
「そんな細っこい腕で戦えるのか?」
剣技大会に出場するものは堅いのいいものばかりだった。対してディアナは女の身体だ。男は皮肉を込めて言ったが、横にいるカノンが睨むと怯えたように目をそらした。普段カノンは優しい性格だが、怒らせると怖い。そして静かな茶色い瞳で睨まれると怖さが数倍増す。受付の男は剣技大会の登録をさっさと済ませ、ディアナに参加バッジを渡した。
『カノン、おまえは見物していろ。大丈夫だ、絶対に優勝してやる。』
ディアナはさっさと参加者控え室へと行ってしまった。
試合が始まると、カノンは客席で驚きの色を隠せず呆然と試合を眺めていた。
ディアナは男相手に勝ち続けている。仮面で顔半分を隠した謎の男、ティル・グランシェはあっという間に有名になった。
とうとう決勝戦まで勝ち昇り、優勝まであと一歩となった。
そして決勝戦は瞬く間に決した。始まりの合図が鳴った直後にディアナが相手の剣をなぎ払ったのだ。ディアナが剣を収めようとしたとき、客席から待ったがかかった。誰もがその声の主に驚いている。なぜならその声は王族の観戦席から響いたからだ。
「私と勝負してくれ。貴殿が勝ったら、賞金以外に褒美を与えよう。」
ディアナに試合を申し込んだのは、王になることに少しも興味を示さないというこの国の王子だった。剣にだけ興味があるという王子は細身であるのに屈強な大男たちを次々に負かしていくこの少年に興味を示していた。
(この人がこの国の王子?)
ルーナはディアナを通してこの国の王子をじっと見つめた。王子の髪は短く見事に黒い。額に金のサークレットをつけていて黒い髪の中にある金色がまるで闇の中の光のようだ。瞳は髪の色と同じく黒い。笑わないその顔は冷めている印象を与えるが、顔立ちはとても整っている。
「手加減はしないでくれ。貴殿と本気で戦いたい。貴殿、名はなんという?」
『…ティル。ティル・グランシェ。』
「私はこの国の第一王子、ルカ・クラロ・ソレインだ。いざ、勝負!!」
開始の合図と同時にルカはディアナに向かって剣を下ろした。ディアナはそれを剣で受け止めたが、今までのどの相手よりも強いと感じる。受けた剣が思ったより重く、手が痺れてきた。
《くっ…やるな、ルカ王子…。》
《ディアナっ‼︎お願い、負けないで‼︎》
ディアナは腕に力を込めてなんとかルカの剣をはじき返し、今度はこっちから切りかかった。すばやく切りかかったつもりだが、ルカはあっさりとそれをよける。ディアナは人一倍強い。しかしその身体はルーナのものだ。こんなに激しい運動をしたことのないルーナの身体はもう限界だった。ルーナの肺が悲鳴を上げ、息が苦しい。ディアナは剣を落とし、胸を押さえて地に片膝をついた。ルカは驚いて剣を止め、原因を察して剣を収める。
「すまない…貴殿はずっと戦っていて疲れていたな。だが、戦って楽しいと思ったのは貴殿が初めてだ。よかったら私の部屋でゆっくり話さないか?優勝者の貴殿と話がしたい。それにその仮面の下も気になる。」
「は、はい…。」
剣を落とした瞬間、興醒めしたかのようにディアナの意識は引っ込んでしまった。
ルカはルーナに手を差し出し、ルーナを立たせた。そして「ついて来い」と言ってルーナを自室へと誘っていく。
ルーナたちが去った後、客席は賑わっていた。とうとう王子が何かに興味を持ったのだ。やっと王子に第一騎士がつく可能性ができた。今までは自分より弱い騎士などいらないと言って第一騎士をつけようとしなかった。しかし、あの少年なら王子の騎士になれるだろう。誰もがそう疑わなかった。剣にしか興味を示さなかった王子に騎士がつく。それは王子が王になるための第一歩のように思われた。そしてそのティル・グランシェという少年は仮面をつけた謎の男。その正体を知る者はいない。その少年はいったい何者なのかと、ルーナはすぐさま噂の的となった。
ルーナは緊張しながらルカの部屋へ足を踏み入れた。たいして経っていないが、お城の中がひどく懐かしく感じる。ソレイン王国は大国であるため、城の中もルーン王国とは比べものにならないほど広い。
「そこに腰を掛けてくれ。そしてできればその仮面をはずしてくれないか?」
ルーナは言われた通り椅子に腰を下ろした。そして王族への礼として仮面をそっとはずした。ルカの方に恐る恐る視線を向けると、ルカは真っ直ぐルーナを見ていた。
「なるほど…仮面をしているのは女性に騒がれないようにするためといったところか。男にしてはずいぶん美しい顔だな。」
「い、いえ…。」
「声も高く女性みたいだ。貴殿、本当に男か?」
もうばれてしまったのかと内心焦りながらもなんとか笑顔をつくっていると、ルカはふっと笑った。その笑顔にルーナは思わず胸が高鳴った。
(えっ、今笑った?この人…こんな風に笑うのね。)
「すまない。気分を悪くしないでくれ。貴殿が女性ならとふと思ってしまったんだ。王になるには妻となる女性を迎えなければならない。だが、結婚したいと思える女性がいないのだ。これでは王にはなれないというのに…。」
ルーナは目を見開いてじっとルカを見つめてしまった。
この国の王子は王になる気がないのだと聞いた。最初にルカを見たときは冷めた印象しか持てず、こんな人が助けてくれるはずがないと思っていた。しかし目の前にいる人はちゃんと王になることを考えている。自分が愛せる女性にまだ出会えていないだけだ。そしてルーナに向けて微笑んだ顔はどの表情よりも心惹かれた。
「実は最近、世界一美しいと言われる隣国の姫を連れてきた者がいたんだ。その女性に期待したのだが…やはりだめだった。」
世界一美しいと言われる女性とはいったい誰のことだろう。侍女のアリアから、ルーナが近隣諸国からそのように言われていると教えてもらったことがある。しかし自分は初めてルカ王子に会ったため、自分のことではないのは確かだ。そのように言われている人は大勢いるのだろうか。
「確かにきれいではあったが、振舞いがまるで侍女のようだった…。髪が銀色だという噂も嘘だったようだ。」
「えっ⁉︎」
髪が銀色?銀髪の女性は珍しい。他国に銀髪の女性がいるとは聞いたことがない。
「あ、あの…殿下?」
ルーナは思わず口を挟んだ。
「ルカでいい。」
「えっ…あ、では…ルカ様。その姫の名は何とおっしゃるのですか?」
「連れてきた者はルーナ姫だと言っていたが?」
ルーナは絶句した。それは間違いなく自分のことだろう。しかしその姫がルーナであるはずがない。なぜならばルーナは今目の前にいる自分なのだから。ルーナは意を決して口を開いた。
「それはおかしいですね。私はずっと旅をしていてルーン王国にも訪れたことがありますが、王女はけして人前には出ないようでした。国王が王女の銀色の髪を人目に晒さないように外にも出したことがないと聞きました。それなのになぜ、その者はルーナ姫をこの国へ連れて来れたのでしょう?」
ルカは顎に手を当て、考え込んだ。
「確かにおかしいな…。最近では多くの者が私の前に女性を連れてくる。父上は私の結婚相手を探すためだと言っていたからあまり気にしていなかったが…。おい、ルーナ姫をここへお連れしろ‼︎事情を聞こう。」
ルカが従者に命令すると、従者はしばらくしてドレスを身にまとった女性とともに戻ってきた。
(アリアっ⁉︎)
ルーナ姫だと言われて連れて来られたのはルーナの侍女のアリアだった。
「ルーナ姫、あなたは本物のルーナ姫か?」
ルカの鋭い視線を受け、アリアの目にはみるみる涙が溜まっていった。
「お、お許しください、殿下‼︎」
アリアは床に膝をつき、頭を深く下げた。
「私はルーナ様ではありません‼︎私はルーナ様付きの侍女で、アリアと申します。」
その言葉にルカは驚愕した。
「な、なぜ侍女がそのようなドレスを着ている?私を憚ろうとしたのか?」
「いえ、滅相もございません。実は、姫様は国王陛下に内緒で王太子殿下と剣の稽古をしに行くため、私に姫様の身代わりをお命じになりました。そこへ何やら暴動が起こり、何事かと部屋から出た途端に何者かに攫われてしまったのです…。どこまで事情を話してよいものかわからず、黙っていて申し訳ありません‼︎」
ルカは頭を抱えて椅子に座り込んだ。そして今聞いた情報をゆっくり整理する。
「つまり、こういうことか?おまえを連れてきた者はおまえをルーナ姫だと思って攫ってきたと?」
「はい…。恐らくそうかと。」
「攫っただと…?なんてことだ…てっきり私に会うためルーナ姫がここへ来たのだとばかり…。これが本物のルーナ姫だったら外交問題だぞ‼︎勝手に王族の姫を攫ってくるなど…。アリア、顔を上げてくれ…すまないことをした。」
ルカはただの侍女であるアリアに向けて頭を下げた。
「い、いえ…もったいないお言葉です。」
「しかし、暴動とは気になるな…。あの国は平穏だと聞いていたのだが。よし、使者を送って調べさせよう。それまではアリア、ここにいるといい。今帰っても国は危険かもしれない。おまえを攫ったという者には厳重に罰を与えるから安心しろ。」
「あ、ありがとうございます‼︎」
「アリア、実はここにいる少年を私の第一騎士にしようと思っている。それでしばらくこの少年、ティル・グランシェの世話を頼まれてくれないか?」
「は、はい‼︎」
アリアがティルと呼ばれる少年の方を見ると、一目でそれが誰であるかわかった。髪が短く、髪の色が違うが、何年も一緒にいてお仕えした人を見間違うはずがない。
「よろしく、アリア。」
ルーナはアリアがティルをルーナだと気づいたことを悟り、優しく笑いかけた。
「よろしくお願いします…ティル様。」
ルーナはルカの方に向き直り、思い出したように言った。
「ルカ様、第一騎士の話、嬉しく思います。実は元より私にも従者がいるのですが、その者もこの王宮に呼んでもよろしいでしょうか?」
「いいだろう。その者の部屋も用意しよう。」
「ありがとうございます。」
ルカの従者が部屋まで案内してくれるというのでルーナはそれに従い、ついて行くことにした。部屋を出る前に、ルーナはルカの方を振り向いて言った。
「そうだ、ルカ様。」
「なんだ?」
「結婚を焦ることはありませんよ。王子であるときにしか学べないこともあります。運命の女性に出会うまで、今のあなたができることをすればいいのです。」
ルーナは一礼して微笑み、部屋を出て行った。
一人部屋に残ったルカはため息をつき呟いた。
「ティルが女であればいいのに…。」
部屋に案内され、ルカの従者が部屋から遠ざかったのを確認すると、ルーナはアリアに抱きついた。
「あぁ、アリア…無事でよかったわ…。私のせいでこんなことになってしまってごめんなさい。」
「姫様…。驚きましたわ。御髪を短くされてしまって…しかも男性のふりまでなさって…いったい何がありましたの?」
暴動が起こってすぐにアリアは攫われてしまったため、ルーナがここにいる理由を知らない。ルーナは剣の稽古に出掛けてから今に至るまで全てを話した。アリエスのこと、今自分に憑いているディアナという神のこと。
「そんな…アリエス様が?それにユエル様がまだお城にいらっしゃるなんて…。」
アリアは信じられないという顔でルーナを見ていた。
「信じられないでしょう…?でも全て本当のことなのよ。だから私は今こうしてここにいる。この国に助けを求めて来たの。」
「姫様のおっしゃることですもの…私は信じますわ。」
「ありがとう、アリア…。それにしてもこの国の王子の第一騎士になって王に近づきやすくなったのはよかったけど…あの王子、冷たそうな人じゃない?上手くやっていけるかしら…。」
ルーナはルカがアリアに対して向けていた鋭い視線を思い出して言った。
「それは大丈夫だと思います。王太子殿下は私にこうおっしゃいました。ティル様の情報のおかげで私が助かり、お世話をすることでそのお礼をすればいいと。冷たいお方だと思っておりましたが、とてもお優しい方のようです。」
「そう…。でも着替えは一人でやらないといけないわね。男が侍女に着替えを手伝わせるなんておかしいもの。」
今の自分は男だからドレスを着る必要はない。ドレスを着るなら誰かに手伝ってもらわないと着られないが、男の服ならなんとかなりそうだ。いつもは動きづらいドレスがあまり好きではなかったが、男性の恰好をしている今はドレスが懐かしく思える。
「これからどうすればいいのかしら…。剣技大会で優勝して気に入られたからルカ様の第一騎士にしてもらったけど…どうやってルーン王国の話をすればいいの?」
「王太子殿下はルーン王国に使者を送り、内情を調べてみるとおっしゃいました。しばらく様子を見ましょう。」
「そうね…。でも私、ルーナのときは剣なんて強くないのよ?剣の手合わせを頼まれたらどうしましょう…。ディアナに代わってもらったら瞳の色が変わって変に思われるし。」
考えれば考えるほど大変なことばかりだ。お風呂はどうしたらいいのか。王女の護衛騎士であったカノンのことを知っている者がいたらどうしようか。
「姫様…いえ、これよりはティル様とお呼びしますわね。ティル様、私も何でも協力いたします。ユエル様を助けるため、ともに頑張りましょう。」
アリアはルーナの両手をきつく握った。こういうときのアリアは侍女というよりは姉の顔だった。ルーナはアリアの手を握り返し、強く頷いた。
「そうね…いや、そうだな。ともに頑張ろう。」
兄のためなら頑張れる。それに自分は一人ではない。頼れる姉のようなアリア。そしていつだって自分のことを守ってくれるカノンがそばにいてくれる。近い将来、自分の国に帰る日まで、ティル・グランシェというルカ王子の第一騎士として生きる決意をルーナは固くしたのだった。
朝はルカ王子から朝食の席に招待されていた。王女なので食事のマナーには自信があるが、中身が女である自分ではルカ王子の話し相手が務まるのかどうかが心配だった。ルーナは当たり前のように用意された男性の服に一人で着替え、女だとばれないように胸には布をきつく巻いて膨らみを少しでも隠した。少し呼吸がしづらいが仕方ない。準備を済ませると、ルーナは従者のカノンを伴って部屋を出た。
「おはようございます、ルカ様。」
ルーナはルカに向かって騎士がするような礼をした。昨夜カノンに教わったものだ。
「おはよう、ティル。よく休めたか?」
ルカはすでに席についていた。さほど大きくないテーブルでルーナはルカの向かいに腰かける。
「どれもおいしいものばかりだ。好きなだけ食べると良い。」
目の前に置かれた食事はどれもおいしそうだった。見たことのない食べ物も置いてある。ルーナはまず、昨日宿屋で食べておいしかったパンを口に運んだ。
昨日のもおいしかったが、王宮のはさらにおいしい。ルーナは自然と笑顔になり、次々と食べ物を口に運んだ。
その様子をルカは面白そうに眺めながら自分も食事を始めた。
「ティル、今日から剣の稽古の相手をしてくれないか?」
とうとうその話題がきたと思い、ルーナは思わず食事の手を止めた。
「…すみません。昨日の今日でまだ身体が重くて…。よ、よかったら私の従者であるカノンと手合わせしてみてはいかがですか?彼も強いですよ。」
「そうか…では今日はそうしよう。」
ルカは明らかにがっかりしたような顔をしていた。
(ど、どうしよう…。でも私なんかじゃ相手は無理だし…。)
ルーナは再び食べながら考え込んだ。
《ねぇ、ディアナ。》
《なんだ?》
ルーナは頭の中でディアナに語りかけた。
《夜にでも私に剣術を教えてくれない?私もあなたみたいに強くなりたいの。》
《ルカ王子の剣の相手ができないことがそんなにくやしいか?》
《ち、ちがうわよ‼︎そんなこと思ってない‼︎ただ私は強くなりたいだけで。》
《ふっ、まぁいいだろう。体力をつけるという点では稽古に賛成だ。》
ディアナに本心を見破られ、ルーナは内心動揺していた。ルカはティルを気に入っている。朝食の席に誰かを招くのは初めてだという。しかし、ルカが気に入っているのはルーナではない。強いディアナだ。ルーナにはそれがどうしてかくやしかった。
夜、ルーナはこっそりと自室を抜け出し、庭へとやって来た。剣の稽古につきあってくれるカノンはすでに庭へ来ている。
「じゃあ、始めましょう。」
ルーナは剣を構えた。カノンも同じように剣を構える。ルーナは一気に間合いを詰め、カノンに切りかかった。しかしカノンはそれを軽くかわし、逆に切りかかる。
《左によけろ。そして下から切りかかれ。よける方を目で追うな。相手の方を常に意識し、相手の動きを読め。》
頭の中でディアナがルーナに指示を与える。その指示通りに動き、ときには自分で考えて攻撃を仕掛けていく。
剣の稽古は一時間程続いた。
さすがに疲れたルーナは地面に座り込み、荒い呼吸をなんとか鎮めようとした。
「大丈夫ですか、ティル様。」
用心してカノンはルーナのことをティルと呼ぶ。
「日頃から剣の稽古をしていた成果もあり、なかなか良い動きでしたよ。」
「そうかな…。ディアナと兄様のおかげだ。」
ルーナは立ち上がり、剣を収めた。そして自室へと戻っていく。
この日から夜に稽古をするのがルーナの日課となった。
次の日、ルーナはルカ王子に付き添ってソレイン王国の街中を歩いた。王子が街を歩くのは珍しいらしい。王座につくということに興味を示していないと思われていた王子が、自分の国を知ろうとしている。そして剣技大会で有名になったティル・グランシェという少年が王子に付き添って街を歩くということがさらに街中を騒がせることになった。女性たちはティルの姿を見ようと道端でティルが通るのを待ち構えている。
ルーナは剣技大会のときのように仮面をつけ、ルカの後ろを歩いていた。ルーナが道を通るたびに横から女性たちが「ティル様~」と黄色い声援を上げている。
「君は人気者だな。仮面を外したらもっと騒がれるのだろうな。」
ルカは笑いながらティルに話しかけた。
「そ、そうでしょうか…。そ、それよりルカ様、この国は活気が溢れていますね。」
ルーナは女性からこのように声を掛けられたことなどないため、複雑な思いを抱きながら話題を変えた。
「そうだな…。この国は多くの商人が行き来していて色々な国の商品が入ってくる。ほら、これは隣のルーンのものだ。」
ルカは小さな店の品物を一つ手に取りティルに見せた。店の人は王子が自分の店を見ているため緊張して頭を下げている。
ルカが手に取ったものは懐中時計で、表面に月の模様が彫られている。
「きれいですね…。」
ルーナは自分の国の街中をまだ一度も見たことがなかった。こんなにきれいなものが売っているなんてことは知らない。ルーナはふと、お店に並んでいる髪飾りに目を止めた。懐中時計と同じように月の模様で金色の髪飾りはとてもきれいだった。
「その髪飾りが気になるのか?」
髪飾りをじっと見ていたルーナはルカに言われてはっと目をそらした。今の自分は男だ。男が髪飾りなど見ていてはおかしいと思われる。
「い、いえ…あの、すばらしい細工だなと思いまして…。」
「確かにこれは美しい。月の形に彫り、その中に宝石を溶かして流し込んでいるようだな。」
ルカが髪飾りを取ってよく見ていると、店の人は頭を下げながら言った。
「はい、その通りでございます。」
「じょ、女性だったらこのようなものを喜ぶのでしょうね。私はこの懐中時計の方が気になりますが…。」
ルーナは懐中時計を手にとって誤魔化すように言った。
「では、この懐中時計と髪飾りをもらえないか?」
ルカは店の主人にお金を渡す。
「「えっ⁉︎」」
店の主人とルーナは同時に驚いた声を発した。
「あ、あの…ルカ様?私はそのようなつもりで言ったのでは…。」
「お、お代はけっこうですよ、王太子殿下。」
店の主人とルーナはおろおろとしている。ルカは構わずお金を主人に握らせた。
「ものを買えば金を払うのは当然だ。王子だからと気にすることはない。それが国の発展につながるのだから。ティル、これは今日の記念品として君に贈ろう。」
「あ、ありがとうございます…。」
ルーナはルカから懐中時計を受け取り、お礼を言った。
そのあとしばらく街を歩き、ルカとルーナは城へと戻った。ルーナは部屋に戻るともらった懐中時計をじっと眺めた。
「…ルーンの象徴である月が描かれているのね…。これを見ているととってもルーンが懐かしく思えるわ…。」
「きれいですわね…。ユエル様を助け、ルーンに再び平穏を取り戻すことができたら思う存分ユエル様と街中を歩いたらいいですわ。」
アリアは優しく微笑んだ。
「そうだったわ…兄様にルーンの街中を案内してもらわないと。そう約束したもの。」
ルーナはその夜懐中時計をぎゅっと握りしめて眠りについた。
「お目覚めですか?少しで申し訳ありませんが朝食を用意しました。」
「カノンは?」
「私は同じものを先に頂きましたので、それはルーナ様の分です。」
「そう…。」
ルーナはパンをじっと見つめた。朝食にパンとミルクしかないのは初めてだった。いつもは卵やチーズ、たくさんの果物がテーブルにのっていた。しかし、今は贅沢はできない。カノンがお金を少し持ってきてくれたが、いつまでもあるわけではない。国を出た今、自分は王女ではないのだ。
ルーナはため息をつき、パンを一口かじった。素朴だが、ほんのりと甘さが口の中に広がっていく。
「…おいしいわ。」
思わず笑顔になり、次々とパンを食べていく。
「この国では多くの商人が出入りしているため、食文化が進んでいるようです。」
「そうなの?こんなにおいしいパンは初めて食べたわ。」
ルーナにつられたようにカノンも微笑んだ。しかし、ルーナが食べ終わると顔を引き締め、真剣に話を始めた。
「ルーナ様、これからどうするかを考えましょう。所持しているお金は今夜分の宿代くらいしかありません。そして今、国王は病を患っているようなので助けは求められないでしょう。そうなれば王子に期待するしかありません。」
「でも、ここの王子は王になることに興味がないんでしょう?助けてなんてくれないんじゃないかしら。」
「はい。ですから剣技大会に出て、まずはその王子と謁見の機会を得ようと思います。王子と直にお会いして、それとなくルーンの状況をお伝えするのです。」
「でも…優勝しないといけないのよ?」
女性を伴った者ならばすぐに王子と謁見することは可能だ。しかし剣技大会に出場しただけでは無理だ。優勝者でなければ会えないと商人の男が言っていたからだ。
「カノンが女性である私を連れて王子に謁見すればいいじゃない。そのほうが簡単だわ。」
「いけません‼︎あなたは王女なのですよ。王族が他国の王族を訪ねるときは正式な書状が必要になります。私たちは正式にここへ来たわけではないのでまだ身分は隠しておくべきです。」
《カノンの言うとおりだ。しかし剣技大会もカノンでは無理だろう。私が出よう。》
ルーナの頭の中でディアナの声が響く。
「えぇ⁉︎」
「どうなさいました?」
突然声を上げたルーナを不思議そうにカノンが見つめている。
「あ、あの…ディアナが自分が剣技大会に出るって…。」
「それはいけません!!ルーナ様の御身体に傷がついては困ります‼︎」
「自分じゃないと優勝はまず無理だって言ってる…。」
「しかし---」
『聞き分けのないやつめ。私が出ると言っているだろう。確かにカノンは強いかもしれないが優勝は無理だ。』
カノンの言葉を遮ったルーナの瞳が突然赤に変わっていて、カノンは一瞬言葉が出なかった。急にルーナと入れ替わるのはやめてほしい。まだ慣れないため心臓に悪い。
『このような大国に強者はいくらでもいる。おまえが優勝できる保証はない。だが私は違う。絶対に優勝すると誓おう。いいか、今からおまえが従者だ。そうと決まれば行くぞ。』
ディアナは勝手に支度を済ませ、宿を出て行ってしまった。カノンは慌ててその後を追う。ディアナの向かった先は闘技場だった。
「ディアナ様、お待ちください‼︎その御顔は目立ちますのでどうぞこの仮面と、左手を隠す手袋を身につけて下さい。」
カノンはディアナを止め、今朝ルーナが寝ているときに用意した仮面と手袋を渡した。
『今の私はティルだ。ティル様と呼べ。それにしても仮面か…目しか覆えないものだがまぁいいか。』
ディアナは仮面をつけ、左手に手袋をはめてルミエールを隠した。そして闘技場の受付へと向かう。
『剣技大会に出たい。名はティル・グランシェ。』
受付の男はあからさまに不審そうにディアナを眺めていた。
「そんな細っこい腕で戦えるのか?」
剣技大会に出場するものは堅いのいいものばかりだった。対してディアナは女の身体だ。男は皮肉を込めて言ったが、横にいるカノンが睨むと怯えたように目をそらした。普段カノンは優しい性格だが、怒らせると怖い。そして静かな茶色い瞳で睨まれると怖さが数倍増す。受付の男は剣技大会の登録をさっさと済ませ、ディアナに参加バッジを渡した。
『カノン、おまえは見物していろ。大丈夫だ、絶対に優勝してやる。』
ディアナはさっさと参加者控え室へと行ってしまった。
試合が始まると、カノンは客席で驚きの色を隠せず呆然と試合を眺めていた。
ディアナは男相手に勝ち続けている。仮面で顔半分を隠した謎の男、ティル・グランシェはあっという間に有名になった。
とうとう決勝戦まで勝ち昇り、優勝まであと一歩となった。
そして決勝戦は瞬く間に決した。始まりの合図が鳴った直後にディアナが相手の剣をなぎ払ったのだ。ディアナが剣を収めようとしたとき、客席から待ったがかかった。誰もがその声の主に驚いている。なぜならその声は王族の観戦席から響いたからだ。
「私と勝負してくれ。貴殿が勝ったら、賞金以外に褒美を与えよう。」
ディアナに試合を申し込んだのは、王になることに少しも興味を示さないというこの国の王子だった。剣にだけ興味があるという王子は細身であるのに屈強な大男たちを次々に負かしていくこの少年に興味を示していた。
(この人がこの国の王子?)
ルーナはディアナを通してこの国の王子をじっと見つめた。王子の髪は短く見事に黒い。額に金のサークレットをつけていて黒い髪の中にある金色がまるで闇の中の光のようだ。瞳は髪の色と同じく黒い。笑わないその顔は冷めている印象を与えるが、顔立ちはとても整っている。
「手加減はしないでくれ。貴殿と本気で戦いたい。貴殿、名はなんという?」
『…ティル。ティル・グランシェ。』
「私はこの国の第一王子、ルカ・クラロ・ソレインだ。いざ、勝負!!」
開始の合図と同時にルカはディアナに向かって剣を下ろした。ディアナはそれを剣で受け止めたが、今までのどの相手よりも強いと感じる。受けた剣が思ったより重く、手が痺れてきた。
《くっ…やるな、ルカ王子…。》
《ディアナっ‼︎お願い、負けないで‼︎》
ディアナは腕に力を込めてなんとかルカの剣をはじき返し、今度はこっちから切りかかった。すばやく切りかかったつもりだが、ルカはあっさりとそれをよける。ディアナは人一倍強い。しかしその身体はルーナのものだ。こんなに激しい運動をしたことのないルーナの身体はもう限界だった。ルーナの肺が悲鳴を上げ、息が苦しい。ディアナは剣を落とし、胸を押さえて地に片膝をついた。ルカは驚いて剣を止め、原因を察して剣を収める。
「すまない…貴殿はずっと戦っていて疲れていたな。だが、戦って楽しいと思ったのは貴殿が初めてだ。よかったら私の部屋でゆっくり話さないか?優勝者の貴殿と話がしたい。それにその仮面の下も気になる。」
「は、はい…。」
剣を落とした瞬間、興醒めしたかのようにディアナの意識は引っ込んでしまった。
ルカはルーナに手を差し出し、ルーナを立たせた。そして「ついて来い」と言ってルーナを自室へと誘っていく。
ルーナたちが去った後、客席は賑わっていた。とうとう王子が何かに興味を持ったのだ。やっと王子に第一騎士がつく可能性ができた。今までは自分より弱い騎士などいらないと言って第一騎士をつけようとしなかった。しかし、あの少年なら王子の騎士になれるだろう。誰もがそう疑わなかった。剣にしか興味を示さなかった王子に騎士がつく。それは王子が王になるための第一歩のように思われた。そしてそのティル・グランシェという少年は仮面をつけた謎の男。その正体を知る者はいない。その少年はいったい何者なのかと、ルーナはすぐさま噂の的となった。
ルーナは緊張しながらルカの部屋へ足を踏み入れた。たいして経っていないが、お城の中がひどく懐かしく感じる。ソレイン王国は大国であるため、城の中もルーン王国とは比べものにならないほど広い。
「そこに腰を掛けてくれ。そしてできればその仮面をはずしてくれないか?」
ルーナは言われた通り椅子に腰を下ろした。そして王族への礼として仮面をそっとはずした。ルカの方に恐る恐る視線を向けると、ルカは真っ直ぐルーナを見ていた。
「なるほど…仮面をしているのは女性に騒がれないようにするためといったところか。男にしてはずいぶん美しい顔だな。」
「い、いえ…。」
「声も高く女性みたいだ。貴殿、本当に男か?」
もうばれてしまったのかと内心焦りながらもなんとか笑顔をつくっていると、ルカはふっと笑った。その笑顔にルーナは思わず胸が高鳴った。
(えっ、今笑った?この人…こんな風に笑うのね。)
「すまない。気分を悪くしないでくれ。貴殿が女性ならとふと思ってしまったんだ。王になるには妻となる女性を迎えなければならない。だが、結婚したいと思える女性がいないのだ。これでは王にはなれないというのに…。」
ルーナは目を見開いてじっとルカを見つめてしまった。
この国の王子は王になる気がないのだと聞いた。最初にルカを見たときは冷めた印象しか持てず、こんな人が助けてくれるはずがないと思っていた。しかし目の前にいる人はちゃんと王になることを考えている。自分が愛せる女性にまだ出会えていないだけだ。そしてルーナに向けて微笑んだ顔はどの表情よりも心惹かれた。
「実は最近、世界一美しいと言われる隣国の姫を連れてきた者がいたんだ。その女性に期待したのだが…やはりだめだった。」
世界一美しいと言われる女性とはいったい誰のことだろう。侍女のアリアから、ルーナが近隣諸国からそのように言われていると教えてもらったことがある。しかし自分は初めてルカ王子に会ったため、自分のことではないのは確かだ。そのように言われている人は大勢いるのだろうか。
「確かにきれいではあったが、振舞いがまるで侍女のようだった…。髪が銀色だという噂も嘘だったようだ。」
「えっ⁉︎」
髪が銀色?銀髪の女性は珍しい。他国に銀髪の女性がいるとは聞いたことがない。
「あ、あの…殿下?」
ルーナは思わず口を挟んだ。
「ルカでいい。」
「えっ…あ、では…ルカ様。その姫の名は何とおっしゃるのですか?」
「連れてきた者はルーナ姫だと言っていたが?」
ルーナは絶句した。それは間違いなく自分のことだろう。しかしその姫がルーナであるはずがない。なぜならばルーナは今目の前にいる自分なのだから。ルーナは意を決して口を開いた。
「それはおかしいですね。私はずっと旅をしていてルーン王国にも訪れたことがありますが、王女はけして人前には出ないようでした。国王が王女の銀色の髪を人目に晒さないように外にも出したことがないと聞きました。それなのになぜ、その者はルーナ姫をこの国へ連れて来れたのでしょう?」
ルカは顎に手を当て、考え込んだ。
「確かにおかしいな…。最近では多くの者が私の前に女性を連れてくる。父上は私の結婚相手を探すためだと言っていたからあまり気にしていなかったが…。おい、ルーナ姫をここへお連れしろ‼︎事情を聞こう。」
ルカが従者に命令すると、従者はしばらくしてドレスを身にまとった女性とともに戻ってきた。
(アリアっ⁉︎)
ルーナ姫だと言われて連れて来られたのはルーナの侍女のアリアだった。
「ルーナ姫、あなたは本物のルーナ姫か?」
ルカの鋭い視線を受け、アリアの目にはみるみる涙が溜まっていった。
「お、お許しください、殿下‼︎」
アリアは床に膝をつき、頭を深く下げた。
「私はルーナ様ではありません‼︎私はルーナ様付きの侍女で、アリアと申します。」
その言葉にルカは驚愕した。
「な、なぜ侍女がそのようなドレスを着ている?私を憚ろうとしたのか?」
「いえ、滅相もございません。実は、姫様は国王陛下に内緒で王太子殿下と剣の稽古をしに行くため、私に姫様の身代わりをお命じになりました。そこへ何やら暴動が起こり、何事かと部屋から出た途端に何者かに攫われてしまったのです…。どこまで事情を話してよいものかわからず、黙っていて申し訳ありません‼︎」
ルカは頭を抱えて椅子に座り込んだ。そして今聞いた情報をゆっくり整理する。
「つまり、こういうことか?おまえを連れてきた者はおまえをルーナ姫だと思って攫ってきたと?」
「はい…。恐らくそうかと。」
「攫っただと…?なんてことだ…てっきり私に会うためルーナ姫がここへ来たのだとばかり…。これが本物のルーナ姫だったら外交問題だぞ‼︎勝手に王族の姫を攫ってくるなど…。アリア、顔を上げてくれ…すまないことをした。」
ルカはただの侍女であるアリアに向けて頭を下げた。
「い、いえ…もったいないお言葉です。」
「しかし、暴動とは気になるな…。あの国は平穏だと聞いていたのだが。よし、使者を送って調べさせよう。それまではアリア、ここにいるといい。今帰っても国は危険かもしれない。おまえを攫ったという者には厳重に罰を与えるから安心しろ。」
「あ、ありがとうございます‼︎」
「アリア、実はここにいる少年を私の第一騎士にしようと思っている。それでしばらくこの少年、ティル・グランシェの世話を頼まれてくれないか?」
「は、はい‼︎」
アリアがティルと呼ばれる少年の方を見ると、一目でそれが誰であるかわかった。髪が短く、髪の色が違うが、何年も一緒にいてお仕えした人を見間違うはずがない。
「よろしく、アリア。」
ルーナはアリアがティルをルーナだと気づいたことを悟り、優しく笑いかけた。
「よろしくお願いします…ティル様。」
ルーナはルカの方に向き直り、思い出したように言った。
「ルカ様、第一騎士の話、嬉しく思います。実は元より私にも従者がいるのですが、その者もこの王宮に呼んでもよろしいでしょうか?」
「いいだろう。その者の部屋も用意しよう。」
「ありがとうございます。」
ルカの従者が部屋まで案内してくれるというのでルーナはそれに従い、ついて行くことにした。部屋を出る前に、ルーナはルカの方を振り向いて言った。
「そうだ、ルカ様。」
「なんだ?」
「結婚を焦ることはありませんよ。王子であるときにしか学べないこともあります。運命の女性に出会うまで、今のあなたができることをすればいいのです。」
ルーナは一礼して微笑み、部屋を出て行った。
一人部屋に残ったルカはため息をつき呟いた。
「ティルが女であればいいのに…。」
部屋に案内され、ルカの従者が部屋から遠ざかったのを確認すると、ルーナはアリアに抱きついた。
「あぁ、アリア…無事でよかったわ…。私のせいでこんなことになってしまってごめんなさい。」
「姫様…。驚きましたわ。御髪を短くされてしまって…しかも男性のふりまでなさって…いったい何がありましたの?」
暴動が起こってすぐにアリアは攫われてしまったため、ルーナがここにいる理由を知らない。ルーナは剣の稽古に出掛けてから今に至るまで全てを話した。アリエスのこと、今自分に憑いているディアナという神のこと。
「そんな…アリエス様が?それにユエル様がまだお城にいらっしゃるなんて…。」
アリアは信じられないという顔でルーナを見ていた。
「信じられないでしょう…?でも全て本当のことなのよ。だから私は今こうしてここにいる。この国に助けを求めて来たの。」
「姫様のおっしゃることですもの…私は信じますわ。」
「ありがとう、アリア…。それにしてもこの国の王子の第一騎士になって王に近づきやすくなったのはよかったけど…あの王子、冷たそうな人じゃない?上手くやっていけるかしら…。」
ルーナはルカがアリアに対して向けていた鋭い視線を思い出して言った。
「それは大丈夫だと思います。王太子殿下は私にこうおっしゃいました。ティル様の情報のおかげで私が助かり、お世話をすることでそのお礼をすればいいと。冷たいお方だと思っておりましたが、とてもお優しい方のようです。」
「そう…。でも着替えは一人でやらないといけないわね。男が侍女に着替えを手伝わせるなんておかしいもの。」
今の自分は男だからドレスを着る必要はない。ドレスを着るなら誰かに手伝ってもらわないと着られないが、男の服ならなんとかなりそうだ。いつもは動きづらいドレスがあまり好きではなかったが、男性の恰好をしている今はドレスが懐かしく思える。
「これからどうすればいいのかしら…。剣技大会で優勝して気に入られたからルカ様の第一騎士にしてもらったけど…どうやってルーン王国の話をすればいいの?」
「王太子殿下はルーン王国に使者を送り、内情を調べてみるとおっしゃいました。しばらく様子を見ましょう。」
「そうね…。でも私、ルーナのときは剣なんて強くないのよ?剣の手合わせを頼まれたらどうしましょう…。ディアナに代わってもらったら瞳の色が変わって変に思われるし。」
考えれば考えるほど大変なことばかりだ。お風呂はどうしたらいいのか。王女の護衛騎士であったカノンのことを知っている者がいたらどうしようか。
「姫様…いえ、これよりはティル様とお呼びしますわね。ティル様、私も何でも協力いたします。ユエル様を助けるため、ともに頑張りましょう。」
アリアはルーナの両手をきつく握った。こういうときのアリアは侍女というよりは姉の顔だった。ルーナはアリアの手を握り返し、強く頷いた。
「そうね…いや、そうだな。ともに頑張ろう。」
兄のためなら頑張れる。それに自分は一人ではない。頼れる姉のようなアリア。そしていつだって自分のことを守ってくれるカノンがそばにいてくれる。近い将来、自分の国に帰る日まで、ティル・グランシェというルカ王子の第一騎士として生きる決意をルーナは固くしたのだった。
朝はルカ王子から朝食の席に招待されていた。王女なので食事のマナーには自信があるが、中身が女である自分ではルカ王子の話し相手が務まるのかどうかが心配だった。ルーナは当たり前のように用意された男性の服に一人で着替え、女だとばれないように胸には布をきつく巻いて膨らみを少しでも隠した。少し呼吸がしづらいが仕方ない。準備を済ませると、ルーナは従者のカノンを伴って部屋を出た。
「おはようございます、ルカ様。」
ルーナはルカに向かって騎士がするような礼をした。昨夜カノンに教わったものだ。
「おはよう、ティル。よく休めたか?」
ルカはすでに席についていた。さほど大きくないテーブルでルーナはルカの向かいに腰かける。
「どれもおいしいものばかりだ。好きなだけ食べると良い。」
目の前に置かれた食事はどれもおいしそうだった。見たことのない食べ物も置いてある。ルーナはまず、昨日宿屋で食べておいしかったパンを口に運んだ。
昨日のもおいしかったが、王宮のはさらにおいしい。ルーナは自然と笑顔になり、次々と食べ物を口に運んだ。
その様子をルカは面白そうに眺めながら自分も食事を始めた。
「ティル、今日から剣の稽古の相手をしてくれないか?」
とうとうその話題がきたと思い、ルーナは思わず食事の手を止めた。
「…すみません。昨日の今日でまだ身体が重くて…。よ、よかったら私の従者であるカノンと手合わせしてみてはいかがですか?彼も強いですよ。」
「そうか…では今日はそうしよう。」
ルカは明らかにがっかりしたような顔をしていた。
(ど、どうしよう…。でも私なんかじゃ相手は無理だし…。)
ルーナは再び食べながら考え込んだ。
《ねぇ、ディアナ。》
《なんだ?》
ルーナは頭の中でディアナに語りかけた。
《夜にでも私に剣術を教えてくれない?私もあなたみたいに強くなりたいの。》
《ルカ王子の剣の相手ができないことがそんなにくやしいか?》
《ち、ちがうわよ‼︎そんなこと思ってない‼︎ただ私は強くなりたいだけで。》
《ふっ、まぁいいだろう。体力をつけるという点では稽古に賛成だ。》
ディアナに本心を見破られ、ルーナは内心動揺していた。ルカはティルを気に入っている。朝食の席に誰かを招くのは初めてだという。しかし、ルカが気に入っているのはルーナではない。強いディアナだ。ルーナにはそれがどうしてかくやしかった。
夜、ルーナはこっそりと自室を抜け出し、庭へとやって来た。剣の稽古につきあってくれるカノンはすでに庭へ来ている。
「じゃあ、始めましょう。」
ルーナは剣を構えた。カノンも同じように剣を構える。ルーナは一気に間合いを詰め、カノンに切りかかった。しかしカノンはそれを軽くかわし、逆に切りかかる。
《左によけろ。そして下から切りかかれ。よける方を目で追うな。相手の方を常に意識し、相手の動きを読め。》
頭の中でディアナがルーナに指示を与える。その指示通りに動き、ときには自分で考えて攻撃を仕掛けていく。
剣の稽古は一時間程続いた。
さすがに疲れたルーナは地面に座り込み、荒い呼吸をなんとか鎮めようとした。
「大丈夫ですか、ティル様。」
用心してカノンはルーナのことをティルと呼ぶ。
「日頃から剣の稽古をしていた成果もあり、なかなか良い動きでしたよ。」
「そうかな…。ディアナと兄様のおかげだ。」
ルーナは立ち上がり、剣を収めた。そして自室へと戻っていく。
この日から夜に稽古をするのがルーナの日課となった。
次の日、ルーナはルカ王子に付き添ってソレイン王国の街中を歩いた。王子が街を歩くのは珍しいらしい。王座につくということに興味を示していないと思われていた王子が、自分の国を知ろうとしている。そして剣技大会で有名になったティル・グランシェという少年が王子に付き添って街を歩くということがさらに街中を騒がせることになった。女性たちはティルの姿を見ようと道端でティルが通るのを待ち構えている。
ルーナは剣技大会のときのように仮面をつけ、ルカの後ろを歩いていた。ルーナが道を通るたびに横から女性たちが「ティル様~」と黄色い声援を上げている。
「君は人気者だな。仮面を外したらもっと騒がれるのだろうな。」
ルカは笑いながらティルに話しかけた。
「そ、そうでしょうか…。そ、それよりルカ様、この国は活気が溢れていますね。」
ルーナは女性からこのように声を掛けられたことなどないため、複雑な思いを抱きながら話題を変えた。
「そうだな…。この国は多くの商人が行き来していて色々な国の商品が入ってくる。ほら、これは隣のルーンのものだ。」
ルカは小さな店の品物を一つ手に取りティルに見せた。店の人は王子が自分の店を見ているため緊張して頭を下げている。
ルカが手に取ったものは懐中時計で、表面に月の模様が彫られている。
「きれいですね…。」
ルーナは自分の国の街中をまだ一度も見たことがなかった。こんなにきれいなものが売っているなんてことは知らない。ルーナはふと、お店に並んでいる髪飾りに目を止めた。懐中時計と同じように月の模様で金色の髪飾りはとてもきれいだった。
「その髪飾りが気になるのか?」
髪飾りをじっと見ていたルーナはルカに言われてはっと目をそらした。今の自分は男だ。男が髪飾りなど見ていてはおかしいと思われる。
「い、いえ…あの、すばらしい細工だなと思いまして…。」
「確かにこれは美しい。月の形に彫り、その中に宝石を溶かして流し込んでいるようだな。」
ルカが髪飾りを取ってよく見ていると、店の人は頭を下げながら言った。
「はい、その通りでございます。」
「じょ、女性だったらこのようなものを喜ぶのでしょうね。私はこの懐中時計の方が気になりますが…。」
ルーナは懐中時計を手にとって誤魔化すように言った。
「では、この懐中時計と髪飾りをもらえないか?」
ルカは店の主人にお金を渡す。
「「えっ⁉︎」」
店の主人とルーナは同時に驚いた声を発した。
「あ、あの…ルカ様?私はそのようなつもりで言ったのでは…。」
「お、お代はけっこうですよ、王太子殿下。」
店の主人とルーナはおろおろとしている。ルカは構わずお金を主人に握らせた。
「ものを買えば金を払うのは当然だ。王子だからと気にすることはない。それが国の発展につながるのだから。ティル、これは今日の記念品として君に贈ろう。」
「あ、ありがとうございます…。」
ルーナはルカから懐中時計を受け取り、お礼を言った。
そのあとしばらく街を歩き、ルカとルーナは城へと戻った。ルーナは部屋に戻るともらった懐中時計をじっと眺めた。
「…ルーンの象徴である月が描かれているのね…。これを見ているととってもルーンが懐かしく思えるわ…。」
「きれいですわね…。ユエル様を助け、ルーンに再び平穏を取り戻すことができたら思う存分ユエル様と街中を歩いたらいいですわ。」
アリアは優しく微笑んだ。
「そうだったわ…兄様にルーンの街中を案内してもらわないと。そう約束したもの。」
ルーナはその夜懐中時計をぎゅっと握りしめて眠りについた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
妻が通う邸の中に
月山 歩
恋愛
最近妻の様子がおかしい。昼間一人で出掛けているようだ。二人に子供はできなかったけれども、妻と愛し合っていると思っている。僕は妻を誰にも奪われたくない。だから僕は、妻の向かう先を調べることににした。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる